vs4.「いざ出陣」
「雫っ、起きて起きて」
「うーん…」
カーテンの隙間から漏れる朝日が目に染みて痛い。
朦朧とした意識でその声を捉えながら、もぞもぞと布団の中に潜りこむ。
眠い…
「雫、あと30分ぐらいで出ないと、授業に遅刻しちゃうよ」
「うう…」
美保に身体を揺さぶられて、何とか眠たい目をこじ開ける。
ああ…そっか…
今日から授業だったっけ。
いつもと違う室内の匂い。
新鮮さと慣れない違和感を抱えながら、そんな事をぼんやりと考える。
数分して、眠気と奮闘しながら、のそりと体を起こした。
欠伸を噛み殺して、何とか布団の中から這い出る。
「おはよう…」
「おはよう、雫」
ああ、朝から眩しい笑顔だなぁ…
ほんと、太陽みたいで癒される。
「洗面所は右手奥にあるから、顔を洗ったら目が覚めると思うよ」
「うん、ありがとう」
目を手の甲で擦りながら、スリッパを履き、ぺたぺたと音を鳴らして洗面所へと足を向けた。
蛇口を捻り、冷えた水を勢い良く顔に浴びせて、ようやく意識がはっきりとしてくる。
「ふぅ」
鏡の中の自分を見て驚く。
うわっ、酷い寝癖。
慌てて手櫛で髪の毛を整える。
初日から美保に変な寝惚け顔を見られてしまったのだと、今更ながら恥ずかしくなる。
リビングに戻ると、すでに机の上には朝ご飯が綺麗に並べられていた。
「うわっ、すごい。これどうしたの?まさか全部美保が?」
だとしたら、悪すぎる。
どれだけ自分は怠惰だというのか。
朝起こして貰った挙句、朝ご飯もルームメイトに用意させてしまうなんて。
目を丸くして美保を見ると、美保は笑って「違う違う」と言った。
「そういえば雫に説明してなかったね。昼食と夕食は食堂って決まってるんだけど、朝ご飯だけ本人たちの自由なの。食堂でとるも良し、部屋でとるも良し。これは回線で頼めば、部屋まで持ってきて貰えるものなの」
「そうなんだ…」
凄いシステムだ。
感動して、もう一度朝ご飯に視線を落とす。
有難く朝ご飯を頂戴した後、制服を身に着ける。
この学校の制服は、前の学校に比べて可愛いデザインだと思う。
形はシンプルだけど、白基調の制服は襟に黒い二本線が入っていて、胸元は大きめの赤いリボンをアクセントとして結ぶ形になっている。
鏡で乱れがないかざっと全身をチェックしてから、鞄に教科書を詰める。
「出ても大丈夫?」
「うん、大丈夫」
部屋に鍵を掛け、寮の1階に鍵を預けてから、外へと出る。
足を踏み出した瞬間、少し冷たい爽やかな空気が頬を撫でた。
今日も秋らしい、雲ひとつない綺麗な青空が眼前に広がっている。
「良い天気~」
ここまで気持ち良く晴れてくれると、何だか歌い出したくなるな。
「ほんと。この分だと、10分前には教室に着けそうだね」
「うん」
女子寮から校舎まで5分ぐらいの距離がある。
この学園の配置を大まかに説明すると、立派な正門から正面に見て、西に女子寮、東に男子寮があり、対極的な配置になっているそうだ。
そして二つの寮の中間の位置に本校舎があり、それぞれの寮から校舎までは石造りの床が伸びている。
ぽつぽつと道の両端に街灯みたいなのも飾ってあったりして、本当に洒落た造りになってると思う。
これじゃあまるで外国だ。
他にも講堂・図書館・体育館・食堂といった建物があるそうだが、そこまでの場所はまだ把握しきれてない。
いっぺんに覚えろと言われても無理な話だ。
徐々に覚えていけばいいや、と自分の中で勝手に結論付ける。
「あ、そうだ。私、教員室に寄らなきゃいけないんだった」
階段を上る途中で気付く。
そういえば昨日担任に、朝教員室に来るように言われてたんだっけ。
やば、すっかり忘れてた。
「小柳先生?」
「うん、そうそう。その小柳先生。ごめん、美保、教員室ってどこか分かる?」
「3階の左だよ。行けばすぐ分かると思う」
「分かった、ありがとう」
お礼を言うや否や、慌てて駆け上り始めた。
日頃の運動不足が祟ってか、やけに足が重い。
何とか3階に辿り着いたときには、すっかり息が切れていた。
つ、疲れた…
左って言ってたよね。
教員室の扉を控え目にノックしてから、静かに開ける。
すると、一番手前の席に座っていた事務員のような女性が私に気付いて微笑んだ。
「どなたかお探しですか?」
「はい…あの、小柳先生っていらっしゃいますか?」
「ちょっと待ってて下さいね」
小柳先生ー、とその女性は立ち上がって奥の方へと行ってしまった。
その姿を見送りながら、ゆっくりと息を吐き出す。
教員室の中をじっくりと見渡すと、教員達は忙しそうに資料を持って駆け回っていたり、教員同士で話し込んだりしている。
大変そうだな、と他人事のようにぼんやり見つめていると、しばらくして奥の部屋から長身の男が現れた。
「おい、佐竹!お前なぁ…」
「はい。遅れて本当にすみません」
うんざりとした表情を浮かべる目の前の教師に、即座に謝った。
先手必勝、というやつだ。うん。
この小柳という教師。
細いシルバーのフレームの眼鏡をかけていて、それが妙に本人に似合っている。
知的で鋭利な雰囲気を漂わせているが、実際は大雑把というか、外見よりずっと気さくな性格をしているようだ。
歳はたぶん、30前半といった頃か。
小柳先生は呆れ顔でため息をついた後、頭を掻いた。
「ったく…お前は。いいか、いくつか確認事項を言っておくから。時間がないから要点だけ言うぞ」
「はい」
「まずお前が編入するクラスは2年A組。俺の受け持つクラスだ。それは昨日の始業式でも確認済みだな」
「はい」
「これから俺と一緒に教室に向かって貰う。俺がお前の名前を呼んだら、後から教室に入ってきて、簡単に自己紹介をしてくれ」
うわ、自己紹介か。
嫌だな、そういうの苦手なのに…
気付かないうちに顔が少々引き攣ってしまっていたらしい。
小柳先生は苦笑を浮かべて、穏やかな声で続けた。
「二、三言で大丈夫だから。それから最後に…」
真剣な表情に切り替えて、小柳先生はじっとこちらを見つめてきた。
奇妙な沈黙が一瞬流れる。
「何があっても、あまり気にするな」
「は、はぁ…」
拍子抜けしたように、口から出てきたのは情けない返事だった。
けれど、冗談らしい雰囲気はどこにも見当たらなくて、ぽかんと先生の顔を見つめるしかなかった。
どういう意味なんだろう?
随分曖昧な言い回しだけど…
そう言われると、妙に身構えてしまう。
眉間にしわを寄せて今の言葉の意味を考えていると、小柳先生はにっと歯を見せて笑ったかと思いきや、ぽんぽんと私の頭を軽く叩いた。
「ま、大丈夫だ。ほら、行くぞ」
「はぁ…」
なんだか行く先が急に不安になったのは、気のせいでしょうか?