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0.4 夏祭り

 願いを込めて付けた名前の通り、元気はどんどん身体も強くなって、普通に幼稚園にも通えるようになった。


 私と同じフワフワの明るい髪に黄色い帽子を被って、今では外を走り回って遊んでる。


 パパとママはいつも幸せそうで、私も毎日をとても楽しく過ごしてた。


 今日も学校から帰ると、昨日届いた那由多の手紙の返事を書いていた。


 もうすぐ、小学校最後の夏休み。


 那由多はどこに行きますか?

 なんて、思い付いたことを書いていく。


 不意に視線を感じて顔を上げると、ママがにやにやしながら覗き込んでいた。


「わっ、ママ!」

「なんて書いてるの?」

「ヒミツ」

「えぇー。見せて見せてー」

「……」


 ママを無視して、左手で隠しながら続きを書く。


「零」

「何?」

「那由多くんにさ、夏休みに遊びにおいでって書いといて」

「……えっ?」


 声が裏返った。


 ママはにっこり笑うと、呆けたままの私を残してキッチンへ消えた。




 すぐに届いた那由多からの返事は、とても簡潔でとても嬉しいものだった。


“楽しみにしてるね”


 私は夏休みまでのまだまだ長い日々を、1日ずつ消化してはカレンダーを見つめて過ごしてた。


 ママが那由多のママに電話して、日程も決まった。


 やっぱり那由多のパパとママはお仕事があって、忙しい。

 だから、那由多ひとりで遊びに来ることになった。


 那由多はひとりで電車に乗り慣れてるらしくて、誰も心配してないみたい。


 それがちょっと不思議だった。




 待ちに待った夏休みに入って、私は浮かれながらも図書館に通ってた。

 那由多が来る前に、大量にでた宿題を終わらせるためだ。


 那由多はお盆の始めに一泊だけ来る。

 だから、その限られた時間を少しでも楽しく過ごすために、必死にドリルを片付けていた。


 図書館の大きな机の向かいには葉月ちゃんが座ってる。


 クラスは離れたりしたけど、1年生の頃からずっと一番の仲良しで、今では親友になってた。


 葉月ちゃんは、いつも那由多や元気の話を聞いてくれる。

 頭も良くて、私に勉強も教えてくれた。


 そういえば、前にそういうところを“ちょっと那由多と似てる”って言ったら、嫌な顔してたけど、なんでだろう。


 今日の目標もなんとか片付いて、葉月ちゃんとファーストフード店でシェイクを飲んだ。

 100円のそれをズルズル吸いながらお喋り。


 葉月ちゃんに、那由多はいつくるの?何時にくるの?明日は遊べる?って聞かれたので、順番に答えた。


 那由多が来るのは来週。


 だから、明日は一緒にプールに行く約束をして、葉月ちゃんは帰っていった。


 明日は遊べると言ったときの葉月ちゃんの嬉しそうな顔は、とっても可愛かった。

 さすが、学年で一番モテるだけある。


 でも、那由多が来週来るって言ったときの、


「ふぅん……」


 って返した葉月ちゃんは、唇を思いっきり突き出して微妙に眉を寄せていて、ちょっとおもしろい顔だった。




 いよいよ那由多が遊びに来る当日。

 私は楽しみすぎて、一番早起きした。


 那由多は朝早くに出発して、お昼にはこっちの駅に着く予定だ。

 もう電車に乗ったかなとか、早く会いたいとか、楽しみだなとか、とても待ちきれない。


 那由多は、どんな男の子になってるだろう。


 そういえば、元気の写真はよく送ってたけど、私たちは送ってなかった。

 失敗したと今になって後悔。


 それから半日は、そわそわと時計を見ながら、記憶の中の、色白で艶やかな黒髪の可愛い可愛い男の子を、ずっと思い出してた。




 ようやく待ち合わせの時間が近くなって、パパと一緒に駅へ向かった。

 ママと元気は留守番。


 駅までの見慣れた道をパパと並んで歩く。


 最初は普通に歩いてたけど、駅に着く頃には競歩みたいになっていて、いつまでもゆっくり歩くパパを急かした。


 そんな風に歩いたから、駅には早く着きすぎて。

 私は、出掛けにママに頼まれてたジュースを、先に買いに近くのコンビニへ行った。


 パパは駅前にあるベンチに座って待ってるって。

 手伝ってくれてもいいのに。


 私はべーっと舌を出して、コンビニへ入った。


 エアコンの効いたコンビニに入ってジュースを探す。

 一番大きいペットボトルのオレンジジュースを見つけて、レジへ運んだ。


 レジに並びながらちらりと外の様子を伺うと、ウィンドウ越しにベンチに寛ぐパパの様子が見えた。


 暑い!

 そんな声がここまで聞こえそうな顔に、笑いそうになった。


 と、パパが急に立ち上がった。

 そして改札の方に歩き出す。


 まさか。


 私は店員さんに、ママから預かったピッタリのお金を渡し、ビニール袋もレシートも貰わずにコンビニを飛び出した。


 両手に抱えたジュースのせいで、走りにくい。


 タプタプ。

 タプタプ。


 パパの後ろ姿目指して走った。


「おじさんお久しぶりです」

「おー!大きくなったなぁ!」


 そんな声が聞こえて、パパにタックルをかましながら飛び込んだ。


「那由多!?」


 今の声は間違いなく那由多だった。


 どこ?どこ?どこ?

