第20話:出会い
豪華な馬車が石畳の道をゆっくりと進んでいた。屋根付きのその馬車は、通り過ぎる者が皆振り返るほどに目立っていた。外装には純金がふんだんに使われ、精巧な彫刻が施されている。彫られた木枠の窓の縁には様々な宝石がちりばめられ、午後の日差しを受けて美しく輝いていた。
その車内には、向かい合う二つの座席があり、深紅のビロードで丁寧に覆われている。その片方に腰掛けていたのは、リベア王国の王、ディルク・セル・ケレベル。西方において絶大な権力と威厳を誇る人物であり、彼は王家の紋章が刺繍された深紅の制服に身を包み、優雅な姿勢で座っていた。
その王の正面に座っていたのは、まるで生きる宝石のように輝く青年だった。彼は鮮やかな赤の王子風の服を纏い、肩から長く流れるマントをたなびかせていた。卵型の整った顔立ちは人間離れした美しさを持ち、薄紅色の髪と深紫の瞳が、彼の鋭い眼差しと絶妙に調和している。
彼の名はレイン・デムゴン。異世界から召喚され、この世界を災厄から救うべくやってきた「栄光の勇者」の一人である。
レインは無事にリベア王国の王都へ到着すると、王室の儀礼に則って温かく迎えられた。そして、王自らが特別な歓迎をもって彼を迎え入れたのだった。それもそのはず、今から50年以上前、この国は当時の「栄光の勇者」たちによって救われており、それ以来、王国と勇者たちの間には固い絆が築かれていたのだ。レイン自身は新世代の勇者であり、まだ何も成し遂げてはいないが、それでも人々の彼に対する敬意は揺るぎないものであった。
「遠路はるばる、我が王都まで足を運んでくれて感謝するぞ、勇者よ。」
ディルク王は、落ち着いた低音で、どこか温もりのこもった声で語りかけた。その態度は、大陸でも屈指の大国の王としては珍しく、親しみやすさすら感じさせるものであった。
レインは微笑を浮かべながら、こちらの世界の作法に則り、軽く両手を合わせて丁寧に返答した。
「このように直々にお出迎えいただき、まことに光栄の至りでございます。」
「長旅であろう。苦労も多かったのではないか?」
「ええ、まぁ……少しだけです」
レインは照れたように笑いながら、頭を掻いた。
「重い鎧を着たまま山越えしたり森を抜けたりと、一日中歩くのはさすがにきつかったですね。でも、王都に入る前にこの服に着替える時間があって助かりました。ずいぶん軽くなった気がしますよ」
そう言いながら彼は、自身が今着ている鮮紅の衣服を見下ろした。それは王宮によって特別に用意されたもので、上質な布地は軽やかで着心地がよく、それでいて貴族の正装にも引けを取らないほど華やかだった。
彼がふと馬車の窓の外へ目を向けると、そこには広い通りと整然と並ぶレンガ造りの欧風建築の建物、そして活気に満ちつつもどこか落ち着いた雰囲気を持つ王都の街並みが広がっていた。
レインの口元には、ふんわりとした温かな笑みが浮かんだ。
だが、その穏やかな会話の最中、ディルク王は突如として核心に触れる問いを投げかけた。
「それで……勇者殿がわざわざここまで足を運ばれたということは、何か重大な用件でもあるのだろうか?」
その声色にはわずかに重みが加わり、真剣な空気が漂い始めた。
レインもすぐにその変化に気づき、穏やかな表情から一転、真剣な面持ちへと変わっていく。
「……実は、至急お伝えすべきことがございます」
彼は一瞬、息を止めると、静かに語り始めた。
「つい最近、ノアとオーク族の国境付近で、小規模な戦闘が発生しました。場所は広大な平原地帯です。ですが、その戦場に突如として――正体不明の攻撃が降り注いだのです」
「その攻撃は……あまりにも凄まじく、山を一つ真っ二つに割るほどの威力を持っていました。最前線にいた私ですら、何が起きたのか理解できないほどでした」
ディルク王の眉が、静かにひそめられた。
「…それが、両軍が突如として戦争を終結させた理由、というわけですね」
「はい。そして、それ以上に問題なのは――その攻撃に使われた力が、私の知る限り、どんな魔法とも一致しないということです」
レインは鋭い眼差しでまっすぐ前を見据えながら語った。
「通常であれば、魔力分析の能力であらゆる魔法の構造を読み取ることができます。しかし今回は――まったく何の情報も浮かび上がらなかったのです。まるで、この世界の魔法体系の外側にある『異質な力』のようでした」
