第15話:死
——部屋の中は静寂に包まれ、まるで時間が一瞬止まったかのようだった。
ネロは目の前の女性を鋭く見つめ、その視線には明らかな敵意が宿っていた。
「まあまあ、そんな怖い目で見なくてもいいじゃない。ただ旧友に会えただけなのに」
女性は謎めいた笑みを浮かべながら言った。
「死そのものの存在であるお前が、なぜここにいる?」
「私は"死"よ、忘れたの? 死があるところに私もいる——それが自然の理よ。
でも今回は特別。だって、私の大切な友人が封印から目覚めたと聞いたから、
直接会いに来たの。久しぶりね、魔王ネロ……それとも、"元"魔王と呼ぶべきかしら?」
「馴れ馴れしくするな、デス! 他の輪廻の神々に知られたらまずいんじゃないのか?」
「"時"と"命"のこと? そんなの気にしなくていいわよ。
それに、私はこの輪廻の神々の中で末っ子だけど、一番強いのよ?
だから、誰も私を咎めたりしないわ。それとも——
"時の神"の力の一部をこっそり盗んだことを咎められるとでも思った?」
「……で、何の用だ?」
会話が続く中、ネロは終始不機嫌そうな顔を崩さなかった。
それを見たデスは、クスクスと笑いながら茶化すように言った。
「せっかく再会したというのに、その顔はないんじゃない?
まったく、せっかく可愛らしい顔をしているのに、そんなに不機嫌そうな表情ばかりじゃもったいないわ。
見ていると……つい……」
そう言いながら、彼女はネロの右頬にそっと手を伸ばし、わざとらしく唇を舐めた。
——ピシッ!
ネロは即座に腕を振り上げ、その手を払いのけた。
「まあまあ、ちょっとからかっただけなのに、大げさね。
それにしても、何度挑戦しても君を口説くことができないのは、私としては少し残念ね。
……それとも、君が誰にも心を開かないだけかしら?
それとも……"あの世界"にいた時のように、"愛"という感情を知らないの?」
"あの世界"という言葉を聞いた瞬間、ネロの動きがわずかに止まった。
「……お前、そこにいたのか?」
彼は眉をひそめながら問いかける。
「まあまあ、そんな殺しそうな目で睨まないでちょうだい?
さっきも言ったでしょう? 私は"死"よ。死が存在するところには、必ず私がいるの。
それがどんな世界であろうと、どの宇宙であろうとね」
デスは一度言葉を切ると、意味ありげに微笑んだ。
「君がいた世界も、数多く存在する宇宙のひとつに過ぎないわ。
私は無数の宇宙を渡り歩いてきたけれど、興味深い世界はそう多くない。
例えば……未来の世界。
そこには高度な技術が発達し、"ヒーロー"と呼ばれる者たちが世界を守っていたわ」
「……ヒーロー?」
「"勇者"と似ているわね。でも、あの世界には魔法がなくて、
代わりに"突然変異した人間"がいたの。確か……インタイプ?とかいう名称だったかしら。
とにかく、なかなか面白い世界だったわよ——」
「俺はお前のくだらない冒険話を聞きたいんじゃない。
要件をはっきり言え」
デスが話を逸らしているのを察し、ネロは鋭く問い詰めた。
「はぁ…なんて冷たいのかしら。せっかく今夜は二人きりで過ごせると思ったのに」
「さっさと要件を済ませろ。さもないと、私が追い出すぞ」
「私を追い出す?ふふ…」
デスは軽く鼻で笑うと、そっとネロの左耳に囁いた。声は骨の髄まで凍るように冷たい。
「自分が誰に向かって話しているのか分かっているの? お前は絶対に私には勝てない。いや…“一度たりとも”勝ったことがないと言うべきかしらね?」
ネロは不敵に笑い、挑発するように言い返した。
「試してみるか? ゾッドの剣の一撃を受けてみれば、“死”も消滅しうるってことを思い知るぞ」
「そんな戯言で私が怯むとでも? 今の貴方は、あの剣を握るだけでも精一杯でしょう? ましてや、最大限の力を引き出すなんて…夢のまた夢ね」