 テンパりながら、那由多を探す。


 パパの真正面に人影が見えた。

 その人も私に気付く。


 名前を呼ばれて私を覗き込んだのは、艶やかな黒い髪を揺らし、黒い大きな瞳を細めて、薔薇色の唇に笑みを浮かべた、超美少年に成長した那由多だった。


「零ちゃん!」


 うっ!

 眩しい!


 何、この笑顔!


「……那由多?」

「久し振り、やっとまた会えたね」


 顔を思いっきりくしゃっとして笑う姿に、昔の那由多が重なって見えた。


 那由多だ。

 間違いなく那由多。


 大きくなったけど、おんなじ笑顔。

 私も自然と頬が緩む。


「那由多ー!」

「あはは、何回呼ぶの」

「だって、だって、だって!」

「あはは」

「会いたかったよー」

「うん、僕も」


 那由多の真正面に立って、その両手をぎゅっと掴んだ。


 そうしたら、さらにぎゅうっと握り返されて、思わず那由多を見上げた。


「僕、本当に零ちゃんに会いたかった」

「私も……、私もだよぅ」


 じわじわと、勝手に涙が出てきた。


 片手だけをそっと離して、那由多が涙をぬぐってくれた。


「泣かないでよ」

「えへへ」


 なんか、異常なテンションの私たち。


 叫んだり、笑ったり、泣いたり、困ったり。

 そして、また笑ったり。


 周りの人は気にも留めず、そのまま通り過ぎていく。

 まるで、ふたりだけみたい。


 と、思ってたら。


 ゴス。

 頭に重量感。


「わっ、重い!」

「パパを突き飛ばした上、ジュースを押し付けるとは」

「あっ……」


 パパの存在を、忘れてた。

 気のせいか、怒りマークが見える。


「零?」

「ご、ごめんなさい」


 とりあえず、パパに向き直り謝った。

 でも、もちろん手は繋いだまま。


「おじさん、僕持ちます」

「え?あ、ありがとう……」


 那由多は、パパの手からすっとボトルを受け取った。片手で。

 力強い手を、自然と目が追う。


 Tシャツからすらりと伸びた腕と、長い指。

 繋いだ手も、記憶のものより固い。


 やっぱり、昔とはちょっと違う。


 背も同じくらいだったはすが、少し見上げないと目が合わない。


 なんか、どうしよう。

 落ち着かないよ。


「那由多くん、疲れただろ」

「いいえ、大丈夫です」

「なんか、随分しっかりしちゃったなぁ」

「そうですか?」

「そりゃ、もう……」


 照れてる那由多と、どこか凹んだパパの会話をぼおっとしながら聞いてた。


「零!」


 後ろから突然、名前を呼ばれてハッとした。

 首を回して振り向くと、そこには可愛らしい親友の姿。


「葉月ちゃん!」


 葉月ちゃんが立っていた。


「どこか行くの?」

「うん、本屋さんにきたの」


 葉月ちゃんは駅前の本屋さんを指差して言った。


「そっか」

「またあのマンガ貸してあげるね」

「わーい!ありがと、葉月ちゃん!」

「ううん」


 葉月ちゃんは嬉しそうにニコニコ笑ってた。


「あ!葉月ちゃん!」

「ん?」

「那由多だよ!」


 繋がってる手を引っ張って、静観していた那由多を横に導いた。


 ちゃんと紹介しなくちゃ。


 那由多は私と葉月ちゃんを交互に見て、最後に私を見た。


「那由多、この子が葉月ちゃん」

「うん、そうかなって思った」

「親友なの」


 私はえへへと笑う。


 葉月ちゃんのことは手紙にたくさん書いてたから、那由多も知ってる。

 那由多は私に笑いかけて、葉月ちゃんに自己紹介した。


「こんにちは。瀬尾 那由多です」

「……こんにちは。零の“親友”の姫野 葉月です」


 ……。


 なんか、葉月ちゃんがちょっと怖く感じるのは、気のせいだよね。

 だって二人とも笑顔だし。


 だから、那由多が固まったように見えるのも、きっと気のせいに違いない。


 不意に葉月ちゃんは、私に向き直ってにっこり笑った。

 やっぱり可愛い。


「じゃ零、明後日は一緒に遊ぼうね!」

「あ、うん!」


 葉月ちゃんはにこやかにそう言うと、パパにぺこりと頭を下げて本屋さんへ入っていった。


 それからパパと那由多と三人でうちへ歩き出した。


 那由多に矢継ぎ早に話しかけるパパを、正直鬱陶しく思ったけど、那由多は丁寧に笑顔で受け答えていく。

 口下手だったのが嘘みたいにすらすらと。

 しかも、ちゃんと敬語だし。


 たまに私にも話を振ってくれながらも、話したかったことは結局話せないまま、いつの間にか家に着いた。


 玄関を開けると、すぐにママが飛び出してきた。


「那由多くん、いらっしゃい!」


 那由多は斜めに肩から下げていたスポーツバックをおろす暇もなく、ママに引っ張られるようにリビングへ連れていかれた。


 ……。


 なんか、私だけまだ全然那由多とお話できてない。


 今度はママが、那由多に質問攻撃。

 やっぱりにこやかに応える那由多。

 人見知りのはずの元気まで、何故か那由多の隣の席をキープして、一緒に話してる。


 私は、キッチンで人数分のコップにオレンジジュースを注いでた。


 なんで?

