第40話 第三章 祝福されたい心と憧れのかたち
翌日の朝。
オフィスのドアを開けると、すでに何人かの同僚がコーヒー片手に雑談していた。その中に池上智春もいる。
――落ち着け、落ち着け。昨日あんなことがあったばかりなんだから。
野上和音は、努めて平常心を装いながら席についた。パソコンを立ち上げ、マウスを動かす。……のはずだったのに、ちらっと横目で智春の姿を確認してしまう。
その一瞬を、同僚のひとりが見逃さなかった。
「野上さん、朝からなんかいい顔してるねー」
「えっ、そ、そう?」
「うん。なんかこう……にこにこしてる。昨日も思ったけど、ほんと雰囲気変わったなあ」
しまった! まただ!
和音は慌てて眉間に皺を寄せ、「そう?」と真顔を作る。だが、それがまた「無理してる感」を出してしまい、逆に疑惑を濃くしてしまう。
「ほら、また赤くなった」
「えっ!? な、なってない!」
……完全に空回りである。
***
昼休み。
和音は智春と一緒にランチに行くわけにはいかないので、女子チームと合流した。が、その女子トークは昨日以上に鋭かった。
「ねえ野上さん、最近スマホ見るとき笑ってるでしょ?」
「え?」
「ほら、机に座ってるときとか。口角が上がってるの、隣の席から丸見えだよ」
「そ、そんなこと……」
――やばい! LINEのやりとりでにやけてるの、見られてた!?
「ねー絶対彼氏いるでしょ」
「社外? それともやっぱり社内?」
「まさか……池上さんとか?」
その瞬間、和音は箸を落としかけた。危うく味噌汁に直撃しそうになるのを必死で抑える。
「ち、ちがうから!」
「えー、即否定するところが怪しいよねー」
女子たちはキャッキャと笑っている。まるで推理ゲームの探偵ごっこ。和音の心拍数は赤ランプを振り切っていた。
***
午後。
デスクに戻ると、智春が何食わぬ顔で仕事をしていた。が、和音はじっと彼の横顔を見つめながら、小声で切り出した。
「……あのね」
「ん?」
「やばい。今日もまた疑われた」
「は?」
智春はキーボードを打つ手を止めて、わずかに目を細めた。
「……もしかして、俺の名前出た?」
「うっ……」
その反応がすでに答えだった。智春は頭を抱える。
「いやいやいや、それもうバレる寸前じゃん!」
「だ、だから必死で否定したのよ!」
「否定って、どんなふうに?」
「『ち、ちがうから!』って……」
「……それ、一番怪しいパターンだろ」
智春は思わず机に突っ伏した。和音も同じように顔を覆う。二人並んで同じポーズを取ってしまったのが、また周囲に「妙にシンクロしてるな」という印象を与えてしまっていた。
***
その日の夕方。
仕事終わりに、二人は人目を避けて駅前のカフェに寄った。
「なあ……やっぱり、隠すの無理じゃないか?」
智春が真剣な顔で切り出す。
「でも……隠してるの、楽しいって昨日は言ったじゃない」
「そうだけどさ。あんなに突っ込まれて、耐えられる?」
「……」
和音は言葉に詰まる。正直、ドキドキはするけど心臓に悪い。嘘をつくのも苦しい。けれど「秘密だからこその特別感」も確かに捨てがたい。
「じゃあさ」智春が腕を組んで提案する。
「二人で”バレそうになったとき用のカバー”決めない?」
「カバー?」
「そう。たとえば呼び方を聞かれたら『学生時代の友達に同じ名前の人がいて』とかさ」
「え、そんな言い訳通じるかな……」
「じゃあもっと自然なやつ考える?」
二人は真剣な顔で、しかしどこか笑いをこらえながら「バレそうになったときシナリオ会議」を始めた。
「えっと……『よく一緒に資料まとめるから仲良く見える』とか」
「いや、それは逆に仲良いって認めてるようなものだろ」
「じゃあ『席が近いから』」
「それは……うん、まあ自然か」
結局、「仲良く見えても業務上のことです」という無難なカバーで一致した。
「ふう……なんか探偵ドラマみたいだね」
和音が笑うと、智春も肩をすくめた。
「俺たち、いつからこんなスパイごっこやってんだろな」
二人は同時に吹き出した。笑いながらも、互いの目には小さな不安が宿っていた。
――秘密は楽しい。でも、隠し通せるものなのだろうか。
――いつかは、本当のことを言わなくちゃいけない日が来るのかも。
和音も智春も、それを言葉にはしなかった。ただ並んで歩きながら、それぞれ胸の奥でそっと考えていた。
***
翌週のランチタイム。
「和音さん、ほんと最近雰囲気変わったよ」
「……またそれ?」
「うん。なんか”恋してるオーラ”が隠しきれてないんだもん」
――ああ、やっぱりにじみ出ちゃってるんだ。
和音はため息をつきながらも、心のどこかでちょっとだけ誇らしい気持ちを抱いていた。




