変化
1
週明けて、数日後の深夜。
隆史は会社からそのまま帰宅して、いつものように恵美と一緒に晩御飯をとり、ともに布団の中で心と躰を交わしていた。
のだが。
ちょっと変化が訪れていた。
それは、隆史の側で。
小さく呻きながら互いに痙攣を起こした数秒ののちに、二人は躰を離してそれぞれ天井を仰いでこのまま眠りに入り込んでゆきたいのを後回しにして、『後始末』をしてゆく。本来、この後始末は“恵美の方”がしていたのだが、ここ数日間は“隆史の方に取って代わっていた”のである。おもむろに、彼のを数枚のティッシュで労るようにその細く白いで包んでいきながら、被せていた物を外して繰るんでからゴミ箱に捨てた。
それから、いままでは事後も一緒にお湯を浴びていたが、今日に限って隆史の方から別々にしたいと頼んできたものだから、彼女はその場は素直に従った。よって今は、浴室にと己の躰に残る彼の僅かな匂いを噛みしめつつも、同時に、突然どこからともなく湧いてきた寂しさを覚えていきながら、恵美は巡らせてゆく。
―隆史さんったら、どうして急にゴムを着けるようになったのかしら……? 今までは有り得なかったのに。―――私、貴男といったいどう向き合えばいいの?――
極めて薄皮一枚といえども、何かしら隔てられてしまったといった、自身の勘に訴えてくるこの複雑な気持ちという悪性腫瘍のような芽が生えてくる進行は止めようがなかった。だが、恵美を求めてくるのは以前と変わらぬ週三回から四回で、営みは三度。別に抱かれる回数で愛情を“はかって”いるわけではない。しかし、歓楽街から朝帰りをしたその週明けを境に、隆史が彼女へと突然「ゴムを着けよう」と云い出した。と同時に、なんだか恵美を見る顔が、少し警戒を含んでいたのが察知できたのだ。
そして、若干憂鬱なものを抱えながらシャワーの蛇口へと手を伸ばしたとき、ツウと内腿から爪先にかけて落ちてゆく赤い筋を見るなりに、恵美は口を結んだ。
未だ“月のもの”がきていたことに。
2
そして、翌週末を迎えて。
昼間。
恵美はいつものように隆史との同棲先にて、全自動洗濯機のドラムへと洗濯物を入れていたときのこと。彼のスラックスにある異物を取り出して確かめてみたら『ハッスルパブ ドリームナイト』と、ロゴがデザインされたマッチ箱が。この「ハッスル」とい言葉に眉をひそめてみたものの、いまいち脳内で繋がらず。だがしかし、証拠物件として一応は押収した。
それから更に、一週間が経ち。
夕刻。
とあるパチンコ屋の立体駐車場の四階にて、臼田幹江という黒髪セミロングの女がひとり、自家用の白いビッツから出てきて『47』と記された太く四角い柱まで歩き立ち止まった。
すると今度は、深い青緑のランボルギーニが幹江を横切った先で、引っ掻くような高い音を“わざと”鳴らして急停車すると中から秋富士恵美が姿を現して、近づいてゆく。
実に二人の身なりは対照的であった。幹江は、柄の入ったワンピースと膝までのロングブーツ。対して恵美はというと、白いブラウスのワンピースに茶色の革ベルトとローヒール。そして、そんな恵美が笑顔を見せながらも大股気味で寄ってくるなりに、幹江の頬へと拳を喰らわせた。
挨拶も無しに恵美からのカウンターパンチを受けて、後ろの柱に打ちつけたのち間髪を入れずに胸倉を掴まえられて、その隣りの車のボンネットへと叩きつけられた。一時的な呼吸困難から咳き込む幹江を睨みつけながら、恵美がポケットから携帯電話を取り出して例の写メールを見せつける。目をつり上げた幹江からの「なにしやがる! クソが!!」との罵声を流して、胸元を片腕で押さえつけていく。
「いきなりでごめんなさいね。―――この写真にいる隆史さんの隣りにいる女、間違い無く『ハッスルパブ ドリームナイト』の“ツグミちゃん”こと、臼田幹江さん貴女でよろしいかしら」
