第43話 第三章 祝福されたい心と憧れのかたち
金曜日の昼休み。オフィスの空気はいつもより緩んでいた。週末を前に、誰もが少し浮き足立っている。そんななか、和音の机に女子社員たちがわらわらと集まってきた。
「野上さん、今日ランチ一緒に行きません?」
「そうそう、新しいパスタ屋が駅前にできたんですよ。インスタで見て、めっちゃ美味しそうで!」
「ほら、野上さんってパスタ好きそうじゃない?」
急に話を振られた和音は、思わず「あ、うん」と頷いてしまった。だが次の瞬間、無意識に視線を横へ滑らせていた。――机の向かいに座る智春の方へ。
ほんの刹那のこと。自分でも気づかないほど自然な仕草だったが、女子トークの観察眼は恐ろしく鋭い。
「……あれ?」
ひとりが目を細めてニヤリとする。
「今、池上さんの方見ましたよね?」
「えっ!? な、なにを?」
「いやいや、確かに! 今ちょっと目で合図みたいな……ねぇ?」
他の子たちも「うんうん」と頷く。あっという間に場の空気がざわつき始める。
「えっ、ち、違うってば! あの、ただ時計を……」
「時計?」
「そ、そう! あそこにあるアナログ時計を見ただけ! もうすぐお昼だなって!」
必死に言い訳する和音。しかしその横で、智春は「俺は関係ありません」みたいに無表情を決め込んでいた……が、耳だけ真っ赤に染まっている。
(ちょっと、智春! その顔じゃバレバレ……!)
心の中で叫びながらも、和音は引きつった笑顔を浮かべるしかなかった。
午後。小会議室での打ち合わせ準備。和音が資料を抱えて入ると、そこには既に智春がいた。
「あ、野上さん。ここの配布資料、先に並べておきました」
「……ありがとう」
誰もいない狭い部屋。机の上に資料を並べながら、互いにちらちらと意識してしまう。昨日の夜交わしたLINE――「週末どこか行く?」という智春の短いメッセージが、和音の頭をよぎる。思い出しただけで胸が熱くなる。
静けさが気まずい。けれど、どこか心地よくもある。
(まるで二人だけの秘密の場所みたい……)
その時。ガチャリ、とドアが開いた。
「……あれ? 二人だけ?」
営業の佐伯が入ってきた。目ざとく二人を見比べ、口角を上げる。
「なんかいい感じじゃないですか? 会議の前に二人で作戦会議?」
「ち、ちがっ! ただ資料を……」
「俺もそう思います!」
二人そろって即答。声がぴったり揃ってしまい、逆に怪しさが増す。
「ほほぅ、息ぴったりだなあ」
「ち、ちがいますってば!」
「いやいやいや、偶然です!」
和音は顔を真っ赤にして必死に手を振り、智春は汗をかきながら全力で否定する。だが、二人の動揺っぷりは火を見るより明らかだった。
「ふーん……まあいいですけどね」
佐伯は意味深な笑みを残し、ゆったりと席に座った。
和音は心臓が破裂しそうだった。
(ダメ、これ以上は絶対隠しきれない……!)
一方の智春は(もうバレてもいいんじゃ……)と諦め半分の境地に入りつつあった。
その後の会議中、和音はひたすら正面のスクリーンに目を釘付けにしていた。少しでも智春を見てしまえば動揺が顔に出るとわかっていたからだ。智春の方も、普段よりやけに真面目な顔でメモを取り続けている。――その真剣さが逆に不自然で、佐伯がちらちらと見てはニヤニヤしているのがまた居心地悪い。
ようやく会議が終わり、和音はふぅっと大きく息を吐いた。智春も同じように肩を落とし、二人は廊下に出た瞬間、目が合った。
「……危なかったな」
「ほんとに……。もう、心臓止まるかと思いました」
思わず笑い合う。緊張の糸が切れた瞬間、少しだけ楽しくなってしまう。まるで学生の頃、先生に隠れてこそこそ話しているような――そんなスリルと高揚感があった。
昼休みの「ランチ誘導事件」、午後の「会議室ニアミス事件」。わずか数時間の間に二度も起きたハラハラ劇に、二人はぐったりしていた。
だが心の奥底では、妙な感情も芽生えていた。
――この秘密をいつまで守るのか。
――どこかでバレて、祝福してもらえたらいいのに。
和音は、自分の上司である岡本リーダーが堂々と社内恋愛をしている姿を思い出す。オープンにしていても、周囲はむしろ温かい目で見ていた。ああいう関係も悪くない、とふと感じてしまう。
一方で智春も、胸の奥で同じことを考えていた。いっそ隠さず、堂々と「俺たち付き合ってます」と言えたらどんなに楽か。だが和音の気持ちを思うと、自分から切り出す勇気は出せなかった。
――秘密を守るスリルと、バレてもいいという期待。
――ふたつの感情の間で、二人はまた揺れていくのだった。




