マッド・ラブ・イン・ミッドナイト
1
あの争いごとの終わりから約三週間あまりが過ぎて、梅雨もすっかり明けて本格的に夏を受け入れる季節となっていた。そのせいか、夜でも蒸し暑く、扇風機をいつもよりも早めに下ろして活躍させていたほど。
そのように、深夜を迎えた時間帯にもかかわらず、熱さを感じた躰じゅうの皮膚から汗を噴き出してゆくのを感じていた、御藏隆史と入江美砂子。この二人ともに、とくに隆史のほうに至っては――きっかけはどうであれ――初めて恵美の実家にへと足を運ぶこととなった。
そして、隆史の大学からの友達である木田恒昭と佐渡晴之の二人も加えて、秋富士恵美の邸宅まできていた。ちなみに、この恒昭と晴之と共に、空手三段の黒帯保持者。親友から今までの“いきさつ”を聞いた二人は、悩んでいるそんな隆史の姿を見ていて、それならば俺たちにも協力させてくれと、正義の火を点したのだった。
本来なら、訪ねてきたくなかった。
だがしかし、そうもいかなくなった。
ここまで来た、その理由とは。
元彼女の恵美と絶縁すること。
インターホンを通して門が開けられて、敷地内へと隆史は彼女と友達二人とを乗せて走らせてゆく。それから、快く恵美から「そんなに堅苦しくなさらないで、寛いでいてくださらない」と、リビングに案内された隆史たちがソファーに腰を下ろしていくも、このような重たい空気では無理である。
恵美は面々を見渡して。
「せっかくお越しいていただいたのですから、皆さんになにかひとつ“お作り”致しますわね」
そう、実に嬉しそうに声をかけてゆき、しばらくお待ちくださいねとひと言断って台所にへと消えていった。
リビングに残された、「話し合いで解決に来た」隆史たち。このまま黙っていてはマズいと思ったのか、恒昭が切り出した。
「なあ。お前にもし何か起こったときは、あの元カノに拳を叩き込んでいいんだな」
「ああ、構わない。俺はお前たちを頼りにしているぞ」
「そっか。頼りにされてんだ」
持つべきものは、友である。
このような男たちが友情を確かめ合っているのを余所に、美砂子は怪訝な顔をして立ち上がると、「あたし、ちょっと先にあの女と話してくる」と云い残して、あの女こと恵美のいる台所にへと向かった。
2
台所に行くには、リビングを出て左折して廊下を歩いていき、突き当たりを右に曲がってそのまま進んでゆくと、木の引き扉あるのでそれを開けたら台所に到着する。距離的にみると、台所で大きな音を立てようがなにしようが、ちょっとやそっとではリビングまで届かない。
そして、その台所に入ってみれば、恵美がまな板を敷いていろいろな野菜を刻んでいた。隣りのコンロからは、なにかを煮込んでいるのか、香ばしいものが鼻を通り抜けていく。黙って見ているのもあれだから、ひとつ声をかけてみる美砂子。
「秋富士さん、なにをお作りに」
おおかた、シチューかカレーだろ。
「あら、美砂子さん。いらっしゃい。―――これはね、夏野菜のスープを作っています」
「へえー、そうですか」―あんたは、前にそうやって、あたしたちの所に忍び込んで、勝手に汁物を作り置きしといたわよね。――
そう思いながら美砂子は話し合い相手の横顔を見つめていたときに、恵美が刃渡り二〇センチの包丁を取り出して、白い指で軽やかに回転させたと思った刹那、まな板のニンジンを“トトトト”と景気のよい音を鳴らして一定幅に切りそろえた。そして、包丁を静かに置くと、美砂子に振り向いた恵美は微笑みを見せる。この女の美しさを初めて実感した美砂子は、息を呑んだ。