「あぁ? ああ、間違いなく私だよ。てか何だよ! 私が誰と寝ようがアンタにゃ関係ねーだろ。イイ男とやりたいと思って、なにがいけないのさ!」
無言でいる恵美を見ながら、幹江は目許を嘲りに歪ませて、言葉を突きつけていく。
「ひょっとしてアンタ……、私から彼氏を寝取られたのが頭に来てんの? マジ……?」
直後、今度はフロントガラスをめがけて投げつけられてしまい、床に転げ落ちた。その際に強打した腰をさすりつつ、咳き込んでいったのちに恵美を強く目線を送った。それから、車と車との間で尻餅を突いている幹江にへと、携帯電話の画像を次々に見せてゆく。
「うふ、ふ。隆史さんが貴女から寝取られた、ですって……? 私が貴女ごときに頭にきているですって……? 売女が口きいてんじゃないよ!!―――そうそう、これ。この写真なんだけど。貴女って、商売道具の分際で“何にもせずに”隆史さんのをくわえ込んでいるわけ? どうして貴女が“特別扱い”されているのかしら?―――うふ、ふ。どうやら、今、御自分がどんな立場に置かれてしまったのかがお解りになっていないらしいわ」
「ちょ、ちょっとアンタ。なに云って―――――!!」
幹江が皆まで云おうとした瞬間に、恵美の踵で顔を蹴られた。鼻柱を折られて赤い筋を垂らしていき、口元を覆ってのたうち回る。襟足を掴みあげられて、進路帯に投げ出された矢先に、恵美の爪先が数発も腹に集中放火していく。ときには、思い出したように横顔を力いっぱい踏みつけて、幹江の腹と腰とに蹴りを喰らわしていき、やがて、とうとう気力が失いかけたところを見計らったのちに、恵美は再びランボルギーニへと乗り込んでパチンコ屋の立体駐車場を後にした。
3
あれから翌日。
恵美と朝食をとっていたときのこと、隆史はテレビの液晶画面に写し出されていたものと流されてゆく音声に、思わず箸を止めた。
それは、昨晩、赤迫付近のパチンコ店の立体駐車場四階にて、飲食店従業員の臼田幹江〈二十三歳〉が暴行を受けた後の重体で発見されたからである。幸いにも、意識を僅かながらに保っていたので、回復までに短くて半年、長くて一年と判断された。現場に残されていたのは、短めなタイヤ痕と監視カメラのみ。これだけ証拠を残していれば充分であったが、どうしたことか捜査は難航していた。しかしながら、ニュースを観ていた隆史は、じぶんが指名していた“ツグミ”という女が命に別状はないと知るなりに安堵しつつも、目の前でお膳を挟んで味噌汁を啜ってゆく恵美にへと“ふと”顔を向けた。すると彼女は、そんな彼氏の視線に気がついたのか、お椀を静かに置いたのちに微笑みかけていく。
恵美は、相変わらず衰え知らずな美しさである。このような敷石の高い女と、よくもまあ長く同棲生活が続いているものだと、隆史は我ながら感嘆していく。
そんな中。
「女のひとり歩きって、危ないわね」
と、こう唐突に切り出した恵美の口元は、気のせいかもしれないが、僅かばかりに歪んでいたようだ。気のせいかもしれないが。いや、そうではない。以前、彼女には外国人ホステスを殴りつけたといった話しを聞いたではないか。これを思い出した途端に、隆史の中で嵐の前触れに吹くような風が駆け抜けていった。そのような彼の心情を知ってか知らずか。いや、恵美は明らかに隆史の顔を伺いながらも心なしかこの時を楽しんでいるようである。たとえ、この女自身に自覚がなくとも。
「いったいどんな“飲食店”に勤めていたから知らないけれど、何かと痛い目を見るような事を仕出かしたんじゃないかしら……。幹江さんって方」
「おいおい、あくまでも被害者だぞ。貶めるような云い方はやめてくれよ」
いろいろと痛いところを突かれた気がした隆史が、これ以上悪化が進行しそうな彼女の言葉を制した。
すると。
「貴男の身の回りは、私が綺麗にしてあげるように努力するわ。だから、考えていてね。―――私、隆史さんの返事、待っているから……」
不意打ち。
箸が止まるとは、この事であった。




