表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/39

第2話:最後の魔族


ネロは一晩かけて、自らの過去を霊たちに語り聞かせた。

彼がどこから来たのか、かつてどのような存在であったのか、そしてこの世界の向こう側には何があったのか——

しかし、どれだけ説明しても彼らは決して信じようとはしなかった。


「あなた様には、魔族らしさがまるで感じられませんので」


そう言って霊たちはネロの言葉を否定した。


人間の間で語られる魔族の姿は、かつてのそれとは大きく変わってしまっていた。

神聖なる存在だった過去とは異なり、今や魔族とは"邪悪"で"野蛮"で"倫理なき"種族として扱われ、

どんな手を使ってでも力を手にしようとする者たちだとされている。


それだけではない。


彼らの容姿も、ネロが知っている魔族とはかけ離れていたのだ。


カミエルが挙げたヴァンパイア、サキュバス、ミイラ、生ける骸骨——

どれを取っても、ネロの知る「魔族」の概念には当てはまらない。

"堕天した神々"の名残すら見当たらず、どちらかといえば"魔獣"や"モンスター"と呼ぶほうが相応しい。

それほどまでに、魔族という存在が軽んじられてしまったというのか?


信じがたいことだった。


彼が封印されたあの日から、世界はどれほど変わってしまったのか——

ネロはそれを知る必要があった。


かつての彼であれば、指を鳴らすだけで思いのままにできただろう。

しかし今の彼は、かつての力の十二分の十一を失っていた。

あらゆる魔術の知識こそ健在だが、強力な魔法の発動には膨大な魔力を要するため、

かつてのように無計画に行使することはできなくなっていたのだった。


夜明けまで、ネロは図書館の中でさまざまな記録を探し続けていた。

彼はずっと休まずに動き回り、幽霊たちも手伝いながら書物を漁っていた。


もちろん、目覚めてから一度も休息を取っていない。

悪魔にとって眠ることはマナの回復手段の一つだ。

今のネロは一般の高位魔術師と比べれば十分すぎるほどのマナを保持しているが、

かつての彼の力には到底及ばなかった。


興味深い本を見つけると、ネロは古びたソファに腰を下ろし、読み耽った。

その間、「エミレスト」に命じて乱れた髪を整えさせる。

彼女は生前、理髪師だったこともあり、器用に手を動かしていった。


ネロが手に取った本のタイトルは――

《エルランガール史記》


著者は「ベニック・ヴィンス」。

発行年は ノッシュ暦2303年。


「ノッシュ暦……?」


少年は顎に手を添え、疑問を抱く。


エルランガールの暦といえば カリク暦 のはずでは?


不審に思ったネロは、「ノッシュ暦」についてエミレストに尋ねた。

すると、彼女はこう答えた。


「カリク暦に代わって制定された新しい暦法です」


つまり――

彼が封印されたと同時に カリク暦が終焉を迎えた ということ。


言い換えれば、少なくとも二千年以上の時が流れているはずだ。


「ところで……今は何年なんだ?」


黒髪が少しずつ形を整えられていく中、ネロはそう問いかける。

エミレストは一瞬手を止め、思案するように黙り込んだ。

しばらく考えた後、彼女はゆっくりと口を開いた。


「私は他の魂よりも300年ほど長く死んでいますが、自分が死んだ年だけは覚えています。それはノッシュ紀2209年でした。」


 エミレストの答えを聞いたネロは、すぐにすべてを理解した。

 まさか自分がこんなにも長い間、消えていたとは!