「私やっぱり、隆史さんから飽きられたのかしら……」
「へ?」
ちょっと待って、この展開は何?――と、戸惑う。恵美は構うことなく独りでに進めていく。
「何故、私と別れたのかしら。いったい何処がいけなかったの? 今まで……いや、今も彼の望むように何だってしたいのに、いったい私の何が駄目だったの? どうして私を捨ててまで貴女を選んだのかしら。私は秋富士家の長女だから、もし、隆史さんが私と一緒に籍を入れたのならば、なにもかもが安定していたのよ。―――それを振り切ってまで、どうして貴女のような雌畜生とくっ付いたの?」
「な、なんだって!?」
カチンときた美砂子。
力強く睨みつけて吐き捨ててゆく。
「なにさ! 黙って聞いてりゃ、一方的に云いたい放題散らしやがって!! アンタが、その捨てられた理由も全く解らない馬鹿女だったからじゃないの!! じぶんの胸に手を当てて考えてみな!!―――馬鹿女!!」
息を切らしながらも、あたしったら何てこと話し合いに来たんじゃなかったのと、気まずくなっていくのを感じていた美砂子を、黙って聞いて見ていた恵美が「そうね」と、呟くなりに目を閉じて己の胸に両手を当てていく。
そして、数秒後。
瞼を開けた恵美は力なく両手を下ろして、“実に”つまらなさそうにひと言漏らした。
「―――私に悪いところなんて、なにもありませんでしたよ」
すると今度はいきなり、美砂子のシャツに手を掛けて左右に引き裂いた。ボタンが飛び散って、流し台と床にに当たる。
「ちょっと、すなにんだよ」
「うふ、ふ。男の人って所詮は躰なのかしらね。いい躰しているわね貴女。―――ねえ、貴女この躰で隆史さんを含めて、いったい何人の殿方の物を勃たせてきたのかしらね。―――どうなの? 『嬉野一番』の、ミーサちゃん」
この最後の言葉を聞いた直後に、美砂子は顔を赤らめて拳を震わせてゆく。そして、その怒りをぶつけようと口を開けた瞬間に、恵美の指が挿入されて封印された。指を突っ込んだまま、恵美はまな板に手を伸ばしていき、横たえていた長い物を取って構えてゆく。
「うふ、ふ。―――ねえ、これがなにかお解り? 刀みたいでしょう。実はね、これは鮪を解体するときに使いますの」
美砂子へと実に嬉しそうに見せつけているこの包丁は、以前にここで催された『お泊まり会』のときに黒鮪を解体する際に活躍した、刃渡り一メートルの鮪包丁。続いて恵美は、美砂子の口から指を引っこ抜くと、その鮪包丁の刃をを首筋に当てた。この行いに、美砂子が怒鳴る。
「こんな物騒なもんで、なにしようってのさ。アンタ、頭イカれたんじゃないの!? 正気じゃないわ!!」
「いいえ、私はイカれてもいないし狂ってもいないわ。至って正気ですわよ。……うふ、ふ」
「ちょちょっと、待っ―――――」
「黙れ」
恵美の腕が真横に振られた瞬間、美砂子の首が飛んで回転しながら横の漆喰の壁ににぶち当たって落下した。続いて、司令塔を突然失った躰は、糸を切られた操り人形のように、安定を欠いた足元から崩れ落ちていき、うつ伏せに倒れ込んだ。赤と白と桃色との混じり合った断面から、止めなく血を吐き出していくのを静かに見つめていた恵美の中で、ある今やるべき役目を覚えて、再び鮪包丁を構えていった。あの躰、目測だいたい40キロくらいね。
決めたら、始めましょう。
“マグロ”の解体を。
頭はさっき斬り落とした。
よって次は縦に刃を入れたのち。
断面から横に刃を滑らせていく。
1/4(しぶいち)で身を斬り分けて。
最後は背骨を取り除いて、終了。
3
