第8話 : 幻獣
黄金に輝く二本の牙が、屋敷から持ち帰った古びた布の上に置かれる。ネロは手を差し出し、創造の魔法を詠唱した。緑色の魔法陣が輝きを放ち、牙を囲む。次の瞬間、まばゆい光が辺りに広がり、近くにいた二人の人物は思わず腕を上げて目を覆った。
やがて牙は細かく砕かれ、均等な大きさの小片へと変化していく。それらは徐々に平らな円形の硬貨へと姿を変え、その表面には紋章が刻まれていた。
「おい、まさか…金貨を作ってるのか?」
様子を見守っていたメムは、思わず声を上げた。驚きのあまり、彼は目の前の金貨を凝視する。それは先ほど彼が少年に見せた銅貨と瓜二つだった。
ネロは無表情のまま頷くと、淡々と答えた。
「そうだよ。俺が作らなきゃ、お前から物を買えないだろ?」
彼の言葉が終わると同時に、魔法陣の光はゆっくりと消えていく。そこには、輝く金貨の山ができあがっていた。カミエルとメムの目が見開かれる。
「こ、これは…!全部金貨じゃないか!」
「魔法一回で金貨を作れるってのか!?生まれてこの方、そんな奴見たことないぞ!」
メムは興奮した様子で金貨を手に取り、銅貨と見比べる。細かい模様まで完全に一致していた。まるで同じ工房で作られたかのようだった。
だが、その時――
「おい、どけ!それは俺の財産だ!盗もうとしたらタダでは済まさないぞ!」
ネロの低い脅し声が響く。メムは驚き、慌てて後退した。
「(こいつ…急に怖くなったぞ!?)」
メムは内心震えた。ついさっき、この少年は謎の魔法で巨大なイノシシを一撃で仕留めたばかりだ。しかも死体の解体はあまりにも容赦がなく、背筋が凍るほどだった。彼の口にした「俺は悪魔だ」という言葉…今となっては冗談ではない気がする。
ネロは金貨を布ごと包み込み、巨大な財布を作り上げた。その重量は30キロほど。ざっと計算すると、1枚15グラムとして2000枚以上はあることになる。
つまり――
彼は一夜にして大富豪となったのだ!
魔法さえあれば、何もかもが簡単だった。かつて「アクマ」として転生する前の世界とは、あまりにも違っていた。
そこでは、技術が発展しながらも「魔法」は空想に過ぎなかった。存在しないものとして扱われ、人々は貨幣に価値を見出した。硬貨、紙幣、デジタルマネー――それらが彼らの欲望を満たす手段だった。
その意味では、この「エルランガー」の世界も経済システムは似ている。金を払えば物が手に入る。それ自体は悪くない。
だが、彼の過去を思い返すと、それがいかに滑稽なことかが分かる。
かつて彼が悪魔として、神々と戦っていた時代。そこにあった交換のルールはただ一つ――
「命には命を」
残酷で極端な理ではあったが、それゆえに単純で分かりやすかった。…こんなにも。
ネロの小さな指が、コインを三枚つまみ上げると、それをメムの方へと投げた。
ゴブリンはまだ少し警戒している様子だったが、種族としての本能は失われてはいなかった。
すぐさま手を伸ばし、三枚のコインを正確にキャッチする。そして、手のひらを開いて、金貨をじっと見つめると、その目が輝き始めた。
「契約は契約だ。今、俺は金貨を三枚――つまり、三千セリンを支払った。だから、地図とコンパスを渡してもらおうか。」
ネロは淡々とした口調でそう言いながら、一歩前に進み出る。右手には金貨の詰まった袋をしっかりと握りしめ、左手を差し出した。
メムはそれを見るやいなや、慌ててバッグを漁り始める。そして、ほどなくして地図の巻物とコンパスを取り出し、少年に手渡した。
こうして取引は公平に成立した。
お釣りとして五百セリンが残っているはずだったが、ネロは気にしなかった。ゴブリンに対するチップのようなものだ。それに、この小さな商人は見たところ金欠のようだし、お釣りを渡せる余裕なんてなさそうだった。
「ところで、ご主人様はどこへ向かわれるのでしょうか?」
「ご主人様?」
「別にお前には関係ないだろ。」
ネロは片眉をわずかに上げ、内心で笑った。
金を手に入れた途端、メムの口調が変わった。さっきまで普通に話していたのに、今は「ご主人様」と呼んでいる。
金を持っている方が、格上ってことか?
