0.6 新生活
新学期が始まって、小学校生活もあと半年になった。
まだ暑い日が続いてたけど、涼しくて気持ちがいい風が吹くようになってきたと思う。
私たちは、相変わらず文通を続けてる。
那由多はこの前、リクエストに応えて初めて自分の写真を送ってくれた。
胴着を着て竹刀を振る那由多の姿。
この間の合宿の写真だ。
写真に写る那由多はかっこよかった。
本当に、かっこいい。
那由多の自宅から電車で30分のところにある道場は、時代劇の世界へ入ってしまったような建物で、まるで別世界みたいだった。
ママが前にハマってた新撰組のドラマに出てきそう。なんて、ちょっと思った。
でも、そんな世界の中で汗を流しながら、真剣な顔で稽古に打ち込む姿は全く浮いてない。
むしろ似合う。
似合いすぎる。
写真を眺めてはぼけっとして、ママには呆れられ、葉月ちゃんには笑われた。
私はそれくらいいつも写真を眺めてた。
那由多は今、剣道二級なんだって。
上を目指して頑張るんだって、手紙でもわかるくらい張り切ってた。
そんな那由多を見て、私もなにかやってみたいなって、最近思う。
何かに真剣に打ち込むのって楽しそうに見えた。
私も習い事とかすればよかった。
ママに一回聞かれたけど、遊びたいからって断っちゃってそのままだ。
趣味も特技も特にない。
葉月ちゃんは、もう辞めちゃったけどピアノ教室に通ってたし、クラシックバレエは今でも習ってる。
那由多は絵がめちゃめちゃ上手くて、いつもすごいなって感心してるし、剣道の稽古にだって行ってて、しかも強い。
改めて二人を見て、私は焦りを感じてた。
取り残されるような、置いてかれるような、変な感じがする。
そして、どこからか寂しさが湧き出してた。
冬になって私は引っ越した。
それは、パパが建て売りの一戸建てを買ってくれたから。
ママは毎日にこにこと嬉しそうで、気持ち良さそうに鼻唄を歌いながら洗濯やお料理をしてる。
元気は自分の部屋ができたことに大喜びで、新居の中を走り回ってた。
引っ越したけど、新しいお家は前のアパートとはそんなに離れていなくてよかった。
ちゃんとパパが、私の中学校の学区が変わらないように、近くで見つけてくれたんだって。
小学校は学区外だったけど、あとちょっとだから、そっちも転校しなくても通えるみたい。
葉月ちゃんとまだまだ一緒に学校で会えるのが本当に嬉しくてパパに飛び付いたら、パパも嬉しそうに笑いながら受け止めてくれた。
引っ越しの日。
家族との思い出の詰まったアパートを離れるときは、やっぱりちょっと寂しかった。
もう、うちじゃなくなっちゃうから、那由多との思い出も数えきれないほどあった場所だから、余計に切ない。
でも手紙に書いたら、那由多は良かったねって言ってくれた。
それから新しいお家にも遊びに来たいっていう文字に、私は簡単に浮上してた。
冬休みは引っ越しの片付けで忙しく過ごし、新しい家に慣れる頃には、春が目の前まで来てた。
そして、小学校を卒業して、私は少しおとなになった。
真新しい紺色の制服を着て、肩に学校鞄を背負った。
「行ってきまーす!」
元気に家を出て、少し早足になりながらもあたりを見回しながら歩く。
普段からスカートはあんまりはかないから、膝の上で揺れるプリーツの入った裾がくすぐったい。
紺色の新しいハイソックスがちらちら見えるのも新鮮だった。
途中の信号のところで葉月ちゃんと待ち合わせて、初めての通学にドキドキしながら、中学校の校門を抜けた。
入学式にはパパとママが二人とも来てくれるけど、私とは別に後で来ることになってる。
だから、葉月ちゃんと一緒に体育館に入って、壁に貼られたクラス分けを背伸びしながら覗いた。
でも、やっぱりそこからじゃ見えなくて、順番待ちをしながら回りを見てた。
新入生で溢れ返ったそこは、知ってる子もいたけど知らない子の方が多かった。
どんな友達ができるのか、とっても楽しみ。
一番の友達はもちろん葉月ちゃんだけど、たくさん仲良しができるといいな。
期待を胸に、ようやく空いてきた貼り紙の前に進み出た。
「えっと……」
「あ!あった!私は2組」
「えっ、零見つけるの早すぎ!」
「葉月ちゃんはー……」
