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第16話:王都への旅


夜明けとともに、ネロは長旅の準備を整えた。最短ルートを探るため、地元民であるデニスに道案内を頼む。時代に取り残された自分よりも、この土地を熟知している彼に任せるのが賢明だった。


この村は事実上ネロの支配下にあったが、彼の不在中は約束通りデニスが統治を担うことになっている。


また、死者の蘇生を求めてきた村人たちは、ネロの説明を聞くとすぐに諦めた。彼はただ真実を語っただけだ。死者を蘇らせることの危険性、そして黒魔術がもたらす災厄を。黒魔術に手を染めたところで、得られるのは災いのみ。それを伝えることが、ある意味、彼らに対する慈悲でもあった。


昨日の戦闘後、カザスの兵士たちの軍馬が五頭ほど残っていた。これは幸運だった。魔力を消費して魔獣を召喚する手間が省けるからだ。


ネロは適した馬を選ぶため、魔眼を開いた。その視線は馬の内部構造を鮮明に映し出し、神経、血流、肺、肝臓、腎臓、そして心臓の鼓動までをも見通した。さらに、体内の魔力の流れさえも詳細に分析することができる。


しばらく馬たちを吟味していると、一頭の馬が目に留まった。漆黒のたてがみを持ち、並の馬よりも一回り大きい。その体はどの馬よりも健康的であり、何の問題もなければ、六時間ほどで大迷宮へ到達できるはずだ。


準備が整うと、ネロは空間魔法を使って荷物を異空間へと収納した。村人たちはそれを見ていたが、特に驚く様子もなかった。単なる魔法使いの収納魔法だと思っているのだろう。


この時代、"悪魔" という存在はすでに忘れ去られていた。仮に真実を明かしたところで、誰も信じはしないだろう。それどころか、一部の者は彼の姿を "変身魔法を使った子供" だと思っている節すらあった。幼い体を持つというのも、なかなか不便なものだ。


これで村での用事は済んだ——。


ネロが馬に跨ろうとしたその時、一人の少女の声が彼を呼び止めた。


「魔法使い様!」


鋭い声が遠くから響き、少女がまっすぐに駆け寄ってくる。彼女の名はマリ。その目には強い意志が宿っていた。


やがて彼女はネロの前で立ち止まり、彼が先に口を開く。


「どうした、小さなご令嬢?」


マリは唇を噛みしめ、一度深く息を吸い込むと、力を込めて言った。


「あ、あの……もしよろしければ、私に魔法を教えてください!」


その瞬間、周囲の村人たちは一斉に息をのんだ。特に、彼女の母親は驚愕し、すぐさま駆け寄ってマリの腕を掴む。


「マリ! 自分が何を言っているのか分かっているの!?」

母親は慌てた様子でネロに向き直った。

「魔法使い様、この子の無礼をお許しください!」


マリは必死に母の手から逃れようともがく。しかし、その眼差しは揺らぐことなく、ただネロを見つめていた。


ネロは無言でその様子を眺め、やがて片手を上げた。


「構わない、彼女を放してやってくれ」


彼の声には確かな威圧感があり、母親は一瞬躊躇した。しかし、恩人に逆らうことはできず、しぶしぶ娘の手を離した。


マリはその場に膝をつき、ネロが彼女へと歩み寄る——。


「顔を上げなさい」


ネロの声が響き、少女に顔を上げるよう促す。マリは素直に従い、震える茶色の瞳で彼を見つめた。だが、その瞳の奥には興味深いものが宿っていた——燃え盛る復讐の炎が。


「面白いね」


ネロは微笑みながら、問いかける。


「魔法を使いたい理由は?人生にどんな目的がある?それに、自分にマナがあることを自覚してるのか?」


「魔法使いになりたいなら、魔法学院に行けばいい。例えばホグワーツ——」


ネロは一瞬言葉を詰まらせ、すぐに咳払いして誤魔化した。


「……ゴホン!つまり、リベリア王国の魔法学院のことだ」


(くそ……あの世界の記憶が、どうして今になって邪魔をするんだ?危うくボロを出すところだったぞ…)


彼はより簡単な道を提示することで、少女に考え直させようとした。しかし、再び彼女の目を見たとき、その決意が微塵も揺らいでいないことに気づいた。


「私は……兄の仇を討つために強くなりたいんです。どうかお願いします、魔法使い様。兄が安らかに眠れるように、私は何でも差し出します。身体も、心も、魂すらも……すべてを捧げます」


その強い宣言が響いた瞬間、あたりは静寂に包まれた。誰も言葉を発することができなかった。少女は、自らの言葉の重みすら考えずにそれを口にしたのだ。


「悪いが、それは無理だ」


ネロの短い返答に、マリは息を呑んだ。瞳に宿っていた強い光が、一瞬にして陰る。やはり、自分のような何の力もない子供を信じてくれる魔法使いなどいないのだろうか。


だが、諦めかけたその時——


ネロは再び異空間のポーチを開き、二つの物を取り出した。それは、分厚い茶色の表紙の本と、一巻の魔法のスクロールだった。


「俺が直接教えることはできない。だが、自分で学ぶことはできる。これを持っていけ」


彼は本をマリに差し出し、何の前触れもなくスクロールをデニスへ投げた。突然のことに、デニスは慌ててキャッチする。


「魔法使い様、これは……?」


「その本には、初心者向けの基礎魔法がまとめられている。そして、そのスクロールには召喚魔法が込められている。カザス王国がまた襲ってきた時のために、お前が村を守れ。デニス」