「…つまり、第三者の介入か?」
「その可能性が極めて高いと思われます。そのため、真相を探るべく私は調査の旅に出ました。そして調査の中で、交戦地点の近くに、異常に濃密なマナの痕跡を発見したのです」
レインは腰のポーチから小さな魔晶石を取り出し、王の前に差し出した。
「これがその分析結果です……その場所に蓄積されていたマナの量は、帝国級の大魔導士すら凌駕していました。しかもその性質も非常に奇妙で、何かに歪められたかのような形跡がありました」
「さらに重要なのは……残された力の痕跡から、第三者の進行方向を特定できたことです」
レインは深く息を吸い込んだ。
「どうやら……その存在は、王都へと向かっているようです」
馬車の中の空気が一変した。一瞬の沈黙が、場を支配する。
「しかし、君の推測はまだ不確かだな」
重厚な声が、再び馬車の中に響いた。話したのは、王ディルク・サー・ケレブレ。豪奢の極みとも言える馬車の中で、威厳を保ったまま優雅に背もたれへと身を預け、少しだけ目を細める。
「その第三者の顔すら見ていないのだろう? それに、我が王都には一日に十万人以上の人々が出入りしている。その中から一人を見つけるなど、大海の中から針を探すようなものだ」
その言葉はまるで重石のように、レインの胸にのしかかる。彼はしばし黙り込み、淡い桃色の髪の下の紫の瞳に、深い思索の色を浮かべた。
車輪が轍を刻む音が、古代の紋様が彫り込まれた大理石の道を響き渡る。数百年にわたり受け継がれてきたリベア王国の繁栄が、その静かな音の中にも確かに感じられた。
馬車が王都の中心にある広場へとたどり着いた。そこには、見事なライオン像の口から勢いよく水を噴き上げる大きな噴水があった。レインは御者に声をかけた。
「すみません、ここで降ろしていただけますか」
「ん?ここで降りるのか?」
ディルク王が眉を少し上げ、窓から身を乗り出して不思議そうに尋ねた。
レインは苦笑いを浮かべながら、丁寧な口調で答えた。
「少し街を歩いてみたいと思いまして。王都をじかに見られる機会なんて、そうそうありませんから。馬車の窓越しだけではもったいないですよ、こんな美しい都を見過ごすなんて……」
王はしばらく黙ったあと、優しく笑った。
「そうか、それなら自由に過ごすといい。こちらで王立ホテルに部屋を用意させておく。好きな時に行ってくれ。道中を楽しんでくれよ」
「ありがとうございます」
レインは一礼し、軽やかに馬車から飛び降りた。
彼は馬車が遠ざかるのを見届け、人の気配が完全になくなったことを確認してから、深く息を吐き出した。そして、赤い服についた埃を軽く払いながら、ぽつりと呟く。
「王様の計画通りに宮殿へ直行しろって?……そんなの、情報屋の勘が許さないんだよ」
レインは体を反転させ、王都の光景を見据えた。
この中央広場は、王都第二地区を繋ぐ交差点のような場所だった。四方へと伸びる道は、まるで都市全体を循環させる大動脈のよう。ひとつは、商人たちの声がひっきりなしに響く活気ある商業区へ。もうひとつは、油と金属の匂いが立ち込める工業区へ。さらに住宅区へ続く道には、豪邸から手頃な宿まで揃っている。そして最後の一本……それこそ、レインが目指していた冒険者ギルドのある道だった。
「噂や手がかりを探すなら……ギルドが一番だな」
足取りは迷いなく、群衆の中を進んでいく。川の流れのように絶え間ない人の波に紛れながらも、レインの視線は静かに、そして鋭く周囲を見渡していた。
確たる証拠はまだない。だが、戦場で起きた異常な現象、そして出所不明のマナの痕跡が、彼の胸の内で燻り続けていた。
「もし第三の存在が本当にあれほどの力を持っていて、この街に潜んでいるのなら……ギルドの誰かが、何かを見ている可能性もある」
その思いは、レインの心に灯った小さな炎となった。若き勇者の顔には、強い決意が浮かんでいる。彼がここに来たのは、栄光を享受するためではない。
──王国の影に潜む、未だ見ぬ脅威を暴くためだった。
---
ベレフ冒険者ギルドの本部──
あらゆる地方から冒険者たちが集うこの場所で、ネロは光沢のある木製カウンターの前に座っていた。
彼の目の前では、笑顔と元気があふれる少女・アリシアが書類を手渡している。