「あった!」
「どこどこ?」
「3組」
「隣かぁ。別れちゃったね」
「うん、でも近くてよかった」
「うん」
相変わらず美少女な葉月ちゃんが綺麗に微笑むと、ざわついてた周りの音が少ししんとした気がした。
やっぱり葉月ちゃんは、男の子達の視線を独り占めしてるみたい。
ふふふ。
可愛いでしょ。
私の自慢の親友なんだよ、って言いふらしたくなっちゃう。
私は勝手に得意気になってにやにやしてた。
そういえば、祥平、竜希、彰も同じ中学だけどクラスはバラバラになったみたい。
竜希だけ2組で、また一緒だった。
祥平たちはあんまり好きじゃないけど、元クラスメートがいるのはちょっと心強いかも。
あとで、挨拶だけしてみようとか思いながら、自分のクラスの席についた。
パイプ椅子に座って待ってると間もなく入学式が始まって、またわくわくした気分になる。
これから、私の中学校生活が始まるんだ。
新しい生活が、楽しみでたまらなかった。
家に帰ると、前の家より広くなったリビングにパーティーの準備がしてあった。
「わぁ!」
唐揚げ、チーズケーキ、コーラ、ピザ、マカロニサラダ。
食卓には私の好きな食べ物がたくさん並んでる。
「さ、零。お祝いするぞ」
「座って座って」
パパとママに促されて座ると、元気が隣にちょこんと座った。
「おねえちゃん、おめでとー」
「ありがと、元気」
私を見上げて笑う弟はやっぱり可愛い。
よしよしと撫でてあげた。
パパ達もおめでとうを言ってくれて、私も照れ臭さを感じながら笑った。
お料理がなくなる頃、パパが私にプレゼントをくれた。
入学祝いだって。
差し出されたお年玉袋みたいな小さい袋を受け取って破る。
そこから出てきたのは、銀色の鍵だった。
「カギ?」
「そっ!家の鍵よ」
「大切に持ってなさい」
「うん!」
家の鍵、貰っちゃった……
横から元気が、ものすごく羨ましそうに見てる。
いいでしょ、って自慢したら意地悪かな。
友達で持ってる子もいたけど、うちはママがいつも家にいるから私にはいらないものなんだって思ってた。
でも本当は、鍵を持つことに憧れてたからすごく嬉しい。
それに、もうおとなだって認められたみたい。
「ありがとう!」
嬉しくて、勢いよく席を立つと2階の自分の部屋に飛び込んだ。
宝物入れにしてるキャラクターものの空きカンを開け、中を漁る。
そして、目当てのものを取り出してリビングに戻った。
私は鍵に昔那由多と交換したイルカのキーホルダーを慎重に付ける。
色はところどころはげちゃってるし、尻尾のところがちょっと欠けてるけど気にしない。
どうしても、これがよかったから。
新しい宝物に、ずっと大切にしてた宝物を繋げたかった。
苦労してやっとイルカの付いた鍵を見つめて、堪えきれずに笑ってた。
私に用意されたは入学祝いは、あともうひとつあった。
鍵を見つめてにやける私にママが差し出したのは、白いスマホ。
スマホ。
スマホ!?
あまりにびっくりして口を開けたまま固まってた。
「那由多くんと同じ機種よ」
「那由多も!?」
「うん。もう那由多くんの連絡先入ってるから」
「本当!?」
「那由多くんのにも、もう零のも登録してあるわよ」
信じられない。
友達の何人かは小学校の時から持ってたけど、私は高校生になってからってママに言われてたから、正直諦めてた。
なんで?
なんで?
いいの?
いいんだよね!?
「那由多くんとか友達とのアプリでのやりとりは1日30分まで、それ以外は緊急時だけね」
「うん!」
「ちゃんと守れる?」
「はい!」
私は敬礼しそうな勢いで返事をする。
嬉しい。
嬉しい。
嬉しい!
友達がやってるのを、すっごくすっごく羨ましく思ってたから。
手紙みたいに何日も待たなくてもいい。
出掛けるとき、手紙が家に届いてないか気になって仕方なくなることもない。
凄いよ、本当に凄い嬉しい。
私はもう、早く那由多に連絡したくて仕方なくなってた。
那由多への初めてのメッセージは、お返事になってしまった。
何て送ろうか悩みに悩んで、打っては消してを繰り返す内に、那由多から先に届いたから。
“那由多です”
“入学祝にスマートフォンを貰いました”
“零ちゃんも同じだよね?”
