0.8 京先輩
あの告白事件の後も、那由多からの連絡は毎日ちゃんと届いた。
当たり障りない内容はホッとした反面、私を酷く落ち込ませた。
那由多は無かったことにしたいのかな。
私が告白しようとしたことも。
あのキスも。
だったら、無視されたり避けられたりした方が良かったかも。
無かったことにされるのがこんなにもショックだと思わなかった。
私は絶対忘れられないよ。
すごくドキドキして、すごく嬉しかった。
絶対、忘れないよ。
でも、今更那由多にそんなこと言えるはずもなく、私はがむしゃらに部活に明け暮れる毎日を送ってた。
朝から夜まで走り込んで、新学期が始まっても一番乗りにグラウンドへ行っては走ってた。
それなのにどういう訳か、秋の大会は散々。
見事、予選落ち。
なんでだろう。
何もうまくいかない。
「零、こっち」
放課後、図書室に行くとすでに席はだいぶ埋まってた。
でも葉月ちゃんがちゃんと確保しておいてくれたから、ふたり並んで座ることができた。
部活は、今はテスト休み。
部活がないかわりにみんな放課後は勉強に励まなくちゃいけない。
私は成績は悪い方ではないけど、良くもなかった。
だから、テスト前はこうして頭の良い葉月ちゃんに勉強を教えて貰うのが習慣になってた。
「何からやる?」
「んー、英語教えてくれる?」
「オッケー」
英語は苦手。
いつも平均点ギリギリだから、今回も一番気が抜けない教科だ。
葉月ちゃんに文法を説明して貰いながら、英文をノートに書き綴っていく。
教え方がうまいから勉強もそんなには苦じゃなかった。
「だから、こうなるの」
「あっ、そっかぁ」
「簡単でしょ?」
「うん」
なるほど。
わからなかった問題が解けてすっきりした。
「おかげで英語なんとかなりそう」
「そ?」
「うん、ありがとう葉月ちゃん」
「どういたしまして」
とりあえず今回のテストは一安心かな。
良かった。
ふぅと息を吐いて壁にかかる時計に目をやれば、結構時間がたっていた。
「そろそろ帰ろっか」
「うん」
昨日観たテレビドラマの話をしながら、葉月ちゃんと机の上を片付ける。
と、ブブブ、ブブブ、ブブブ。
バッグの中でスマホが振動した。
慌てて取り出して表示を見れば、那由多の名前。
また、いつも通りのメッセージが届いた。
「……」
「零、」
通知が表示されたままのディスプレイを見つめる私に、そっと葉月ちゃんが声を掛けた。
葉月ちゃんには夏休みのことは全部話してある。
那由多の家から帰ってきて、真っ先に葉月ちゃん家に直行して話してた。
自分ひとりの中には閉じ込めておけなかったから。
あまりにショッキングな出来事に耐えられなくて、相談した。
葉月ちゃんは黙って聞いていてくれた。何も言わず、ただ黙って。
私はそれに本当に救われてた。
話し終わったとき、葉月ちゃんはひとことだけ呟いた。
「瀬尾バカじゃん……」
何がともどうしてともなく、それだけ。
でもどうしてか、私の心は少し楽になってた。
通知をタッチしてメッセージを開く。
中身はやっぱり世間話。
「那由多の、バカ……」
本当、葉月ちゃんの言う通りだよ。
バカバカバカバカバカバカ。
何度も心の中で責めてみた。
伝えたかった気持ちを、応えるどころか聞いてもくれなかった。
私も無視してしまおうか。
度々そうも思ったけど、指は勝手に返事を打ってしまう。
これが惚れた弱味っていうやつなのかな。
お互いに、軽い言葉がふわふわと積み重なってく。
色も味もない、ただの白紙の便箋を送り合ってるみたいに。
そんな返事を返して画面をオフにすると、私は投げ捨てるようにそれを鞄に放り込んだ。
昔から、秋は時間が進むのが早い気がする。
暑さが和らいで過ごしやすいし、誕生日も待ってるから好きな季節だけど、どこか物悲しい気持ちになるのはなんでかな。
また大きく開いてしまった那由多との距離感がそう感じさせるのかな。
「なんか、寂しいね」
今まさに考えてたことを言われて振り返ると、千里先輩が部室の窓枠に頬杖をついて夕焼けを見てた。
「寂しいですね」
「ね。3年生も引退しちゃったしね」
しみじみしながら、ふたりで茜色に染まる空をぼんやり見上げる。
武先輩と雪子先輩は受験勉強も追い込みに入って、一段と勉強を頑張ってるみたい。
本当に同じ校舎にいるのかなと思うくらいに会わなくなった。
だから、時々物凄く会いたくなってしまう。
まぁ、陸上の推薦が決まってる京先輩は、ちょくちょく部活にくるからどうとも思わないけど。
でも本人が聞いたら拗ねそうだから黙っておこう。
「そうだ!良いこと考えた!」
千里先輩は勢いよく立ち上がると、ぽんと手を打って叫んだ。
何か面白いことを思い付いてやろうとしてるのがわかる。
「何ですか?」
「うふふー」
「千里先輩っ」
もったいぶらないで教えてほしい。
だって、絶対楽しいことだってわかるから。
「送別会しよう!」
「送別会、ですか?」
「うん」
送別会なんて、まさにお別れって感じのイベントだ。
楽しみだった気持ちがしゅんと下を向いた。
そんな私を見た千里先輩は眉尻を下げてくすりと笑うと、私の頭をぽんぽんと軽く叩いてからにっこり笑った。
「そんな顔しないの」
「はい……」
「送別会なんて言ったけど、全然しんみりした雰囲気にならないと思うし」
確かに、陸上部のみんなはそんな雰囲気とはいつも程遠い。
それはそうかもしれないけど。
でも、今の私には“そうですね”って笑えるだけの元気がなかった。
腰に手を当てて、はぁと大きなため息をつく千里先輩。
「もー。零、」
「はい」
「零が一番好きなところはどこ?」
「え?好きなところですか?」
「そ。行くとドキドキワクワクするのってどこ?」
「なんか、なぞなぞみたいですね」
「いいから、答える」
「は、はい!」
じとりとした目で答えを急かされて、慌てて考える。
どこかな。
ドキドキワクワクする一番好きな場所。
うーん。
「あっ、はい!」
「うむ、では零くん。答えてみたまえ」
少しおどけて、千里先輩が答えを促した。
私は思い付いたままを口にする。
「遊園地です!」
「ふむ」
千里先輩は私の答えを聞くと、満足そうに頷いて微笑んだ。
「じゃあ遊園地にしよう!送別会!」
「ええ!?」
遊園地で送別会!?