「これでネロくんは、正式にベレフギルド所属の冒険者になりました!」
アリシアは自信に満ちた声でそう宣言する。
ネロは書類を手に取り、さらりと目を通してから静かにうなずいた。
「早いな……思ってたよりずっと」
「もちろんですっ!」
アリシアは少し得意げに顔を上げる。
「うちのギルドは効率的なサービスを大切にしているんです。書類手続きからクエスト受付、初歩的なアドバイスまで、すべてしっかりサポートいたします!」
ネロは小さく笑い、後ろ頭をかきながら言った。
「で、俺が狙ってたクエスト……やっぱり、まだ受けられないんだよな?」
その言葉にアリシアの表情がわずかに引き締まり、首を横に振る。
「無理です! 今のネロくんはノービスランクですので、最大でもCランクまでのクエストしか受けられません。ネロくんが目を付けていたのはBランクのクエスト……まだかなり格上ですよ」
「そっか……じゃあ、どれくらいこなせばCに上がれるんだ?」
「新人の方なら、Cランクのクエストを一つでもミスなく完遂できれば、昇格のチャンスが得られます!」
ネロは納得したようにうなずき、柔らかく微笑んだ。
「じゃあ、いいクエストがあったら紹介してくれ」
「了解ですっ!」
アリシアは嬉しそうに返事をし、カウンターの引き出しから分厚い束の書類を取り出す。
彼女は次々とクエスト内容を説明しつつ、要所要所で自分なりの意見も加えていった。
ふたりはしばらく和やかな雰囲気で会話と情報交換を続け、ついにネロは一つのクエストに決めた。
──トロル討伐。
トロル。
それは、全高十二フィートを超える巨大な魔物。体重は一トンを優に超え、体表は岩のように粗い鱗に覆われている。
錆のようにくすんだ皮膚と、強烈な体臭は人によっては気絶するほどだ。
見た目は悪夢に出てくる怪物そのもので、数多の新米冒険者たちがその力と凶暴性に倒れてきた。
中にはBランクの冒険者でさえ、パーティーを組んで慎重に挑むほどの存在だ。
──だが、ネロは迷わずそれを選んだ。
(弱者は群れなきゃ狩れない。でも俺は……誰の力もいらない)
クエストの紙を畳み、胸ポケットにしまいながら、彼の瞳は揺るぎない決意に満ちていた。
用事を終えたネロがギルドを出ていこうとすると、アリシアが元気よく手を振りながら送り出す。
「ネロくん、がんばってくださいね! いってらっしゃい!」
ネロも軽く手を振り返し、ふと青空を見上げた。
──ここから始まるのは、ただのクエストではない。
もしかすると、運命を変える第一歩なのかもしれない。
……だが、その前に。
この王都での住まいを確保する必要があった。
ネロには多少の金銭的余裕がある。
だが、一つ注意しなければならないことがあった。
彼はこの都市の検問を突破するため、貴族を装っていた。
そんな彼が小さな安宿に泊まれば、周囲から不審に思われ、
やがて自分が「魔族」であることが露見しかねない──
「……家を買ったほうが早いな」
ネロはぽつりと呟く。
自分の家があれば、他人の視線を避けやすくなるし、
この都市に定住するという名目にもなる。
もし金が足りなくても、後からいくらでも稼げる。
彼にとって、金など──ただ流れていくだけのものだった。
ネロが王都の大通りをのんびり歩いていたときのこと。人々のざわめきが周囲を満たす中、突然、あちこちからどよめきが沸き起こった。
「うわぁ……あれ、誰?」
「見て!あの人……まるでおとぎ話の王子様みたい!」
「ピンクの髪……?男なのに、なんて美しいの……!」
男女を問わず、驚きと感嘆の声があちこちから湧き上がる。人々は視界を確保しようと押し寄せ、ざわめきと視線が一点に集中していく。
そこに現れたのは、赤を基調とした豪華な衣装に身を包んだ、背の高い美丈夫。こんな田舎町では滅多に見られない洗練された装い。穏やかに歩いているにもかかわらず、その姿にはまるで異国の王族のような威厳が漂っていた。
短く切り揃えられたピンク色の髪。鋭く深い紫の瞳は、まるで万物を見通すようで、落ち着いた冷ややかな佇まいは、多くの者の息を無意識に止めさせた。
ネロはその光景すべてを見ていた。だが彼はただ一瞥をくれただけで、小さくため息をつき、興味なさげに視線を逸らして歩き出した。
「なにをそんなに騒いでるんだか……」