“これからはたくさん話ができて嬉しいです”
“これ意外と難しいね(笑)”
那由多も慣れないスマホに四苦八苦してるみたい。
でも“(笑)”とか使ってて、ちょっと衝撃。
私は両手の指を使いながら、必死に返事を作って送った。
何分も掛かってやっと3回メッセージをやりとりすると、私は疲れはててベッドに倒れ込んだ。
でも、疲れたけど、にやける。
スマホってすごく楽しい。
今考えてることや思ってることがすぐに伝えられる。
まるで、普通に会話してるみたいだった。
私は明日は何を話そうかなって考えながら、机の引き出しに大切にしまってた、薄ピンクの石のブレスレットを出した。
これは夏に那由多がくれたもの。
他の宝物とは別に大切に大切にしまってた。
それに糸を編んだ紐を繋いで、ストラップがわりにスマホに付ける。
うまい具合いに付いて、目の前まで持ち上げて見た。
我ながら可愛くできたかも。
なかなかいい感じ。
私はひとり満足して、ベッドを転がりながらいつまでもスマホを見つめてた。
中学生になって、入学式の次に待っていたのは部活紹介だった。
また体育館に集められて、クラスごとに床に座る。
部活は入っても入らなくてもいいみたいだけど、私は入りたいなって思ってた。
好きなことに打ち込む那由多や葉月ちゃんを見てたら、私も何か始めたくなったから。
ステージでは順番にサッカー部がリフティングをしたり、吹奏楽部が演奏したりしながら部長さんがアピールしてる。
どの部活も面白そう。
でも、特にこれといって強く惹かれるところはなかなかなかった。
どこがいいかな。
テニス部がいいかな。
バスケ部もいいかも。
うん、やっぱり運動部がいい。
だって、走るの好きだから。
「走るの好きなひと!大募集!」
思ってた言葉が聞こえて、びっくりして顔を上げた。
見れば壇上にはひとりの先輩が立ってる。
「陸上部です!」
先輩が話し出すと体育館はざわざわと騒がしくなった。
周りを見たら、女の子たちがきゃーとか言いながら指差したりしてる。
うんうん、確かにかっこいい先輩だよね。
その先輩はテレビに出てくるアイドルの男の子みたいに華やかだった。
笑顔はキラキラと光を振り撒いてるみたい。
ジャージ姿なのに、全然ダサくないし。
むしろ凄く似合ってて、モデルさんもいけそう。
先輩が陸上部を紹介してる間もざわつきは収まらない。
みんな先輩の容姿に虜になってたみたい。
私も虜になってた。
先輩にじゃなくて“走るのが好き”に。
決めた。
陸上部に入ろう。
私の心は一瞬にして決まった。
その日の放課後。
さっそく陸上部の部室へ行ってみた。
葉月ちゃんはバレエがあるからやっぱり部活には入らない。
だから今日は先に帰って貰った。
グラウンドの隅にある部室棟のひと部屋が陸上部の部室だった。
書きたての入部届けを手に、ひとりでそこへ向かう。
「なんでですかー!」
「差別です!」
「理不尽です!」
部室の入り口のところで女の子たちが騒いでるのが聞こえた。
わぁ。
すごい人だかり。
あれ?
みんな手に入部届けを持ってる。
陸上部に入部する子達かな。
だったらいいな。
だって仲間はたくさんいたほうが楽しそう。
「ひどすぎます!」
「私も入部したいです!」
「京先輩と部活したいです!」
あれ?
もめてる、よね。
近づくにつれて会話がよく聞こえるようになってきた。
「それだから、ダメなの」
凛とした声は、低めなのによく通る。
ベリーショートの黒髪をかきむしりながら溜め息を吐いたのは、小柄だけどすごく綺麗な女のひと。
先輩かな?
私は騒ぎから少し離れた後ろの方で、その様子を見てた。
「あなたは?」
「えっ!?」
その綺麗な先輩が突然私に声をかけた。
周りの子達も抗議の口をつぐんで私を見る。
わわわ。
なんか視線が痛いよ。
「入部希望者?」
「は、はい!」
切れ長ながらも大きな瞳を細めて、上から下まで観察されるみたいに見つめられる。
「動機は?」
「え?」
どうき?
「入部したい理由は?」
「走るのが好きだから、ですけど」
元々そういう人を募集したんじゃないの?
