入学式前日
高等部入学式の前日の夜、ニグルム寮の訓練場には誰もいませんでした。
中等部のニグルム寮の訓練場も利用者が少なかったのですが、高等部もそうなのか、それとも帰郷した上級生達の何割かが帰ってきていないからなのかはわかりません。
人がいようがいまいがやることはあまり変わりないので、どうでもいいのですが。
とはいえ、人が少なければその分広いスペースが使えるので、少なければ少ないほどこちらとしては都合がいい、というか常に誰もいないくらいであればありがたいのですが。
なんてことを考えながら魔道式浮遊的をポチポチポチと起動、難易度レベルはいつも通りの十で。
そういえば中等部のマトは難易度十を一万回パーフェク達成すると幻のレベル十一を設定できるようになる、なんて噂話がありましたが、結局一年だけでは確認できませんでした。
高等部の的にも同じような噂があるのなら、今度こそ確かめてみたいものです。
高等部は四年あるので頑張れば卒業前にどうにかできるかもしれませんから。
などと考えているうちにピーという開始音と共にマトが分裂し始めたので、杖を構えます。
「杭、数量指定二百」
鋼の杭を二百本生成、後は高速で動きまくるマトを鋼杭で狙撃するだけの簡単な動作をするだけ。
元々は杭を作ってマトにあてるを延々と繰り返していましたが、事前にある程度の量を用意してあとは撃ち尽くすだけにした方が効率がいいと気付けたのは半年ほど前の話です。
三十分ほどで杭を撃ち尽くして、一回目のマト当ては終わりました。
結果はいつも通りのパーフェクト、そういえば高等部用なので多少難易度が上がっているのかと思いきや、中等部と変わりませんね。
もう一回、と定位置で動きを止めたマトに近寄ろうとしたら、背後から拍手の音が聞こえてきました。
「素晴らしい、相変わらず君の狙撃は気味が悪いほど正確で変態的だ」
褒めてるのか貶しているのかよくわからない言葉に振り返ると、大きなリボンの髪飾りをつけた恩人が訓練場の入り口あたりに立っていました。
「コルデラせんぱ……ではなく寮長、こんばんは」
うっかり中等部の頃と同じ呼び名で呼びそうになりましたが、そういえば今年からこの人は寮長になったのだったと思い直して慌てて言い換えました。
「ふふ、こんばんはタマ後輩。訓練の途中で悪いのだけど、少しだけお話しさせてもらってもいいかな?」
「はい、なんでしょうか?」
十中八九いつも通りの世間話でしょう、この人はなんだかんだいって面倒見がいいので、よく私に声をかけてくれるのです。
「まずは、高等部への進学おめでとう。一年と二週間ほど前に名前も含めた全てを忘れ果てあの森の中に落ちていた君が……この一年で努力と研鑽を重ねて、これほどまでに成長したこと賞賛しよう。……マジですごい、本当によく頑張ったよね」
「……ありがとう、ございます」
謙遜は逆に失礼だと思ったので素直にお礼を言いました。
あの日、この人に見つけてもらえたことは私の人生で最も幸運な出来事だったのでしょう、きっとそれはこの先ずっと変わることがないのです。
「それで、話が変わるんだけど……実は君の代で聖女とその護衛が四人ほどうちの学園に入学することになった。噂になっていたから君も知っているかな?」
「はい、フレーズさん……クラスメイトから聞きました」
聖女とクラスメイトになるかもしれないと同級生達はソワソワしていました、私はただ面倒臭そうだなと思っただけでしたけど。
「タマ後輩、君は聖女がどの寮になったらいいと思う?」
「そうですね。……噂で聞いただけの話ですけど、聖女はこの世界で唯一聖魔法と、肉体の欠損すら治す大変効果の強い治癒魔法を使えるとのこと。なら、調和を重んじるアルブム寮か、時点で冷静さをモットーにするカエルレウス寮が妥当でしょう。勇敢さが売りなルブルムも悪くはないでしょう、あそこはお人よしが多いので」
特になんの捻りも加えず思った通りのことをそのまま伝えました。
寮長は私の回答に「うんうん」と笑顔で頷きました。
「君もそう考えるか。ボクも概ねそうだと思う。そう思っていた」
「思っていた? そういえば高等部からうちに来る人達の寮の選別って先々週にあったんでしたっけ? ひょっとして結果とかもう知ってるんですか?」
寮ごとにリボンもしくはネクタイの色が異なるので、その準備のためにも入学前に寮の選別だけは毎年済ませているという話だったはずです。
元々は入学式と同時に選別も行なっていたらしいのですが、結構前から選別だけ事前にやるようになったらしいという話を以前聞いたことがありました。
聖女とその護衛の四人がどこの寮に入るのか、という話題はあちこちから聞こえてきましたが、結局どうなったのか現時点で私は知りません。
