第46話 第三章 祝福されたい心と憧れのかたち
都築翔太の疑念は、日に日に強まっていた。
人事部という職務柄、社員の仕草や人間関係に敏感なのは職業病みたいなものだが、最近の池上智春と野上和音の間に漂う“ほのかな空気”を、彼は見逃していなかった。
「二人、絶対なんかあるよな……」
その一念に取り憑かれた都築は、ちょっとした探偵まがいの行動を取り始めた。
ある日の昼下がり。
智春が会議用の資料をコピー機で印刷していると、背後からふっと影が差した。
「おつかれー」
「うわっ、都築さん……」
不意打ちに心臓が跳ねる。都築はコピー機に肘をつき、わざとらしく資料の束を覗き込んだ。
「へえ、野上さんと同じ案件なんだ」
「え、ええ。まあ」
「よく一緒に会議してるよな。あれ、仲いいんだ?」
「そ、そうでもないです」
「ふぅん」
都築の視線は妙に鋭い。だが智春はルール通り「平常心・業務一本調子」を守りきった。
(危なかった……)
その直後。和音が廊下からやってきて、コピー機前の二人を見て立ち止まった。都築がニヤリと笑う。
「おっ、偶然だね。野上さんもコピー?」
「は、はい。ええと……」
「池上くんと一緒に準備? 気が合うなぁ」
思わず目を合わせそうになった瞬間、智春は“ルールその3:会社では名字で事務的に”を思い出し、冷静に口を開いた。
「野上さん、この資料は後で共有フォルダに入れておきます」
「……お願いします、池上さん」
完璧な業務トーン。都築はしばらく二人を見比べていたが、証拠をつかめず、鼻を鳴らしてその場を離れた。
(ふう……助かった)
(危なかった……!)
二人は心の中でハイタッチを交わした。
その数日後。
社内カフェスペースで休憩をとっていた和音のもとに、都築がやってきた。
「ねえ野上さん。最近さ、スマホよく見てニヤニヤしてない?」
「えっ!? そ、そんなことないです!」
「いやー、人事部ってそういうの気づくんだよねぇ。彼氏でもできた?」
直球すぎる問いに、和音の顔は一瞬で赤くなる。
「ち、違います! ただ友達からのメッセージが……」
「ふーん……」
都築は疑いを深めつつも証拠をつかめず、退散した。和音はスマホを胸に抱えたまま、冷や汗をかく。
(はぁ……危なかった。智春さんとのメッセージ、まるでスパイ暗号みたいに工夫しててよかった……)
そう、二人のルールには“社外のやり取りは暗号風”という項目もあったのだ。
「サバの在庫は?」=「会える?」
「味噌味?」=「ご飯行く?」
「水煮?」=「飲み物だけで」
傍目には完全にサバ缶談義。だが二人にとっては立派な連絡手段である。
◆ スパイごっこ発動
週末前の金曜日。定時後のオフィスで、二人はまたもニアミス。
都築は執拗に残業しており、二人の動きを観察しているように見えた。
(やばい……完全に張り込まれてる……!)
(ここは……スパイごっこ発動だ)
智春は和音にメモをそっと滑らせた。
――「ルートBで脱出」
和音はこっそりうなずき、資料棚へ向かう。あたかも書類を探すふりをして、都築の視線から外れるように動く。
一方、智春はあえて都築に近づき、世間話で足止めする。
「都築さん、来週の研修準備ってどのくらいですかね?」
「あー、あれな。けっこう大変だよ」
その隙に和音は非常階段へ回り込み、外へ出る。
数分後、智春もさりげなくオフィスを後にする。
そして駅前で合流した瞬間、二人は思わず吹き出した。
「ふふっ……ほんとにスパイみたいでしたね」
「いやー、まさか会社で尾行をまくとは」
二人は肩を並べ、笑いながら歩いた。
夜風に吹かれながら、和音が小さくつぶやいた。
「でも……こうやって秘密を守るのって、少し楽しいですね」
「……俺もそう思う。もちろんバレたら困るけど、二人だけの作戦を立てて成功すると、なんか達成感あるよな」
「はい。まるで本当にスパイ映画の主人公になった気分です」
智春は少し照れながら笑った。
「……じゃあ、俺たちの作戦名、決めるか」
「作戦名?」
「“サバ缶コード”」
「ぷっ……!」
和音は吹き出しながらも、うれしそうにうなずいた。
「はい、“サバ缶コード”で!」
二人の間に、小さな握手が交わされる。
どんなに都築が嗅ぎ回ろうと、二人はルールと暗号と遊び心で乗り切ってみせる――。
夜の街に消えていく二人の背中は、ひそやかな“勝利宣言”を放っているようだった。




