vs3.「やはり後悔先に立たず」
美保の話を簡単に纏めると、どうやらこういう事らしい。
いつから始まったのか、何が原因なのかも分からないが…
とにかくこの学園は昔から壊滅的に男女の仲が悪いらしい。
廊下で男女が鉢合わせれば、睨み合い。
クラスでもほとんど会話が為されることもなく、あってもほとんど喧嘩ばかり。
体育祭や学園祭などでも、生徒の意見が重要なポイントとなってくるイベントでさえ、男女でいつも意見の食い違いが起きる。
そんな事がこの学園では日常茶飯事らしく、今更騒ぐような事でもないだとか。
とは言っても、ただ毛嫌いしている人ばかりがいる訳ではなく、そういった学園の雰囲気に呑み込まれて何も言えない生徒もいるそうだ。
美保もそのような感じのうちのひとりらしい。
そしてその雰囲気を作り上げている代表格が、寮長2人、前原さんとあの男だそうだ。
あの異様な空気が漂っていた始業式が終わり、寮の部屋に戻って、私はふむふむと美保の話に耳を傾けていた。
「そんなにあの2人は仲が悪いの?」
「うーん…仲が悪いというか…、前原先輩が木塚先輩に一方的に突っかかってる、ていう方が正しいのかも」
「え、そうなの?」
「うん。木塚先輩はただ流して聞いてるって感じかなぁ…。ほら、木塚先輩ってああいう人でしょ?」
「ああ…」
先程の姿を思い浮かべて、頷く。
どんな悪態も、あの人さらりと笑顔で軽く受け流してそうだもんね。
「それに皆表立っては絶対言わないけど、影で木塚先輩に憧れている女の子もたくさん居ると思うの」
「え…そうなの?」
確かにそう言われてみれば、そうなのかもしれない。
あの容姿ならば女の子に騒がれてもおかしくはないだろう。
性格に関しては…よく知らないけれど。
にしても、なんて変で忌まわしき風習なんだろう。
そんな事をして一体誰が得をするというのか?
無意味に互いを敬遠し合ったところで、何も生まれるものなどないというのに。
「今の状態を誰も変えようとしないの?」
「う~ん…」
そう尋ねると、美保は困ったように眉を寄せた。
「良くないと思ってる人も勿論いると思うの。私だって、変だなって思うもん。だけどこれがこの学園では当たり前になっちゃってるというか…とりあえず、前原先輩と木塚先輩、あの2人の関係が修復されない限り難しいかな」
そこまであの2人の影響力は、大きいというのか。
学園の雰囲気を作り出してしまうぐらい。
私のそんな疑問を汲み取ったかのように、美保は続けた。
「前原先輩も木塚先輩も、過去に類を見ない、カリスマ寮長って言われてるの。2人とも美人だし、カリスマ的オーラが漂っているからって」
それは、転校してきたばかりの私でも何となく理解できた。
前原さんも正統派の美人だったし、木塚という男も、一般的に見れば群を抜いてカッコいい部類に入るんだろう。
あの2人が壇上に立った姿は一際目立っていた。
「だからね、女子は女子で前原先輩を、男子は男子で木塚先輩を強く慕ってる人も多いの。その中から選抜された人達だけで親衛隊も発足されてるぐらい」
「親衛隊ぃぃ?」
開いた口が塞がらない、ってまさにこの事なんだと思う。
あの2人はそんなものまでお抱えだというのか?