 なんで!?


 ちょっとイライラしながら、5個のコップをトレイに載せて運ぶ。


 うっ、重い。


 フラフラしながらキッチンを出ようとしたら、急に軽くなった。

 持ってたトレイがフワリと浮いてる。


「僕が持つよ」

「えっ!?」


 那由多が私からトレイを取り上げて、キッチンの入口に立っていた。


「あ、ありがとう」

「どういたしまして」


 満面の笑みで返されて、何故か私が照れてしまった。


 那由多とリビングに戻って、コップを配る。

 さっきまで、3人掛のソファにママと元気に挟まれて座ってたから、那由多の分もそこに置こうとしたけど、横から手が伸びてきて、コップを奪われてしまった。


 その手を辿って視線をあげると、はにかんだ那由多の顔。


「ここでいいよ」


 コトンと置かれるカップ。

 それはカーペットに直に座る、私のとなり。


 思わず、えへへと笑ってしまう私。

 だって嬉しいもん。


「なんか、那由多くん凄いわー」

「俺、もう勝てる気しない……」

「あなた、一度も勝ったことないじゃない」

「……そうだけど」


 パパとママの、そんな意味不明な会話はほっといて。

 やっと、私は那由多と喋れると思い、意気揚々と口を開きかけた。


「、」

「おにいちゃん」


 しかし、私が言葉を発する前に、那由多に言葉が投げ掛けられる。

 どこか悲しげで寂しげな声。


 瞳をウルウルとさせた表情は、かつて、一世を風靡したチワワを思い出す。


 自分の隣の空いたままの席を指差して、せつなげに訴え掛けたのは、思わぬ伏兵。

 弟の元気だった。


 それから。

 元気は、那由多をずっと独占してた。


 那由多の膝に乗って、絵本やらパズルやらを広げながら、とっても楽しそう。


 私はママに頼まれて、キッチンで遅めのお昼の準備を手伝うことに……。

 レタスを洗いながら、様子を探ると、リビングからは楽しげな声が聴こえた。


 元気は歳がだいぶ離れているし、少し前まではすぐに体調を崩して年中寝込んでたから、家族みんなでだいぶ甘やかしてたし可愛がってた。

 だから、今まで一度も姉弟喧嘩をしたことはない。


 でも。

 今日、生まれて初めて経験しそう。


 そんな気持ちが沸々と沸き上がって、そのうち自分でもおかしくなって笑っちゃった。




 できたお昼ご飯を食べ終わると、また那由多は元気に取られた。

 うぅ、元気ずるい。


 食器を片付けながらちらりと二人を見ると、那由多と目が合った。


 目尻を下げて、笑う。

 ちょっと困ったみたいな、でも照れてるみたいな顔。


 また元気に呼ばれて、すぐ視線を絵本に戻してしまったけど、なんだかちょっと復活したかも。


 ママが洗った食器を全部拭いて片付けると、やっとリビングに戻った。


 さっきまで聞こえてた笑い声が聞こえなくなっていて、首を傾げながら覗くと。


「あらら。元気ったらはしゃぎすぎて疲れたのね」

「きっと、お兄ちゃんができたみたいで嬉しかったんだろ」

「あなた、運んでくれる?」

「ああ」


 幸せそうな顔で眠る元気は、パパとママに寝室に運ばれていった。


「那由多、疲れた?」


 訊きながら、那由多の隣に座る。


「ううん。僕、兄弟いないから楽しいよ」

「そっか」

「うん」


 那由多があんまり嬉しそうに笑うから、私も笑ってた。


「昨日までは、私の後ばっかりくっついてたのに」


 あはは、と声を上げて那由多に笑われた。


「零ちゃん、ヤキモチ焼いてる?」

「うん」


 どっちに、かは教えてあげないもん。

 笑うなんてひどい。


「でもさ、」

「なぁに?」

「元気は零ちゃんの話ばっかりしてたよ?」

「えぇ!?」

「お姉ちゃんが、大好きなんだって」

「……そ、そっか」

「仲良しだね」

「うん」


 なんか、無性に恥ずかしかった。


「零」


 ママに呼ばれて顔を向けた。

 ママは微笑みを浮かべたまま、手をヒラヒラ振って、おいでおいでと手招きしてた。


「?」


 那由多と顔を見合わせてから、私は立ち上がってママのところへ向かう。

 ママは寝室の入口で待ってるみたい。


 なんだろう?


 途中、元気を寝かせたパパとすれ違ったけど、パパはまっすぐ那由多の隣に行くと、私のいた場所に座っちゃった。

 今度はパパに取られた。


 少し頬を膨らませてパパを睨んでから、リビングを後にした。


 近づくとママはすっと寝室に入った。

 私もママについて中に入る。


 元気が寝てるから、声をかけずにママのすぐ後ろまで行と、ママも極力静かにクローゼットを開けて、何か紙の袋にくるまれた物を取り出した。


 それを持ったままフローリングに座るママ。

 私も隣にぺたりと座る。


「見てごらん」


 ヒソヒソ声で言いながら、ママが包みを開けた。


 そこから出てきたのは、綺麗な布地。

 カラフルな薄く細い線が幾重にも引かれた白い布に、赤と黒の金魚が描かれている。


「浴衣、着せてあげる」


 ママは、私ににっこり笑った。


 ママに浴衣を着付けて貰って、髪もヘアピンでまとめる。

 相変わらず細くて柔らかい髪質のため、いつも短めの髪だけど、ガラス玉の付いたピンはとっても可愛くて、ちゃんと女の子らしく変身できたみたい。


「うんうん。可愛いよ、零」


 自信満々に頷くママに、少し照れる。


「じゃ、次は那由多くん呼んできて」

「えっ?」


 なんで那由多?

