0.3 手紙
もうすぐ2月。
葉月ちゃんからお誕生日会の招待状を貰った。
しかもお泊まり。
那由多以外の子のお家にお泊まりするのは初めてで、すごく楽しみにしてた。
リュックに着替えやタオル、それに一番大切なプレゼントをママと詰める。
「明日は10時までに帰ってこれる?」
「うん!ぜったいかえってくるよ!」
だって明日は日曜日。
電話の日だ。
帰ってくるに決まってる。
「いってきまーす」
ママに手をふって、家を出た。
葉月ちゃんの家は、絵本から出てきたみたいに綺麗だ。
まるでお城みたい。
綺麗なそのお城で、葉月ちゃんと葉月ちゃんのママと私でお祝いした。
葉月ちゃんのママは凄いと思う。
だって、ケーキもお料理も全部手作りで、しかも、全部のお料理が宝石で飾りつけたみたいだったから。
食べちゃうのが勿体ないと思ったけど、ひとくち口に入れたら止まらなくなって、結局みんな食べちゃった。
プレゼントには、葉月ちゃんの好きなキャラクターのシャーペンのセットを渡した。
すごく喜んでくれて、私も嬉しかった。
葉月ちゃんの部屋も可愛くて、ベッドもお姫様のみたい。
女の子どうしのお喋りは不思議と尽きることなく、いつまでも眠らずに話してた。
葉月ちゃんのママに優しく肩を叩かれて、目を開けた。
もう日は昇っていて、明るい。
「零ちゃん、ママから電話だけどでれる?」
私は寝惚けながら頷いて、差し出されたスマホを受け取った。
『零?』
「ママ?おはよー」
『おはよう。……じゃなくて』
「なぁに?」
『もうすぐ10時よ?』
私はスマホを落としそうになった。
慌てて近くにあった時計を見ると、9時50分。
プールに飛び込んだみたいに、一瞬で体が冷えた。
急いでパジャマから洋服に着替えて、顔も洗わずに葉月ちゃんの家を飛び出した。
葉月ちゃんのママは、良く寝てたから寝かしてくれたみたいだけど、私が慌ててるのを見て、申し訳なさそうに謝った。
私も葉月ちゃんのママに何回も謝った。
だって、自分のせいだってわかってたから。
自分が不甲斐なくて溢れそうになる涙を、必死に押し留めて耐えた。
騒ぎで目を覚ました葉月ちゃんは、時計を見て私が急いでる訳がわかったみたい。
私は葉月ちゃんにもごめんねをたくさん言って、走り出した。
バタバタと音をたてて家に入ると、ママがすぐに顔を出した。
「でんわは!」
「うん……」
いつもと違って歯切れの悪いママにざわっと嫌な感じがした。
「あのね、零」
「なぁに?」
「さっき、電話きたの」
「きれちゃった?」
「うん」
「かけて!」
10時って言っても、いつもぴったりって訳じゃない。
ちょっと遅くなったり、出れなくてかけ直したりしたこともあった。
「それがね、駄目なの」
「なんで!?」
ちょっとムカムカして、食い付くように言ってしまった。
「那由多くん、今年から習い事しててね。もう、それに行っちゃったの」
「え?」
そんなの知らない。
初めて聞いた。
「先週もね、わざわざ遅刻して電話してくれてたみたいなんだけど……」
それ、知らないよ。
私、聞いてないよ。
「ならいごとって、なに?」
「秘密だって」
なんで、秘密なの?
私とお喋りするより大事なの?
ショックで、いつの間にか座り込んでた。
「だから、日曜日はもう電話できないんだって」
静かに涙が流れてた。
その日、私は1日中電話の前にいたけど、結局掛かってくることはなかった。
電話ができないって言われた手前、こっちからも掛けられなかった。
ずっと確かにあった約束が、手品みたいにぱっと消えた。
次の日の学校で、心配してくれた葉月ちゃんに報告しようとしたけど、大泣きしてしまって全然通じなかったと思う。
なんで、なんで、って、そればかっかり思ってた。
その、数日後の朝。
今日も憂鬱な気分で起きた。
とりあえず、キッチンのママに挨拶。
「ママおはよー」
「おはよう」
洗面所に向かう私を、ママが突然引き留めた。
「はい、お手紙が届いてるわよ」
「おてがみ?」
「那由多くんから」
「えっ!」
びっくりして、引ったくるみたいに受け取る。
ママが差し出したハサミも受け取って、封筒のはじっこを丁寧に切る。
気は焦るけど、破かないように慎重に、慎重に。
やっと切れて、便箋を取り出した。
慌ててそれを覗き込む。
“れいちゃんへ”
また、涙が出そうだった。
“でんわできなくなって、ごめんね。”
“ぼくは、ならいごとをはじめました。”
“つよいおとこになれるように、がんばります。”
“また、おてがみかくね。”
たった4行の手紙。
でも、那由多の字。
那由多の言葉。
それと、色鉛筆で描かれた綺麗な挿絵。
那由多だ。
“強い男”ってなんだろう?