なんか変じゃないかな。
「いいじゃんいいじゃん!決まりね!」
「は、はい」
いいんだ……
決まっちゃった。
千里先輩の勢いに押されて頷いてはみたけど、やっぱりちょっと違和感がある。
なんとなく送別会ってしんみりした印象があったから。
でも、ルンルンしてる千里先輩を見てたらそんなのどうでもよくなってきて、いつしか私も楽しみになってきてた。
「冬休みにしようね」
「はい!」
最後には千里先輩よりも大きな声で元気良く返事を返す私に、千里先輩が吹き出したのは言うまでもないかな。
今年の那由多と私の誕生日は、今までで一番つまらない誕生日になった。
朝、おめでとうのメッセージを送りあって、学校から帰ると届いていたバースデーカードを開いた。
出てきたのはガーベラの花の絵。
赤い鮮やかな色は燃えるような熱を持ってるように見えた。
カードには一言。“HappyBirthday”
それだけ。
文字が少ないのはいつものことだけど、絵の生々しい迫力に対してあまりにも無機質に感じて、誕生日を祝ってくれてるって気持ちは、全く感じ取れなかった。
それでも嬉しいと思ってしまうのは、私がバカだからかな。
短い秋はあっという間に過ぎ去って、瞬く間に冬休みがやってきた。
誕生日の後から那由多からの連絡が少し減った気がするけど、足早に過ぎ去る季節に追われたせいか、あまり気にならなかった。
というか、本当は、楽しみにしてた送別会が 目の前に迫ってたから、それほど意識せずにいれただけなんだけど。
年の瀬にもなると誰しもが忙しそうにしてるから、私もつられるようにあわただしく過ごしてた。
そんな中決まった送別会の日。
千里先輩は本当に遊園地に決めて、みんなで駅に集合してた。
早めに駅に行った筈なのに、私が一番最後でびっくりした。
もしかして、みんな同じ気持ちだったのかな。
全員揃ったところで電車に乗りこみ、わいわい喋りながら遊園地へ出発した。
武先輩は少しやつれたみたいで、勉強大変そうだなって同情した。
雪子先輩は色白になって美人度が更に増してて、もっともっと素敵になってる。
少し違和感はあるけれど、こうやって集まるのは久しぶりなのに全然そんな感じがしないのは、なんとなく嬉しい。
だから、話題が尽きる筈もなく、あっという間に着いた。
遊園地は年末だけあってかなり混んでた。
でもその雰囲気がまたテンションを上げる。
「まずなに乗る!?」
やっぱりというかなんというか、真っ先に飛び出していったのは京先輩。
残された私たちは呆れながら顔を見合わせて、それから同時に吹き出した。
意外なことに、真っ先に京先輩を追いかけたのは武先輩だった。
「まて、こら!」
取り残された私たちは思わずポカンとしてしまった。
あんなにはしゃいでる武先輩を初めて見た。
そんなに辛かったんですね……。勉強。
「ほらみんな早く早く!!」
ひとり先を行く京先輩が待ちきれないとばかりに手を振って呼んだ。
「行きましょう」
いち早く我に返った竜希に促されて憲一先輩が歩き出し、雪子先輩と千里先輩が頷いた。
「そうね」
「ふたりとも待ってくださいよー!」
続いて走り出した4人を、私はまだその場で突っ立ったまま見おくってた。
なんか、みんなちいさい子どもみたい。
「ほら、零行くぞ」
竜希がおいてかれた私をもう一度呼ぶ。
落ち着いた声だけど、その表情ははしゃぐ京先輩とそっくりで面白かった。
「うん!」
私は返事を返して走り出した。
きっと自分も同じなんだろうなと思いながら。
スピードと勢いが自慢の我が陸上部。
まずいきなり絶叫マシンに乗って、次にお化け屋敷に入って、コーヒカップをぐるぐる回して騒いで、ちょっと疲れてショーを観覧して、そしてまたいろいろなアトラクションを駆け回って。
半日で相当遊園地を満喫してた。
「あぁー、つっかれたー……」
ランチにしようと陣取って、2台繋げたレストランのテラス席の丸テーブルに、千里先輩が突っ伏した。
「ほんと、こんなにハメをはずしたの久しぶりです」
「だな」
憲一先輩と武先輩もふぅと息を吐いて同じ席に座る。
雪子先輩も無言で苦笑を溢して腰掛けた。
「なんだよ、お前らだらしないぞ!」
「あんたが元気すぎなんですよ、京先輩」
千里先輩が冷たい目で京先輩を見上げる。
「そんなことねぇよ!一年ふたりはまだまだ元気だぞ!」
「若者と一緒にしないでください」
「そんな歳の差ないだろ……」
確かにそんな差ないと思う。
竜希は心なしか疲れてるみたいだし。
まぁ、確かに私はまだまだ元気だけど。
ぐったりとした先輩4人はついていけないとばかりにメニューを広げてまったりモード。
京先輩は拗ねるみたいに唇を少しつきだして、やっと席についた。
「あ!私お水もってきます!」
私はセルフサービスのお水を取りに店内へ向きを変えた。
疲れた先輩たちは、きっと喉カラカラに違いないから。
背中にお礼の声を受けて、顔だけ振り返って笑ったみせた。
小さなプラスチックのコップに次々水を入れていると、
「はい、載せて」
すっと横からトレイが差し出された。
顔を向けるとそこには京先輩。
「ありがとうございます」
軽く頭を下げてからお言葉に甘えて載せた。
量が多くてちょっと大変そうだと思ってたから助かった。
「すいません、先輩なのに」
「気にしない気にしない。竜希が行こうとしたの代わって貰ったの俺だから」
「そうなんですか?」
なんでわざわざ?
「竜希も何気にぐったりしてたからさぁ」
「なるほど」
やっぱりまだ元気なのは京先輩と私だけだったみたい。
妙に納得して笑ってしまった。
「みんなだらしないよなー」
「京先輩がタフなんですよ」
「なら、零もだろ?」
「あはは!そうですね!」
ニヤリと笑う京先輩は凄く楽しそうで、見てると私まで楽しくなる。
それにやっぱり優しい。
運動部でこんなに後輩にも気を使ってくれる先輩なんて、そういないんじゃないかな。
友達同士で来てるらしい女の子の集団が、さっきからチラチラと京先輩を見てる。
そういえば午前中遊んでる時からずっとそうだ。
見た目は確かにめちゃくちゃカッコいいけど、でも中身の方がもっといいのにな。
なんだか少し悔しかった。
レストランで遅めの昼食を済ませると、みんなだいぶ回復したみたいで、また遊園地を駆け回って遊んだ。
でも、ひとりずっと突っ走りっぱなしの京先輩についていける筈もなく、ひとり、またひとりと脱落していった。
「もうダメだ!俺も雪子たちんとこでちょっと休む!」
「えぇー!武、勉強し過ぎで鈍ったなぁ」
「受験生なんだから当たり前だろが。陸上バカのお前と一緒にすんじゃねぇよ!」
呆れながら手を振ると遂に武先輩も脱落して、雪子先輩たちの休むカフェテリアへ行ってしまった。
後残ったのは京先輩と竜希と私。
「しょうがない、3人で次行くか」
「そうですねぇ」
「あの、京先輩……」
「ん?どうした、竜希」
竜希は視線を斜め下にそらしたまま、ぼそぼそと京先輩を呼んだ。
まさか。
「俺も限界です……」
やっぱり。
確かに顔色が悪い気がするし、もしかして絶叫苦手だったのかな。
聞いてみよう。
「大丈夫?竜希って速いのダメだったりする?」
「……実は」
「やっぱり!」
「なんだよ、無理してたのか!ごめんな!」
竜希は首をふるふる振ると、申し訳なさそうに力なく微笑んでカフェへ去っていった。
京先輩は眉毛をハの字にして竜希の背中を見つめてた。
「かわいそうなことしちゃったなー……」
「大丈夫でしょうか」
「俺らも一回戻るか……?」
そう言う先輩は凄く心配そうではあるんだけど、どこか残念そうで、
「ぷっ」
思わず吹き出してしまった。
京先輩も何を笑われたのかわかってるみたいで、顔がみるみる赤くなっていく。
って、え?