 と思ったけど、ママはすでにクローゼットを再び漁っていて、聞けなかった。


 とりあえず、言われた通り那由多を呼びに行く。


「那由多ー」

「おぉ!零、可愛いなぁ!」

「えへへ。パパありがとー」

「待ってろカメラ取ってくる!」


 パパはカメラを取りに素早く立ち去った。


「那由多、ママが呼んでるの」

「……」


 リビングに取り残された那由多に声をかけるも、反応がない。

 ちゃんとこっちを見てるけど、まるで石像みたいだ。


 もう一回、呼んでみよう。


「那由多?」

「あ、うん。わかった」


 今度はちゃんと聞こえたみたいだけど。

 なんかギクシャクした動きで、寝室へ行っちゃった。


 那由多、どうしたのかな?


 それから入れ違いにウキウキと戻ってきたパパと、撮影会をして遊んでたら、ママと那由多が戻ってきた。

 ママの後ろから姿を現した那由多は、紺色の浴衣を着ている。


「わぁ、那由多カッコいいね!」

「でしょー!」

「おぉ、似合うなぁ!那由多くんも撮ってあげるよ!」


 はしゃぐうちの家族にちょっと戸惑いながらも、強制的に始まる撮影会は避けられず、那由多と並んでたくさん写真を撮った。


 パパとママの細かいポージングの指示に従って、次々撮られていく。


「はい、しゃがんで」

「振り返って」

「上目使いに」

「そのまま動かないで!」


 パシャ。

 パシャ。

 パシャ。


 もういいよ、疲れたよ、ってくらい撮って、やっと私たちは解放された。


「つ、疲れたよー」

「あはは!おじさんスゴイね、本物のカメラマンみたい」

「元気の写真とか毎日撮ってたら、ハマっちゃったんだってー」

「あー、楽しかった!」


 本当に楽しそうな様子は、さっきまでの変な那由多と全然違う。

 元に戻ったみたい。


 よかった。


「あ!零、那由多くん!」

「なぁに?ママ」

「今日、お祭りなの!もう始まってるから行ってらっしゃい!」

「えぇー!」


 そういえば、そうだった。


 那由多が来ることの方が楽しみで忘れてたけど、今日は近所の神社の夏祭り。

 だから、浴衣を着せてくれたんだ。


「パパたちは?」

「元気が起きたら3人で行くわ」

「わかった!」


 何だか、私たちと一緒に行きたそうに見えるパパはほっといて。


「那由多、行こう!」

「うん!」


 私たちは、玄関に用意されてた草履を履く。


「花火が終わったら、帰っておいで」

「はーい!」

「あとご飯は屋台で食べちゃって」

「やったぁ!」


 ちゃっかりお小遣いを貰って、私たちは神社へ出かけた。


 外に出ると、もう空はオレンジ色になっていた。


 アパートの外階段の上から、お祭りに行く親子連れや、自転車に乗った子どもたちがぽつぽつと見える。


「お祭り楽しみだね」

「うん!わたあめあるかな?」

「あるといいね」

「うん」


 そんなことを話しながら階段を降りようとする私の前に、那由多が手を出した。


「はい」

「え?」

「靴じゃないから」

「あ、ありがとう」


 そっか、草履だもんね。

 転げ落ちたら大変。

 那由多の手を取った。


 何、これ。


 ドキドキ。

 ドキドキ。

 ドキドキ。


 私は不可解に暴れだした胸を押さえて、階段を降りた。


 夕暮れの中を、手を繋いだまま神社まで歩く。


 近付くにつれて段々とお祭りの音楽が聞こえてきた。

 人も増えてきて、テンションも上がる。


「わぁ」


 神社に着くと、そこはまるで別世界に見えた。


 あかりの灯った赤い提灯が吊るされた下に、隙間なく屋台が並んでいる。


 焼きそば、射的、金魚すくい、リンゴあめ。

 それぞれの屋台の前に群がる人々。


 ドキドキは治まることなく、さらに速度を増した。

 お祭り独特の空気が、きっと興奮させるみたい。


「行こう」


 手を引いて少し急かした那由多が笑う。

 那由多もワクワクしてるのがわかった。


「うん!」


 私も全開の笑顔で応えて、後に続く。


「零ちゃん、どこから行く?」

「当てくじは?」

「あっ、あそこにあるよ」

「やろーやろー!」


 二人でしゃがんで当てくじを引いた。

 私は末等、那由多は3等。


「あ、すごい!3等やったね!」

「零ちゃんは、残念だったね」

「いいんだもん、可愛いから」


 私は末等の景品箱の中から選んだストラップを見せながら、口を尖らせた。


 那由多は3等の景品を選ぶのを中断して、ストラップを見る。


「ホントだ、色が綺麗だね」

「でしょ」

「うん」

「那由多にあげる」

「え?」

「好きでしょ、これ」

「うん。ありがとう」

「どういたしまして」