「俺が使ってもいいのか?」


「お前以外に誰がいる?」


ネロは肩をすくめ、話を終わらせるように言った。


「じゃあ、俺は行く」


そう言うが早いか、彼は素早く黒馬に飛び乗った。しかし、去る前にちらりとマリを見やる。彼女は受け取った本を両手で大事そうに抱え、目を輝かせていた。周囲の村人たちも、それを興味深そうに眺めている——まるで、それが貴重な宝であるかのように。


「お前の中にはマナの力と、揺るぎない意志がある」


ネロは少女を見つめながら言う。


「だからこそ、その本を渡した。恐れもせずに俺の前で跪いた勇気に対する褒美だ。大切に使え。いつか……俺がそれを回収しに来る」


彼は一瞬間を置いて、冷静な声で付け加えた。


「それともう一つ。その本を持ち主である少女以外が盗んだり、勝手に触ったりすれば——呪われる。これは警告だ」


ネロの鋭い視線が、村人たちを鋭く射抜く。


「俺はお前たちの恩人だ。それほど多くを求めているわけじゃない。ただ、俺の言うことに従えば、それでいい」


彼の言葉に、村人たちは息を呑んだ。


そうして、ネロは黒馬を駆り、夜明けの地平線へと消えていった。


村に残った人々は、去り行く彼の背中を見送りながら、声を張り上げる。


「魔法使い様、お気をつけて!」

「道中の無事を祈ります!」

「ご武運を!」


たくさんの声が響く中、マリはじっと彼の後ろ姿を見つめ続けた。小さな手は、本をしっかりと抱きしめている。


本当は「ありがとう」と叫びたかった。


しかし——その小さな声は、もう彼には届かない。



---


数時間後——

広大な草原を貫く一本の道を、ネロは馬を駆って村から数キロ離れた場所まで来ていた。

そのすぐ傍を、エミレストが飛ぶ。彼女の速度は、馬とほとんど変わらなかった。


「ネロ様、これからどうなさるおつもりですか?」


エミレストが尋ねる。

疲労の色を見せ始めた馬が、徐々に速度を落としていく。


「決まっている。私の目的は、かつての魔族の王国を探し出すことだ」


ネロは迷いなく答えた。しかし、エミレストは少し眉をひそめ、さらに問いかける。


「もし…そこに何も残っていなかったら? その時はどうするんですか?」


ネロは一瞬沈黙した。

だが、すぐに確固たる声で言い放つ。


「たとえ瓦礫しか残っていなくても、私は諦めるつもりはない」


「……ネロ様の本当の目的は何ですか?」


「……そうだな。短い時間で見た限り、この世界は私の時代とほとんど変わらないようだ。

種族間の対立も、民族間の争いも、終わることなく続いている」


ネロはそこで一度言葉を区切った。

紅玉の瞳が、鋭い決意の色を帯びる。


「すべてを終わらせるためには、すべてをひとつにするしかない。

私は魔族の王国を再建し、この世界を私の望む形へと変えてみせる」


「……魔族である貴方が、本気でそう考えているのですか?」


エミレストは呟く。

思案するようにネロを見つめるが、彼の次の言葉に息をのんだ。


「今の時代の魔族で、我々〈始祖の魔〉を語るな」


「私は魔族だ。

神の対極に位置する存在として、長らくそう見られてきた。

だが忘れるな——〈始祖の魔〉とは、かつて天から追放された神そのものだ」


ネロの瞳に、一瞬遠い過去を懐かしむような光が宿る。


「我々は今もなお、神のように美しい姿を持ち、その心もまた、そう捨てたものではない。

……醜悪で、邪悪に染まりきった後世の魔族とは違ってな」


そう言い残し、彼は少しの間考え込むように沈黙した。


「……恐らく、すべての元凶は——ブラックラプラスだ」


「ブラックラプラス?」

エミレストが眉を寄せる。


「それは一体……?」


「魔族が神や異世界の勇者たちと戦うために用いた〈闇の力〉だ」


ネロの目が、冷たい光を放つ。


「戦争に勝利した後、私はそれを誰にも触れられぬ場所へ封じるつもりだった。

……だが、それを実行する前に魔族の内乱が起こり、私は封印されることとなった」


ネロはそこで言葉を切り、遠い記憶を探るように目を閉じた。


「……それ以来、ブラックラプラスがどうなったのかは分からない。

今の今まで、な」


彼の声には、確かな不安が滲んでいた。


エミレストは何かを考え込み、やがてぽつりと口を開いた。


「もし——もしも、〈始祖の魔〉が完全に滅んでいないとしたら……どうします?」


ネロは驚き、視線を向ける。


「……どういう意味だ、エミレスト?」


「記録された歴史が、必ずしも真実とは限らないかもしれません」


その言葉に、ネロは馬を止めた。

目を見開き、エミレストを見つめる。


「今なんと言った!?」


彼女は彼の視線を受け止め、静かに続ける。


「五百年前——

魔族が勇者に敗北したという歴史は、真実ではないという噂があります」


一瞬の沈黙の後、エミレストははっきりと告げた。


「実際には、魔族が〈栄光の勇者〉を裏から操っていたのです」


ネロの顔から、静けさが消え去った。


「……なんだと?」


「勇者たちは利用されたのです。

……ある存在を復活させるために」


「……まさか……!」


「そう。彼らは〈サタン〉の復活を目論んでいたのです」


「なに……!?」


ネロの紅い瞳が大きく見開かれる。

常に冷静だった彼の表情が、一瞬にして驚愕へと変わった。


「……奴ら……最初の魔王を蘇らせるつもりだったのか……!?」


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