0.5 恋
また離ればなれの毎日が帰ってきた。
手紙を待って、たまに電話をする日常。
どうしてだろう。
やっと会えたのに、会う前よりもずっと寂しいのは。
昔は、また今度はいつ会えるかなって楽しみにしてたのに。
今は、私の心は迷子になった小さい子みたいだった。
もう会いたい。
今すぐ会いたい。
駅へ行けば、行き先もわからないまま電車に飛び乗りそうになってた。
寂しいよ。
那由多から早速手紙が届いた。
“これから合宿に行ってきます”
私もすぐに返事を書いたけど、読んでもらえるのはきっとだいぶ先。
私は寂しさをまぎらわせるように、残りの夏休みを葉月ちゃんと遊びまくってた。
「ねぇ零、来週ヒマ?」
那由多が帰って4日後、今日は葉月ちゃんと市民プールへ遊びに来ていた。
昨日は葉月ちゃんち、その前日はプラネタリウム、その前日も葉月ちゃんち。
毎日へろへろになるほど遊んでた。
宿題ももう終わらせたし、何より葉月ちゃんが“明日も遊ぼう”って言ってくれるのが嬉しかった。
だから来週も遊べるなら、もちろん遊ぶに決まってる。
「うん、ヒマだよ!」
笑顔で応えると、葉月ちゃんも笑った。
「じゃあさ、一緒に別荘行かない?三泊四日なんだけど」
「別荘?」
「うん、ママが零も誘ったらって」
別荘って葉月ちゃんちの、だよね。
やっぱり凄いお金持ちなんだと思って、ぽかんと口を開けて呆けてしまった。
「零?」
「あ、うん!行きたい!」
だって別荘なんて行ったことない。
すっごく面白そうだ。
「やった!じゃあ、後でママが零のママに電話してくれるから」
「うん」
「零も一緒なんて、ほんとに楽しみ」
葉月ちゃんはめちゃめちゃ可愛く笑って喜んでくれた。
私もすごく楽しみ。
別荘ってどんなところかな?
考えただけで、ワクワクしてきた。
でも、その間に那由多の手紙や電話が来ないかな。
なんて、ちょっと考えてたのは、葉月ちゃんにはもちろん秘密。
葉月ちゃんのママから連絡がきて、ママのお許しも出た。
私はさっそくリュックに荷物を詰め込んでいく。
別荘は海も山も近いところにあるみたい。
だから、毎日のように洗濯を繰り返してる水着を入れて、あとありったけのTシャツもぎゅうぎゅう押し込んだ。
そういえば、那由多の合宿先はどんなところだろう?
帰ってきたら聞いてみよう。
持ち物の確認をして、ママがくれた日焼け止めを最後に放り込む。
これで準備万端だ。
あとは、いよいよ明日に迫った出発を待つだけになった。
翌朝、葉月ちゃんのパパが運転する車に乗って別荘へ出発した。
助手席には葉月ちゃんのママが座って、私と葉月ちゃんは後ろのシートでわいわい喋りながらお菓子を食べてた。
いつもなら食べ過ぎて怒られるけど、葉月ちゃんのママは怒ったりしない。
幸せ気分で別荘を目指した。
「あ、葉月」
葉月ちゃんのママが首を捻って振り返る。
「なに?」
「純くんたちも、今別荘に来てるから」
「え!?」
葉月ちゃんが珍しく大きな声を出して、顔を歪めた。
「なんでー!?あっちはいつも夏休みの初めでしょ!?」
「お兄さんの都合でうちと一緒になったのよ」
葉月ちゃんは本当に嫌そうな顔をして、唇を突き出した。
葉月ちゃんのママが“お兄さん”って呼んだのは、葉月ちゃんのパパのお兄さんで、“純くん”は葉月ちゃんの従兄弟なんだって、葉月ちゃんのママが丁寧に教えてくれた。
「やだなー」
「葉月、なんでそんなこと言うんだ?」
葉月ちゃんのパパが視線を前に向けたまま、やんわりと咎める。
「だって純嫌いだもん」
「昔はよく一緒に遊んだりして、仲良しだったのに……」
「そんな昔のこと忘れた」
「葉月、」
葉月ちゃんはむっつりと黙り込んでしまった。