こんな真っ赤になった京先輩初めて見た。
何度か目撃した、グランドで告白してくる強者の女の子と話してるときでも困った顔しかしないのに、ここで赤面!?
そんなに恥ずかしかったのかな。
「うわ、俺ガキみたいじゃん」
羞恥に耐えられなかったのか、赤い頬を両手で隠して踞ってしまった。
……な、なんか、可愛いんですけど!
背の高いスラッとしたスタイル抜群のイケメンが、身体を小さく丸めて思いっきり照れてる。
あまりにギャップのある姿に、私まで顔が赤くなる。
「あー、恥ずかしー」
か、可愛すぎる。
しゃがみこむ京先輩と立ち尽くす私。
はたから見たら凄く変なこの状況を打ち壊してくれたのは、軽やかな機械音だった。
「うお!びっくりした!」
京先輩は素早く立ち上がると、音の原因であるスマホをポケットから取り出して耳にあてた。
「もしもし?憲一?」
どうやら電話の相手は憲一先輩みたい。
「うん、うん。竜希具合どう?……そか、よかった」
竜希ももう合流したんだ。
体調も大丈夫みたい。
さっきのグロッキーな顔は今思い出してもやっぱり辛そうだったから、本当によかった。
私はほっと小さく息を吐いた。
「えっ?」
不意に京先輩が変な声をあげて私を見た。
何かな。
「な、なななな何言ってんだよ!」
うわ、凄いどもってる。
治まりかけた顔もまた赤くなってるし。
どうしたんだろう。
「あ、おい!千里!」
あれ?
いつの間にか電話の相手は千里先輩に代わってたみたい。
でも、もう電話は切れたらしく、京先輩はスマホをまたポケットにしまった。
どこかムスッとした顔で。
電話が終わってもなにも言わない京先輩に、しびれを切らして呼び掛けた。
「京先輩」
「えっ!?」
突然呼ばれてびっくりしたように顔を上げる。
そんなに驚かなくても、っていうくらいの飛び上がりかただ。
「千里先輩どうかしたんですか?」
「……」
「?」
やっぱりなにも言わない。
もう、一体何を話してたのかいい加減気になる。
私は頬を思いっきり膨らませて京先輩を見上げた。
「……そんな顔で見んな」
「教えてくれない京先輩が悪いんです」
頑張って睨み続ける私。
遂に根負けして、わしわし頭をかいてから京先輩は口を開いた。
「ふたりで遊んでろって」
「え?」
「そっちはそっちで回れって言われた」
「そうですか」
それだけ?
なんかさっきの反応を見た限り、千里先輩にもっといろいろ言われたんだと思ってた。
それに、さっきの京先輩はもっと遊びたそうだったから、ここは喜ぶところじゃないのかな。
なんか変なの。
「……どうする?」
おずおずと京先輩が訊ねてきた。
「どうって、ふたりで回ってって言われたんですよね?」
「うん」
「じゃあ、回ったらいいんじゃないですか?」
「だ、だよな!」
愛想笑いを浮かべながらこくこく頷かれた。
あ、もしかして私とふたりじゃ嫌だったのかな。
京先輩は賑やかなのが好きだから本当は合流したかったのかも。
「でも京先輩がみんなと一緒に回りたかったら、私から千里先輩に電話してみます?」
千里先輩は京先輩には意地悪するけど、私にはいつも優しい。
だからそう切り出してみた。
なのに、
「いや!いい、いい!!」
力一杯断られた。
なんで?
「……せっかくだから、ふたりでまわろう」
さっきまでの挙動不審が、嘘みたいに、にこっと爽やかに微笑まれた。
これはいつもの京先輩だ。
なんでも楽しみに変えてしまうキラキラした笑顔。
私はこの表情に弱いと思う。
だから、断る筈もなく勢いよく頷いた。
「よし!んじゃ行くか!」
「はい!」
よーい、ドン。
私たちは得意のスタートダッシュで次のアトラクションへ駆け出した。
なん回転もするジェットコースターに乗って、ゴーカートで勝負をして。
それから京先輩は、恥ずかしがる私にはお構いなしにメリーゴーランドに引っ張っていったと思ったら、不細工なピンクの馬に躊躇なく跨がってしまった。
その姿はあまりにツボだったから、涙が溢れるほど笑った。
「やべ、メリーゴーランド意外とおもしろい」
仕舞いには真顔でそんなことを言い出すから、私は本気でお腹がよじれるかと思っちゃった。
朝から全速力で園内を駆け回ってたせいで、気付いたときにはもうほとんど制覇してた。
あと乗ってないのはほんとに少しだけ。
「次どうします?」
地図の載ったパンフレットを広げながら、問いかける。
「そうだなぁ……」
京先輩も一緒に地図を覗き込みながら悩んでた。
「あっ、これまだだ」
声をあげて、京先輩が指を指したのはこの遊園地で一番大きい遊具。
どこからもどーんといつも見えてたから逆に忘れてた。
綺麗な円を描く、観覧車。
「行きましょう!」
「おぅ!」
高いところは好きだから、凄く乗りたかった。
私はいつの間にか京先輩の手を取って、そこへ歩き出してた。
乗車待ちの列はそんなに混んでなくて、すぐに順番がまわってきた。
ラッキーかも。
係員のお兄さんに従っていそいそと乗り込む。
「ではお客様はこちら側へ、彼女さんはこちらへどうぞー」
「「えっ!?」」
「暴れたりとかしないで下さいねー、ではいってらっしゃーい」
ガシャンと扉が閉められて、すぐに動き出す。
段々高くなっていく視界を見るのを楽しみにしてたけど、でも、それどころじゃなくなってた。
か、彼女って私?
