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蜂の巣と聖女の護衛  作者: 朝霧


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13/17

お礼その他

 青い顔の二人が帰って数分経った頃、ノックの音が聞こえてきました。

 おそらく担任かちょうど不在な保険医のどちらかでしょう、そのどっちかだといいなと思いつつ「どうぞー」と言いました。

 ドアが開く前からヤバそうなオーラを感じ取ってはいたのですが、多少の現実逃避をしても許されるでしょう。

 どちらにせよ、助けていただいたお礼は言わなければなりません、遅かれ早かれその人と話をする必要はありました。

 開かれたドアから入ってきたのは、タマス・ティールという学生にとって同級生によく似た少年でした。

 その同級生よりも身長はずっと高いですし、美少女にしか見えなかった『彼女』と違って美少年にしか見えません。

 なにも知らなければ兄妹なのだろうと思うでしょう。

 しかし、寮長から例の話を聞いていたニグルム寮生ならこのような反応をすべきでしょう。

「……トープさん、ですよね。寮長から聞きました、本当は男の人で名前も偽名だって。選定の水晶はとんでもない方をうちの寮に招いたようです。あなたが魔法道具なんか使って性別を偽っていたせいで我が寮の電化製品全滅の危機再び、という感じなのですが……ひとまずそちらの恨み言は置いておきましょう。助けていただきありがとうございました」

 一方的にこちらから伝えたいことだけをベラベラと言いました、言うべきことはとりあえず言い切れたと思います。

 彼はなにも言わずにこちらに駆け寄ってきました。

 ああ、これは殴られる。

 全力で、歯が折れる勢いで殴られる。

 ……その程度なら別に構やしませんけどね、その程度で怒りを抑えてもらえるのなら、それで十分です。

 しかし、覚悟していた顔面への衝撃はいつまで待ってもやってこず、気がついたら強い力で抱きすくめられていました。

「あの、トープさん……?」

 困惑しつつ問いかけてみたものの、なんの反応も返ってきませんでした。

 どうすればいいんでしょうか、この状況。

 罵倒されつつ殴られるかと思いきや無言で抱きすくめられています、何故。

 地味に痛いですし対話が可能ならさっさと終わらせてしまいたかったので、脱出を試みました。

「ぐえ」

 阻止されました、しかも脱出対策なのか力が強められてしまいました。

 なにがしたいんですかこの人は。

「…………お前、二度と、もう二度とあんなこと絶対にするな」

 逃げるのも対話も不可能、これって詰みではと思い始めた頃にようやくそんな声が聞こえてきました。

 その声は純粋な怒りと憎悪ではなく、それ以外の何かも含まれているように聞こえましたが、確証はありません。

「……何をするなと?」

「弱いくせに誰かを庇って前に出るな。俺の前にでるな。お前なんかに庇われると胸糞悪くなる、二度とやるな」

 確かに、途轍もない力を持つ彼が私みたいなクソザコに庇われる、というのは屈辱的で胸糞が悪くなるようなことだったのかもしれません。

 しかしやるなといわれてもそれは無理な相談です。いくら私がクソザコであっても、私が前に出た方が効率よく且つスムーズに物事が片付くこともあるので。

 反応速度にだけは少しだけ自信があるんですよね私、そのほぼ唯一の長所を潰しかねないような約束はできません。

 ですが馬鹿正直に「嫌です」と答えれば火に油を注ぐことになるので、ここはいい感じにお茶を濁すことにしましょうか。

「……善処します」

 便利な言葉を使ってできるだけ期待に応えます感を醸し出します。

 善処した結果どうにもならずとも、善処しても仕方なかった感さえ出せればそれでいいのです。

 なんて思っていたら抱きすくめられていた身体を剥がされました。

 そして今度は両肩を強い力で掴まれています、結構痛いですねこれ。

 真正面から怨敵でも見るような目で睨まれています。

 この人のこういう顔、昔はなんとも思いませんでしたけど、今はちょっと怖いというか見たくないなって思います。

 早く終わんないでしょうかね、この時間。

「善処じゃなくて絶対だ、誓え」

 恐ろしげな顔で彼はそう言いました、お茶を濁すのは許されないようです。

 この顔は「はい」以外の回答を受け入れない顔です。というか「はい」と答えても信じてくれない上にずっと絡まれるやつです。

 それでもおとなしく「はい」と答えるのがこの時間を手早く終わらせる最良案でしょう。

「……それは難しいですね」

 ですが私はそう正直に答えました。この人にはこれ以上嘘を吐きたくなかったのです。

 すでにとんでもない大嘘を吐いていてそれを一生貫き通すつもりではあるのですが、それなのにというか、だからこそというか。

「…………は?」

 メンチを切る、というのはこういうのを言うのでしょう。

 ドス黒い目で睨まれながらそう思いました、子供がこの顔を見たらこの世の終わりのように泣き叫ぶのでしょうね。

「私が前に出た方がいい場面というのはこの先いくらでも訪れるでしょうし、その度に前に出ずに何かの損害が出て後悔したりしたくないんですよ。……なのであなたのその言葉はきけませんし誓えません」