あの言葉を聞いたから、入部したいと思ったんだけど。
なんでそんなことを聞くのか意味がわからなくて、頭に大量のハテナマークを浮かべながら先輩を見てた。
先輩と視線を合わせたまましばらく待ってると、先輩はフッと視線をそらして私を手招きした。
私は黙って従う。
「入って」
部室のドアを少し開けて、入るように促された。
一歩踏み入れて中に入る。
「なんでですかー!」
「ずるい!」
また女の子たちの抗議の声が響き渡る。
でも、びっくりして振り返ったときには鼻先でバタンとドアが閉まってた。
今のはなんだったんだろう。
あの先輩も陸上部のひとかな。
未だハテナだらけのまま、とりあえず私は6畳くらいしかない部室を見回した。
喧騒はまだやっぱり聞こえるけど、違う世界に入っちゃったみたい。
埃や汗のにおいがする部室は不思議と居心地が良かった。
小さな窓があるけど日の光はほとんど入らないみたいで、蛍光灯の明るさで中の様子がわかった。
部室の中には4人の人がいた。
ひとりは体育館で見たあの男の先輩。
壁に寄り掛かって何かの書類を読んでる。
それと椅子に座ってスパイクを磨いてる男の人。
あとは、ポニーテールの後ろ姿をこっちに向けたTシャツの女のひとと、同じく私に背を向けて、その女のひとの話を聞いてる男のひと。
みんな陸上部の部員のかな。
「あれ?女の子だ!」
物音で私に気づいて壁から身体を離し、アイドル顔負けの先輩が指をさしながら声を上げた。
と、同時に、ポニーテールのひとが勢いよく振り返り手を振り上げた。
バシッ。
「いてっ!」
「京先輩。指差さないでください」
「おまっ、俺、先輩だぞ」
「知ってます」
「そんな紙束で殴るなよー。しかも量あるから痛いし!」
京先輩と呼ばれたイケメンは今にも泣きそうな顔で頭をさすって訴えかけた。
でも、ポニーテールのひとは何も聞こえなかったかのように私に向き直る。
「入部希望?」
「あ!はい!」
私は慌てて入部届けを差し出した。
女のひとは表情を一変させて喜びを露にすると、指を組んで跳び跳ねた。
背中でポニーテールがふわふわ揺れてる。
スパイクを磨いてたひとも顔をあげて瞬きを繰り返してる。
「きゃー!やっとまともな女の子がきた!」
「へぇ。雪子先輩のおめがねにかなう子なんていないかと思った」
二人にまじまじと見られて、私はオロオロとするしかできない。
雪子先輩って外にいた先輩かな。
この二人も先輩ぽいよね。
挨拶とかした方がいいかな。
そんなことを考えてると、京先輩がスッと目の前に立って言った。
「俺、部長の佐久間 京。3年だよ。よろしく」
そしてにっこり笑う。
わぁー。
やっぱりかっこいいひとだなぁ。
「よろしくお願いします」
私は頭を下げて応える。
と、
「京先輩割り込み禁止です!」
一瞬で京先輩はグイッと壁際に押し出されてた。
柔らかなポニーテールが目の前で揺れる。
「私は2年の相川 千里!千里先輩って呼んで!」
「俺、木戸 憲一」
ぐぇっと大袈裟に変な声を上げた部長を尻目に、先輩二人が笑顔を向けてくれた。
千里先輩と憲一先輩か。
すごくいい先輩たちみたいで良かった。
「えと、1年の園村 零です。よろしくお願いします」
私は戸惑いながらも安心して、慣れない敬語を絞り出した。
「零?」
不意に呼ばれて視線を向けると、そこにいたのは顔見知りのクラスメートだった。
「あれ?竜希!」
「お前も陸上部かよ」
「そっちこそ、サッカー部じゃないの?」
「まーな」
「ふぅん。よろしくね」
「おう」
私たちの会話に先輩たちは顔を見合わせてた。
「友達?」
「まぁ、はい」
正確には友達じゃないと思うけど、まぁいいや。
クラスも部活も同じなら友達みたいなものだよね。
そっか、さっき千里先輩と話してたのは竜希だったんだ。
竜希は祥平の取り巻きだから、また一緒にサッカーするんだと思ってた。
そういえば、サッカークラブでは一番足が早いって評判だったっけ。
私と一緒で走るのが好きなのかな。
「とりあえず1週間の仮入部になるから、見学したりして楽しんでね」
「「はい」」
この日、仮入部を果たしたのは私と竜希と1組の男の子2人だけだった。
部室の前にいたあの大量の入部希望者は、みんな入部できなかったみたい。
後で紹介してもらった雪子先輩が全員失格って言ってたから。
失格って何だろう?