葉月ちゃんのパパとママは、顔を見合わせて溜め息を吐くと、道順の相談を始めた。
もう“純くんの話”は終わりみたい。
一体どんな子なんだろう。
葉月ちゃんは人の好き嫌いがはっきりしていて、祥平たちのこともあんまり好きじゃないみたいだったけど、こんなに目に見えて嫌がってるのは初めて見た。
葉月ちゃんに意地悪したりするのかな。
もしそうなら私が守らなくちゃ。
私は密かに使命感に燃えていた。
しばらくして、また機嫌をなおした葉月ちゃんとはしゃいでいると、少し開いた窓から海の匂いがした。
「左側を見てごらん」
葉月ちゃんのパパに言われるまま二人で外を見ると、車道脇に植えられた木々の隙間からキラキラ光る海が見えた。
その上の空はよく晴れていて白い雲がところどころに浮かんでいる。
砂浜には人がちらほらいて、楽しそうに海水浴をしてた。
すごく気持ち良さそうだ。
早くあの海に飛び込みたくなった。
そして、私たちがきゃーとかわーとか言っているうちに車は止まり、別荘に着いた。
別荘は、お城だった。
葉月ちゃんの家もお城みたいだと思ってたけど、もっとずっと大きい。
白い外壁は夏の日差しを受けて眩しく輝き、はね出した広いバルコニーは奥からお姫様でも出てきそうなほど綺麗に造り込まれていた。
まるで映画の中から出てきたみたい。
その美しい建物を見上げて見惚れてた。
葉月ちゃんのパパとママは先に荷物を持って中へ入っていく。
葉月ちゃんは私の横に立って、少し笑った。
「零」
「あ、うん!」
後を追って私たちも中へ入った。
「葉月ー!」
突然響いた大声に、ドアを閉めようとした手を引っ込めたけど、ドアは勝手に閉まってくれた。
声のした方へ振り返ってみたら、そこから溢れ落ちんばかりの笑顔で男の子が駆けてくる。
私たちと同じ歳くらいかな?
よく焼けた肌に短い髪は野球クラブに入ってる友達を思い出させた。
「葉月!会いたかった!」
男の子は葉月ちゃんの前で止まると、そのまま葉月ちゃんにガバッと抱きついた。
なんか、尻尾があったらきっとぶんぶん振ってるんだろうなっていうくらい嬉しそうに見える。
この子が純くんなんじゃと思ったけど、違うのかな。
どう見てもいじめっこには見えない。
「離して」
今まで聞いたことがないくらい低く、感情のこもらない声。
一瞬、誰?って思ったけど、それは紛れもなく葉月ちゃんの声だった。
「あ、わりぃ」
男の子はごめんと言って直ぐに離れると、照れたように笑った。
「すげぇ久しぶりで嬉しくて、つい」
「迷惑」
「なんだよー」
「うざい」
「な、」
「邪魔」
「は、」
「消えて」
「……」
間髪入れずに攻撃を繰り出す葉月ちゃんに、男の子はしゅんとなった。
それでも葉月ちゃんは気にもとめずに私に向き直り、さっきまでの態度が嘘みたいに綺麗な笑顔を浮かべた。
「零、一応紹介しとくね。これが純」
やっぱり、この男の子が純くんだったんだ。
「えと、園村 零です」
とりあえず自己紹介する。
一応紹介して貰ったし、挨拶した方がいいよね。
「おれ、 姫野 純。よろしく」
ぱっと表情を明るいものに変えて人懐こい笑顔を向けられた。
悪い子には見えない。
どうして葉月ちゃんは純くんが嫌いなんだろう。
「じゃ零、行こう!」
私の手を取った葉月ちゃんは、もう純くんを見なかった。
私だけに向けられる笑顔と言葉。
純くんはまた悲しそうな顔に逆戻り。
なんでそこまで嫌うのかな。
葉月ちゃんらしくなく見えた。
手を引かれるまま、葉月ちゃんと一緒に割り当てられた部屋に入った。
ベッドにリュックをドスッと落として、その横に並んで座る。
葉月ちゃんはどこかぼんやりと、正面を見つめてた。
「葉月ちゃん?」
何か変だよ?
大丈夫?