 馬鹿正直にそう答えると、両肩にかかる力がさらに強まりました。

「そんな顔されても無理なものは無理なのです。……今回の件に関しても助けてもらったことには感謝していますし、あの行動は無謀だったとも思いますけど後悔はしていません」

「は? ふざけんな。お前が前に出たせいでこっちは余計な手間」

「けど、あの時私が前に出てなかったらあなたが無事ですまなかったかもしれません。……それに私、反応速度にだけはそこそこ自信あるんですよね。だから何か異変が起こったらすぐに気付くし、自分がやった方が早いってなりがちなんです。……今までずっとそうだったので、これを変えるのは多分無理ですよ」

 たとえ私がこの場面で心の底から「はい」と答えたところで、自分の性分というものはそう易々と変わらないのでしょう。

 なのでこの話はきっと平行線、どちらも主張を曲げる気がないのなら、そもそも対話など無意味です。


 その後、話しても無駄な、たがいの主張を押し付け合うだけのただ疲れるだけの会話が延々と続きました。

 平行線でした、ただひたすらに。

 私が最初に言った「善処します」で向こうが納得してくれればそれで済む話なのに、彼は自分の主張を全く曲げようとしません。

 とにかく二度とあんなことをするなと、他人を庇って傷付くような真似は今後絶対にするなと。

 なんでこの人こんなにしつこいんですかね。私、彼にとっては同寮かつクラスメイトっていうだけの関係のはずなのですが。

 私の正体が先代の聖女だと向こうが思い込んでいるとしても、ここまで言われるような理由はありません。

 だって新しい聖女が既にいるのです、たとえ私が元聖女であったとしてもその力が既に失われていることは向こうにだってわかっているはずなのです。

 今の私は鋼魔法くらいしかまともに使えない学生です、聖女の四騎士にとってなんの価値も意味もない存在なのです。

 彼にとっては今の私は無価値で関わる必要のない人間で、だから私がどこで何をしていたって別にどうでもいいと思いません?

 彼は先代聖女のことが大嫌いでした、それでも四騎士としてどうしても先代に関わる必要があったから、仕方なく先代に関わり続けていたのです。

 余程嫌いだったのでしょう、だからこそ先代を甚振ったりパシリに使っていました。

 皮肉なことに、先代のことを最も嫌っていた彼が最も先代に向き合い関わり続けていました、そのおかげで私が死なずに済んだことも多々あります。

 多分彼は先代のことが大嫌いだったから、あの装置じみた先代の生き方があまりにも気に食わなかったから、先代を装置以外の何かに修正しようとしていたのだと思います。

 たとえそれが装置なんかよりももっと悍ましいものだったとしても、彼にとってはそちらの方がまだマシだったのかもしれません。

 けど、それは遠い遠い昔の話、聖女でもなくなったその装置に彼が関わる必要なんてないのです。

 だから、どれだけ気に食わなくともそんな主張をする意味なんてないのです、彼の方から私のことを徹底的に無視してくれれば済む話なのですから。

「……ですから、友人でも親戚でもなんでもないあなたに私のことをとやかく言われるいわれはないのです」

「なら俺とお前が何か名前のつくような関係になったらお前は素直にいうことを聞くのか?」

「聞きませんね。たとえあなたと同じことを友人達や寮長、ニグルム寮生の皆さんに言われたとしても私の答えは『善処します』だけですし」

「結局考え変えねぇんじゃねーか」

「変えませんとも。……ああもう面倒臭い。そろそろ納得してもらえませんかね、あなたにとって私なんてどうでもいい存在でしょう? そんな私がどこで誰を庇って大怪我しようがしまいがあなたにはあんまり関係ないじゃないですか。そりゃあ同じ寮で同じクラスですから、全くの無関係ってわけじゃないですけど」