話のスケールが大きすぎて、眩暈が起きそうになる。
もはや、馬鹿馬鹿しすぎて話にならない。
親衛隊なんて小説やマンガの世界だけに存在するものだと思ってた。
まさかこんな身近に例があったとは…
「はぁ…」
駄目だ。
自分には、理解の範疇を超えている。
いくらか気を紛らわそうと、私は美保が入れてくれた紅茶に口をつけた。
紅茶独特の甘い香が鼻腔をくすぐる。
あ、アールグレイだ。
私結構好きなんだよね。
実家でも何かとよく飲んでいたことを思い出し、ふと微笑む。
「あの、大丈夫だった?紅茶、苦手かどうか聞くの忘れちゃって…無理して飲まなくて大丈夫だからね?」
心配そうに尋ねてくる美保が可愛すぎて、頬が緩む。
ああもう、なんでこんなに良い子なんだろう。
「ううん、大丈夫だよ。ありがとう。私アールグレイ大好きだし。実家でもよく飲んでたんだ」
「そうなんだ、良かった」
ほっとしたように、美保が笑う。
けれど、すぐにその表情が硬くなった。
どうしたのかと思って覗き込むと、そろそろと上目遣いにこちらを見上げてきた。
「あの…ね、訊いても大丈夫かな」
「うん?」
何だろうと思いつつ頷くと、美保は躊躇いがちに口を開いた。
「雫、はなんで、転校してきたのかなぁって思って…あっ、でも嫌だったら全然言わなくていいんだからね」
「ああ…」
確かに疑問に思ってもおかしくない。
この時期に編入というのも珍しい事なわけだし。
取り立てて隠すような事でもなかったので、ざっと掻い摘んで事情を説明することにした。
わざわざ話すような内容でもなかったし、タイミングがなかったのもあるから。
「父親の転勤の都合で、両親共に海外に行くことになったの。その間私だけ祖父の家に預けられることになって。だからそれに合わせて、こっちの学校に転校することにしたんだ」
「そうだったんだ…」
美保が納得したように頷いた。
「でも、じゃあ雫は凄く頭良いんだね。一応うちの学校って、進学校でしょ?編入試験パスするの結構大変だったと思うんだけど」
「まあ…楽ではなかったかな」
そう。
けっして楽なんかじゃなかった。
もしこの学園に入れなければ、引き摺ってでも両親と共に海外に連れて行かれる、という約束になっていたから。
編入試験に合格する為に、どれだけ勉強に時間を割いたか分からない。
何故そこまでして海外に行きたくないのかと訊かれれば、理由は簡単、外国が苦手だったからだ。
食事から生活様式まで、順応できる自信が今の自分にはまったくなかったのだ。
純粋に、日本という国が好きだからというのもある。
「我ながら子供っぽい理由だとは思うんだけどね…」
「えっ?」
「ううん、何でもない」
泣く泣く海外へと旅立っていた両親の顔を思い出し、苦笑する。
彼らは元気にやっているんだろうか。
そういえば、とふと疑問に感じた事を口にしてみる。
「あのさ、話を元に戻してもいいかな?」
「うん、大丈夫だよ」
「例えばなんだけど、クラスとかでは男子も勿論一緒に過ごすわけでしょう?ここでもやっぱり男子に話しかけたりしちゃ駄目なの?」
さすがにそれはないだろう、と思いつつも訊いてみる。
しかし、美保はまた困った顔をして、返答に窮しているようだった。
はい?
―――いやいや、そんな馬鹿な話があるわけ…
嫌な予感を抱えつつ、じっと答えを待っていると、美保がおずおずと口を開く。
「あのね、駄目ってわけではないと思うんだけど。やっぱり私のクラスも男女の仲は良くない、っていうのが事実だし。その、たまに仲良く話してたりする事があっても、こう…呼び出される、と言いますか…」
しどろもどろな返答に、一瞬何が何だか分からなかった。
呼び出される?
「まさか、何?話してたりすると、親衛隊みたいな人とか来ちゃったりするわけ?」
あはは。
そんなまさか馬鹿な…
いくら何でもそれはないか。
「す、すごーい雫!どうして分かったの?」
勢い良く机の上に突っ伏す。
誰か嘘でも良いから、嘘だと言ってください…
―――って、それじゃあ意味ないんだけどさ。
私の様子を見て驚いた美保が、慌てているようだった。
しきりに大丈夫かと心配して声をかけてきてくれる。
だけどそんな事に構っていられるほど、今の自分には心に余裕はなさそうだ。
ごめんね、美保…
ちょっとだけ時間を頂戴。
すでに脳内の許容量を超えちゃってるみたい。
「あ、あのね、でもね、見つからなければ大丈夫だよ。堂々と話しかけなければ大丈夫!さすがに親衛隊のひとも一人一人の行動を逐一把握しているわけではないんだし、うん」
「…うん」
なんでこの学園に転校してきてしまったのだろう。
選択肢は他にもあったのではないかと、後悔が脳裏を過ぎる。
大体両親がこの進学校でなければ駄目だ、なんて条件を提示してきたからだ。
じゃなければ、もっとちゃんと吟味できたはずなのに。
後悔先に立たず、って本当にこういう事を言うんだなぁ。
明日から本格的に始まる学校生活に、私は憂鬱な気分で重い重いため息をついたのだった。