そう言う前に、私は言葉を飲み込んだ。
突然、葉月ちゃんが泣き出してしまったから。
「ふっ、ふぇぇぇん」
「は、葉月ちゃんっ」
こんな葉月ちゃん見たことない。
どうしたらいいかわからなくなった私は、隣でひたすらおろおろしてた。
泣きじゃくる葉月ちゃんをなんとか落ち着かせると、ぽつりぽつりと話してくれた。
まだしゃくり上げながらもゆっくり紡がれる言葉を聞き逃さないように、私は耳を傾けた。
葉月ちゃんは小さい頃、純くんのお父さんが大好きだったみたい。
本当に大好きで大好きで、それは間違いなく初恋だったんだって。
でも、伯父さんには伯母さんもいたし、それ以前に恋しちゃいけない人だってまだ知らなくて。
ある日、純くんに言われて初めて知ったんだって。
それで、すごくすごく傷付いて、泣いて、泣いて、葉月ちゃんは純くんを嫌いになっちゃった。
それまでも、それからも、純くんの態度が変わらないのも嫌いな理由だって葉月ちゃんはむくれた。
純くん、どうして謝らないのかな。
葉月ちゃんに優しそうに見えたのに、傷つけたままなんて変な気がした。
葉月ちゃんが話し終わってちゃんと落ち着くまで、私は何も言わずに黙って聞いてた。
本当は慰めてあげたいけど、私にはどうしたらいいのかわからなかったから、ただ何も言えなかっただけだけど。
恋をしたら、人の好き嫌いまで変わってしまうことがあるなんて思わなかった。
そういえば、たまに見るアニメやドラマでもそんなシーンを見たことがあったかもしれない。
でも、実際に目の当たりにするとすごく不思議で変な感じがした。
教室でクラスメートの女の子たちと好きな人の話をしたりもする。
私は聞くばっかりで、あんまりついていけないけど、みんなすっごく楽しそうで羨ましいって思ってた。
でも、楽しいだけじゃないんだって初めてわかった。
初恋を経験して、失恋を経験した葉月ちゃんを見てたら、苦しさばかりが見えてきて、いつの間にか私も泣きそうだった。
私にもいつかわかるのかな。
今の葉月ちゃんの気持ちとか、好きな人のために誰かを嫌いになっちゃう気持ち。
それって、ちょっと怖いことかもしれない。
なんて、ぼんやり考えてた。
うーんと背伸びをして、葉月ちゃんは私を振り返った。
「零、聞いてくれてありがと」
「ううん」
「あー、すっきりした」
「そっか」
「うん」
まだ目が少し赤いけど、もういつもの葉月ちゃんだ。
私は何もできなかったけど、少しでも元気になったならよかった。
「おなかすいたね、今日バーベキューなんだよ」
「ほんと?楽しみ!」
葉月ちゃんが笑ってくれてるなら、私も笑わなきゃ。
元気に相づちを打って、ふたりで部屋を出る。
広いリビングに行くと、葉月ちゃんのパパが庭でバーベキューの準備をしてるのが見えた。
私たちは小さく笑い合うと開け放たれた窓を飛び出して、日差しで眩しい庭へ躍り出たのだった。
それから、葉月ちゃんのママと葉月ちゃんと一緒に、別荘の管理人さんが育ててる野菜を収穫しに行った。
管理人のおじさんに教えて貰いながら、次々と夏野菜をもいでいく。
新鮮な野菜はとっても綺麗。
トマトは真っ赤で弾けそうなほどに膨らんでるし、ナスはつやつやでまるで磨いたみたい。
キュウリなんて、おじさんに勧められて畑でかじってみたら、ドレッシングなんていらないくらい濃い味がして、キュウリってこんなに味があったんだ、ってびっくりした。
「おいしー!」
「あまーい!」
感動のあまり葉月ちゃんとふたりして声ををあげながら、まるごと一本ボリボリ食べちゃった。
キャッキャとはしゃぎながらキュウリをかじる葉月ちゃんは、もうすっかりいつも通りでほっとした。
日が傾いてくる頃には準備も終わって、バーベキューが始まった。
取りたての野菜は焼いても美味しくて、私はお腹が苦しくても食べ続けてた。
バーベキューにはもちろん純くんもいた。それから純くんのママ。
あとは純くんのパパで、葉月ちゃんの伯父さん、そして、好きだった人がいた。
さっき紹介して貰ったけど、伯父さんは確かに格好良かった。
なんていうか、背が高くて日に焼けた姿はサーファーみたいな感じなんだけど、話してみるとすっごく話しやすくて面白い。