 私が選んだ景品は、那由多の好きな、緑色の星形のストラップだった。


 那由多は、明日の朝には帰ってしまう。

 だから少しでも、一個でも多く喜ばせたい。


 那由多は渡したストラップを、大事にお財布の中に入れた。


「じゃあ、僕はこれあげる」


 3等の景品箱からひょいと取り上げて、私の目の前に差し出されたのは、薄いピンク色の丸い石が付いたブレスレット。


 私の手を持ち上げて、付けてくれた。


「わ、可愛い……」

「うん。似合う」

「ありがとう、那由多」

「おあいこだよ」


 喜ばせるつもりが、私の方が喜ばされてしまった。

 嬉しそうに笑う那由多に、頬っぺたが熱くなってきた。


 次は射的で勝負。


 結果は、ふたりとも同じくらいの大きさのお菓子を落としたから、引き分け。


 それから、はしゃぎすぎてお腹が減ったから、たこ焼きを一箱買って半分こして食べた。


「おいしー!」

「熱ちち。あ、おいしい」


 那由多が猫舌だって初めて知って、笑ってしまった。

 那由多のことはよく知ってるけど、やっぱり知らないこともいっぱいあって、それを知れたことが嬉しかった。


 私はまだ、那由多の習い事も知らないから……。


 ハフハフ言いながら食べきると、那由多はたこ焼きの箱をゴミ箱に捨てに行った。


 境内に続く階段の下に立って、那由多を待つ。

 ゴミ箱見つかったかな。


 ぼんやりと、提灯の向こうに見える星空を眺めてた。

 もうすっかり夜だ。


「あれ?零?」


 掛けられた声に顔を向ける。


「うわ!やっぱり零かよ!」

「えっ、マジで!?」

「お前なにそのカッコ!」


 そこにいたのは、クラスメートの男子。

 リーダー格の祥平(ショウヘイ)と、その仲間の竜希(タツキ)(アキラ)


「げっ!祥平たちも来てたんだ」

「げってなんだよ!」

「だってー」


 祥平は悪いやつじゃないけど、口が悪い。

 それで年中クラスメートの女の子を泣かしてる。

 なのに、ずっとクラスで一番モテてるのは謎だ。


 私はもちろん泣いたこと無いけど、祥平はちょっと苦手だった。


「お前、似合わねぇカッコすんなよ」

「えー!そんなことないよ!」

「似合わねぇ、似合わねぇ。なっ」


 竜希と彰も笑いながら、うんうん頷くもんだからブチッと切れそうになる。


「ママだって、可愛いって言ってくれたもん!」

「そりゃ、親だからだろー!」


 むきーっとなって、さらに反論ようとしてたら、


「誰?」


 那由多が帰ってきた。


「あ、那由多!おかえり!」

「ただいま」


 私は怒りをすっかり忘れて、笑顔で那由多を迎える。

 那由多も笑いかけて、祥平たちの横を過ぎて私の隣に立った。


「あ、クラスメートの男子だよ」


 祥平たちを指差しながら、那由多に紹介した。

 那由多は向き直って、ちゃんと挨拶する。


「こんばんは」


 祥平たちはポカンとしてた顔をハッとして直すと、那由多を睨んだ。


「なんだよお前、どこの学校のやつだよ?」

「僕、1年の頃まではこっちにいたけど、引っ越したんだ」

「ふーん……」


 何か言いたげな、不機嫌な顔の祥平。

 対して穏やかな表情の那由多。


 やっぱり那由多、大人っぽくなった。

 祥平がすっごく子どもに見える。


 背とか体型はそんなに変わらないのに、全然違う。


 そんなことを考えながら、那由多を見てた。


「零!」


 いきなり祥平に呼ばれ、目を向ける。


「ん?何?」

「そいつと来たのかよ」

「うん。そうだよ」

「……チッ」


 ん?

 今、舌打ちされた?


「ふたりして浴衣なんか着て来てんのかよ」

「いいじゃん、別に!」

「だから、全然似合ってねぇんだよ!」

「祥平に関係ないでしょ!」

「見ててムカつくんだよ!」


 またムカムカしてきた。

 なんで、そんなこと言われなきゃいけないんだろう。


 キッと祥平を睨み上げる。

 祥平は不敵に笑ってた。


「大丈夫、似合ってるよ」


 隣から伸びた手が、私の手を取った。


 それを辿ると、笑顔の那由多。

 私はやっぱり落ち着いて、へにゃりと笑ってた。


 それから、那由多は視線を祥平に向けた。

 横顔にはもう笑顔はなくて、真面目な顔をしてる。


 祥平を見据えたまま、口を開いた。


「あのさ」

「なんだよ?」

「零ちゃんを傷付けたら、許さないから」

「は?」


 祥平だけじゃなくて、後ろの二人も私も変な顔してたと思う。


 だって私は強い。

 男子に泣かされたこともなければ、喧嘩で負けたこともない。

 祥平の言葉なんかで傷付かない。


「覚えておいて」


 でも、那由多ははっきりそう言って、私の手を強く握った。


 ずっと、私が守ってたのに、今、守られてる?