 この世界では千年以上の時が流れているというのに、

 あちらの世界ではわずか 25年 しか経っていない――


 各世界の時間の流れの法則は、思っていた以上に異なっているのかもしれない。


 ――ともあれ、この歴史書には、

 長い時の中で自分が見落としていた何かが記されているかもしれない。


 ネロは細い指で紙をめくり、本の中身を読んでいく。


 文体は想像していたよりもずっと現代的だった。

 例えば、「私」という一人称が使われ、「お前」は「君」や「あなた」に置き換えられている。


 まるで、自分がいたもう一つの世界の言葉の進化を見ているようだ――


 ネロとエミレストは、一字一句を注意深く目で追っていく。

 著者の個人的な感想が多く、冗長に感じる部分もあるが、

 彼はどんな些細な情報も見逃さぬように、じっくりと読み進めていった。


記録の第一章には、エルランガルの創成から大戦に至るまでの歴史が記されていた。


それは、勇者・神・魔族による戦争——


当然ながら、正しき結末は魔族の勝利である。


しかし、ネロが眉をひそめたのは……魔族側の指導者の名が一切記されていないことだった。


「どういうことだ…? 俺の名前が歴史から消えたっていうのか?」


少年は苛立ちのままに呟く。


こんな記録を書いた奴が今も生きているなら——

今すぐにでも引きずり出して、書き直させてやるというのに!


なぜだ?


なぜ、俺の名だけが消された?


それとも、俺の名前は「禁忌」として扱われているのか……?