……しかいないよね。
京先輩と私ってそう見えるんだ。
なんか、恥ずかしい。
「あはは、勘違いされちゃいましたね」
「はは、びっくりしたよな」
「ですね、あは」
無性にいたたまれないんですけど、この空気。
京先輩まで照れちゃうから、どうしていいかわからない。
「これって、デートみたいですもんね」
必死に会話を探して気まずさを払拭しようとしてみた。のに。
赤くならないで下さい、京先輩……。
もぅ。
いつも女の子にキャーキャー言われても困った顔しかしないのに、なんで今日はそんな反応なんですか。
「京先輩のファンに見られたら、私殺されちゃいます」
思ったことをなんとなく呟いてみた、瞬間。
「そんなこと、させない!」
京先輩の凜とした声が狭い空間に響いた。
び、びっくりした。
まさか本当に殺害されるとは思ってないだろうけど、京先輩は自分に悪い意味でも影響力があるのを、ちゃんと知ってるんだ。
京先輩をめぐる勝手なケンカなんて、日常茶飯事と言ってもいいくらいあるし、私もそういうのに巻き込まれると思ったから、きっと声をあげてくれたんだなってわかった。
私は自分の軽い発言を後悔した。
「だ、大丈夫ですよ!私なんて妹みたいなものだって、みんなちゃんとわかってますから!」
そう取り繕ってみたら、何か言いたそうに京先輩が口を開きかけた。
でも、これ以上気に病ませたくなくて慌てて全然違う話を切り出してた。
「そういえば、先輩のいく高校ってどんなところなんですか?」
京先輩は突然話をそらされて微かに眉を寄せたけど、一度ゆっくり瞬きをしてから薄く微笑んで教えてくれた。
「陸上がすごい強いとこだよ」
嬉しそうに瞳を輝かせて話す姿に、私はほっと胸を撫で下ろしてた。
ゆっくり回る観覧車の中に、耳に心地いい京先輩の声が響く。
声まで綺麗なんだなって、ぼんやり感心してしまう。
「零、聞いてる?」
はっ!
しまった。
「すいません、聞いてませんでした」
「ったく」
怒った風でも呆れた風でもなく目を細めて笑われて、なんとなく俯いてしまった。
だって、どうしてそんな優しい目で私を見るの。
なんかむずむずする。
「こうして話せるのもあと少しなんだからな」
「え?」
「高校、寮だからさ」
「そうなんですか!?」
「うん」
整った顔が寂しげな笑顔を作り出す。
なんか、京先輩は卒業しても普通に会える気がしてたから、思いの外ショックだった。
「ま、ちょくちょく様子は見に帰ってくるよ」
どこか慰めるように、少しおちゃらけた調子でそう言うと、手を伸ばして頭をポンポンされて、ちょっと泣きそうになった。
京先輩の行く高校はここからはだいぶ遠いらしい。
でも、すでに陸上と生きる覚悟ができてる京先輩は迷わず決めたんだって。
凄いな。
私なんて、自分が行くわけでもないのに寂しい。
「どこにあるんですか?高校」
気になって聞いてみた。
様子を見に来てくれるって言っても、そんなに遠かったらそうそう来れるわけがない。
どこに行っちゃうんですか?
知れば落ち込むと思ったけど、聞かずにはいれなかった。
でも、京先輩の言った地名を聞いて私は固まった。
そこは考えないようにしてた場所だったから。
そこは、那由多の住む街だったから。
「零、どうした?」
呆然とする私に首を傾げて、京先輩が顔を覗き込んだ。
「あ、いえ……」
「なんだよ」
「あの、幼なじみが今そこに住んでるんです」
「ああ、夏に会った?」
「はい……」
「そっか、引っ越してたのか」
「はい、もうずっと前に……。知ってる場所だったからびっくりしました」
私は京先輩に、何でもないように笑って見せた。
京先輩が那由多のすぐ近くに行くなんて物凄く複雑な気持ちだったけど、そんなこと言ったってなんの意味もない。
嘘みたいな偶然に奥歯を食いしめた。
窓の外を見ると、もう頂上近くまで昇ってた。
空は少し赤みかがって、今日の終わりを告げ始めてる。
この送別会ももうすぐ終わりだ。
ずっと続くと思ってたいろんなことがみんな静かに幕を閉じてくのを、観覧車に揺られながらぼんやり感じてた。
他愛もない話をしながら残りの半分をゆっくり降りる。
わざとらしく面白いことを言っては笑わせてくれる京先輩は、本当に優しいな。
落ち込みやすいけど、浮上するのも早いのがちょっと自慢の私。
さっきの重い気持ちが段々軽くなってくのを感じた。
そうだよね。
楽しい場所に来てて凹むなんてもったいない。
千里先輩がせっかく私の一番楽しめる場所を選んでくれたのに。
受験勉強の忙しい武先輩と雪子先輩が来てくれたのに。
みんなでいられる最後の機会かもしれないのに。
うん。
もったいない。
ガシャンと音がしてまた扉が開いた。
もう降りなくちゃ。
観覧車が一周したら、気持ちもくるっと回って乗る前の状態に戻れ気がした。
外へ出るともうすっかり夕方で、昼間よりもかなり寒かった。
でも、冷たい風が首筋を撫でていくのは不快じゃないから不思議。
と、思ってたら。
「くしゅん!」
あれ、やっぱり寒いかも。
私は出そうになった鼻水をすすってから、コートの襟元を引っ張って慌てて首を隠した。
気持ちよかったのは一瞬で、すぐに冷気が身体を冷やし始める。
さっき観覧車に乗る前に走り回ってかいた汗が、更に身体を冷やしてるみたい。
「カゼひくなよ」
言葉と共にふわりと首回りが暖かくなった。
フワフワした肌触りと視界の端に見えるギンガムチェックの生地は見覚えがある。
京先輩がしてたマフラーだ。
「わわ、大丈夫ですよ!」
「いいから巻いてな」
「でも先輩が、」
「いいから」
「でも、」
京先輩だって寒いでしょ?
「いいの!」
有無を言わさずにぐるぐる巻かれて、もう断れなくなった。
なんだか凄く申し訳ない。
でも、口元まですっぽりと覆われて温もりに包まれると、寒さで強ばった身体の力が抜けていく。
それと共に、心までぽかぽかしてきて。
「どうもありがとうございます」
「おぅ」
なんだか、泣きそうなほど嬉しかった。
視線を合わせて笑えば、同じように微笑んでくれる。
それが、恥ずかしいのに落ち着くのは、きっと京先輩が持ってる空気が柔らかくて暖かいこのマフラーみたいだからだと思った。
「けーいせーんぱーい♪」
不意に後ろから声をかけられて振り返ると、そこには陸上部のみんながいた。
今京先輩を呼んだのは千里先輩。
そのすぐ横に武先輩がにやにやしながら立ってた。
?
なんだかみんな凄く楽しそうな顔してる。
面白いことでもあったのかな。
「な、お前らまさか……」
「ふふふふふふふ♪」
「ばっちり見たぜぇ?」
「マジかよ!」
目に見えて焦りだす京先輩。
それを見て更ににまにまする先輩ふたり。
「いやー、京先輩やりますねぇ」
「やるよなぁ」
武先輩も千里先輩もにやけすぎて顔が壊れてます。
京先輩は真っ赤だし、そのうち湯気でも吹き出しそうだ。
みんな一体何がどうしたんだろう。
あれ?
雪子先輩まで笑ってるよ!