「零が傷つくかよ!こんな可愛くねぇ、男女が!」


 なっ。

 確かに、傷付くより怒りが沸くけど、言い過ぎだ。


 あまりに腹がたって口を開こうとしたら、先越された。


「零ちゃんは可愛いよ」

「えっ?」


 祥平に放たれた言葉に、思わず私が応えてた。


 隣を見ると、那由多は相変わらず祥平を見つめたまま。


「零ちゃんは、世界一可愛い」


 クラスメート3人は言葉も出ない。

 私だって出ない。

 だって、恥ずかしすぎる。


 顔が熱湯でも掛けられたみたいになった。


 ……那由多、そんなに大袈裟に励ましてくれなくてもいいよ。


 祥平たちは、あっそ、とひとこと呟いてイライラしながら立ち去る。

 姿が見えなくなる前に、那由多がその背中に声をかけた。


「傷つけるなよ」


 いつもと違う、まるで命令するみたいな声。

 祥平は顔だけ振り返ったみたいだけど、すぐビクッとして前を向くといなくなった。


 私はまだ顔が熱くて、那由多を見れない。


 世界一可愛いって、なにそれ。

 葉月ちゃんの方がどう見ても可愛いし。


「零ちゃん」


 那由多の声に思わず顔を上げてしまった。

 きっと真っ赤だ。

 だって那由多もちょっとびっくりしてる。


 恥ずかしい。


「零ちゃん」


 もう一回呼ばれた。


「……なぁに?」

「浴衣すごく似合ってて可愛いよ」


 カッ、とまた顔に熱が増す。


「も、いいよ。お世辞は」


 恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい。

 だって、自分が全然女の子らしくないって知ってる。


 あはは、と笑って那由多を見上げた。


「お世辞じゃないよ」

「えっ?」

「零ちゃんの家でも、ずっと思ってた」

「え!?」

「さっきは、なんか恥ずかしくて言えなかったんだ」


 提灯のあかりのせいかな。

 那由多も顔が赤く見えた。


 それから私たちは、またお祭りを楽しんだ。


 念願のわたあめを買って、ヨーヨーを掬って、イカ焼きを半分こして食べて、輪投げをした。


「楽しいね!」

「うん。あ、もうすぐ花火の時間だよ」

「本当!?」


 私はこの花火を見るのに、ちょうど良い穴場を知っている。

 那由多を引っ張って走った。


 お祭りのオマケの小規模な花火だから、そんなに数は上がらない。

 急がなくては。


「待って、零ちゃん!裾が絡まってこけそう!」

「頑張って、那由多!もうちょっとだから!」

「えー!頑張ってって……あはは!」


 二人して笑いながら、走った。


 そこへ着くと、ちょうど花火が上がる。

 神社の裏にある大きな公園のジャングルジムの上から、それを見上げた。


「うわぁ。ホントによく見えるね、ここ」

「他の人には秘密だよ?」

「わかった」


 一番高いところに並んで座って、さっき買った綿あめを一緒に食べながら見てた。


ドン。

ドン。

ドン。


「きれー……」

「うん」


 ちらっと横を見たら、楽しそうな那由多の横顔。


 祥平たちのせいで嫌な思いをさせたかなと思ったけど、大丈夫みたい。

 良かった。


 ほっとしながら、また花火を見上げた。




 花火はすぐに終わってしまって、私たちは家に帰った。


 帰り道、やっぱり顔は熱いままで、胸はドキドキ鳴ったまま。


 お祭りだからじゃないのかな。

 全然、治る気がしない。


 那由多と繋いだ手から、どんどん熱が生まれてるみたいだった。




 アパートに着いてドアを開けると、パパたちももう帰っていた。


 家の中からギャーギャー騒ぐ声が聞こえて、那由多と顔を見合わせて中へ入る。


「ただいまー」

「ただいま」


 相変わらずリビングは騒がしく、聞こえなかったみたい。


「だから、リビングでいいだろ」

「こんなとこじゃ可愛そうよ!」

「だったら、俺たちの部屋だ!」

「私と元気もいるのよ?狭すぎるでしょ」

「大丈夫だろ」

「第一、それじゃ零だけひとりぼっちになっちゃうじゃない」

「じゃあ、みんなで、」

「あの狭い部屋で、どうやって5人で寝るの!」


 なんか、喧嘩になってるみたい。

 リビングに入っても、ヒートアップした二人は気付かない。


 元気だけが気づいて、那由多に抱きついた。

 お祭りで取ったのだろうスーパーボールを自慢げに見せている。


「た、ただいまー……」


 もう一度、言ってみる。


「あら!おかえりなさい、二人とも」

「ケンカしてるの?」

「違うわよ、ちょっと相談してただけ」

「ふぅん」