習い事ってなんだろう?
疑問ばかりだ。
でも、まぁ、いいや。
私は、さっきまでのテンションが嘘のように、元気になってた。
それから、私は返事を書いた。
那由多よりだいぶ下手な字に、自分でもガッカリしたけど、でも伝えたいことは全部書いた。
背伸びして、手紙をポストに入れる。
いつ、那由多の所に届くかな。
初めて出した手紙に、ちょっとワクワクした。
1週間もしないうちに返事が来てびっくりした。
また短い文と綺麗な挿し絵。
顔がにやける。
私はまた、すぐに返事を書いた。
たまにママたちの電話のついでに、替わって貰って直接話したりもしたけど、それは本当にごくたまにで、私たちは手紙を出し合ってた。
目に見えて、確かに手元に残る。
手紙は証だった。
春になって、2年生になった。
進級して、一番最初に届いたのは、桜の絵ハガキ。
今まで貰った中で一番のお気に入りになったそれは、ランドセルの新しいお守りにした。
夏休みには、那由多が遊びに来る。
手紙の他にも、もっと大きな楽しみが増えて、私は毎日幸せだった。
さらに嬉しい事件もあった。
秋に、弟か妹が生まれるみたい。
パパとママと私は飛び跳ねて喜んで、騒ぎすぎて転びかけたママを、パパがギャーって叫んで抱き留めてた。
手紙にその事を書いたら、那由多もすっごく喜んでくれた。
嬉しいのって、かけ算みたいに増える。
習いたてのかけ算は難しいけど、そう思うとおもしろい。
もうすぐ3の段まで完璧だ。
でも、最近になってママの具合が悪くなってきた。
いつも気持ち悪いって言っていて、ご飯もあんまり食べれないみたい。
パパと私はすごく心配したけど、ママはそれでもいつも笑ってた。
「この子のために食うぞー!」
って食べては、トイレで吐く。
その繰り返しだった。
夏がきてもママは良くならなくて、結局夏休みは那由多に会えなかった。
ママはごめんねって、私に言ったけど、全然大丈夫!って答えた。
那由多もすごく心配してくれて、お見舞いの絵をくれた。
ママはそれを嬉しそうに写真立てに入れて、リビングに飾った。
ママは、私と那由多の誕生日にはやっとご飯も食べれるようになってきて、お腹もかなり出っ張ってきた。
「もうすぐ生まれてくるよ」
パパも私も那由多も、みんなで楽しみに待ってた。
生まれたのは男の子。
産まれたばかりの赤ちゃんは、ちっちゃくて、赤くて、しわしわだった。
私はお姉ちゃんになった。
パパが撮った写真を那由多にも送ったら、さっそく弟の似顔絵を描いてくれた。
ママはやっぱりすごく喜んで、すぐに那由多に電話してた。
ママはすぐに元気になって、退院した。
でも、赤ちゃんは、いつまでも、いつまでも、病院にいた。
ママと毎日病院に行っては、ガラス張りのベッドに寝かされてた弟に会った。
弟は、身体が弱くて、まだお家に帰れない。
いつも、ママと“待ってるよ”って声をかけてた。
冬が来て、年が明けて、春になって、やっと、弟はお家に帰れるようになった。
3年生になった私と、パパとママ、それと、“元気”と名付けられた弟の新しい生活が始まった。
退院しても、元気はやっぱり身体が弱くてすぐに熱を出したりしてた。
パパもママも私も、いつしか元気を中心に生活するのが当たり前になっていった。
それでも、那由多との文通は怠らない。
それどころか、毎週のように元気の写真を送ってた。
そんな毎日を過ごすうちに、私は那由多に会うこともなく、6年生になっていた。