いつもなら、京先輩が遊ばれてても我関せずスルーするのに。
憲一先輩と竜希ももちろん笑ってる。
とっても不思議な光景に、ひとりぼけっと佇んでた。
少し輪から外れて首を傾げる私に、やっぱりにやりと笑いながら竜希が近付いてきた。
「デート楽しんだかよ」
小声で少しからかうように言われる。
なに言ってるの、全く。
「デートじゃないよ」
私は呆れながら応えた。
「は?千里先輩がデートでもしてなって電話で言ってたじゃん。で、そうしたんだろ?」
え?
あのときの電話でそう言われてたの?
あ、だから赤くなったんだ。
やっとさっきの京先輩の反応の理由がわかった。
「それに、武先輩と千里先輩がからかおうと思って覗いてたら、手をつないでたって言ってたし、違わないだろ」
「手なんて繋いでないよ、……って、あ!」
しまった。
そういえば。
「あれははしゃいで引っ張っちゃっただけで……」
まさかそんな風に見えてたなんて。
遊ぶのに夢中でなんにも考えてなかった。
それが顔に出てたのか、今度はさっきとは逆に私のほうが思いっきり呆れた目で見られる。
なんでそんな目で見るのさ。
しかも溜め息までつくし。
と、竜希は諭すように話し出した。
「京先輩はさ、モテるだろ」
「うん」
確かにモテる。
誰から見てもモテモテに見えると思う。
でも、いきなり何の話なの?
「年中いろんな女子がケンカしてるよな」
「うん」
「京先輩に近づけば、否応なしにイジメられるし」
「有名な話だよね」
「雪子先輩も千里先輩も嫌がらせとかあったって言ってた」
そ、そうだったんだ。
全然知らなかった……
同じ部活ってだけでそんなことするなんて、ひどい。
ひとりでムッとしてたら、また竜希が意味ありげに聞いてきた。
「お前さ、今京先輩に一番近い女子って誰だと思う?」
「え?千里先輩かな?それとも京先輩のクラスメートとか?」
誰だろう。
一番近かったら相当酷いことされてるんじゃないかな。
雪子先輩や千里先輩がそんな目にあってたらどうしよう。
でも、そんな心配を吹き飛ばすように竜希は教えてくれた。
「お前だよ」
え?
「私?」
「そう。でも、呼び出されたりしてないだろ」
「うん」
睨まれたりはしょっちゅうだけど、そういうのはなかった。
「苛められてもいないだろ」
「うん」
陰口もよく聞くけど、何かされたことはない。
「京先輩が言ったんだよ。零に何かしたら許さないって」
「え?」
京先輩が?
“何かしたら許さない”
それって、まるで那由多みたい。
不覚にもそう思ってしまった。
「あいつみたいだよな」
竜希もあの夏祭りのことを言ってるのがわかった。
でも、今は思い出したくなかったから、だからそれには触れない。
聞こえなかったフリをして、思考をスライドさせる。
「ほんと京先輩って面倒見いいよね」
気遣い屋の京先輩のことだから、きっと雪子先輩たちと同じ目に遭う前に動いてくれたんだろうなってぼんやり思った。
でもそう言ったら、は?って顔をされてしまった。
なにそのバカを見る目は。
「前から思ってたけど、お前ニブ過ぎ」
「デリカシーない竜希に言われたくない」
ニブイってなにさ。
いや、たまに葉月ちゃんとかにも言われるけど、でも何で今竜希にそんなこと言われなくちゃいけないの。
べっと舌を出してやった。
竜希も納得いかない表情で唇をへの字に曲げる。
「なんで俺がデリカシーないんだよ」
「超無神経な祥平とつるんで、よく女の子泣かしてたじゃん」
「俺は泣かしてねぇよ。第一、祥平とは性格合わないし」
そうなの?
思わずきょとんと見つめてしまった。
そういえば、中学に入ってからつるんでるの見たことない。
そうだったんだ。
あんなに仲良しに見えたのに意外。
中学生になってから親しくなったけど、改めて知った竜希は確かにいいやつだ。
今ではクラスメートで友達で、大事な仲間。
小学生のときはこんな風に打ち解ける日が来るなんて思いもしなかった。
その人がどういう人で何を思ってるのか、わかるようで実は全然わかってないんだなって改めて実感した。
ひとしきり京先輩で遊んで満足したらしい千里先輩がみんなを集めた。
少し離れてぶつぶつ話してた私たちも、会話を中断して輪に加わる。
結局、どうしてニブイって言われたのか聞けなかったけど、まぁいっか。
竜希も教えてくれる気はなさそうだったし、自分の悪いとこならあんまり聞きたくない。
部長らしくなった千里先輩の言葉に耳を傾けけて、そそくさと忘れた。
最後にみんなでパレードを見て解散しようという提案に、名残惜しさを感じながらも賛成した。
そっか。
もう終わりなんだ。
園内の街灯に光が点る。
もう帰宅する家族連れも結構いて、楽しかったねって言葉を溢す子どもと度々すれ違った。
うん、そうだね。
楽しかった。
場所取りをしなかったから立ち見になったけど、光の装飾を施されたきらきらのパレードは凄く綺麗だった。
私は黙ってそれを見つめる。
先輩たちが卒業しても、ずっと記憶に残るように。
そうして目に焼き付けてたらパレードはすぐに通り過ぎ去り、送別会はお開きになった。
卒業がいよいよ近づいてくると、京先輩は告白ラッシュに陥った。
逃げたりせずに、ちゃんとひとりひとりと向き合う姿勢が今まで以上に女の子たちをけしかけるのか、凄いことになってる。
誰の想いも受け入れることなく、全員丁寧に断るところは相変わらずみたいだったけど、ただ、今までは困った顔で“部活のことしか考えられない”だったのに、今は真っ直ぐ相手の目を見て“好きな人がいる”って断るようになったらしい。
それが更に女の子たちに期待を持たせてるから、この状況なんだろうな。
京先輩の好きな人。
その人のことが物凄く気になって、何となく複雑。
竜希が言うには私が一番近くにいた女子だから、お兄ちゃんを取られる妹の心境なのかもしれない。
卒業式まであと数日となった今、京先輩は陸上部にもなかなか顔を出せないくらいに呼び出されて対応に追われてた。
だから、必然的に会って話す機会も急激に減った。
あとどのくらい一緒に走れるのかなと思うと、やっぱり悲しくなる。
でもたまに会えても、そんな素振りを見せないようにしなくちゃ。
最後まで笑顔で見送りたいから。
京先輩とは反対に、入試が終わった武先輩と雪子先輩はちょくちょく遊びに来てくれた。
ふたりが部室に来てくれるようになったのは本当に久し振りだったから、そんなときは練習をさぼってみんなで部室で雑談したりして過ごしてた。
そうして、あっという間に卒業式当日がやってきて、先輩たちはいなくなった。
桜が舞い散る4月。
今日から新学期。
まだ先輩の旅立ちの寂しさはあるものの、後輩ができる楽しみも感じてた。
すぐに部活の勧誘活動が始まるから、気合いを入れなくちゃ。
私は鼻息荒くもう慣れた通学路を歩き出した。