 そう主張すると彼は数秒黙り込みました。

 これで納得してくれるといいのですけどね。

 納得してくれなかったらどうしましょう、話し合いで解決できない場合、暴力で決着をつけるしか方法はないのでしょうか。

 うちの学園、一応どの寮にも決闘場がありますけど、うちの寮は意外なこと使用されることはあんまりないのですよね。

 ……大抵言い合いになったその場でガチンコバトルになるから決闘場まで足を運ぶことがないというのが主な理由ですけど。

 決闘ですか、決闘で決めるとなると速攻で潰しにかからないと勝ち目はないですね。

 なんて思っているうちに、彼の様子がなんだかおかしくなっていることに気づきました。

 顔に表情がないというか、表情がないくせになんかやたら怖い顔になっているというか。

「お前、それ本気で言っているのか?」

 その顔のまま彼はそう言いました、とてつもなく静かな声でした。

「ええ、そうですけど」

 特におかしなことは言ったつもりがなかったのでそう答えます。

 見当違いなことを言ったつもりはありませんでした。

 ただの学生としても、元聖女としても。

 学生の私は彼にとって親しくもないただの同寮生でクラスメイト、聖女だった私は彼にとって関わりたくもなかった嫌悪感のある人間。

 私が彼に対して思うところがいくらあれど、それは変わりありますまい。

 私のことをあんなに嫌っていたのに、それでも誰よりも私に向き合い続けたこの人の変な律儀さというか、死ね死ねいいつつ私が本当に死にかけているとつい助けてくれたところとか、私は嫌いじゃないですけどね。

 結構酷いことをされていましたが、それでもいいと思える程度に私はこの人の事が嫌いではないのです。

 けど、それはこちらが一方的に持っている感情で、彼にはなんの関係もありますまい。

 この人はもう嫌いで嫌いで仕方ない奴を守る必要ない、関わらずとも全く問題なく、だから……

 だからなんでこの人がこんなに突っかかってくるのか意味わかんないんですよね、嫌がらせの一環だったりするのでしょうか?

 なんだかすごくそれっぽい気がしてきました、この人昔から私のこと否定しまくって長々と絡んできましたし。

 当時の私は長々絡まれようが脅されようがなんとも思わなかったので基本的に彼が疲れるか飽きるまでその長話に付き合っていたのでしたっけ。

 そういうところも嫌われていたのでしょうね。

「どうでもいいだって? 誰が誰を? 本気で言っているのならお前は本当にどうしようもない女だよお前は。……けど、お前は昔からそうだったな、聖女……いや、元聖女サマ」

 元がついているとはいえ、随分と懐かしい呼び名でした。

 私が元聖女だからという理由で自分の主張を押し付けようという魂胆なのでしょうか、ついでに私に元聖女だと自供でもさせようとしているのかもしれません。

 けど、思う通りにしてなんかやりません。というか昔あれだけあなたの我儘に付き合い続けたのですから、この程度のこちらの我儘くらい空気を読んで呑んでくれるといいのですけどね。

「ですからそれは」

「もういいよ、その嘘。お前は先代だし記憶もとっくに戻ってる。……じゃなきゃ、あんなこと言うわけない、聞こえていなかったとでも思ったか?」

 これは多分、翅中毒達が言っていた話のことでしょう。あの時意識を少しだけ取り戻したわたしが何か言っていたという。

「私、何か言いましたか? 翅中毒達からあの後あなたの声で意識取り戻した私が何か言ったらあなたがすごく怒っていた、っていう話を聞いたのですが、記憶になくて」

「ごめんなさい。あの時もらったピアス、失くしてしまいました」

 記憶に全くありませんが、意識が朦朧とした私が言うか言わないかでいうとすごく言いそうな言葉が彼の口から発せられました。

 咄嗟になんの言葉も出てきません。これを誤魔化す妙案を即座に思いつけない自分の頭の悪さが嫌になります。

 どうしましょう、あまりにも致命的で決定的な事を言ってしまっている。

 どう誤魔化すべきか、どう話を持っていけば騙せるのか、考えても考えても何にも出てきません。

 時間だけが無為に過ぎていきました、そして咄嗟に答えられなかった時点で何を言ってもこちらの説得性は失われてしまっています。

 ストンと抜け落ちていた彼の表情が元の、元以上の憎悪と怒りの感情を映し出します。

「ふざけんな。お前、それだけの理由で何も覚えていないふりしやがったな?」

 そう詰問されました。

 その通りです、その通りなんですけど、ここで肯定するわけには。

 あのピアスは装置でしかなかった私が唯一手に入れられた大切なもの。

 自分の命よりも重いものだったのです、その命の価値がどれほど軽かったとしても。

 誰に何を言われてもあれは私のもので、あれだけはどうしても手放したくなかったのです。

 殺されかけても犯されかけても無抵抗だった私ですが、あのピアスをとられそうになった時だけは本気で抵抗しました。

 多分あのピアスがなかったら、あの時立ち止まった私にこの人があのピアスをくれなかったら、タマス・ティールという学生はもっと淡白で誰とも仲良くできなくて、感情を一切表に出さない装置のような気味の悪い人間だったでしょう。