けれど寮の代表である寮長であるのなら、事前に伝えられていてもおかしくないでしょう。
とはいえ、うちには来ないでしょうからどうでもいい話です。
聖女じゃなくて護衛のうちの一人くらいならうちに来るかもしれませんが、それだってほぼないでしょう。
「ああ、知っている。聖女達の選別は特別に他の入学生達と時間をずらして行ったのだけど、寮長は全員立ち会ったから」
「あー、警備の問題とか色々ありそうですものね。それで、どうなったんです?」
「聖女様が触れた選別の水晶は、黒を示した」
「え」
あっさりと言った寮長の顔を呆然と見上げました。
いえ、よく見るとその顔が少し困っているようでした。基本的に笑顔を崩すことがない彼女にしては、珍しく。
「つまり、名誉なんだか残念なことなのかわからないけど、聖女様は我がニグルム寮に入寮することになった」
「な、なんでですか……!!?」
ニグルム寮は個性豊かな生徒達が所属する寮、と言えば聞こえがいいものの、実際は奇人変人の巣窟です。
私含めて変なやつしかいなのがニグルム寮なのです。
「わからない。けど水晶の選別は基本的に絶対だ。何かと理由をつけてアルブムに押し付けようとはしたけど無理だった、ごめんね」
「なんで水晶はよりにもよって聖女様をうちの寮に……バグっていたのでは?」
「そう主張して十回くらいやり直してもらったけど、黒しか出なかったんだよねえ」
「うわあ……」
「そういうわけで聖女様と、ついでに護衛のうちの一人が我が寮に来ることになった。警備的な問題やらなんやらでしばらくバタつくだろうし、聖女を狙った不審者が寮に出没するかもだから、気を引き締めて高等部生活をおくってね」
「そんな忠告、ききたくなかったです」
「ボクだって言いたくなかった。アルブムの寮長に「がんばってー」って声援を送るつもる
気しかなかったし」
寮長が小さく溜息を吐きました、彼女が演技でもおふざけでもなく溜息を吐くところを見たのは初めてでした。
「それでだ、タマス・ティール後輩。君に一つ頼みがある」
「…………なんでしょうか?」
「実はもうクラス分けは終わっていてね、君は聖女とその護衛と同じAクラスに振り分けられた。そういうわけで……世話係をやれとは言わない、友達になってほしいとも言わない。ただ、同寮のクラスメイトとして、二人のことを少しだけ気にかけてあげてほしいんだ」
なんかとんでもないことを頼まれました。
「……というか、事後報告になってごめんだけど君が一番適任だろうということになってそういうクラス分けになった」
「私以外に誰もいなかったんですか? こんな名前すら覚えてなかった得体の知れない記憶喪失以外に、誰も?」
「君の学年に、君よりもまともで、マシな生徒っていたっけ?」
聞き返されて言葉に詰まりました。
ここで私を入れて十三人しかいなかった同学年の同僚生のあだ名を思い出します。
爆破三連三つ子娘、ファンタスティック毒野郎、グルメプリンス、一人お化け屋敷、ドラゴン内臓愛好クラブ長、エレクトリックフェアリー、翅中毒、格闘バカ、花吹雪、鮫人間。
「……おかしいですね、記憶喪失のせいでまともに人間やってた記憶が一年しかない私よりも、まともな人が一人も」
「だろう!? 君が一番『マシ』なんだよ残念ながら」
一人お化け屋敷と爆破三連三つ子娘あたりは趣味さえ絡まなければ比較的常識人、格闘バカと花吹雪は悪人ではないけど人の話を聞かない、それ以外は割と酷いのです。
「君の代は数が少ない分、変人度合いがおかしいんだ。ボクの代もまあまあ酷いけど、君の代に比べるとまだマシ」
「そうですけど……そう言われるとそうなんですけど」
「ボクだって直近一年の記憶しかない上にこの寮では珍しく常識人寄りな君に、関わるだけで命に危険が及びそうな生徒の事をお願いしたくない。というかそもそもうちの寮生としてそんな生徒を受け入れたくないというのが本音ではある。……けど、そうなってしまったからには仕方ない、仕方ないんだ……」
お気楽そうでいて意外と責任感が強めな寮長は少しだけ顔を歪めてそう言いました。
「親しくならなくていい、ちょっとしたチュートリアルキャラにさえなってもらえればそれでいいんだ。というかある程度問題なさそうな感じになったら同じクラスの他寮生に押し付けてもらって一向に構わないから」
「……わかりました、その程度なら引き受けましょう。別の方に任せて大惨事になったり、その事後処理に追われるくらいなら、序盤のお助けキャラ役を引き受けた方がまだマシです」
そう答えると寮長はぱあっと顔を明るくさせたのでした。
本当はすごくすごく引き受けたくなかったのですけど、仕方ありません。
仕方ないです、恩人のお願い事は断れませんから。