まるで同級生と喋ってるみたいに楽で楽しい気持ちになった。
「伯父さん、これおいしいよ!」
「おぅ、サンキュー」
葉月ちゃんはおじさんににこやかに話しかけてた。
おじさんも普通に葉月ちゃんと仲良しみたいで、喋りながら楽しそうにお肉を切り分けてる。
葉月ちゃんは本当に嬉しそうに笑ってた。
でも、やっぱり純くんは無視。
葉月ちゃんに話し掛けようとしては、一歩先を読んだ葉月ちゃんにかわされてた。
葉月ちゃんのシカトは徹底してる。
すごい、完璧に。
見てた私は、純くんがちょっと可哀想に思えてきた。
純くんもちゃんと謝ればいいのに。
葉月ちゃんはケンカするとすごく怖いけど、謝れば絶対許してくれるし、自分が悪いと思えば反省して潔く謝れる子だ。
みんなには伝わりにくいみたいだけど、本当はすごく優しいって私は知ってる。
純くんも、それはわかってると思うんだけどな。
それに葉月ちゃんの態度から、葉月ちゃんがどんなにショックを受けて怒ってるか、それもきっとわかってるよね。
二人にちらりと視線を向けたら、まだゆっくりとした追いかけっこを繰り返してた。
私は黙々とバーベキューを食べながら、どことなくぎこちない姿を見守ってた。
葉月ちゃんがトイレに席を外すと、純くんが私のところにやって来た。
なんだろう?
よく焼けたニンジンにかぶり付きながら、首を傾げた。
「あのさ、」
「うん?」
「葉月から、なんか聞いた?」
「うん」
「……」
純くんは、はぁと溜め息を吐いてしゃがみ込むと、頭をわしゃわしゃかき混ぜた。
「謝らないの?」
純くんの後頭部に言ってみる。
頭は動かないまま、返事だけ返ってきた。
「謝らないよ」
「なんで?」
「おれ、悪くないし」
「葉月ちゃん泣いてたよ?」
「……」
私は純くんの言葉が途切れた隙に、お肉の塊を口に入れた。
やっぱりおいしい。
「……謝りたくないんだ」
バーベキューを堪能してた私はハッと我に返って、再び純くんの頭を見つめた。
「なんで?」
もう一度聞いてみる。
純くんはちょっと躊躇いながらも口を開いた。
「悔しいから」
「?」
「おれ、葉月が好きなんだ」
「えっ!?」
「なのに、葉月は父さんが好きで、」
「……」
「……」
そうだったんだ。
純くんもちょっと切ない恋をしてたんだ。
そっか。
私には想像もつかないくらい、苦しかったのかな。
でも。
「悔しいから、言ったの?葉月ちゃん傷付いたと思うよ」
「……わかってる」
やっぱりわかってたんだ。
私は純くんをちょっと睨んでやった。
どんな理由があったって、私の大事な親友を傷付けるなんて許さないもん。
「でも、おれを見て欲しかったから、おれ、」
「……」
「……」
続きの言い訳はなかった。
「謝ったほうがいいよ?」
「……」
あ、ちょっと冷たい言い方しちゃったかな。
優しく、優しく。
「ね?」
「うん」
純くんはゆっくり立ち上がって私の正面に立つと、どこか泣きそうな顔で微笑んだ。
そのままバーベキューは終わって、今日は解散になった。
明日は海で遊ぶ予定。
来るときに車から見た海はとても綺麗だったからすっごく楽しみだ。
純くんは今日は謝れなかったみたいだけど、明日の海も一緒だからきっとチャンスはあるよね。
私は密かに協力しようと決心して、部屋に戻った。
それから、葉月ちゃんと一緒にお風呂に入ったけど、その広さは多分うちの5倍くらいあった気がする。
お風呂まですごいよ、葉月ちゃん。
私はまたあんぐりと口を開いてアホ面をさらしてたかも。
次の日も空はよく晴れて、目が覚めたときには汗が吹き出すくらいに暑かった。
海水浴にはもってこいの快晴に、寝起きにも関わらずテンションは急上昇。
急ぎめに朝ごはんを食べて、葉月ちゃんと純くんと純くんのパパと四人で海へ繰り出した。
あ、それと、管理人さんが飼ってるゴールデンレトリバーのビリーも。
ビリーは人懐こくてフワフワですっごくかわいい。
太陽の光があたると金色に光ってとても綺麗だった。
アパート暮らしの私には犬を飼った経験はないけど、動物が大好きなのでビリーと遊べるのはすごく嬉しい。
