第32.5話:勇者
物心ついた時から――僕はこの世界に「勇者」として召喚されていた。
だが、そのすべてが始まる前に……僕は彼女と出会った。
高貴なる女神と――。
彼女はまるで暁の光をまとったような、儚くも神々しい姿をしていた。
純白の髪が風に揺れ、まるで心を包み込む霧のように柔らかくたなびいている。
肌は温もりを帯びた光を放ち、見ているだけで体が震えるほどだった。
その瞬間の感覚は――まるで現実から切り離されたかのようだった。
彼女を包む光が眩しすぎて、顔の輪郭しか見えなかった。
卵型の整った顔立ち、そして静かに動く柔らかな唇。
響く声は驚くほど穏やかで、まるで天上の子守唄のように優しかった。
彼女は言った。
僕のことはすべて知っていると――
名前も、生い立ちも、これまでの人生も。
僕の本当の名前は「真里斗・レン」。
日本で生まれた十七歳の高校生だ。
特別な才能もない、ごく普通の少年。
みんなと同じように平凡な日々を過ごし、
医者になりたいとか、スポーツ選手になりたいとか、
そんな“よくある夢”を抱いて生きていた。
――あの日までは。
退屈な授業の最中、ただ黒板をぼんやり見つめていたあの瞬間。
突然、頭上に青白い魔法陣が現れ、
視界を覆うような強烈な光に包まれたかと思うと、
次の瞬間、僕は女神の前に立っていた。
彼女は僕に告げた。
僕は選ばれし者――
新たな世界「エルランガル」に呼ばれた勇者なのだと。
魔法と伝説の種族が息づく世界。
まるで子どもの頃に読んだファンタジー小説や、
異世界アニメのような場所――
まさか自分がその“主人公”になるなんて、夢にも思わなかった。
女神は僕を「栄光の勇者」の一人として任命した。
かっこいい響きだろ?
でも当時の僕には、それがどんな意味を持つのかまったく分からなかった。
ただ“勇者”という言葉の響きだけで胸が高鳴った。
そして彼女は僕に新しい名を授けた。
――レン・デムゴン。
「レン」はエルランガル語で“勇気ある者”。
「デムゴン」は“光の加護を受けし者”という意味らしい。
この名は、代々勇者たちに継がれてきた称号のようなものだという。
もちろん、僕が最初の勇者ではなかった。
僕の前にも異世界から召喚された勇者が何人もいたらしい。
ただ、彼らが同じ世界から来たのかは分からない。
それぞれの世界では“時間の流れ”が違うのだという。
僕を含めて、勇者は五人。
そのうち二人は同じ日本出身。
残りの二人は別の時代――
一人は1977年から、もう一人は2052年から来たらしい。
ちなみに僕が召喚されたのは2022年だ。
……どう考えても常識外れだろ?