中学2年生になって初めての那由多へのメッセージは、歩きながら“進級おめでとう”とだけ送った。
きっと、同じような返事がくると思う。
相変わらずのふわふわしたこのやり取りはいつまで続くのかな。
最近はふとそんなことを考えてしまって、そのあと決まって怖くなった。
ママが那由多の話題を出すのも嫌だった。
なぜか凄くイライラして、思わず突っかかってしまうことも多くなってた。
ママは“はいはい”って気楽に接してくれるから、助かる。
今は放っといて欲しかったから。
鞄からスマホを取り出すと、その勢いでストラップが揺れた。
2つに増えたストラップ。
ピンクのブレスレットと、紐からぶら下がったボタン。
このボタンは京先輩がくれたものだった。
「また緊張したらこれ見て思い出せよ」
そう言って、卒業式の日にこっそり私の手に握らせた。
あがりやすい私には、きっと凄い威力を発揮すること間違いなしのお守りだ。
京先輩ありがとうございます。
すぐ告白待ちの女の子たちに捕まっちゃったから直接お礼も言えなかったけど、本当に嬉しかった。
今、我が陸上部は新入生獲得に燃えてた。
3年生がいなくなってたった4人になってしまったから、どこの部活よりも気合いが入ってる。
というか、あと1人入らないと同好会になってしまうくらいピンチだった。
しばらく走るのはおあずけになっても、1年生に声をかけて回って頑張った。
その甲斐あってか、なんと6人もの後輩をゲット。
私たちは飛び跳ねて喜んだ。
「京先輩がいなきゃこんなに楽なのにね」
千里先輩の言う通り、ちゃんと陸上に興味のある子だけがきてくれるから確かに楽。
でも、どこか拗ねたようなしんみりした声はやっぱり寂しさが滲んでた。
でもいつまでも浸ってる訳にはいかない。
4人で6人を教えなくちゃいけないんだから。
憲一先輩と千里先輩と竜希と円陣を組んで気合いをいれた。
新陸上部のスタートだ。
それからは1に部活、2に部活。3・4も部活で、やっぱり5も部活。
そんな毎日が当たり前になっていた。
最近、ますます走るのが楽しくなったと思う。
何をするよりも面白いと感じる。
だから、当たり前のように私の生活は部活一色に染まっていった。
そのおかげか夏の大会は優勝して、憲一先輩と千里先輩に最高の選別を贈ることができた。
そう、これで2人の先輩も引退。
時の流れはあまりに早く、次々に出逢いと別れを運んでくる。
でも、去年ほど落ち込むことなく受け入れることができた。
次の部長は、みんなで相談して竜希に決まった。
私は自分のことでいっぱいいっぱいになりがちだし、竜希のほうがよく人を見ていると思うから推薦した。
きっと立派な部長になってくれると思う。
それからすぐの夏休みのある日。
京先輩が突然やって来た。
初めて見る“伝説の京先輩”にびっくりする新入生。
でも多分、いや絶対私たちのほうが驚いた。
だって、竜希とふたりして口を開けたまま固まるくらいの衝撃だったから。
後輩に肩をゆさぶられるまで意識が戻ってこないくらいだから。
京先輩は、真夏の太陽光線を乱反射するような眩しい眩しい金髪になってた。
「け、京先輩?どうしたんすか、その頭」
竜希が躊躇いがちに聞くと、あっけらかんとした答えが返ってきた。
「あれ?言ってなかったっけ?もう大分前に染めたんだよ」
「そうなんすか、初めて聞きました」
竜希にちらりと視線を向けられたけど、私も知らなかったから首を横にぶんぶん振って応えた。
私はよく京先輩と電話してるから、知ってて黙ってたと思われたみたいだけど、この反応で本当に知らないのをわかってくれたと思う。
それにしても、
「なんでまた金髪に……?」
おずおずと私も問い掛けてみた。
昔の、爽やかアイドルみたいな日本人らしいダークブラウンの髪がとっても綺麗だったのに。
「いや、夢だったんだよなー、金髪」
「そ、そうだったんですか」
「うん。校則ユルいから夢が叶えられた」
「よかったですね……」
「おぅ!」
わぁ、嬉しそうな顔。
夢が叶ってよかったですね京先輩。
なんとなく竜希とふたりで生暖かい視線を送ってた。
「あ、あのぅ、零先輩」
「ん?」
後ろからTシャツをくいくい引かれて振り返ると、可愛い後輩が頬を薔薇色に染めてた。
嬉しいことに、新入部員のうち2人は女の子なんだ。
その2人が私の後ろから覗くように京先輩を見てた。
「あの人が“京先輩”ですか?」
「うん、そうだよ。紹介するね」
京先輩は卒業してもやっぱり有名人で、その存在は尾ひれのついた噂によって最早伝説となってる。
1年生を全員集めて紹介すれば、6人全員が瞳を輝かせて見つめてるのがちょっと面白かった。
1年生の質問攻めににこやかに応える京先輩。
大会前に激励の電話をくれた時も思ったけど、優しいところは変わってないな。
相変わらずの笑顔を久し振りに見たら、凄く嬉しくなった。
「はい!次はオレ質問していいっすか!?」
「うん、どうぞ」
陸上の質問が大体出尽くした今、今度はモテ伝説の質問になってた。
そんな質問にも嫌な顔ひとつしないで応えるから、京先輩て本当に尊敬する。
「彼女いるんすか!?」
「直球だなー、いないよ」
「でも好きな人いるんすよね!?」
……そこまで広まってるんだ。
京先輩にはプライバシーがないのだろうかと、ちょっと可哀想に思えた。
でも、
「いるよ」
髪色に負けないくらいの眩しい笑顔ですんなり肯定してしまった。
あ、後輩の女の子2人がもうすぐ失神しちゃうかも。
「だ、誰っすか……?」
「それは秘密」
「えぇー!」
京先輩の話って引き込まれる。
ドキドキしてゲラゲラ笑って楽しい。
京先輩が男女ともに人気がある理由がわかった気がした。
「じゃあ、じゃあ、第2ボタン誰にあげたんすか!?」
「え?」
第2ボタン?
「あっ、私もその噂聞きました!卒業式の日に貰いに行ったら、すでになかったって!朝一番に行った人もそうだったって!」
「うんうん、聞いた!誰にあげたんですか!?」
へぇ、そんな噂あったんだ。
それは知らなかった。
って、ん?
なぜかじっとこっちを見てる京先輩と目が合った。
なんだろう。
「それも秘密!」
ふいっと目が反らされたと同時に、高らかに答えが響いた。
えぇーとまたしても後輩たちから声があがる。
第2、ボタン……?
「あっ!」
私が突然叫んだから、ざわついてたのがしんと静まった。
みんなこっちを振り返る。
隣にいた竜希が訝しげな視線を送ってきた。
そんな視線には構わずに、ポケットからスマホを出してかざしてみる。
そこにはピンクのストラップと紐に繋がれた、ボタン。
うちの制服のボタン。
もしかして……。
「バカ!零!」
そう叫ぶやいなや、京先輩はみごとなスピードで私の前まで来るとスマホを奪い取って逃げた。
逃げた?
ちょっと、京先輩!
私のスマホ!