 ママはニコニコしてていつも通りだけど、パパはちょっと項垂れてた。


「あ、那由多くんお風呂どうぞ」

「ありがとうございます」

「ついでに元気も一緒に入れてくれる?」

「はい、わかりました」


 那由多はスポーツバックから着替えを出すと、元気を連れてバスルームへ消えた。


 那由多と元気を見送ったママは、私に向き直るとにやりと笑う。


「さてと。零、手伝ってくれる?」

「なにを?」

「零の部屋に那由多くんのお布団ひかなくちゃ」

「あ、そっか」


 もうベッドに二人で寝るのは狭いよね。

 ママに言われるまま部屋にスペースを作るべく、片付ける。


「……零」

「ん?パパ?」


 いつの間にかパパが後ろに立ってた。


「あのさ、みんなでパパたちの部屋で寝ようよ」

「なんで?狭いじゃん」

「だって!危ないぞ、零!」

「なにが?」


 パパ意味わかんないよ……

 なんか、あわあわしてるし。


 そんな押し問答をしていると、布団を抱えたママが来た。

 ママはパパをじとりと見て、溜め息を吐いた。


「あなた」

「やっぱり反対だ!」

「大丈夫よ」

「大丈夫じゃない!」

「今日一日、那由多くんのジェントルマンぶりを見てたでしょ」

「うぅ……。でも、」

「うるさい!」


 なんかウジウジしてるパパをママが一喝した。


 こうなったらパパの負け。

 もう見慣れた光景だ。


「万が一、万が一、間違いが起きたら……!」


 パパが最後の悪あがきしてるのを横目で見ながら、私はママの持ってきた布団を敷く。

 ママはまた溜め息を吐いて、布団にシーツをかけながら口を開いた。


「そうなったら、」

「そ、そうなったら……?」

「万々歳じゃない?」

「!!」


 パパは止めを刺されたみたいで、フラフラと出ていった。


 さっきから何の話をしてるんだろう。

 聞いたところで、喧嘩に巻き込まれるだけな気がするから、あえて聞かないけど。


「よし、準備オッケー!二人があがったら、次お風呂入ってね」

「うん」


 ベッドの横に敷いた布団をぽんぽんと叩いてから、ママも部屋から出ていった。


 那由多と枕を並べて眠るのは、いつぶりかな。

 自然と顔がにやける。


「零ー!お風呂ー!」

「はーい」


 私は急いで顔を戻すと、お風呂の準備をしてバスルームへ向かった。




 お風呂から出て髪をわしわし拭きながらリビングに行くと、那由多が一人で勉強してた。


 小さいテーブルにノートを広げて、算数の問題を解いてるみたい。


「パパたちは?」

「元気を寝かせてる」

「そっか」


 後ろから声を掛けると、那由多は振り向いて答えた。


「夏休みの宿題?」

「うん」


 隣に座って問題で埋まったプリントを覗き込んだ。


「零ちゃんは終わったの?」

「ほとんど終わったよ」


 ブイサインで得意気に言う。


「僕も、あとこれだけ」


 那由多もブイサインを作って笑ってた。


「那由多も早いね!」

「うん、習い事もあるし」


 習い事。

 私はまだそれが何か知らない。


 那由多が秘密にしたいって言ったから、聞かないけど。

 気になるよ。


「ふぅん……」


 そっけない声が出ちゃったけど、しょうがないよね。

 那由多は私を見つめたまま苦笑してた。


「僕ね、強くなりたかったんだ」


 いきなり話し出した那由多に、首をかしげる。


 何の話?


「零ちゃんを守れるようになりたかった」

「え?」

「だから、いつも楽しみにしてた電話も我慢したんだ」

「……なんで?」


 なんで強くなりたいからって、我慢しなくちゃいけないの。


「僕、剣道の道場に通ってるんだ」

「剣道?」

「うん。それが習い事」


 そうだったんだ。

 ずっと知りたかったことが聞けて、やっとすっきりした。


「クリスマス」

「?」

「……覚えてる?」

「何を?」

「僕が迷子になったの」

「あ、うん」


 もちろん覚えてる。


 まだ一年生だったあのとき。


「悔しかった」

「えっ?」


 那由多の言葉に目をぱちぱちと瞬いてしまった。


 悔しいってなんで?


「いつまでも、零ちゃんに守られてたから」


 いつも那由多を守りたいって、絶対守るって思ってた。

 でも、那由多は、


「嫌だった……?」


 私に守られたくなかったんだ。


「違うよ」


 那由多はしゅんとした私に笑いかけた。


「守られるんじゃなくて、ずっと守りたかったんだ」

「え?」

「先生が、言ったんだ。強くなりたいなら我慢も必要だって。だからそうした」


 守りたかった?

 私を?


