第48話 第三章 祝福されたい心と憧れのかたち
翌週のオフィス。
都築が尾行したり、鋭い目で探ったりする心配はひとまずなくなった。
しかし、智春と和音の間には、あの“スパイごっこ”の余韻がまだ残っていた。
「……ふぅ、やっぱりあの作戦、楽しかったな」
智春はデスクで肩を回しながら呟く。
和音も、資料整理をしながら小さく頷いた。
「はい。都築さんの観察眼は本当に鋭いですから、緊張感ありましたけど、逆にワクワクもしました」
「うん……そうだな」
二人の距離は、ほんの少しだけ自然に近づいている気がした。
昼休み。
二人は社内の休憩スペースでランチを取っていた。
もちろん、サバ缶コードは欠かせない。
「今日は……水煮ですか?」
和音がニコリと笑う。
「そう、あと味噌味も用意してる」
智春も目を細め、二人で箸を合わせる。
外から見たらただの仲良し同僚。しかし、二人の間では「今日はどのサバ缶を使うか」が秘密の合図になっている。
(こういう時間、意外と落ち着くな)
智春は小さく微笑む。
和音も同じ気持ちを抱いていた。
“秘密を守る”という緊張感が、逆に二人の間に特別な距離感を生んでいるのだ。
午後、和音が資料をプリントアウトしに行く途中。
廊下で智春と鉢合わせしてしまった。
「おっと、和音さん……また資料ですか?」
智春は軽く会釈する。
「はい。池上さんも?」
「ええ、俺も確認するものがあって」
小さな声で話しているつもりが、背後から都築の足音が近づく。
二人は慌てて視線を合わせる。
「えっと……」
「資料……」
言葉が続かず、手にはそれぞれの資料をぎゅっと抱えたまま、まるでコントのように動きがぎこちない。
幸い都築は用事で通り過ぎ、二人は胸をなでおろす。
「……ふぅ、危なかった」
「でも、こうやって二人で協力するの、なんだか楽しいですね」
二人は照れ笑いしながら、資料室に戻った。
夕方。
オフィスには徐々に人が減り、二人だけの時間が少しだけ残る。
「今日は、よくルールを守れましたね」
「はい。都築さんも完全に空振りでしたし」
二人はデスクの間に並んで座り、小さなガッツポーズを交わす。
この感覚はまるで、秘密の任務を成功させたエージェントのようだった。
「……でもさ、なんか不思議だな」
智春は手元の書類を見つめながらつぶやく。
「え?」
「秘密を守るのって緊張するけど、その分、楽しいっていうか」
和音は小さく笑う。
「はい。秘密だからこそ、距離も縮まりますね」
二人は見つめ合い、照れながらも手を軽く触れ合わせた。
帰宅時間が近づき、二人はエレベーターで一緒になる。
小さな沈黙の後、智春がぽつりとつぶやいた。
「……和音」
「はい?」
「秘密ルール、これからも続ける?」
和音は少し考え、微笑む。
「はい。でも……もう少しだけ、自然に呼び合うのもいいかもしれませんね」
「自然に……」
「はい。仕事では苗字、でもプライベートでは名前……そういう小さなルールもありかな、と」
智春は胸がドキリとする。
やっと和音が、自分の心の距離に歩み寄ってくれた感覚があった。
それぞれのマンションのエントランスの前に着き
「じゃあ、また明日」
「はい。サバ缶コード第二弾も楽しみにしてますね」
小さな笑みの中に、秘密を共有する喜びと甘い予感が含まれていた。
都築がどれだけ観察しても、二人の絆は揺るがない。
(いつか、ルールなんかなくても自然に一緒にいられたらいいな……)
智春は心の中でそう思う。
和音も同じ気持ちで、電車に乗り込む。
この日常の中に、二人のラブコメの神髄が静かに息づいていた。
秘密のルール、スパイごっこ、そして小さな協力。
これこそ、智春と和音が作り上げた“二人だけの特別な世界”だった。