 記憶喪失になって一度まっさらになった私ですが、あのピアスのおかげで強い感情を一度発露していたからこそ今の私があるのだとそう思っています。

 だからこそ、そんな大事なものを失くしてしまったことと、十ヶ月もの間失くしたことすら忘れてのうのうと生きていたという事実を知られたくなかったのです。

「正直、お前が本当に先代なのかは疑わしいところもあった。顔は全く同じだが表情豊かだし、俺が知っているお前だったら聖女であった過去を隠すようなことはしない」

 私に対して表情豊かなんて似つかわしくない事を彼は言いました。

 けれど確かに、装置だった頃の私に比べると感情が顔に出るようにはなっていました。

 それがいいことなのか悪いことなのかは私には判断ができません。

 ただ、昔の自分だったらあれこれ考えずに何を言われても真正面から彼の言葉を否定できたでしょうから、今この時においてその変化はあまりよろしくない変化でした。

「誰に知られようが誰にどう扱われようが、俺が知ってたお前なら一切気にしない。……それなのにわざわざ隠そうとする理由はなんなのか。……誰かに脅されているのかと思って探ってみても怪しい奴はいなかった」

「…………」

 そりゃあそうでしょう、誰も私が記憶を取り戻した事を知らないどころか、私の過去を勘付いている人すらいないのですから。

 勘付いたところで私の過去を悪用しようと思うような人もいません。

「先代なのも、本当は記憶があるのも、それを隠そうとしているのもお前の反応を見てればわかった。見ただけでそうだと思える程度の反応ができる程度にお前が人間らしくなったことも。……ただ、隠そうとする理由だけがわからなかった。……あの時やっとわかったよ、お前はあんな安物を失くした程度のくだらない理由で、その正体を隠そうとした」

 ああ。

 駄目です、悪手でしかない。

 おとなしく聞き流して、いい感じの言い訳を考えて考えて考え抜いて、私が先代聖女であるという彼の言葉を否定しなければなりません。

 ニグルム寮生なら、本当に大事にしている事を否定され馬鹿にされたその時には怒れ。

 言葉が思いつかないなら、表情が追いつかないのなら、ひとまず暴力を叩き込め。

 衝動を、激情を抑えるな、舐められるな、最も怒らせてはいけないものを怒らせてしまったのだと思い知らせてやれ。

 人も所詮畜生、暴力でわからせろ。 

 そんな過激な思想の持ち主ばかりのニグルム寮、特に私の同世代はその傾向が非常に強いのです。

 そんな環境に一年もいれば、それが当たり前になります。

 そういうわけで、気がついた時には手が出ていました。

 杖が手元になかったのは不幸中の幸いでした、手元にあったら一撃くらわせていたでしょうから。

 握りしめた拳が彼の顔面をぶん殴る直前に彼の片手に難なく受け止められてしまいました。

 こんなことなら筋肉バカの無茶振り特訓に付き合っていればよかった。

 拳を受け止められてしまったのなら仕方ありません、もういいです、杖使います。

 蜂の巣にしてやる。

 相手が誰であるとかそういうのは今関係ないのです。

 たとえ今目の前にいるのが私の一番大事なものをくれた張本人だったとしても、ちょっと前に命を救ってもらったとしても、装置だった頃の私に一番向き合ってくれた人だとしても、そんなことは関係ないのです。

 確かに安物だったのかもしれません、この人にとってはたいしたものではなかったのでしょう。

 けど、そんなの関係ねーのです。

 人の一番大事なものをくだらないとか言いやがった目の前の男に一撃入れないと今は気が済まないのです。

 枕元に放ってあった杖にもう片方の手を伸ばして、そちらの手も掴まれました。

 振り払おうとしましたが腕力に差があったせいで無理でした。

 相手がトープさん状態ならどうにかなっていたでしょうに。

 いっそ杖なしでと思いましたが、事故って殺してしまう可能性が高いのと、的確な一撃を叩き込めない可能性が高いので、一旦やめておきます。

 その程度の理性は残っていました。

「……なんだお前、怒れるようになったのか」

 意外そうな間の抜けた声、彼の顔からほんのわずかな間、困惑が怒りと憎悪を押し除けていました。

「そんなに気に入っていたのか、あんなどこにでもある安物を。あんなの欲しけりゃいくらでもくれてやるのに」

 そういうことじゃないんですよね、このわからずや。

 手が両方とも振り払えません、いくら才能なしだとしても鋼魔法以外の魔法ももう少しやっておくべきでした、たった一年でそこまでできるわけないじゃないですかこれでも結構頑張っているのに。