「我が儘でゴメンね」


 那由多は恥ずかしそうに少し俯いて、また笑う。


 私も気が付くと笑ってたみたい。


 そうだったんだ。

 なんか、嬉しい。


「もういいよ」


 だって、なんかすごく嬉しいもん。


「もう秘密じゃなくていいの?」


 私はご機嫌になって訊いた。


「いいよ。まだ守れるほど強くなってないけど、昔みたいな泣き虫じゃなくなったし」


 那由多は眉尻を下げてそう言った。


 でも。


「ううん。さっき、守ってくれたよ。ありがとう」


 お祭りで、祥平たちからちゃんと守ってくれてたよ。




 それから那由多の通う道場の話とかを聞きながら、二人がかりでプリントを片付けた。


 剣道の先生はその道では凄い人みたいで、だいぶ鍛えられたみたい。


 那由多はなんと、この間あった大会で優勝したんだって。


「すごい!おめでとう!」

「ありがとう」

「お祝いしなくちゃ」

「そんなのいいよ」

「えー、したいんだもん」


 唇を尖らせて呟いたら笑われた。


「宿題手伝って貰ったから」

「そんなのでいいの?」

「すごく助かったよ」

「そっか」


 残念。

 何かあげたかったな。


 そうだ、こっそり用意して驚かせようかな。

 なんて、密かに考えてた。


 ガチャリと音がして、ママがリビングに来た。

 風呂上がりみたい。


 そういえば。


「パパは?」

「元気を寝かしてたら、一緒になって寝ちゃったみたい」


 なるほど。

 だから静かだったんだ。


「ママももう寝るわ。あなたたちも、早めに寝るのよ」

「はーい」


 ママは冷えた麦茶をコップに入れると、それを持って出ていった。


 那由多のプリントやノートを一緒に片付けて、リビングの電気を消すと、私たちも自分の部屋に向かった。


「那由多のお布団そこね」

「うん、ありがとう」


 那由多は自分の布団の上に座って、荷物を整理する。


 私は自分のベッドに座ってそれを眺めながら、声を掛けた。


「ねぇ、夜更かししていっぱい喋ろうよ」


 那由多は顔をあげて、目を瞬いた。


「おばさんに怒られちゃうよ?」

「大丈夫!ふとんに入って電気消したらわかんないよ!」

「あはは、そうだね!」


 那由多の片付けを待って電気を消すと、私たちはそれぞれのふとんに入った。


 落ちないギリギリまでベッドの端っこに寄って、那由多を見下ろす。

 同じくこちらを見上げた那由多と目があった。


 なんか、照れる。

 暗くて良かった。

 多分、また顔が赤くなっちゃったから。


「零ちゃんさ、」

「え?」


 突然声を掛けられて、ちょっとびっくりしながら返事をした。


「算数得意なの?」

「んー。得意っていうか、好きなの」

「そうなんだ」

「なんで?」


 いきなり算数の話?


「さっきのプリントの問題、解くの早かったから。僕、ちょっと苦手だからすごいなって」


 苦手っていうけど、那由多だってすらすら解いてた。

 今も頭良いんだなって思ったもん。


「那由多が教えてくれたからだよ」

「え?」

「足し算、教えてくれたでしょ?あれから算数が好きになったんだよ」

「そっか」


 那由多は照れ臭そうに笑った。


「あ、教科書で“那由多”って習ったよ!」

「うん、僕も習った」


 一、十、百、千、万、億、兆。

 そのさらにずっとずっと先にある“那由多”。


「すごい桁だよね!」

「うん。びっくりした」

「0が何個あるのか数えてみたらね、60個もあったよ」

「あはは、零ちゃん数えたの!」


 私は0がたったの一個。

 那由多は1の後に0が60個。


 遠いなって思いながら、数えてた。


 また会えるって信じてたけど、今日まですっごく長かった。

 果てしなく並んだ0が、私たちの距離に見えたから。


 遠いな。

 寂しいな。

 って思いながら、数えたんだよ。


「僕ね、本当に僕みたいだって思ったよ」

「?」


 那由多も同じように思ったのかな。

 私は遠い存在だって、感じてるのかな。


 どういう意味かわからなくて、黙ったまま那由多を見つめてた。


「0がいっぱいでしょ?だから、僕と一緒」

「どういう意味?」


 やっぱり分からなくて、聞いてみる。


 那由多は、そんな私に満面の笑みで答えてくれた。


「僕の中も、零ちゃんでいっぱいだから」




 それからまた他愛ないお話をしていたけど、那由多はいつの間にか眠ってしまった。


 そうだよね。

 朝早い電車で会いに来てくれたんだもん。

 疲れてないわけなかった。


 さっき聞いたけど、那由多は明日から剣道の合宿だったんだって。

 だから一泊だけして明日の朝には帰るなんていう、強行スケジュールだったんだ。


 それでも、会いに来てくれたんだ。

 凄く嬉しい。


 それに、那由多の中には私がいっぱいいるんだって。

 0が60個分。

 それって凄いよ。


 嬉しいな。

 嬉しい。


 どうしよう。


 眠れないよ。


 何これ。

 何これ。


 心臓が。


 お祭りの花火みたいに、発火して弾けそうだった。




 別れの朝。

 ママに起こされてバタバタと朝食を済ませ、もう駅の改札にいた。


 お盆で人の少ない駅で、電車がくるまでの束の間の時間。


 またこれで、しばらくお別れだ。


「合宿がんばって」

「うん、ありがとう」


 そんなことしか言えなかった。

 もっと話したいことはたくさんあったはずなのに。


 那由多も普段より口数が少なく感じるのは、気のせいかな。


「また来るよ」

「今度は、私が行く!」


 そう返したら、那由多はにっこり笑って頷いた。


 そんな風に、ぽつりぽつり話してると、近くで踏み切りが鳴り出して、もうすぐ電車がくることを知らせた。


 もう改札を通らないと。

 頑張って笑顔を作った。


「那由多、またね」

「うん」


 でも、那由多は返事をしただけで動かなかった。


「那由多?」


 電車きちゃうよ、っていう前に手を捕まれる。

 なんだろうと思って那由多を覗き込んだら、真剣な表情があった。


「やっぱりお祝いちょうだい」


 お祝いって、優勝の?

 と聞き返そうとした瞬間。


 ちゅ。


 引かれた手に逆らえずに前に出た私の頬に、温かい感触。


「じゃあまたね、零ちゃん」


 那由多は少し顔を赤くしながらも、笑顔でホームへ走っていく。

 そして、すぐにきた電車に乗って私に手を振ると行ってしまった。


 私は、ただ呆然と手を振り返してた。




 電車が見えなくなっても、頬を押さえたまま改札に突っ立ってた。


 今のって、“またねのおまじない”だよね。


 ほっぺだったけど、全然ちがう。

 なんで前は口にできたんだろう。


 もう私にはできそうになかった。


 だって、心臓が破れてしまいそう。


 本当はおまじないなんかじゃないよ。


 どうしよう。

 ドキドキして、死んじゃいそうだった。

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