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新しい出逢い

 1


 あれから数日後。

 あの日の朝の彼女の言葉を、頭の中で反芻していた隆史。あれは、思いがけないひと言であった。この男にとって、恵美とのこれからについて全く考えていなかったからだ。

「おはようございます」

 そう、涼しげな声をかけられて、作業していた手を止めた。横を見たら、これまた涼しげな目元の女がいた。この女は、御藏隆史の同僚の入江美砂子という。男のその何か思い詰めてかつ、なにやら重苦しい表情を見ているうちに、つい心配からか声をかけてしまった。

「あ、ああ。おはようございます」

「ここ最近、元気ないみたいですよ」

「いや、ありがとう。大丈夫」

「本当に……?」

 その言葉通りに、男を見つめていく。

 一秒二秒見つめ合っていたが、隆史の方から目をそらした。このような男の反応に、美砂子がメモ紙に書いたのを千切って手渡すなりに、ひとつ呟いていく。

「これ、アタシの携帯番号だから。話したくなったらいつでも掛けてきてよ」

「え……あ、おい、これ……」

 当然、驚く隆史。

 これを宥めるように手の平を静かにヒラヒラとさせていく仕草を見せる、美砂子。

「いいから、いいから。―――じゃ、仕事に戻るわね」

 入江美砂子いりえみさこ、隆史と同じ年で会社の同僚でもある。身長は百六五ほどで、細めの中肉中背。胸に関して云えば、手の平サイズの恵美よりやや大きなB。顔は、社内のマドンナや恵美ほどではないが、美人である。肩まで切りそろえている髪の毛を“すいて”、シャギーにしていた。


 取りあえず。

 せっかくなので、終業に電話した。

 取った美砂子とひと言二言ほど交わして、その日は恵美との同棲先に帰途する。


 晩ご飯を二人でいただいていたなか、お膳の向かいから彼女が眉をひそめて訊いてきた。隆史の顔を覗き込むように。

「なんだか少し、顔色良くなった?」

「え……、なにが?」

 なにか見抜かれたのか。

 しかし、恵美はそうではないらしい。

「ここ暫く、(隆史さん)会社に行くときまでは何だか重苦しい顔をしていたけれども、帰って来てから急にその重荷が軽くなったような感じに見えたから」

「そうかな」なんと鋭い女か。

 そのような彼氏の心境の変化を知ってか知らずか、恵美は、少し身を乗り出すような姿勢になると、言葉を繋げていく。

「ええ。―――だってこの間、隆史さんに『貴方の返事を待っているから』って私が伝えて以来ね、顔色がすぐれていなかったから心配していたのだけれど……。私、なにか貴方に悪いこと云ったのかなと思ってもいたわ。―――けど、今の貴方の顔を見て、私、なんだか安心しちゃった」

 そう安堵した笑みを浮かべた恵美。

 これを見た瞬間、隆史は奥底から沸き立つ情欲にかられていくのをじぶんでも解った。それは、今までとは明らかに違うものであった。これまでの恵美という彼女のもとに居るだけで感じていた、安らぎや幸福などが、じわじわと解けて無くなっていき、やがては新しいまた別の感情へと変わってゆくのを、男は自身でも驚くほど理解していったのだ。

 もう“彼女”として見れないのを。

 そう。恵美を性処理の対象として。

 しかも、極上の容姿の“女”と見て。

 俺は既に女を“乗り換えた”のか。

 不意に現実に引き戻され。

 隆史のひと言を待つ“女”が目に入った。ああ、なにか返さなきゃ怪しまれるな。

「そうかな。ただちょっと考え方を変えてみたんだ」

「へへえ。どんな風に」

「俺も、そろそろかなぁー。……なんて会社で考えていたんだ」

「うふふ。―――嬉しい」



 2


 翌日の夕刻。

 会社から帰宅した恵美は、洗濯物を取り入れながら“ほんのり”と頬を朱に染めて目を閉じて、昨晩の営みを思い出してゆく。まるで「人が変わったかのようになった」隆史から、あんなに求められたのは付き合って以来初めてだった。激しい、とはまた違う、濃厚、と云った方が適当か。激しくされるのは、正直、痛いだけである。が、濃厚となると話しは違ってきて、このまま本当に私は隆史さんから天に「逝かされてしまう」のではないか、と思えたほどだった。

 恵美は思った。

 隆史さんの“身辺を綺麗にしたおかげ”で、私を今まで以上に求めてきてくれるようになったのね、と。そうした効果で新しい女が寄って来るかもしれないが、そのときはそのときで、また私が“掃除”をしてあげれば良いのであって、ある程度の先までは予想している。

 つもりであった。

 しかし。


 その数日後。

 週末。

 会社を終えた隆史は、恵美に「同僚とちょっと飯を食べて帰る」というふうなメールを送ってから彼女の了承を得たのちに、その“同僚”の入江美砂子とともに、思案橋という長崎市内の繁華街にある、居酒屋『胡座』へと来ていた。因みにこの店は、全国展開をしている日本で巨大な居酒屋産業である。

 従業員やアルバイトの行き交うほかに、店内を様々な年齢層の客で満たされており、この巨大な産業の尋常でない忙しさを物語っていた。多少、煙たいのはこの際、致し方ない。酒を嗜みながら“おつまみ”をいただくといった『来客は成年者前提』な店内で、煙草を吹かすななどとは贅沢であろう。

 そのようなせわしい店内の隅の座敷席に、隆史と美砂子がお膳を挟んで座っていた。ホッケの塩焼きを箸でほぐしたものを、ひと口運んだあとに、ビールとジントニックとのカクテルで喉を潤した美砂子が話しかけてゆく。

「しかしまあ、あっさりと来れたよね」

「『会社の同僚と』って伝えておいたからな。どちらともとれるだろ」

「へぇー」

 こう含み笑いを見せたのちに、女はこう言葉を繋げていった。

「彼女さん、やきもち妬かないの」

「“彼女”じゃねえし」焼酎をひと口。

「妬かれないんだ」

「妬くよ。しかも度が行き過ぎている」

「どんなふうに?」

 ちょっとばっかり酒が回ってきたようだ。と、美砂子はほんのりと桃色に染まった顔と手元で船を漕ぎながらも、それに勝る興味に引っ張られていた。

 ワン・モア。

「どんなふうに?」

「どんなふうにって、そりゃあ、飲み屋のキャバ嬢に電話を掛けまくってみたり、呼び出して殴りつけたりするわで酷いのなんのって」

「……羨ましいわね」

「羨ましい、だって」

 こちらも赤味がさしてきた。

 カクテルを空にするなりに、美砂子が隆史へと返していく。

「やきもち妬ける人がいるなんて、羨ましいに決まっているじゃない」

 直後、お膳に頭突きをする美砂子を目撃したのちに、隆史は、多少じぶんも千鳥足入りながらもお会計を済ませて店を出ると、タクシーで送っていった。

 お開きです。

 よってこの日は、何にも無しで終わった。



 だが。

 その翌週には、この隆史と美砂子の二人は実に“あっさりと”ホテルのベッドにて男女の営みをひと時過ごしたのであった。

 隆史は、恵美以外の違う女。

 美砂子に至っては、久々の男。

 共に火が点かないわけがない。

 燃えて盛って当然の結果だった。




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