私は三人をおいてけぼりにしてビリーと真っ先に海へ駆け出した。
単細胞な私はビリーとくたくたになるほど遊びまくるまで気がつかなかった。
葉月ちゃんたち三人を残してきてしまったことに。
首まで海に浸かったまま、そろりそろりと視線を浜辺へ動かす。
ど、どうしよう。
純くん、また避けられてたりしたら、さすがに可哀想だ。
ビリーがもう遊んでくれないのかと、くぅんと鳴いた。
ごめんねビリー、ちょっとだけ待ってて。
そっと海岸を見つめると、そこには思いもしない光景があった。
葉月ちゃんと純くんが、海の方を向いて並んで砂浜に座ってた。
ど、どうなってるのかな。
遠くてよく見えないけど、あれは二人で喋ってるよね。
私は波に揺られながら、ひたすら浜を凝視してた。
と、葉月ちゃんが私が見てることに気付いて手を振ってくれた。
私は慌てて振り返す。
すると、葉月ちゃんは立ち上がってそのまま海に入り、私のところまで泳いできた。
「零、ここ深すぎるよ」
「えへ。遊んでたらいつの間にか流されちゃた」
「もう。危ないよ」
「じゃあ、ちょっと戻ろっか」
「うん」
私はひとり、ハラハラドキドキしながら泳ぎ始めた。
気になる気になる気になる。
何話してたのか、聞いてみようかな。
なんて考えながら腰くらいの深さの所まで戻ってくると、浜から声が掛けられた。
「おーい!アイス買ってきたぞー!」
純くんのパパがコンビニ袋をかざして振り回してた。
「アイスだって!早く行こ!」
「うん」
嬉しそうに走り出した葉月ちゃんに、遅れないようについていく。
聞くタイミングを逃しちゃった。
仕方なく私も後に続く。
浜に着くと、男二人はもうアイスをかじってた。
「はい、葉月」
純くんが袋からアイスを取って葉月ちゃんに差し出した。
「ありがと」
葉月ちゃんは無視することなくそれを受け取る。
仲直りできたのかな。
遅れて浜に着いた私にもアイスをくれた純くんに、好奇心に満ちた視線を向けた。
純くんはニカッと笑って小さく頷いた。
「色々ありがとな」
「仲直りした?」
「うん」
「そっか!良かったね!」
「お前のおかげだな」
「えへへ」
そっか、仲直りできたんだ。
よかった。
あんなに謝るのを渋ってたのが嘘みたい。
純くんは晴れ晴れした顔をしてた。
「告白したんだ。フラレたけど」
「えぇ!?」
謝ったんじゃなかったの!?
「そしたら全部わかって許してくれたし、ありがとうって言ってくれた」
「そ、そうなんだ」
さすが葉月ちゃん。
学校で一番大人っぽいと言われるだけある。
それからも純くんの葉月ちゃんトークはなかなか終わらなくて、アイスを食べながら聞いていた。
話す純くんはすごく嬉しそうだったけど、でも私にはやっぱりちょっと悲しそうにも見えてた。
アイスを食べてからは、みんなで砂浜でボール遊びをした。
純くんの伯父さんが膨らましてくれたビニールのボールを白熱しながら追いかけあう。
葉月ちゃんも純くんも普通にはしゃいでいて楽しかった。
お昼はまたまたコンビニのものを食べた。
海の家とか何もないから仕方がない。
でもその分地元の人や別荘に来ている人くらいしかいないので海岸はすいてるし落ち着いてる。
白い浜を存分に使って遊びまくってた。
それからまた海に入ってひと泳ぎすると、もう辺りは夕方の日差しに包まれ始めてた。
私たちは遊び疲れてくたくたの身体を引き摺るように、別荘へ帰った。
別荘の玄関ドアを開けると美味しそうなカレーの匂いがして、私たちは誘われるようにダイニングへ入った。
中へ入ると更に良い香りが鼻を刺激して、今にもお腹が鳴りそう。
「おかえりなさい」
純くんのママがお鍋を運びながら笑いかけた。
みんな口々にただいまを言って鍋を覗き込む。
どうしよう、すっごく美味しそう。
「ちょうど準備できたところよ。食べましょう」
「わーい!」
私はついフライング気味に喜んでしまって、みんなに笑われた。
だってあんまり美味しそうで、待ちきれなかったんだもん。
しょうがないよね。
食卓にはすぐに、夏野菜をふんだんに使ったカレーライスが並ぶ。