慌てて私もスタートを切って追いかける。
全力疾走の京先輩を全力疾走の私が追う。
「ちょっと、先輩!」
「お前なに出してんだよ!」
「えぇ!?じゃ、やっぱりそれが」
「あー!!」
「先輩?」
「うるさい!もー返せ!」
「はぁ!?イヤです!御守りですもん!返してください!」
だってそれのおかげで夏の大会も楽しめたんだし。
もう手放せない宝物になってた。
グラウンドを猛スピードでぐるぐる回りながら、会話する私たち。
取り残された1年生は全員唖然としてたらしいけど、私には全く見えてなかった。
同じくおいてけぼりの竜希は、もう慣れたとばかりにため息をつく。
そして、ひとこと。
「あんな感じだから」
そう1年生に説明したとかしないとか。
なんとか携帯と御守りを奪還したときには、私も京先輩もへろへろになってた。
「も、京先輩、いいか、げんに、して、ください」
「だって、お前、俺が、何のために、こっそり」
会話はそこで尽きた。
もう無理。
酸素が足りない。
ずるずると京先輩と背中合わせに崩れ落ちる。
走りすぎて体温が上がってるから、くっついた背中が燃えるようだ。
土の上に座り込んでお互いに体重を掛け合うと、どちらからともなしに肩を震わせる。
だめ、可笑しすぎる!
「ふ、ふふっ」
「くくくっ」
遂に耐えきれなくなって、声をあげて笑い出した。
なんで私たち全力で追いかけっこしてるの。
意味わかんない!
楽しい!
「やっぱ零と走んのが一番楽しいわ!」
「私もです」
「また走ろうな」
「はい!」
また、絶対ですよ。
それから京先輩は、少しだけ練習に参加して帰った。
今日は夏休みの帰省をわざわざ練習日に合わせて来てくれたらしい。
実は憲一先輩が、自分たちが引退してすぐだから顔を出してやって欲しいって頼んでくれたんだって。
私も竜希もそれを知って驚いた。
私たちは本当に仲間に恵まれてる。
こんな素敵な先輩たちばかりの部なんて、他にはないと思った。
頑張らなくちゃ。
先輩たちのおかげでやる気メーターはマックスまで振りきれてる。
次の大会も必ず結果を出すと心に誓った。
OBの存在は1年生にもかなり影響を与えたみたい。
みんな日頃の練習に対して、真剣みが増したから。
きっと、京先輩と話せたことが大きかったんだと思う。
あと、もうひとつ変化があった。
なぜか私まで伝説入りしたっていう不可解な変化。
全く意味がわかりません。
伝説になった理由はあるらしいけど、その中身は教えて貰えなかった。
優勝したから?って聞いたら違うって言われたけど、気になるよ。
でも、内容は竜希と後輩たちの秘密らしい。
なんで?
上がりっぱなしのモチベーションのまま燃えてたら、なんと秋の大会も優勝することかできた。
これは本当に本当に嬉しくて、思わず表彰式の前に葉月ちゃんに電話してしまったほどだった。
『さすが、伝説と化しただけあるよね』
葉月ちゃんは感心するようにそう言うと、自分のことのように嬉しそうにおめでとうと言ってくれた。
私も素直にありがとうと言いたいところだけど、でもちょっと待って。
「伝説?」
なに、それ。
夏からことあるごとに竜希と1年生にも言われてるけど、まさか親友にまで言われるとは思わなかった。
『伝説の京先輩を捕まえた伝説の女でしょ?』
「はぁ!?」
『なんか噂になってるよ』
「……」
なんだそれ。
確かに、最速を誇る本気の京先輩と追いかけっこして捕まえたけれども、でも伝説って!
電話の向こうで葉月ちゃんがけらけらと笑った。
それからすぐの誕生日には那由多から2つのプレゼントが届いた。
ひとつは毎年恒例のバースデーカード。
そしてもうひとつは、本だった。
驚くことに、那由多は絵のコンクールに入賞して、このファンタジー小説の表紙を描いたんだって。
そんな話は聞いてなかったから、びっくりした。
私はそのことに凄く感動しちゃって、その小説を力一杯抱き締めて家中を飛び跳ねてまわる勢いだった。
油絵で丁寧に描かれた女神様の絵は、優しそうなんだけどどこか強そうな表情をしていて、綺麗。
私はいつまでも眺めてた。
そしてようやく表紙をめくったら、そこには那由多の癖のない字があって、“優勝おめでとう”って書いてあった。
じわりと心臓が痺れる。
胸が熱くなって何かが溢れてきそうだった。
ありがとう。
那由多もおめでとう。
私は久し振りに那由多を近くに感じて、その日は本を抱いたまま眠ったのだった。
あの悲しい思い出じゃない、那由多と心から笑い会えてた日を思い出しながら。
2年生も終わりに近づくと、進路を考えないといけなくなってくる。
ついこの間まで受験に苦しむ武先輩を大変そうだなって思ってたのに、もう他人事じゃなくなってた。
なんだか、この1年間は今までで一番早く過ぎた気がする。
でも、いい1年でもあったと思う。
部活では結果を残せたし、那由多とも誕生日以来少しだけ自然に戻れたから。
あの時のことに何にもなかったみたいに触れないなのは同じだけど、やり取りするメッセージには感情がこもってる。
それだけで幸せだと思える私は、やっぱりバカなんだ。
そして、また春がやって来て、憲一先輩と千里先輩も卒業してしまった。
私は最後の中学校生活を迎えた。
高校も陸上のあるところがいいな。
だって、こんなに面白いことって他にない。
新入生が入って更に後輩部員の増えた今、その思いは大きくなるばかりだった。
最後の夏の大会は凄いプレッシャーだったけど、京先輩の御守りを握り締めて深呼吸をしたら余計な力は抜けた。
私は、見事2連覇を達成できたのだった。
「お前スゲェわ」
竜希だって入賞したのに、特に私のことを喜んでくれた。
やっぱ竜希が部長になってくれてよかった。
同じ学年ではふたりきりの特に大切な仲間だから。
ここまで一緒にやってきたことが、本当に嬉しかった。
がっちり握手なんてなんだか恥ずかしくてできなかったから、思いっきり力を込めたハイタッチを交わした。
「痛ってー!馬鹿力!」
「あはは!」
後輩たちも笑う。
これで最後なんだ。
楽しかったな。
みんなの視線が私に集まって、なんだろうと思って首を傾げたら、ぽたりぽたりと、涙が地面に落ちてた。
「お疲れさまー!」
場の空気を読まない明るい声が掛けられて、私たちは振り向いた。
今、しんみり感動の場面なんだけど。
「……京先輩」
ビニール袋に入った大量のスポーツドリンクを振り回しながら駆けてくる。
後輩たちはさっきまでの感傷をどこかへ吹っ飛ばして、わぁわぁと京先輩を迎えた。
ねぇちょっと、後輩たちよ。
「零、優勝おめでとう!竜希も入賞おめでとう!」
「ありがとう、ございます」
涙でちょっと鼻声になっちゃう。
竜希は泣いてないから恥ずかしかった。
でも、
「よく頑張ったな」
いつもみたいに頭をぽんぽんされたら、堪えられなくなって。
思わず京先輩に飛びついてた。
もう、いいや。
今日で最期なんだし。
開き直ってわんわん泣いたら、京先輩や竜希はもちろん、後輩たちにまで笑われた。
でも今は気にならないよ。
最高に楽しかったから。
その帰り道。
解散場所の駅まで京先輩も一緒に来てくれた。
しかも、
「送ってくよ」
なんて言ってくれる。
涙で顔がぐしゃぐしゃだったからありがたかった。
ひとりで歩くにはあまりにひどい有り様でどうしようと思ってたので、すかさずお願いした。
みんなと別れて、ふたりで帰り道をゆっくり歩く。
陸上部の思い出とか、京先輩の高校での生活とかを話しながら。
「京先輩」
会話の切れ目を狙って、思いきって声をかけた。
京先輩に、どうしても伝えたいことがあったから。
「うん?」
「私、高校でも陸上続けます」
これは私の決意表明。
「そっか」
京先輩は嬉しそうに笑って頷いた。
私が決めたことを喜んでくれてるのがわかる。
「また一緒に走りたいです」
そんな機会があるかわからないけど。
走れたらいいな。
「じゃあさ、」
京先輩は立ち止まって私の真正面に立つと、珍しく真面目な顔をした。
こんな真剣な目、部活の時にしか見たことない。
私も続きの言葉を待って、京先輩を見つめた。
あぁ、京先輩ってやっぱり背が高いな。
私だってこの2年でけっこう伸びたのに、向かい合うとやっぱり見上げるかたちになってしまう。
そんなことを考えながらぼんやり見つめていると、力強く名前を呼ばれた。
「零」
「はい?」
なんだろう。
「うちの高校にこいよ」
「え?」
京先輩の、高校?