だが、それとは対照的に、かつてネロに仕えた魔族たちの名はしっかりと記されていた。


——バエル、カタズ、レイヴン、ゴギ、バルバトス、マノリア……

そして、他の66体の名までもが。


しかし、第一章が終わると、記録は新たな時代への移行へと急展開し、彼が封印された経緯については一切触れられていなかった。


まるでネロという存在が、初めからこの歴史上に存在しなかったかのように——。


その後の時代、魔族の存在は徐々に歪められ、彼らの悪行ばかりが何度も何度も記録されていった。


やがて、魔族は「神を超えし種族」ではなく、

悪と残虐性に満ちた忌むべき存在として、歴史に刻まれることとなる——。


ネロが封印されてから二千年以上の時が流れた。

真の指導者を失った魔族は、"栄光の勇者" たちによってほぼ滅ぼされたという。


黄金の鎧を纏った勇者が剣を高く掲げる。

刃先は最後の魔族の頭を貫き、

その亡骸を頭上へと掲げた。


それは人類の勝利の象徴であり、

長きに渡る戦争の終焉を告げるものだった──



第二章の最後の一行が終わる。

紅い瞳が静止した。


「ネロ様? 大丈夫でしょうか……?」


エミレストの柔らかな声が響く。

主の様子の変化に気付いたのだろう。


「フッ……」


少年の口から微かな笑いが零れた。

そして──


「ハハハハハハ!」


「ハハハハハハハハハッ!!!」


愉悦に満ちた笑い声が部屋中に響き渡る。

そのあまりの威圧感に、霊たちは身を震わせた。

窓の外では、カラスの群れが驚いて飛び去っていった。


「そうか……そういうことか。結局、貴様らは全員くたばったわけだ……」


ネロは嘲るように呟いた。

その瞳には、ただ憐れみだけが宿っていた。


「せっかく手を差し伸べてやったというのにな」


彼は鼻で笑い、つまらなそうに息をつく。

最後にもう一度だけ記録の文字を見つめ、それからどうでもよさそうに言い放った──


「全く……どの世界でも、どんな民族でも、どんな種族でも、どんな宗教でも、永遠に続くものなんてありはしない。神々ですらな」


ネロはひび割れた鏡の破片を拾い上げ、自分の姿を映し出す。

漆黒の髪は綺麗に整えられ、左側へと流れるようにカットされていた。

後ろ髪は耳のあたりで切り揃えられ、以前よりも少しだけ洗練された雰囲気になっていた。


彼はゆっくりとソファから立ち上がり、両手をポケットに突っ込む。

そして、窓の外を見つめながら呟いた。


「……この本の通りなら」


紅い瞳が、冷たく鋭く光る。


「……本当に惜しいことだな。純血の魔族が絶滅してしまったとは」


ネロの口元が歪む。

次の言葉は、静かに、しかし冷酷な声音で紡がれた。


「だが、もしそうでなかったのなら──この俺が、奴らを滅ぼしていただろう」


「この俺を裏切った上に、魔族の名を汚しただと? そんなもの、死んで済む問題じゃねぇよ」


怒声が邸宅中に響き渡る。

小さな拳が強く握りしめられ、血が滴り落ちた。

彼の纏う怒りの気配は大気を震わせ、大地を軋ませる。


森のモンスターや生き物たちはその圧倒的な力を感じ取り、次々と逃げ去っていく。

邸宅の家具は倒れ、扉や窓が軋むように震えた。

仕える霊たちは顔を見合わせ、怯えながら後ずさる。


ネロはゆっくりと深く息を吸い込み、感情の爆発を抑え込もうとした。

やがて震動が収まり、すべてが元の静けさを取り戻す。


「はぁ……」


大きく息を吐き、赤い瞳で遠くを見つめる。

胸の内に様々な思いが押し寄せたが、結局彼は心の中で自嘲するしかなかった。


──仕方がない。


どう考えても、魔族は"悪"と見なされる存在だ。

滅ぼされるべきものとして裁かれたところで、不思議ではない。


魔族を打倒した"勇者"なのだから、それなりの実力があったのだろう。


だが、魔族が一人も残らない今、

この世界はどこへ向かうのか──


それこそが、彼が最も知りたいことだった。


思索を続けようとしたその時、落ち着いた礼儀正しい声が響く。


「ネロ様、お召し物をお持ちしました」


ネロが視線を向けると、

そこには"ジェスタ"の姿があった。


かつて仕立て屋だった霊の執事である。

半透明の体をした彼は、上質な布三枚と大人用の革靴一足を丁寧に目の前へと置いた。


「この屋敷で見つけた中で、一番状態の良い布でございます」


ジェスタは恭しくそう告げた。


ネロは足元の品々を見下ろした。

無表情のまま、それらをしばし眺めた後、ゆっくりと手を伸ばす——


その瞬間、エメラルドグリーンの魔法陣が布と靴の周囲に浮かび上がった。

古代のルーン文字が、呪文を唱えることなく光を放つ。


「っ!」


ジェスタとエミレストは息を呑み、本能的に後ずさった。

いくら長年ネロに仕えてきたとはいえ、彼の持つ膨大な魔力には未だに慣れない。


魔法陣がゆっくりと布の形を整えていく。

古びた布はまるで新たに織り直されたかのように生まれ変わり、

大きすぎた革靴も徐々に縮み、ネロの小さな足にぴったりと合うサイズへと変わっていく。


やがて、緑の光が静かに消え去り——


「……っ!」


ジェスタとエミレストの目が大きく見開かれた。


ただの布だったものが、驚くほど優雅で気品のある装いへと変貌していたのだ。


ネロはゆっくりと手を上げ、古びたマントを外す。

そして、指を軽く動かすと、衣服が自らの意思を持ったかのように彼の身体へとまとわりつき、新しい服へと着替えていった。

まるで見えない執事が仕立てているかのように、その動きには一切の無駄がなかった。


薄手の白いシャツが華奢な身体にぴたりと馴染む。

その上にシンプルなベストを一枚重ね、さらに漆黒の長袖のジャケットを羽織る。

ボタンは端正に留められ、同色のリボンタイが首元を飾った。

下は端正なシルエットのスラックス。

そして、サイズ調整された革靴はまるで最初から彼のために作られたかのように、完璧にフィットしていた。


——完璧だ。


ジェスタは思わず瞬きを繰り返し、無意識のうちに呟いた。


「……とんでもなく似合ってるな」


ネロは軽く服の裾を引っ張り、試しに体を動かしてみた。

その瞬間、彼はこの服が完璧に体にフィットしていることを実感する。

緩すぎず、きつすぎず、なおかつ動きやすい——まさに理想的な仕上がりだった。


ジェスタは思わず息を呑んだ。

かつて仕立て屋だった彼には分かる。

どれほど高性能なミシンを使おうとも、これほど完璧な服を作るには相当な時間を要する。

それをたった数秒で作り上げるとは、一体どんな魔力なのか……?