全員揃っていただきますを言って食べたカレーは、今まで食べた中で間違いなくNo.1の味。
私は2回おかわりをして、また笑われてしまったのだった。
「うぅぅ、苦しい」
ポスンとベッドに倒れ込んだ私の横に、笑いを堪える葉月ちゃんが座った。
「もぅ、食べ過ぎだよ」
「だってー」
今にも吹き出しそうな様子に、私は頬を膨らました。
「おいしすぎるのが悪いんだよ」
「ぷっ!」
葉月ちゃんはついに堪えきれなくなって、声をあげて笑いだした。
そんなに笑わなくてもいいのに。
笑いすぎてひーひー言ってるとこ、初めて見るよ。
お腹を抱えて笑われて、ふて腐れながらシーツに顔を押し付けた。
「純になんか言ったでしょ」
いつの間にか笑い止んでた葉月ちゃんの言葉を受けて、私はゆっくりと顔を向けた。
純くんに聞いたのかな。
「ありがとね」
にこっと微笑む葉月ちゃん。
やっぱりお人形みたいに可愛い。
「仲直りできてよかったね」
「うん」
……。
あれ、は聞いても良いのかな。
どうしよう。
でも気になるよ。
「告白されちゃった」
「えっ!」
聞く前に話してくれるとは思わなくて、びっくりして大声を出してしまった。
「でもふっちゃった」
「そそそそそっか」
「零どもりすぎ!」
また笑われた。
しょうがないじゃん。
いきなりそんなこと聞かされたらどうしていいか解らないよ。
なんで葉月ちゃんはそんなに落ち着いてるの。
本当に疑問だよ。
「あはは、動揺しすぎだよ!」
「だってー!」
今日の葉月ちゃんはよく笑う。
どうしちゃったのかな。
「あいつは兄弟みたいなものだから」
「兄弟?」
「うん」
葉月ちゃんは大人っぽい仕草で長い髪をかき上げた。
うわぁ、絵になる。
「すっごく嫌いと思っても許せたし、特別にはかわりないけど」
「けど?」
「でも、ドキドキしないの」
眉尻を下げて笑う姿はどこか儚く見えた。
「伯父さんが好きだから?」
私は少し躊躇いながらも問い掛けた。
勝手に確信を持っての質問だったけど、予想に反して葉月ちゃんは首を振った。
「違うよ。伯父さんはもう好きな人じゃないの」
「そうなの?」
「うん。たぶん、だから純を許せたのかも」
「そっか」
葉月ちゃんはちゃんと自分で受け止めて、それから乗り越えたんだ。
小さい頃からずっと友達だった葉月ちゃんに、そんなことがあったなんて全然知らなかったな。
すごいな、なんか憧れちゃうよ。
「ずっと言わなくてごめんね」
葉月ちゃんが私にはにかみながら謝った。
「えっ!そんなのいいよ!」
そういうのって、気になるけど無理に聞きたいとも思わないし、今日話してくれたことがすごく嬉しかった。
「でもさ、」
葉月ちゃんは不意に口調を変えて、細めた目で私をちらりと見た。
えっ?
なんでそんなにジトッとした目で見るの?
その視線に耐えられなくなってきて、あわあわする。
「零だって言わないから、おあいこだよね」
「え?」
何が?
私、結構なんでも葉月ちゃんに話しちゃってると思うけど。
「あいつ」
あいつ?
首を捻りながら考える。
誰のことだろう。
「瀬尾 那由多」
「那由多?」
そうそう、と首を縦に振る葉月ちゃん。
「え?いつも話してるじゃん」
私の話なんて、学校のことか漫画のことか那由多のことばかっかりだ。
「何言ってるの、葉月ちゃん。いつも那由多の話聞いてくれてるよね?」
「でも零の気持ちとか聞いてない」
気持ち?
「瀬尾が好きなんでしょ?」
え?
うん大好き。
って、すぐに言えなかった。
あれ?
なんで?
昔は毎日のように言ってた言葉。
それが今は出てこない。
なにも反応できないのに、顔だけが熱くなってくる。
「うん、だ、大好きだよ」
なんとか絞り出してみた。
よかった。
言えた。
いつもどんな顔して言ってたんだろ。
なんだか無性に恥ずかしい気持ちになった。
やっと返事をしたのに、葉月ちゃんは何も言わない。
眉間に皺を寄せて、何事か思案してた。
どうしたのかな。
「葉月ちゃん?」
「零」
「うん?」
「好きなんでしょ?」
「え?」
「瀬尾のこと」
「う、うん。大好きだよ」
聞いてなかったのかな。
さっき言ったよね?