でも女神や魔法、召喚陣が存在するこの世界で、
そんな理屈はもうどうでもよくなっていた。
五人が揃った時、女神は我々に告げた。
――「迫りくる脅威からエルランガルを救ってほしい」と。
どこかで聞いたような定番の展開。
でも彼女は続けてこう言った。
「もし望まないなら、元の世界へ戻ってもいい」と。
僕は迷わず頷いた。
元の世界に戻っても、何も変わらない人生が待っているだけだったから。
他の皆も同じだった。
こうして僕たちは“新しい人生”を、勇者として歩み始めた。
……てっきり、神殿とか城とかで迎えられると思ってた。
けど現実は違った。
僕たちが転移したのは――鬱蒼とした森の中。
魔獣が跋扈する危険地帯で、
初日から命からがら逃げ回る羽目になった。
そんな中、僕たちを導いてくれたのが白髪の青年「マエル・フェル」だった。
冷静沈着で、自然と周囲をまとめる力がある。
誰もが彼の言葉に従った。
道中、僕たちはある“力”に気づいた。
――「勇者システム」。
まるでRPGのように、ステータスやレベル、スキル、能力値が表示される。
ただし今回は“プレイヤー”ではなく、“キャラクター”そのものが僕たち自身だ。
さらに驚いたことに、勇者一人ひとりには「神憑」――
つまり、体内に宿る神が存在した。
それがその人の力と限界を決めるのだという。
僕に宿ったのは「紅雷神」――
雷と速度を司る神。
だがそのランクは“B”。
他の勇者たちは“A”や“S”だったから、僕だけ明らかに見劣りしていた。
その中でも最も突出していたのが――
「真琴・サユ」。
十六歳の少女で、神憑ランク“SSR”。
彼女の中に宿るのは、太陽神「アマテラス」。
召喚からわずか一週間。
サユのレベルはすでに60。
僕たちはまだ20〜30……僕なんて8だった。
彼女は本物の“天の子”だった。
放たれる光も、存在そのものも、人間の域を超えていた。
二週間後、ようやく森を抜け、王都ベルスへたどり着いた。
そこで数か月を過ごし、この世界の文化を学んだ。
言葉、通貨“セリン”、王政制度、蒸気技術――
そして何より“魔法”の存在。
エルランガルでは、生きとし生けるものすべてが“マナ”を宿して生まれる。
それは自然そのものの純粋なエネルギーだ。
マナの多い者は、貴族や自然と深く関わる種族――エルフなどに多い。
僕たち勇者にもマナがあり、それは“MP”として数値化されていた。
ステータス画面を開くたび、
僕の耳にはあの独特のシステム音が響いた。
【レン・デムゴン】[状態:正常]
レベル:12
HP:5000/5000
MP:360/360
攻撃力:200
魔力:40
速度:200
クリティカル率:50%
クリティカルダメージ:100%
内容は分かりやすい。
HPは体力、MPはマナ。
魔法やスキルを使うとMPを消費する。
ただし“神憑スキル”だけは違う。
それはマナではなく――自らの“生命力”を代償に発動するのだ。
僕はまだそのスキルを使ったことがない。
もし今の身体で無理に使えば、確実に命を落とすだろう。
王都での生活の間、僕たちは傭兵として活動し、
魔物退治で経験を積んでいった。
だが一年後――
人間とオークの戦争が勃発した。
女神は再び現れ、我々に協力を求めた。
勇者には、拒むという選択肢はなかった。
戦いは熾烈を極めたが、
積み上げた経験と力で、僕たちは戦況を一変させた。
そして――“エルランガルの英雄”と称えられるまでになった。
その後、僕たちは「栄光の勇者協会」を設立し、
人々を救い、戦乱を終わらせるために活動を続けた。
すべては順調だった……あの日までは。
女神が――新たな命令を下したのだ。
「勇者たちよ、互いに戦え」と。
誰もが凍りついた。僕もだ。
だが理由を問いただす前に、
“月神ツクヨミ”を宿す勇者「シロ」が王都ベルスに攻撃を仕掛けた。
戦火は瞬く間に広がり、無数の命が失われた。
僕は必死に止めようとした。
けれど、力及ばなかった。
そして、彼女を止めたのは――サユただ一人。
太陽と月の神がぶつかり合う。
光と闇が激突し、大地が裂けた。
世界が終わるかと思うほどの戦い。
そして夜明けとともに、戦いは終わった。
勝ったのはサユ。
だがその後、シロの姿は消えた。
――女神もまた、同じように姿を消した。
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――それから四年。
頭の奥で、僕の声が響いた。
「……あれから、もう四年か。」
目を開けると、見知らぬ天井が見えた。
体は銀の鎖で縛りつけられている。
左を向くと、少年がひとり座っていた。
彼もまた、同じように鎖に繋がれている。
その顔には、どこか見覚えがあった。
「ま、まさか……」
目を凝らした瞬間、心臓が跳ね上がる。
「ネ……ネロッ!!」
僕の口からこぼれたその名は――
かつての“敵”の名だった。
同時に、少年も目を開いた。