って、竜希と首を傾げてたら雪子先輩は無表情のまま教えてくれた。
「うちは純粋に陸上が好きな人しか入れないの」
そ、そうだったんだ。
外にいた子達はみんなカッコイイ京先輩目当てだったんだって。
“イケメンやられキャラ”の京先輩は大人気らしい。
よくわからないけど、なんか凄くてびっくりした。
陸上部に仮入部を果たして家に帰ると、さっそく那由多に報告した。
ユニークな先輩たちのことや入部条件のことなど事細かに書いていく。
気付けばスクロールしないといけないほどの長文を打ち込んでた。
長いメッセージに対して割りと簡潔な返信によると、那由多も中学校では部活には入りたいみたい。
那由多からの美術部にしようかなっていう文字を見て、すかさず良いと思うって返事を返した。
絵がうまい那由多。
もっともっとみんなに見て貰ったら良いと思うから。
那由多の絵は本当に綺麗だから。
ちゃんと発表した方がいいって思う。
じゃないと絶対もったいない。
私はいつしか、必死に美術部を推してた。
それからしばらくして、那由多から美術部に入ったっていう報告がきた。
その頃には、私も仮入部を経て正式に陸上部に入部してた。
結局、新入部員は私と竜希の2人だけ。
2人……
少ないよね……
他の部活は10人とか入ってるのに、たった2人!?
「うちは少数精鋭だから」
雪子先輩は相変わらずの無表情で言った。
「3年は俺と雪子ともうひとりの3人。2年は憲一と千里と幽霊部員があと2人」
「いないのはみんな男子部員ね」
京先輩の説明に、唇を突き出した千里先輩が補足する。
「女の子が来ても、みんな雪子先輩が追い返しちゃうんだもん」
「京めあての部員はいらない」
「そうですけどー」
あわわわわ。
なんか空気が……。
「でも、零が入ったじゃない」
「それは嬉しいです」
「そうね」
険悪ムードが一転、雪子先輩と千里先輩に微笑み掛けられた。
なんか、ちょっと照れる。
なんだかんだ言っても、このふたりは仲が良いみたい。
京先輩は面白いし、憲一先輩はあんまりお喋りしないけど、親切で優しい先輩だと思う。
陸上部に入って良かったな。
仲間は少ないけど。
「ほかの部員はまた紹介するけど、とりあえず活動してるのはこのメンバーだから」
京先輩がまとめて、さっそく放課後の練習が始まった。
まずはみんなでランニングしてストレッチ。
それからダッシュを何本かやったら、個人練習に切り替わる。
私は仮入部期間に色々試させてもらって、短距離をやることにした。
「嬉しいなぁ。短距離は俺一人だけだったから」
「そうなんですか?」
「うん。雪子と憲一は長距離、千里は幅跳び」
そうなんだ。
あれ?
でも、
「この間は色々やってましたよね?」
「仮入部期間は新入生に一通りやってみてもらうからね。だから教えるためにやってたんだよ」
「なるほどです」
「でも今回は俺が竜希も零も独り占めしちゃったな」
竜希も短距離を希望して、後輩2人をゲットした京先輩は本当に嬉しそうに笑った。
「きゃあ」
ん?
悲鳴?