 いっそほとぼりが冷めた頃に闇討ちでもするしかないのでしょうか、この人強いくせにというかだからこそ詰めが甘いところがあるからそれならあっさりやれるでしょう。

 あ、脚なら動かせる、その綺麗な顔面に蹴り入れてやりましょう。

 普通に失敗しました。

 ベッドに押し倒された挙句馬乗りにされました、動こうにも動けない格好です。

 トープさん状態なら簡単に押し除けられたでしょうに、男女の体でここまで体格差と腕力に差があるの卑怯じゃありません?

「そんなに怒るなよこの程度のことで。……こっちはお前を何百何千殺しても足りないくらいの怒りをどうにか抑えてやってるんだからさ」

 そっちが私に対して何をどう思ってるとか知ったこっちゃないのです。

 喉を掴まれました、大きくて冷たい手、随分懐かしい感触でした。

「お前がいなくなった後、俺がどれだけ苦しんだと思う? お前にはわからないよなわかるわけないよな聖女サマ。わかってりゃあとっくにお前は俺の元に戻ってきていた、あんなピアス如きで何も知らん顔なんざできるわけがない」

 喉を締め付ける手に少しずつ力が込められていきます、それがこちらが死ぬほどの力になるとは思っていませんけど。

「俺が何日お前を探し続けたと思う? 絶対に見つかるなと思いながらお前の死体を、お前の肉の欠片一つでも見つけようと血眼になってあちこち探し続けて、ある日突然お前と同じ神と目の色の見知らぬ女が目の前に出てきた時の俺の感情の一つすらお前は理解できないんだろう? 吐いたよ、俺は。吐いた上に正気を失って喚き散らしながらがむしゃらに暴れた、あのまま気が狂った方がまだマシだったかもしれない。どうせわからないんだろう? お前と同じ色の女を見て、お前が生きている可能性がほぼなくなった時の俺の絶望を。……お前らしいよ、お前は昔からそうだった……お前は随分変わったが、そういうところは変わってない」

 じわじわと力を入れながら彼はそう言いました。

 正直、とても信じられません。しかし嘘を言っている顔ではありませんでした。

 私を探していた? 吐いた上に正気を失って暴れまくった、ですって?

 そんなわけない、ありえない、だって彼は私のことを大層嫌っていたのですから。

「……毎日のように俺を庇って消えたお前の笑った顔を夢に見る、その度に飛び起きて死にたくなる。あの時自分が死ねばよかったと思いながら、ほんのわずかな可能性に縋って毎日毎日お前を探して、探して……それでもいくら探しても見つからなくて……やっと見つかったと思ったお前に知らん顔された時の俺が、どれだけ……」

「どうして、ですか」

 これ以上力を入れられると多分まともに話せなくなる、だから彼の言葉を遮ってそう問いかけました。

「だって、あなた。私のことを、大嫌いでしょう?」

 そう問いかけた直後、彼の手から一瞬完全に力が抜けました。

 しかしすぐに、それまで以上の強い力で私の喉を締めました。

「ああ、そうだよ。お前のことなんて大嫌いだ。嫌いだ、嫌いで仕方がない」

 なら、なんでそんな苦しそうなんですか、なんでそんな痛そうな顔しているんですか。

 わかんないんですよ、あなたのことを何一つ。

 私のことを嫌いと言いつつ関わり続けていたことも、関わる必要がなくなった今も絡んでくるのも。

 嫌いなら嫌いでちゃんと嫌ってくださいよ、嫌いで仕方がないならそれだけでいいじゃないですか。

 私なんかのせいで、そんな顔しないでくださいよ。

「お前なんて大嫌いだ、憎くて仕方がない。……けど、それだけじゃない」

 なら他に何があるんです、嫌い以外の何があるんですかあんな人を治す装置でしかなかった私相手に、と問いかける余裕はありませんでした。

「分かれよ。お前には難しいことだろうが、多少は理解しろよこのバカ女……!!」

 ああ、本当に酷い顔。

 あなたのそういう顔、見たくなかったんですけどね。

 けど、そうですか。

 心底嫌われているだけだと思っていましたけど、それだけじゃなかったんですね。

 ……仕方ありません、今回はこちらが折れましょう。

 そんな顔をされてしまっては、こちらの怒りも維持できませんし。

「ごめんなさい、アダマス様」

 これまでのいろんなことに関する謝罪を口にすると、彼は酷い顔で「謝るのが遅い」と言いました。

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