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サバ缶食ってりゃ死なねぇだろ!……たぶん。  作者: さかき原 枝都は


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第41話 第三章 祝福されたい心と憧れのかたち

 金曜日の夜。ひまわり食品の新入社員歓迎会は、会社近くの居酒屋で開かれていた。長いテーブルを囲んで、上司から後輩までずらりと並び、賑やかな笑い声とジョッキのぶつかり合う音で空気は満ちている。


 智春は最初から胃が痛かった。別に飲み会が嫌いというわけではない。むしろ場の空気に乗せられて飲むビールは嫌いではないのだ。だが、問題は――。


 真正面に座る野上和音。恋人である。誰もその事実を知らない。会社では「出向社員と企画営業部社員」で通っている二人だが、今ここでふと気を抜けば……「和音」と呼んでしまう危険がある。


 (やばい、絶対に名前呼びしちゃだめだ。俺は今日は「野上さん」しか口にしない。野上、野上、野上!)


 智春は心の中で唱える。まるで試験前の暗記のように。


 一方の和音も、こっそり箸をぎゅっと握っていた。酔ったふりをして妙な笑みを浮かべてしまったら即アウト。会社の女子たちはそういう空気の変化に敏感だ。何気ない一言で核心を突いてくる。


 ――案の定、その瞬間は訪れた。


 「ねぇねぇ、野上さん、最近なんか雰囲気変わったよね?」

 同じ部署の後輩女子、佐伯が目ざとく和音を突いた。

 「えっ?」和音は思わず声を上ずらせる。

 「うんうん、なんか女っぽくなったっていうか。髪も前より丁寧に巻いてるし、メイクも違うよね。恋してる顔、って感じ?」


 ――ドキン!


 和音の心臓が跳ね上がる。隣の席の同僚まで「おおー恋してんのか?」「彼氏できた?」と囃し立ててくる。


 「え、そ、そんなこと……ないですよぉ」

 和音は笑ってごまかす。だが視線は無意識に智春へ――。


 (ダメだって! 今、見るな俺を見るな!)


 智春も慌ててビールジョッキを掴んで一気飲み。ゴクゴクゴク……喉が詰まって咳き込む。


 「池上さん大丈夫ですか?」

 「げほっ、げほっ……! だ、大丈夫ですっ」


 (危なっ……今、完全に怪しまれる流れだった!)


 智春は必死に心を落ち着ける。和音も必死だ。顔が赤いのを酒のせいにできるのが救いである。


 だがその後も危険は続いた。


 「ねぇ池上さんと野上さんって仲良いですよね? いつも一緒に残業してるし」

 「え、そうですか?」智春が固まる。

 「ほらー、絶対なにかあるでしょ」

 「いやいや、業務上必要で……」


 智春は全力で否定する。だが和音が「そうですね」と素っ気なく相槌を打ったせいで、逆に怪しさが増してしまった。


 「ほら! やっぱ怪しい!」

 同僚たちの目がキラリと光る。酒の席の探りは容赦がない。


 和音は内心で悲鳴をあげながら、唐突に皿に手を伸ばした。

 「サバの味噌煮、いただきまーす!」


 ――ガシャン!


 その瞬間、皿が手元から滑ってしまい、味噌ダレが智春のシャツに派手に飛び散った。


 「わあっ!?」

 「い、池上さん、ご、ごめんなさいっ!」


 大慌てでナプキンを掴んで智春の胸元を拭き始める和音。


 「ちょっ、野上さん! やめっ、皆見てるから!」


 案の定、周囲の視線が集中する。女子社員たちは口を覆い、男子社員たちは「おーおー」とニヤニヤ。


 ――完全に、カップルの構図である。


 「……ふ、二人ともホント仲いいですね」

 リーダーの岡本が苦笑混じりに言うと、場は大爆笑になった。


 (ああああ、これもうアウトだ……!)


 智春は頭を抱えたくなった。だが和音は必死に笑顔を作り、再び箸を取り直す。


 (落ち着け和音。ここで動揺したら本当にバレる。私はただのドジっ子……それで押し通すんだ!)


 ……結局その夜は「野上のドジ事件」として笑い話で済んだ。だが二人の心臓は終始バクバクで、帰り道に並んで歩いた時には、互いに同じため息をついていた。


 「……今日は危なかったな」智春がぼそり。

 「ほんとに。もう心臓止まるかと思いました」和音も肩を落とす。


 しかし歩きながら、智春の胸の奥には不思議な感情が芽生えていた。

 ――いつかは、この関係を堂々と言える日が来るのだろうか。


 隣を歩く和音の横顔を盗み見ながら、智春は小さく拳を握る。


 まだ答えは出せない。けれど確実に、二人の「秘密の関係」は揺さぶられ始めていた。


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