「そうじゃなくて」
「?」
えっ、そうじゃないって何が?
「あー……」
「???」
「大好きな幼なじみじゃなくて、好きな人だよね?」
は?
好きな人?
クラスの女の子たちが“祥平が好きー”とか、男の子たちが“葉月ちゃんが好きだ”とかいう感じのアレ?
バレンタインに先生に見つからないように、そわそわとチョコを隠してるアレ?
え、それって、私が那由多に恋してるってこと?
ぐるぐるする頭で考えるけど、心臓がうるさくてまともに考えられそうもなかった。
ただひたすら熱が上がって、鼓動が速度を増してくだけ。
那由多が好きだよ。
間違いなく、疑いようもなく。
ちっちゃいときからずっと大好き。
それは変わらない。
友達よりもずっと近くて、家族みたいに思ってた。
他に、私の大好きな人についてゆっくり考えてみた。
もちろんパパとママ、元気のことも大好きだよね。
だって家族だもん。
あれ?
でも、那由多に思うのとちょっと違うみたい。
本当の家族じゃないから?
あと葉月ちゃんも大好き。
なんてったって親友だし。
一緒の中学校に行きたいって言って、私立に行かずに公立に進むことに決めてくれた。
罪悪感を抱えそうだった私に、“零がいなきゃつまんなくて死ぬから”って言ったよね。
笑っちゃったけど、すっごくすっごく嬉しかった。
だから大好き。
だけど、あれ?
那由多を想うのは、葉月ちゃんに感じる好きとも違うような。
でも、昔はおんなじだったかもしれない。
だって、昨日純くんから葉月ちゃんを守らなきゃって思ったのは、多分、那由多を守ろうと思ってた小さい頃に身に付いた癖みたいなものだから。
でも、この間久しぶりに逢って、そんなのなくなってしまった。
からかわれてた私を助けてくれて、沈みそうだった心をすぐに浮上させてくれた。
あの時のことを思い出すと、また心臓が高鳴り出す。
顔は熱すぎて、たぶん真っ赤だ。
どうしよう。
わかったかもしれない。
私、那由多に恋してるんだ。
私はやっと自分の気持ちに気付いた。
気がつくともう朝だった。
考え込んでるうちに寝ちゃったみたい。
布団もかけずにベッドの隅に転がってた。
葉月ちゃんは自分のベッドでまだ寝てる。
私が自分で答えを出すまで、黙って待っててくれたんだ。
私は起き上がって、肩に射してた朝日とは思えない強い日差しを、薄いカーテンで遮ってあげた。
今日も良い天気。
そしてやっぱり暑くなりそうだ。
昨日の疲れなんてもうないし、今日も存分に遊べそう。
私は大きく背伸びをして、顔を洗いに行った。
純くんは私たちより1日早く、今日帰るみたい。
朝ごはんを食べたら行っちゃうんだって。
これから仲良くなれると思って、楽しみだったから残念。
でも純くんは葉月ちゃんと仲直りできて、本当に嬉しそうだった。
お別れの時。
ウィンドウから身を乗り出して、大きく手を振りながら帰っていった。
想いは結ばれなかったけど、その笑顔はとっても満足そうだった。
人数が減って、なかり静かになった別荘はちょっと寂しく感じた。
でも、いつまでも沈んでなんていられない。
私たちだって明日帰るんだから、今日も目一杯遊ばないと。
気をとり直して準備を済ませ、管理人さんと葉月ちゃんとトレッキングに出掛けた。
もちろんビリーも一緒。
獣道みたいなコースを競争するように歩く。
日焼け止めと虫除けをたっぷり使ったから、山は快適だった。
木陰は涼しいし、木漏れ日がキラキラ降り注いですごく綺麗。
管理人さんに教えて貰って、山菜や木の実も取った。
途中の川では服の下に着てきた水着になって遊び、目的地だった山小屋ではいろんな野鳥を見ることができた。
新しい発見や体験をしなから山を歩くと、疲れなんてほとんど感じないまま夕方には別荘に帰ってきた。
「おもしろかったね!」
夕食が済んで部屋に戻っても、私はまだ興奮してた。
「あの川、冷たくて気持ちよかったし」
「そうだね」
葉月ちゃんも相づちを打ってくれたけど、くすりと笑ったその顔はどこか呆れたようにも見える。
でも、気にしない。
別荘に来て、私はたくさんの物を見た。
庭になったトマトはとても甘くて、那由多に食べさせてあげたいと思った。
ビリーもふわふわで可愛いし、私と同じでペットの飼えない家の那由多にもさわらせてあげたかった。
海と空は眩しいくらいに輝いていたし、森も別世界かと思うほど綺麗で、那由多に見せてあげたいと思ってた。
「那由多にも見せてあげたかったなー……」
「ちょっと、零」
「え?」
今度は完全に呆れ顔の葉月ちゃん。
なんだろう。
どうかしたのかな。
「今、声に出てた」
「え?声?」
こくりと頷いてから、にやっと意地悪そうな笑顔を向けられて、私は少し焦る。
何が?
