第35話:盟約
――20分前。
「僕からの提案は、以上になります」
ラファエルはそう言って、椅子の背もたれにゆったりと身を預けた。
微笑を浮かべる彼とは対照的に、レインとネロの顔色は、まるで苦い薬を丸ごと飲み込んだかのように渋かった。
「おい、赤毛の兄ちゃん……」
ネロが苛立ちを隠さず声を荒げた。
「さっき俺を殺そうとしたやつと仲良くしろって? 冗談じゃねぇ、絶対にごめんだ!」
勢いよく立ち上がった彼の怒気に、重厚な木のテーブルがわずかに震える。
「口を慎みなさい、若造!」
傍らにいたケイルが声を上げたが、ラファエルは手で制した。
「構わないさ、ケイル。わかっているよ」
彼は穏やかな笑みを浮かべたまま続けた。
「君たち二人が馬が合わないのは当然だ。でもね、同じギルドの仲間同士で殺し合いなんて、見たくないんだよ」
「だったら、このバカが俺を襲わないように止めてくれよな!」
ネロが言い返すと、ラファエルは苦笑した。
「心配しなくても大丈夫。ちゃんと手は打ってあるから」
そう言って、彼は後方に立つティーナに目配せを送った。
「ティーナ、頼む」
「はい、マスター!」
ティーナは前へ進み出て、オークの杖を高く掲げた。
蜂蜜色の瞳が淡く輝き、優しくもはっきりとした声で詠唱を始める。
「絆の誓約によりて――
裂かれし心に安らぎを。二つの魂を結びし、[友情の盟約]!」
柔らかな桃色の光が広がり、空中に大きな魔法陣が浮かび上がる。
光はゆっくりと回転しながら二つに分かれ、ネロとレインのうなじへと吸い込まれていった。
春風のような暖かな感触が首筋を撫で、二人は思わず身をすくめる。
光が消えると、淡い紋章が皮膚に溶け込むように消えていった。
「おい、今、何をした!?」
ネロが警戒心むき出しで叫ぶ。
ラファエルはにこやかに答えた。
「今のは[盟約魔法]さ。奴隷契約とは違って、二人の間に“対等な誓い”を結ぶだけだよ。主従関係はない」
「……それで、どういう意味なんですか?」
レインが真剣な表情で尋ねた。
「簡単に言えば、君たちは今、見えない糸で繋がっているってことだね」
ラファエルは人差し指を立てた。
「互いに武器を向けること、あるいは直接的な攻撃をすることを、一ヶ月のあいだ禁止する――それが契約内容だ」
「な、なにぃ!? 一ヶ月だと!?」
ネロは叫いた。「この野郎と同じ空気を一ヶ月も吸えってのか!?」
「その通り」
ラファエルは満面の笑みで頷いた。
「じゃあ、もしルールを破ったら?」
レインが問い返す。
ラファエルは少し間を置き、淡々と――しかし妙に楽しそうに言った。
「その時は簡単ですよ。うなじの刻印が――爆発します」
「……」
「……」
数秒の沈黙のあと、二人は同時に叫んだ。
「だったら今すぐ死んだほうがマシだ!」
「同感だ!!」
再び掴み合い寸前になる二人を、周囲の冒険者たちが慌てて止めに入る。
「ははっ! 落ち着いて、冗談だよ冗談!」
ラファエルは両手を上げ、乾いた笑いを漏らした。
「爆発なんてしないから。……たぶんね?」
しばらくの騒ぎのあと、ようやく場が落ち着く。
ラファエルは改めて[盟約魔法]の詳細を説明した。
それは、二人を魔力の糸で結びつけ、施術者が自由に「ルール」や「条件」を設定できる魔法だ。
「賭博禁止」や「嘘をつくこと禁止」といった命令も可能で、契約が続く限り強制力を持つ。
期限を迎えるか、条件を満たせば効力は消える。
ただし、複数のルールを追加する場合は、それぞれに新たな印を刻む必要がある。