あぁそっか。
この1週間で、もう慣れてきた。
悲鳴の主は女子生徒だ。
「京先輩ー!」
「カッコイイー!」
「キャー!!」
顧問の先生がたまにちらっと顔を見せて軽く追い払って帰っても、またすぐに集まるファンたち。
本当にアイドルみたい。
びっくりするほどモテモテだ。
すごく綺麗な顔だもんね。
みんなが騒ぐのも、なんとなくわかる気がする。
でも、理由は他にもあったみたい。
さっき知ったんだけど、京先輩はただかっこいいだけじゃなかった。
なんと京先輩は、いろんな大会で勝ちまくってるんだって。
うちの学校のヒーローだって、クラスメートの子が熱く語ってた。
京先輩って、なんか那由多みたい。
漠然とそんな風に思った。
たくさんの素敵なものを持ってるところとか、一緒にいて落ち着く感じとか、なんか似てる。
那由多もモテるのかな。
私たちがクラスメートだった時期はあまりに短すぎて、那由多の学校での姿はほとんど知らない。
だから、私は想像するしかなくて、同じ学校に通う那由多を思い浮かべた。
うん、きっとモテると思う。
あ、絶対かな。
那由多はきっと誰にでも優しい。
それで、いつも穏やかに笑ってる。
たまに真剣な顔を見せたら、きっと周りにいる女の子たちは那由多を好きになっちゃうんだろうな。
ズキン。
なんか、想像しなければよかったかも。
バカな私は自分の想像に打ちのめされて、ちょっと傷付いてた。
虚しい想像を払拭するようにプルプルと頭を振って、練習に意識を傾ける。
雪子先輩が集中してないとケガするって言ってた。
気持ちを切り替えて、京先輩の指導に耳を澄ませた。
京先輩は教えかたがうまいと思う。
難しいことがあっても、言う通りにすればできた。
さすが、部長で結果も残してる人なだけある。
いつも千里先輩とかにいじられてるけど、部活になると真剣そのもので。竜希も尊敬の眼差しでいつも京先輩を見てた。
スゴイです師匠!ついていきます!っていう感じ。
私もそんな風に憧れてた。
ただ、何か教えてくれようと私に近づく度に、女の子たちの雄叫びのような悲鳴が響いて、それに耐えるのには苦労したけど。
「あいかわらず、うるっせーなー」
その奇声にもなんとか慣れてきた頃、ぶっきらぼうな呟きがファンの子達に返された。
しばらくお休みしてたもうひとりの部員、武先輩だ。
種目は砲丸投げ。
京先輩のファンを視線だけで追い払える、我が部にとっては貴重な人だった。
武先輩の大きな身体はまるで熊みたいで、千里先輩と憲一先輩が影でクマ先輩って呼んでた理由がわかった。
でも全然恐い先輩じゃない。
豪快で大雑把だけど、やっぱり優しい先輩だった。
自己紹介したときの笑顔は、野生というよりぬいぐるみのクマみたいだったし。
私の中学校生活は部活をメインにして動き出した。
朝は朝練、授業を受けて、放課後も部活。
遊ぶ暇もないくらい忙しいけど、でも充実した楽しい毎日を過ごすようになった。
なかなか遊べなくなって葉月ちゃんはちょっと拗ねちゃったけど、でも、やっとやりたいことを見つけた私を応援してくれた。
やっぱ葉月ちゃん大好き。
那由多とのやりとりは朝と夜に一言二言が定着してた。
那由多は部活の他に剣道も続けてるし、私より忙しい。
それでも毎日欠かすことなく連絡が来るから、嬉しいな。
残りのスマホ使用時間は葉月ちゃんに使うようになってた。
那由多のこととか部活のこととか、遊べない分そっちで話した。
実はそういうときって、たった30分じゃ足りなくて、ママに内緒で使ったりしてたけど、ママはちょっと叱っただけで許してくれた。
「まぁ、中学生になったんだから、自分でちゃんと考えてやりなさい」
「……はい」
「いろいろと支障が出たら、スマホの使用料はお小遣いから天引きするだけだから」
「は、はい」
やっぱりママは強い。
私は気を付けようと肝に銘じた。
そして、そんな生活が当たり前になると、季節はもう夏になっていた。
夏の大会が迫ってくるにつれて、部内の雰囲気もテンションも熱を増していく。
夏休みに入って更に増えた練習に、私は必死についていってた。
京先輩にとってこの大会は3連覇を掛けた大事な試合だけど、それ以上に3年生は最後の大会っていうのが大きい。
悔いを残さないように、今できることは全部やる。
雪子先輩も武先輩も、もちろん京先輩も鬼気迫る勢いで練習に励んでた。
そんな先輩たちを前にして、後輩の私たちも負けじとなる。
陸上部は負けず嫌いの集まりでもあったから、夏の日差しよりも熱い毎日を送ってた。
そして、いよいよ大会当日がやってきた。
楽しかったけどやっぱり辛くもあった練習も、全てはこの日のためのもの。
私はドキドキを鎮められないまま、競技場を眺めてた。
どうしよう。
すごい緊張してる。
心臓が胸から耳に引っ越してきたみたいにうるさくて、気持ち悪い。
私は今日の大会で、100mに出る予定だ。
うちの学校は部員が少ないから、全員出れる。
最初はそれに喜んでたけど、今となってはプレッシャーの方が大きくて、押し潰されそうだった。
なんで竜希は笑ってられるんだろう。
おんなじ1年なのに、余裕そうに憲一先輩たちと談笑してる様子をうらめしそうに見てた。
いつまでもじとっと見てたら、そこにいた京先輩と目が合った。
「零?大丈夫か?」
京先輩はそっと近づいて、小さく声を掛けてくれた。
「はい、大丈夫です」
「ホントか?顔色悪いよ」
「ちょっと、緊張して……」
私はうぅっと唸りながら白状する。
京先輩はパチパチと瞬きをしてから、穏やかに微笑んだ。
「そっか。初めてだもんな」
「はい」
項垂れた私に、今度はくくっと笑い声が返される。
笑わなくっても良いじゃん。
本当に吐きそうなくらいなのに。
今度は京先輩をじっとりと睨んでやった。
「ごめんごめん!零を笑った訳じゃないよ!」
今度は私が瞬きをして、京先輩を見上げた。
どういう意味だろう?