そう言うと、デスは首を少しかしげてネロを見つめた。
「それに…お前は“死”を滅ぼしてどうするつもり? せっかく不死の身を手に入れたというのに」
ネロがどれほど威嚇しようとも、「死」という存在が恐れることはなかった。それも当然だろう。輪廻の神々は、常識の範疇を超えた存在だ。ネロでさえ、彼らのことを詳しくは知らない。それ故に警戒はしていても、恐怖までは抱いていなかった。
「無駄な口論はやめにしましょうか? どうせ貴方が消耗するだけだもの。それより…去る前に、一つ忠告しておいてあげる」
デスは意味深に言葉を区切り、ネロが集中するのを待ってから続けた。
「もし、お前が“大迷宮”に入ろうとしているのなら…今は無理よ」
「…何? なぜそれを知っている?」
「私が知らないことなどないのよ、ネロ。お前の考えも、全てね」
デスは肩をすくめながら、淡々と告げる。
「大迷宮への唯一の入口は、 ‘栄光の勇者’ の手によって強力な魔法障壁で封じられている。今のお前の力では、それを破ることはできないわ」
ネロは歯を食いしばりながら、低い声で問う。
「じゃあ…どうすればいい?」
「リベリア王国の王都へ行き、冒険者ギルドを訪ねなさい。答えはそこにあるはずよ。それと…もう一つ警告しておくわ。大迷宮に入れない間は、決して目立たないことね。今、お前を探している勇者がいるから」
「勇者だと? そんなに強いのか?」
ネロは一瞬動きを止め、慎重に問い返した。
「ええ。貴方が全盛期の“二割”の力を持っていた頃なら、互角だったかもしれないわね」
「…だが私は不死身だ」
「たとえ死ななくても、再び封印される可能性はあるでしょう? もし自分の王国を取り戻したいのなら、素直に私の忠告に従うことね。警告はしたわよ」
ネロはデスを鋭く睨みつけた。疑念が心の奥から湧き上がる。
「…なぜそんなことを教える? お前の目的は何だ?」
デスは小さく笑ったが、何も答えなかった。 静かに窓辺へと歩み寄る。 高いヒールを履いているはずなのに、その足音は一切響かない。まるで、彼女が最初からこの場に存在しなかったかのように——。
夜空へと視線を向け、欠けた月明かりを浴びる。 揺れる銀の十字架のピアス。 そのわずかな動きに、ネロは自然と目を奪われた。
「私が君を助ける理由なんて、単純なものさ……ただ、君の物語が面白そうだと思っただけ」
「それだけの理由か?」
「うん……もう一つ、理由はあるけど」
彼女は言葉を区切り、じっと少年を見つめた。
「別に、君が気にする必要はないさ」
ネロは眉をひそめたが、問いただす間もなく、月明かりが彼女の影を映し出す。 小さく笑う声が響き、そのまま彼女は続けた。
「もしかしたら……‘愛’のせいかもしれないね」
仰ぎ見た月に、どこか遠い感情を滲ませる瞳。 その奥に何があるのか、ネロには読み取ることができなかった。
「今夜の月も、変わらず美しいね……そう思わないかい? ネロ」
彼女がふと振り向く。その瞳は、まるで何かを待っているようにも見えた。 しかし、ネロは答えない。ただ、漠然とした違和感だけが胸に残る。
("やっぱり……まだ思い出せないんだね")
かすかに囁かれた声は、彼女の胸の内にだけ響いた。 そっと瞼を閉じた次の瞬間、彼女の姿は霧散し、完全に掻き消える。 まるで最初から存在しなかったかのように。
ネロはため息をつきながら、頭をかく。
「……なんなんだよ、あの女。さっぱりわからねえ」
短いやりとりのはずなのに、彼女が残した言葉は妙に頭から離れない。 だが、少なくとも一つだけ確かなことがあった。 明日——彼は必ず《大迷宮》へ向かわなければならない。 彼女の言葉が本当かどうかを確かめるために。