奴隷契約ほど強力ではないが、消費魔力が少なく、一時的な制約を課すには最適――
今回のようなケースにはうってつけ、というわけだ。
「で、それを解除する裏ワザとか……ないのか?」
ネロがぼやく。
「ありますよ。二つだけ」
ラファエルはにやりと笑った。
「でも、教えません。教えたらすぐ抜け出そうとするでしょ?」
「チッ、好きにしろよ……追放されなきゃそれでいい」
ネロは肩をすくめる。
「そう言ってもらえると助かります」
ラファエルは微笑を浮かべたまま話題を変えた。
「ところで――どうして冒険者になろうと思ったんです?」
「いい質問だな」
ネロは椅子にもたれ、真面目な声で言った。
「俺の目的は、“大迷宮”に入ることだ」
その瞬間、室内の空気が凍りついた。
誰もが息を呑む。
「……何かまずいこと言ったか?」
ネロが首を傾げると、壁際にいたビースト族の女が鋭い視線を送った。
「ガキ……まさか冗談で言ってんじゃないだろうな?」
ディッシュが鼻で笑う。
「“大迷宮”を甘く見るな。そこは遊び場じゃねぇ」
「やめろ、ディッシュ」
ゲーゼルが制した。
ラファエルは静かに机に手を置いた。
「なぜ、そこまでして入りたい?」
ネロは俯いたまま答える。
「中に……探し物があるんだ」
「なるほど」
ラファエルは軽く頷いた。
「それ以上は聞かないよ」
彼は目を閉じ、ゆっくりと椅子にもたれた。
「ちょうどよかった。ギルドでは来月、“大迷宮”の新たな調査遠征を計画しているんだ」
「……一ヶ月後、か」
ネロがつぶやく。
「もし君がその遠征に参加したいなら――」
ラファエルは意味ありげに微笑んだ。
「一ヶ月以内にランクAまで昇格してごらん。それができたら、僕は喜んで許可を出すよ」
その言葉に、ネロの口元がゆっくりと歪む。
瞳の奥に宿るのは、確かな“希望”――
かつての自分の王国へ帰るための、希望だった。
ただ一つ問題があるとすれば――
彼の隣には、“厄介な隣人”がいることくらいだ。
---
現在。
「なんでお前の家が、俺の屋敷の真向かいに建ってんだよ!!」
午後の街にネロの怒鳴り声が響いた。
指差す先では、レインがマイペースに玄関の鍵を開けている。
「へぇ、あれが君の屋敷だったのか。知らなかったなぁ~」
と、彼はとぼけたように笑う。
「嘘つけ!」
「しょうがないだろ。まさかお坊ちゃんがあんなでかい屋敷に住んでるとは思わなかったし」
「うるせぇ! 金なら腐るほどあるんだよ!」
ネロは顔を真っ赤にして反論した。
「でも、損害賠償のときは顔色悪かったけどな」
レインはニヤニヤと笑う。
「黙れ! 殺すぞ――!」
「無理だね」
レインは首筋を指さした。
「この刻印がある限り、俺には手出しできないだろ?」
「未来の話をしてんだよ、未来の!」
「じゃあ、頑張ってくれよ。“お隣さん”」
「誰が隣人だっつーの!!」
レインは笑いながら軽く手を振り、扉をバタンと閉めた。
「くそっ、ムカつく奴め……」
ネロは盛大にため息をつき、自分の屋敷へと戻る。
玄関を開けた途端――
「ご主人様ぁぁぁ!! お帰りなさいませぇぇぇ!!」
カミエル――彼の執事にして召喚霊の長が、満面の笑みで飛んできた。
だが、ネロのボロボロの姿を見るなり、目をむいた。
「ひゃああああ!! な、何があったんですか!? まるで野良犬と喧嘩でもしたみたいですよ!!」
「今なんつったコラ、カミエル!? また殺されたいのか!?」
ネロはブチ切れて、幽霊の頭を掴んでぶん回す。
屋敷中に、召使いたちのクスクス笑いが響き渡った。