再びリビング。
「美砂子、遅いな」
心配そうに隆史が呟いたときに、台所から戻ってきた恵美が、白く大きな皿に盛り付けている料理をテーブルに置くなりに、未だに愛しい彼を見て微笑んだ。
「鮪のお刺身です。どうぞ、お召し上がりください」
「え、あ、鮪? 鮪にしちゃ“やけに”真っ赤じゃないか。それより、美砂子はどうしたんだ。お前と話しに行くって云ったきり戻ってこないじゃないか」
「彼女さんなら、今シャワーを浴びているわ」
「シャワーだって? ……ん?」
疑問を呟いたときに、隆史は皿の端に茶色くて細い物を見つけて、それを指でつまんで見つめていった直後それがなにかであると理解した途端、たちまち震えが生じた。
「これ、これ……美砂子の……」
「あら、もう解ったの。そうよ、美砂子さんの髪」
刹那、ソファーから跳ね上がった隆史は、恵美の頬に拳を走らせた。踏みとどまって堪えた女はたちまち瞳を潤ませて、かつて彼氏だった男を見つめて声を震わせていく。
「なに、するの」
「お前なにしたか分かってんのかよ!!」
恵美を怒鳴りつけたあとに、男は力なく膝を落としてうなだれた。そして、美砂子の名を繰り返してゆく。これを聞いていた恵美が唇を噛み締めながら、声を低くしてゆく。
「これはどういうことなの、隆史さん。私にまだなにか要求することがあるの?―――うふ、ふ。解ったわ! これはひょっとして、乗り越えなければいけない大きな壁ね。立ちはだかる障害が大きければ大きいほど、私たちの愛は高まって成就するのよね。そうでしょう?―――私の為を想って、美砂子さんという壁を立てたのね!!」
「な、なに云ってんだ! 俺はお前が邪魔なだけだったんだよ!! 別れた後も俺たちの家にまで顔を出して突っ込んで来やがって、しつこいんだよ!!」
「黙れ!!」
恵美は叫びとともに、踵を隆史の腹に叩き込んだ。途端に、ソファーごとひっくり返った隆史が頭を打つ。カッときた恒昭が女に殴りかかる。拳を突き出して、容赦なく踵を振り下ろした。これを難なくかわしていった恵美は、真横にした鮪包丁の切っ先の峰に左手を添えて踏み込んだ。そして抜けた直後に、恒昭の胴体は横に割けて倒れ込んでゆく。
次に、飛びかかってきた晴之の蹴りから、恵美が後退して、さらに追ってきた踵や爪先を避けて、交互に突いてきた拳から身を沈めてかわしたと同時に抜刀の型に構えた刹那、バネのごとく跳ねて鮪包丁を斜め上に走らせたすぐに真横に振り払い、通り抜けた。すると、腕は肘から断たれて、首は延髄から切り離された晴之。最後は、それらの断面から遅れて反応をした赤い液が噴水の如く噴き上げていきながら、仰向けに倒れた。
4
そんな一部始終を見ていた隆史は、腰が抜けて立てないでいた。全身から寒気と震えがきて、もう、どうしようもない。どうすれば良いのか、訳が解らなくなっていたのだ。
やがて、ひと仕事を終えたかのような顔で、恵美が隆史のもとへとやって来ると、微笑みを浮かべて見下げた。
「壁は乗り越えたわ。さあ、一緒に暮らしましょう。お父様とお母様に貴男を紹介しますわ」
「そそそ、そりゃ無理だ」
「いやだわ、隆史さん。なにも“このまま”とは云っていないのよ」
忽ち、隆史の全てが凍りついた。
「ち、ちょっと、待て……」
「いいえ。私はもう、充分に待ったのよ。二度と私から離れないで。私は誰よりも、貴男が好きなの」
そう断ち切った恵美が、鮪包丁を拝一刀で振り下ろした刹那、隆史は頭から縦に真っ二つに割けたのであった。
『MAD LOVE IN MIDNIGHT』完結。