「俺の1年の時を見てるみたいだったから」
「え?」
「俺も最初はものすごく緊張してさ。吐くかと思った」
まさか。
「京先輩が?……ですか?」
びっくりして思わずタメ口になりそうになった。
「そうだよ。もう落ち着かないし焦ってくるし、吐き気に加えて腹まで痛くなっちゃってさー」
「えぇ!?」
さすがに私もそこまでは緊張してないと思う。
京先輩って前はそんなだったんだ。
「あれ?でも、優勝したんですよね?」
だって3連覇を狙ってる訳だし。
素朴な疑問だったんだけど、その質問に京先輩は嬉しそうに笑みを溢した。
「そんなとき、緊張を取り除いてくれた人がいたんだ」
「へぇ、誰なんですか」
「うちの顧問」
「えっ!?」
顧問の先生?
あの、いつもやる気のないおじさん先生?
「意外?」
私の表情を見て、京先輩はまた吹き出した。
「意外です」
「だよね」
今度は声をあげて笑う。
「俺さ、最初は部活入る気なかったんだ」
それも意外だ。
だって京先輩は、多分うちの学校で一番部活に真剣だと思うから。
「先生は、好きなこととかやりたいこととかなかった俺に、走る楽しさを教えてくれた人なんだよ」
「えぇっ!?」
またしてもびっくり。
だって先生はメタボだし、小走りだってしてるの見たことないくらいマイペースだから。
「先生の趣味はランニングなんだ。放課後に偶然見つけてさ」
ランニング!
あのタプタプお腹で!
「誘われて一緒に走ったんだ」
京先輩は驚愕の表情を浮かべる私に笑いを堪えながら、続ける。
「そしたら、楽しくて感動しちゃって」
「感動、ですか?」
「そう。流れる風景とか、身体全部で感じる風とか最高で!」
あ、それなら私にもわかる。
同じ景色でも、走るのと歩くのとでは全然違って見えて面白い。
それに、鼓動も呼吸も早くなって苦しいけど、ゴールに飛び込んだときの爽快感はたまらないよね。
「それで、ただ単にもっと走りたくなって、陸上部をつくったんだ」
「京先輩が?」
「そっ。1からつくった」
「スゴイです!」
「だろ?」
得意気に笑ってる顔にはちょっとの照れも見えて、なんか可愛いとか思ってしまった。
「ホントはさ、俺の在学中だけでも走れる場所が欲しかっただけなんだ」
京先輩は、いつの間にか少し申し訳なさそうな情けない顔になってた。
「だから、別に他の部員はいらないと思ってた」
「ウソ!」
「ホント」
みんなといるとき、あんなに楽しそうなのに!?
放課後、部室に一番乗りするのが寂しいからってわざとちょっと遅れて来るくせに!?
「でも、同じように走りたいっていう雪子が仲間になって、真剣に競技をしてみたいって言う武が加わって……」
「は、はい」
トリップしかけた頭を戻して、慌てて相づちを打った。
「それから、新入生だった憲一と千里が来てくれて。それで今の陸上部になったんだ」
そうだったんだ。
なんか、勝手にみんな最初から仲良しなんだと思ってたから不思議。
「雪子と武が入部してすぐに、最初の夏の大会があってさ」
いきなり声のトーンが変わって、京先輩をまた見上げた。
「必然的に部長になった俺は、初めての経験にプレッシャーでがんじがらめになったんだ」
オーバーアクションでパニックをあらわす姿は、きっと普通の人がやったらコメディーだろうけど、京先輩がやると様になる。
やっぱりイケメンは何をやってもカッコイイ。
「もぉー、吐く寸前ってとこでトイレに駆け込んで個室に入って」
「うわぁ……」
「でも朝から緊張してて何にも食ってなかったから吐けないし」
「……」
壮絶。
「結局、ふらつきながらそのままトイレを出ようとしたら……」
「したら?」
「引率で来てた先生が鼻うた歌いながら入ってきた」
「……」
「死にそうな俺を見て、先生どうしたと思う?」
え?
