第5話:一時休戦
戦いの長い幕が一時的に閉じられた。戦場から少し離れた場所、人間側の陣営では、赤い天幕が五芒星の金の装飾で彩られていた。
天幕の中には、威厳と重厚な空気が漂っている。中央の玉座に座るのは、長い茶色の髪を持つ年配の男性。歳を重ねた証として、髪には白いものが混じり、顔には深い皺が刻まれている。立派な髭を蓄え、黄金の鎧を纏い、赤いマントを羽織っていた。その頭には、まばゆい輝きを放つ宝石の冠が輝いている。
彼こそが、栄光の王国「ノア」の国王―― ナサス・ファムス である。
王は鋭い視線で前方を見据えていた。周囲には屈強な護衛騎士たちが厳重に警護している。戦場から聞こえてくる静寂は、一つの可能性を示唆していた。
「戦争は終わったのか?」
外から、数多の馬蹄の音が響き渡る。戦場から兵士たちが戻り、戦果を報告しようとしていた。しかし、その中で異彩を放つ一人の男がいた。深紅の鎧を纏った騎士―― 自ら戦況を報告しに来た将軍 である。
彼の鎧には一切の傷がない。もし彼が無傷で帰還したのなら、それはつまり… 人間側の勝利 を意味するはずだった。
しかし、現実はそう甘くはなかった。
赤き鎧の男は、愛馬である白馬から静かに降りると、一直線に天幕へと向かう。足元に敷かれた豪奢な絨毯を踏みしめながら、王の玉座へと歩を進めた。護衛の騎士たちは直立し、槍を正面に構えて武人への敬意を示す。
彼は王の前で足を止め、一礼すると、静かに兜を脱いだ。
現れたのは、チューリップの花のように美しい 桃色の短髪 、そして スミレのような深い紫色の瞳 を持つ端正な顔立ちの青年。
彼こそが、栄光の勇者団の五人の一人――
レイン・デムゴン であった。
「勇者レインよ、お前が戻ったということは… 戦争は終結したということか?」
王は微かに笑みを浮かべつつ問いかける。心のどこかで、人間側の勝利を願っていたのだろう。
しかし、レインは静かに首を振った。
「申し訳ありません、陛下。戦争は、陛下が考えておられるような形では終わっておりません。」
レインの表情には、深い憂いと緊張が滲んでいた。
「実は… 戦場で決着がつこうとしたその瞬間、突如として巨大な 謎の闇の力 が降り注ぎました。その大きさは、まるで山をも覆い尽くすほど…」
彼は一瞬、言葉を区切り、続ける。
「その攻撃は 大地を裂くほどの衝撃 をもたらしました。」
その言葉が響いた瞬間、天幕の中に重い沈黙が流れる。護衛の騎士たち、そして王自身も目を見開き、驚愕の表情を浮かべていた。
「ということは… 先ほどの地震も、その 闇の力 によるものだったのか?」
「はい、陛下。」
レインは確信をもって答える。
たとえその闇が一瞬しか現れなかったとしても、その破壊力は尋常ではない。 敵が何者なのか、目的が何なのかは不明だが――
少なくとも、戦争はこれにより、あと一ヶ月は長引くことになるだろう。
戦争は決着がつかないまま幕を閉じた。
オーク軍は撤退したものの、この戦いによって多くの兵士や仲間たちが命を落とした。もし種族間の争いがなければ、この戦争も、そして流された血も、きっと無用なものだっただろう。
しかし… この休戦は決して終焉ではない。
レンは、自分たちを襲った謎の力の正体を突き止めるため、単独での調査を決意した。それがエルランガーにとって脅威となるのであれば、彼にできることは一つ——抹殺することのみ。
王もその危険性を理解していたが、勇者を引き留めることはできなかった。「栄光の勇者たち」と呼ばれる彼らは、そもそもどの王国にも属さない存在なのだから。
彼らは「一人の勇者と一つの王国」という契約のもとで動く。王族や都市に協力する代わりに、莫大な報酬を受け取るのだ。その一人が、レン・デムゴンである。
中には、たった一人の勇者を雇うために、国の財産をすべて売り払う国すらあった。
そして今回、レンが受けた依頼は「ノア王国のオーク戦争への支援」のみ——
戦争が再び勃発しない限り、彼には何をする自由もあるのだった。
「もし助けが必要になったら、いつでもご連絡くださいね、陛下」
レンはそう言い残し、兜を被り直すと、玉座のある天幕を後にした。
彼が向かったのは、自らの愛馬——
白く、肩高が四尺(約200センチ)もある軍馬だった。
分厚い筋肉を纏ったその馬のたてがみを撫でながら、レンは静かに微笑む。この馬は頑強かつ俊敏で、たった一週間で大陸を駆け抜けることすら可能なほどの名馬である。
しかし——
「待ってくれ、レン!」
王の声が天幕の外に響いた。
レンは足を止め、軽く振り返る。
「どうかされましたか、陛下?」
「本当に… あれを倒せると考えているのか?」
その問いに、レンは小さく笑みを浮かべると、揺るぎない声で答えた。
「ご心配には及びません、陛下。もし戦うことになったとしても——」
「俺が勝ちますよ」
その確信に満ちた言葉に、王はしばし沈黙するしかなかった。
次の瞬間、レンは手綱を引き、軍馬と共に駆け出す。
重厚な蹄の音を響かせながら——
誰も知ることのない、未知なる脅威の元へと。
エルランガル南部の森の午後
少年の体は大樹の下に横たわっていた。
浅い呼吸を繰り返しながら、疲れ切った瞳で空を見つめる。
木々の枝葉が揺れ、流れる雲がその一部を覆い隠していた。
その傍らでは、小さな使い魔が大きな葉を懸命にあおぎ、
主に涼しい風を送ろうとしている。
彼が気を失わぬように――
この状態の原因は、
「ゾッドの剣」――破壊の剣
莫大な力を宿したその武器は、
ほんの一瞬触れただけで生命力を吸い尽くす。
そして、その代償として残されたのは、
まるで枯れた草木のように力を失った体だった。
だが、それ以上に深刻な問題がある。
彼は、自分の国への帰り道が分からない。
地図も羅針盤もない。
かつて知っていた地形も、今ではすっかり変わってしまっている。
つまり――
「迷子になっちまったな……」