前にも言ったが、「金」というものは身分や社会的地位を決定づけるものだ。そして、このエルランガルという世界もまた、金銭を中心に回っているのだろう。かつての時代とは、あまりにも違いすぎる。
「それでは、ご主人様! 他の商品もいかがですか?」
メムは手を合わせ、まるで本物の商人のような笑顔で尋ねた。
しかし、ネロの返事は簡潔だった。
「いらない。」
小さなゴブリンは、その言葉を聞くなりしょんぼりと肩を落とした。
「そうですか……それでは、ご主人様の旅路が安全でありますように! そして、お買い上げありがとうございました! またいつかお会いできる日を楽しみにしております!」
「それと、そこの小さな幽霊さん! 命を助けてくれてありがとうな! じゃあな!」
名残惜しそうに手を振りながら、メムはぺこりと頭を下げた。そして、大きなバッグを背負うと、森の奥へと歩き去っていった。
地図もコンパスもなくなったが、ゴブリンの嗅覚は鋭い。決して道に迷うことはないだろう。
日本語訳(自然な表現で原文の内容を忠実に維持)
メムの姿が森の奥へ消えると、ネロはカミエルの方へ視線を向けた。彼は腕を組み、誇らしげな表情を浮かべていた。
「お前、なんか嬉しそうだな?」
「それはそうですよ、ご主人様! なんというか……私、今とても価値のある存在になった気がするのです! もう、超カッコいいですよ! そう、ご主人様ネロと同じくらいに!」
「バカ言うな。世界にカッコいい男は俺一人で十分だ! しもべの分際で俺と張り合おうなんて、図々しいにもほどがあるぞ」
「そ、そんなこと言わずに聞いてくださいよ、ご主人様! もし私が突進してあのイノシシを倒さなかったら、ご主人様は地図を手に入れられなかったでしょう? そしたら、この森から抜け出せなくなっていたかもしれませんよ! これは私の功績ですよね?」
「俺にはお前が狙って突っ込んだようには見えなかったがな。もしかして、お前ただ単に制御できずに吹っ飛んで、偶然ゴブリンを助けただけなんじゃないか?」
「それに、地図がなくても俺なら森を抜けられる」
ネロは肩をすくめ、淡々と言い放つ。
「地図は移動時間を短縮するためのものだ。方位磁針もいらない。太陽の動きを見れば、北がどちらかすぐに分かる」
「でもでも! 結局、ご主人様は私に感謝すべきですよね!?」
「お前、俺に口答えしてるのか?」
ネロは目を細め、じっとカミエルを睨みつけた。
「精霊になってから、随分口が達者になったな?」
「そ、そんなつもりはありません! ご主人様ネロ! ただ、事実を述べているだけですよ!」
森の中で始まった言い争い。お互いに譲る気配は全くない。
そんな状況にうんざりしたネロは、魂を封じる壺を取り出し、『従者の誓約』を使ってカミエルを壺の中へ戻した。
そして代わりにエミレストを召喚する。
突然呼び出され、エミレストは一瞬戸惑ったが、ネロの不機嫌そうな表情に気づくと、すぐに口を開いた。
「あ、あの……ご主人様ネロ、お顔の色が優れませんが、大丈夫ですか?」
「別に問題ない。ただ……ちょっとイライラしてるだけだ」
エミレストは小さく首を傾げたが、ネロが大丈夫だと言うので、それ以上は何も言わなかった。
状況はよく分からないが、カミエルからエミレストに交代したことで、周囲の空気は驚くほど落ち着いた。
もしかすると、彼女は従者の中で最も年長だからこそ、落ち着いた雰囲気を持っているのかもしれない。