彼は気だるげな声でぼそりと呟いた。その瞬間、彼はその美丈夫とすれ違おうとしていた。
だがそのとき——
赤い衣装の男がふいに足を止め、真剣な表情でネロの方へ振り返った。鋭く光る瞳には、警戒の色が浮かんでいた。
「待ってくれ……君だ、そこの君!」
その声は低く落ち着いていながらも、不思議な力強さを帯びていた。彼には“何か”が感じ取れたのだ。普通の人間とは違う、何か異質なものを——
ネロはきょとんとしながら足を止め、自分を指差した。
「俺のことか?」
「そうだ。すまない、ちょっとだけ確認したいことがあるんだ。じっとしててくれ」
ネロの返事を待つことなく、男は手を掲げ、小さく呟いた。
「《ステータス・オン》」
淡い青い光が彼の体を包み、透明なクリスタルウィンドウが目の前に浮かび上がる。それはまるでRPGのステータス画面のような情報表示——
この世界に来る前、女神から授かった《ステータス解析》の能力だった。
《解析中……》
間もなく、少年の名が画面に現れる。
《ネロ・クラウド・ルシファー》
レベル:ERROR
HP:不明
MP:不明
攻撃力:不明
魔力:不明
スピード:不明
その他ステータス:
@#∆7×+×+∆+×(×∆8104848×+∆∆+£×$|×|¢×|×$÷|=|||×|×$×{€÷
「……!?」
一瞬で、表示が異常をきたした。意味不明な文字列が画面いっぱいに現れ、まるでハッキングされたかのようにウィンドウが不規則に揺れ始める。そして、頭の中にはノイズのような不快な音が響き始めた。
「な……なんだこれは……?」
呆然とした声が、彼の唇から漏れた。目を見開き、画面の異常に目を奪われる。それは、何か“触れてはならない存在”を警告しているかのようだった。
だがそのとき、赤い瞳を持つ冷ややかな少年は、無表情のままじっとこちらを見返していた。
「……何もないなら、俺は行くぞ」
その声は小さいながらもはっきりと聞こえたが、どこか無関心な響きを含んでいた。
彼はくるりと背を向け、その場を離れていく。先ほどの出来事など、まるでなかったかのように。
「待ってくれ! まだ——」
男は手を伸ばしてネロの服を掴もうとした。だが、その指先が届くより早く——
「っ……ぐぅっ!」
頭頂部に電撃のような激痛が走った。まるで見えない手に脳を握り潰されているような感覚。頭蓋から熱が噴き出し、滝のような汗が一気に噴き出す。
『さっきまで普通だったのに……!』
体を支えようとするも、差し出した手は震え、両足からは力が抜けていく。視界がぼやけていった。
反射的に、彼は宙を払うようにして自分のステータスウィンドウを呼び出した。そして目にしたものは——心臓を凍りつかせるような表示だった。
---
《レイン・デムゴン》
レベル:58
HP:358,890 / 400,000(状態異常)
HP:344,592 / 400,000(状態異常)
HP:328,475 / 400,000(状態異常)
…
---
HPが、どんどん減っていく——!
ただ減っているだけじゃない、異常な速度で!
『嘘だろ……?まだ誰とも戦ってないのに……!?』
幸い、あるいは奇跡的に、彼には《ヒーリング Lv3》という自動回復スキルがあった。MPを消費することで自動的にHPを回復してくれる。
だがそれでも、減少スピードに追いつけなかった。
頭痛はどんどん激しくなり、そして——
突如、強烈な吐き気が胃の底から込み上げてきた。呼吸もままならず、視界がぐるぐると回り始める。
『だめだ……意識が……』
意識が遠のく直前、レインの視線は背後へと向けられた。
そこには、ゆっくりと群衆の中に紛れていく、あの少年の背中があった。振り返ることは、二度となかった。
次の瞬間——
異世界から来た勇者の体が、地面に音を立てて崩れ落ちた。
周囲の人々が驚愕の表情を浮かべる中——
「あなた、大丈夫ですか!?」
「しっかりして!」
「誰か! 回復魔法使いを呼んでくれ!」
騒然とする通り。人々がレインに駆け寄り、誰かは身体を支え、誰かは魔法使いを探しに走っていった。
だが——
その混乱の中、誰も気づいていなかった。
すべての原因となった存在は、何事もなかったかのようにその場を立ち去っていたことに。
黒髪の少年の姿は、群衆の中に溶け込むように消えていく。
——ただ、謎と混乱だけを残して。