身支度を整えたネロは、幽霊たち全員を図書室に集めるよう指示を出した。

ほどなくして、館の霊たちは誰一人反抗することなく命令に従った。

——"服従の契約" の影響により、彼に逆らうという考え自体が存在しないのだ。


以前、ネロは彼らに「館の中から使えそうなものを探してこい」と命じていた。

そして今、その成果が目の前に並べられていた。


アルバートとクリスは古びたフォークとスプーンを、

デリー、ジェンス、ノヴァは鏡と空の薬瓶を持ってきた。


そして——


「ネロ様、これを見てください!」


モリーが差し出したのは、一挺の古いヴァイオリンだった。

経年劣化で傷んでいたが、ネロの"修復魔法"を使えば何の問題もないだろう。


彼らは指示通り、集めた物をすべて床の中央に置いた。

未来に役立つかもしれない本や記録類も同様に並べられる。


ネロは手を挙げると、すっと前方へと振った——


その瞬間、空間にぽっかりと巨大な黒い穴が開いた。


「……!」


床に置かれていた物が次々と吸い込まれ、ほんの数秒で完全に消え去った。

そして、まるで何事もなかったかのように、黒い穴は静かに閉じていく——


「おおおっ!? すっげぇ……!!」


興奮した歓声があちこちから上がる。

幽霊たちは目を輝かせながらネロを見つめた。


彼が未知の魔法を使うたびに——

彼らの"常識"は覆されていくのだった。


ネロは誇らしげに口元を歪め、優越感に満ちた態度で宣言した。


「今のは『異空間収納』の魔法だ。武器や日用品を、無限に虚無の空間へ収納することができる」


彼は胸を張り、腰に手を当て、自信満々な様子だった。

しかし、それでも周囲の霊たちはどこか疑わしげな表情を浮かべている。


——彼らは未だに目の前の少年が"原初の魔王"だということを信じられずにいた。


すべての準備が整うと、ネロは再び異空間収納を開き、今度は手のひらほどの青い壺を取り出した。


「さて、お前たち全員、この中に入れ!」


少年は壺の蓋を開けながら説明を続けた。

彼の最優先の目的は、外の世界へ出て、現在の世界がどれほど変わったのかを確認することだ。


それに加え、森の中に『魂喰らい』がいる気配を感じ取っていた。

この霊たちはまだまだ役に立つ。もし先に捕食されてしまえば、それこそ惜しい話だ。

だからこそ、『魂封じの壺』が最適な解決策だった。

この壺には数万の魂を収容することができるが、唯一の制限として"人間の魂"しか入れることができない。


奴隷の誓約によって、霊たちはネロの命令に逆らうことができない。

不本意ながらも、彼らには他に選択肢がなかった。


——だが、考えようによっては……


『魂喰らい』の皮は、特定のアイテムを作るための素材として利用できる。

となれば……


「カミエル、お前だけは——例外だ」


ネロの冷ややかな声が響いた。

彼がそう言い放った瞬間、カミエルが壺に入る前に蓋がパタンと閉じられた。


「えっ!? ネロ様、一体どういうことですか!?」


突然名指しされ、取り残されたカミエルは慌てふためいた。

しかし、主の顔を見た瞬間、背筋が凍りつくような悪寒が走った。


ネロは悪魔のような笑みを浮かべ、紅い瞳を細めた。

それは、まるで獲物を罠に嵌める狡猾な狐のような表情だった。


「すまないな、カミエル……どうやらお前には、『囮』になってもらう必要がありそうだ……ククッ…」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