とはいえ、今は移動に集中しよう。
メムが森の奥へと消えていくと、ネロはエミレストに目的地を伝えた。それを聞いた彼女は、少し眉をひそめた。
「その村って… ここからかなり遠いですよね? 徒歩じゃ到底辿り着けませんよ」
「俺に魔力が満ちていた頃なら、[ワープ] を使って指を鳴らすだけで到着できたんだがな…」 ネロはため息混じりに言う。「今は無理だ。だから別の方法を使うしかない」
「別の方法?」
ネロは答えず、金貨袋をアイテムポーチにしまうと、広場へと向かった。そして左手を広げ、再び魔法を唱え始める。
すると、地面に紫色の魔法陣が浮かび上がった。
エミレストは目を瞬かせ、その光景を興奮気味に見つめた。普段のネロは詠唱なしで魔法を発動できるため、こうして言葉を使うのは珍しい。もしかすると、[奴隷契約] 以上の高位魔法なのかもしれない。
「我が覇道に跪くものよ——闇に潜み、光を喰らう漆黒の駿馬よ——今こそ現れ、主の命に応えよ!」
ネロの詠唱が響き渡る。
「出でよ、我が魔獣——ダーク・ユニコーン!!」
「ま、魔獣!?」
エミレストは思わず叫んだ。
伝承によれば、かつて神々は魔族に対抗するため 九つの神兵 を創り出した。 そのうち四つが 魔獣 と呼ばれる存在である。
1. フェニックス — 不死なる炎の魔獣
2. スフィンクス — 知恵と誇りの魔獣
3. クラーケン — 海を統べる恐怖の魔獣
4. 白狐 — 希望の導き手たる魔獣
だが、一方で魔族側も 魔獣 を創り出していた。 その一つが ダーク・ユニコーン [闇の魔獣] である。
この魔獣は 生者の世界・死者の世界・神の世界 を駆け抜ける存在であり、さらに「時空を超えて走る」とまで言われている。
もしネロが伝説の魔王だというのなら、この魔獣を召喚できることが 決定的な証拠 となるだろう。
紫の光が強まり、魔法陣が浮かび上がる。 やがて、その中心に何かの影が立ち現れた。 ネロは微笑む。
「来たか…」
魔法陣の光が収束し、その姿が明らかになっていく。
「間違いない、ユニコーンだ…!」
そう確信した瞬間、ネロの表情が凍りついた。
光が消え、ついに 魔獣 の全貌が現れる。
エミレストは胸を高鳴らせた。 ついに 伝説の魔獣 を目の当たりにできるのだ!
彼女は想像した。夜空のように黒く輝く体躯、深い紫のたてがみ、禍々しく輝く白銀の角… その姿は圧倒的な威厳を放ち、見る者すべてを畏怖させるに違いない…!
だが——
「……普通の馬……?」
ネロとエミレストは、呆然とその光景を見つめた。
そこにいたのは、ただの馬 だった。
ユニコーンでもなければ、魔獣でもない。 本来 漆黒の毛並み であるはずが、薄茶色 だった。 さらに、威厳ある体躯 であるはずが、痩せ細って肋骨が浮いている。
「……え、えっと… ネロ様? これって… どう見ても ただの馬 ですよね…?」
エミレストはそっと囁く。 それは、無慈悲な現実を突きつける一言だった。
詠唱は完璧だった。 魔法陣も問題なかった。 だが、ネロは 一つの決定的なこと を 忘れていた のだ。
「……魔力不足……」
そう、彼の魔力では ダーク・ユニコーン を召喚するには到底足りなかったのだ。
ネロは頭を抱え、深いため息をついた。 そして、絶望に満ちた声で呟く。
「もう一回封印されたい気分だ……」