今、私何か言ったっけ。
「那由多、那由多、那由多」
葉月ちゃんは顔を変えずに、私の声真似をするように言った。
えっ、そんなこと言ったかな。
しかも、私ってそんなアホっぽい?
なぜか異常に恥ずかしくなってくる。
「ごめん」
「別にいいよ、大好きなの知ってるし」
更に笑みを深めて葉月ちゃんはさらりと追い討ちをかけた。
えぇー、どうしてそんな意地悪言うのかな。
たぶん今、また顔が赤くなってるよ。
あっ!
そういえば、自分で出した答えを葉月ちゃんに言ってなかった!
うわぁ、これってちょっと怒ってるよね。
「あのね、葉月ちゃん」
「ん?」
うわ、どうしよう。
緊張するよ。
「あの、」
「うん」
「あのね、」
「うん」
葉月ちゃんは笑顔のまま待っててくれた。
「私、那由多が好きなんだ」
「うん、知ってる」
ぎゅっと目を閉じて決死の思いで言ったのに、あっさりと返された。
し、知ってる?
「でもこの間までね、零にとって瀬尾は親友だと思ってたの」
「え?」
「幼馴染みとして大好きなんだろうなって」
うんうん、私も自分でそう思ってた。
だから、葉月ちゃんにもそういう風に話してたんだし。
頷く私に対して、葉月ちゃんは不適に笑った。
ち、ちょっと怖いよ。
「でも、駅まで見に行ったときわかっちゃった」
「えっ?」
見に行ったって、本屋さんに来て偶然会ったんじゃなかったの?
「零が、すんごい可愛い顔してたから」
えっ、か、かわ……
「私ひとりでライバル視しててバカみたいだったわ」
ラ、ライバル!?
「零の一番の友達は私だもん」
プイッとしながら呟く葉月ちゃん。
照れ隠しがその表情から見てとれて、思わずキュンとするほど可愛かった。
わぁー。
葉月ちゃんを好きな男子がいっぱいいる訳だよ。
納得してしまった。
「葉月ちゃんが一番の友達だよ」
そんな葉月ちゃんを前にして、勝手に口から言葉が出てた。
「それももう知ってる」
今度は悩殺スマイル。
うっ。
か、可愛すぎる。
本当に嬉しそうな笑顔にくらりとなりそう。
やっぱり葉月ちゃんって最強かも、と思った夜だった。
翌朝は葉月ちゃんのママに起こされて、やっと目が覚めた。
葉月ちゃんとの初めての恋話は思いの外盛り上がって、昨夜は遅くまで起きてたから寝坊してしまった。
なんとか体を起こして身支度と朝食を済ませ、荷物をまとめた。
私たちももう家に帰る。
管理人さんとビリーに挨拶をして車に乗り込むと、別荘に別れを告げた。
車に乗ると葉月ちゃんはすぐに眠ってしまった。
私もうつらうつらしながらこの3日間を思い返してた。
あっという間だったけど、本当にいろんなことがあった。
葉月ちゃんの新しい面を知って、恋の苦しさを知った。
そして、自分の気持ちに気付いた。
また頭に那由多の姿が浮かんで、慌てて消した。
だって、会いたくなっちゃうから。
寂しくて悲しくなるから。
私は新しい気持ちを抱えたまま眠りに落ちる。
こうして、恋を知った夏はゆっくりと過ぎ去っていった。