どうって……
「心配したんじゃないんですか?」
「違うんだなー、それが」
え?心配しなかったの?
具合の悪そうな生徒を前に、先生がとる行動なんて他に思い付かない。
「笑い飛ばされた」
ギブアップする前に、京先輩が答えてくれた。
けど、笑い飛ばされた……?
「なんで!?」
「って思うよなー」
私はコクコク頷く。
「“なんだよお前、いっちょまえに緊張してんのか”」
京先輩は先生のモノマネをしながら、私におちょくる様な視線を向ける。
「ぷっ」
それがあまりに似ていて、思わず吹き出した。
「そんで、“お前が緊張する意味がわからねーな”って言われた」
「え?初めてのことに緊張するのは普通ですよね?」
「だよなー」
「はい」
「でも先生にはわからないんだって」
「……」
先生って、どこまでもマイペースなんだ。
ある意味スゴイ。
「でも、そのあとの言葉が衝撃でさ」
そう言った京先輩は、すごく優しい目をしてた。
その時のことを思い出してるみたい。
「なんて言ったんですか?」
私は続きが気になって先を促す。
「“好きなことすんだから、ただ楽しめばいい”」
先生が言った言葉を繰り返しただけのはずだけど、何故か京先輩から私への言葉に聞こえた。
「楽しむ……」
思わず呟いた私に、京先輩がにっこり微笑んだ。
「俺たち、走るのが好きだから、楽しいから、走ってるんだよな」
わぁ、綺麗な笑顔。
京先輩は本当に陸上が大好きなんだって、一目でわかる。
気づいたら、私もつられて笑ってた。
その時、放送が掛かった。
いよいよ開会式が始まるみたい。
「まだ緊張してる?」
移動しながら顔を覗き込まれて、ハッとした。
「もう、大丈夫みたいです」
綺麗さっぱり緊張は消えてた。
それどころか、さっきまでが嘘みたいに今は楽しみで仕方ない。
「じゃ、あとは楽しむだけだ」
あ、わかっちゃった。
京先輩は、わざとあんな話を聞かせてくれたんだって。
そんなさりげない優しさにじーんとくる。
「はい!」
私は元気に返事をして、全開の笑顔を返した。
その夏の大会は、私にとってものすごく大きな意味を持つものになった。
京先輩は危なげなく見事3連覇を達成。
雪子先輩と憲一先輩もなんと3位入賞。
千里先輩と竜希はほんとに惜しいところで入賞を逃したけど、次に繋がる良い結果だって京先輩が言ってた。
武先輩は、ケガしてた脚の状態が良くなくて棄権しちゃった。
春に部活を休んでたのはそのためだって、初めて知った。
武先輩はやっぱり悔しそうだったけど、でもすぐに割りきって、響き渡る大きな声で私たちを応援してくれた。
きっとそのおかげで力が出せたんだと思う。
私は、初めての大会にもかかわらず、準優勝した。
千里先輩はおいおい泣いて喜んでくれて、雪子先輩は珍しく顔を綻ばせて力一杯抱き締めてくれた。
憲一先輩も優しい笑顔で迎えてくれる。
武先輩と竜希とハイテンションなハイタッチを交わして奇声をあげて騒いでいたら、京先輩が駆け寄ってきて、自分の事より嬉しそうに微笑むと、優しく私の頭を撫でた。
なんだか、恥ずかしいような誇らしいような、でも悔しさも沸き上がる不思議な気持ち。
そんな中で一番感じるのは、やっぱり喜びだった。
にやけた頬が戻らない。
でもいっか。
だって、最高の気分だもん。
「楽しかった?」
帰り道、京先輩が私に聞いた。
そんなの聞かなくてもきっとわかってると思ったけど、私は元気よく返事を返した。
「はい!」
先を歩いてたみんながびっくりして同時に振り返る。
それを見た京先輩が爆笑してた。