「お前の実力なら大丈夫だから」
私は何の返事も返せなかった。
「俺も零とまた走りたいよ」
同じ気持ちだ。
私も京先輩が卒業してしまってから、ずっとそう思ってた。
だから、陸上部のある近くの高校に行って大会とかで会えたらいいな、って思ってた。
のに。
また、京先輩の後輩になれる?
それって、すごく魅力的だ。
突然の提案にちょっと戸惑ったけど、段々冷静に考えられるようになってきた。
うん、いいかもしれない。
っていうか、すっごくいい。
だって、京先輩の行ってる高校は、
「俺、零が好きだよ」
ぶつりと思考が切れた。
今、京先輩なんて言ったの?
「だから、同じ高校に来て欲しい」
「え……」
「ごめんな、いきなり」
好き?
京先輩が、私を?
「なんか、すげぇ言いたくなってさ」
少し照れた様子でほっぺの下をぽりぽりかくのを凝視することしかできない。
「そんなに驚かなくても」
ははっと短く笑われて、やっと私も呼吸ができた気がした。
「や、驚、きます、って」
「結構アピールしてたんだけどなー」
「えっ、いつ……」
「気づかなかったんなら秘密」
悪戯っ子みたいな、でも物凄く優しい顔で笑いかけられると、胸がぎゅっとした。
やっと、竜希に言われたことの意味がわかった。
確かに私はニブイみたい。
京先輩は、知らないうちにファンの女の子たちから守ってくれてた。
なにかあるといつも優しく撫でてくれて、笑いかけてくれた。
御守りに第2ボタンだってくれた。
先輩たちが卒業して寂しかったとき、真っ先に会いに来てくれた。
最初はたまにだったのが、今では週に1回は電話してた。
全部、私を想ってくれてたからだったの?
「泣くなよ」
「泣いてません」
「泣いてんじゃん」
「うぅ」
嬉しい。
嬉しいです。
京先輩。
「京先輩」
「うん」
答えなきゃ。
「私、」
「うん」
「私……」
言わなきゃいけないのに、涙が嗚咽になって喋れなかった。
「いいよ」
不意にふっと微笑むと、いつものように頭を撫でられた。
今日は真夏日だけど温かい京先輩の手は心地よくて、目を閉じそうになる。
でも今はそれどころじゃない。
いいって、なにが?
「わかってるからさ、ちゃんと」
「え?」
わかってるって、なにを?
「好きなんだろ、幼なじみが」
私が答えようと思ってたことを、京先輩が言った。
「な、んで」
「わかるよ。あのとき見たから」
あのとき、って那由多と部室に本を取りに行ったとき?
「零の気持ちはすぐにわかった。あ、好きなんだなって」
そんなに分かりやすいんだ。私。
軽くショックを受けて肩が落ちる。
「そしたら、次の瞬間には苦しくなった」
「えっ?」
「俺は零が好きだって、気づいた」
「っ、」
なんて返したらいいんだろう。
京先輩のことは大好きだけど、でも、それは違う大好きで。
気持ちに応えられないことが、拷問のように苦しかった。
「ごめん、なさい」
なんとか絞り出すと、京先輩は眉尻を下げて笑った。
「謝んなよ」
「でも、」
「いいんだよ。わかってて言ったのは俺なんだから」
どうしてそんなに嬉しそうなの。
だって、私傷つけたよね。
涙が頬を伝っていくのがわかる。
「ああ、もう、泣くなって」
そんなこと言ったって、止まるわけない。
「そんなに悪いと思うなら、高校絶対こいよ」
「な、なんで、」
こんな状況でそんなこと言えるの。
気持ちには応えられないのに、側に行ってもいいの?
「言っただろ?」
小さい子に教えるときみたいな穏やかな声が、私を掬い上げる。
「俺、また零と走りたいんだよ」
そう言うと、背負ったバッグからスポーツタオルを取り出して、まるで壊れ物を扱うように丁寧に顔を拭ってくれた。
「だから、おいで」
有無を言わさない強い瞳で言われたら、そんなのもう頷くしかないよ。
だって、私も同じなんだから。
「はい」
京先輩は笑った。
私も、いつの間にか笑えてた。
ひとつだけ、京先輩にはどうしても言えなかったことがある。
それは最初に志望校を決めた理由。
“那由多の近くに行けるから”
私って、なんてずるい女なんだろう。
自己嫌悪に陥りそうだった。
京先輩はちゃんと家まで送ってくれると、別れ際に私に言った。
「俺が勝手に好きなんだよ」
また思ってることがばれちゃったのかな。
優しい慰めにどっぷり甘えたくなってしまうから、そそくさとお礼を言って手を振った。
手を振り返して笑う京先輩は眩しいくらいに綺麗で、曲がり角を曲がって見えなくなっても見送ってた。
初めて告白されちゃった。
本当に本当に嬉しかった。
京先輩、ありがとうございます。
それに、大切なことを私に教えてくれた。
好きでいればいいんだ、ってこと。
那由多が誰を好きでも、私の気持ちは変わらないんだから。
簡単なことだった。
唐突に、最後の最後に京先輩が言った言葉を思い出す。
“片想いなりに頑張るから、覚悟しとけな”
私は熱くなる頬を押さえて、ようやく家に入った。