壁の落書きを理由に婚約破棄された悪役令嬢
「ジュリア、ただ今をもって、君との婚約を破棄する!」
「……!」
貴族学園のとある放課後の教室。
各々が帰り支度をしていると、私の婚約者であり、我が国の王太子殿下でもあらせられるダリル殿下が、唐突にそう宣言した。
「……どういうことでしょうか殿下? 随分急な話でビックリしてしまいましたわ。私があまりそういった冗談が好きではないことは、殿下もよくご存知ですよね?」
「フン、もちろん冗談などではないさ! こんなこと冗談で言えるものか! 僕は君のことを、つくづく見損なった! まさかキャシーに対して、あんな陰湿な嫌がらせをしていたとはな!」
「ダリル様、あまりジュリア様を責めないであげてください! わ、私は本当に……、気にはしていませんから……」
「キャシー、無理をするんじゃない! 辛い時は素直にそう言っていいんだぞ!」
「ダリル様……」
ダリル殿下が、男爵令嬢であるキャシー嬢の肩に両手を置きながら、慈愛に満ちた瞳を向ける。
クラスメイトたちも、何事かと遠巻きにざわついている。
「話が見えないのですが? 私はキャシー嬢に対して、嫌がらせなどした覚えはございませんよ?」
「フン、そうやって白を切るというなら、こちらにも考えがある! ついて来い!」
そう言うなりキャシー嬢の肩を抱きながら、さっさと教室から出て行ってしまう殿下。
私はフウと一つ溜め息を吐いてから、野次馬のクラスメイトたちと共に、殿下の後を追った。
「これがその証拠だ!」
ドヤ顔で殿下が指差したのは、校舎裏にある壁の一角。
そこには夥しい数の、ありとあらゆる落書きがされていた。
この壁は、通称『匿名掲示板』。
最初は誰かがほんの悪戯で悪口を書き始めたのだが、それに対して他の人間がどんどん便乗していった結果、今では虚実入り交じった、まさしく匿名掲示板と言えるものにまで発展してしまったのである。
その内容は、『教頭先生はカツラ』という微笑ましいものから、『校長は学年主任と不倫している』といった、真実だったら洒落にならないものまで、実に様々だ。
「これがいったい何だというのでしょうか?」
「よく見てみろ、ここを!」
殿下が指差した箇所に目を向けると、そこには『男爵令嬢のキャシーは本当に生意気』と書かれていた。
「それが何か?」
「まだとぼけるのか! これを書いたのは、君だと言っているんだよ僕は!」
「私が?」
盛り上がってきたとばかりに、野次馬たちから息を呑む気配がした。
「お言葉ですが、私はそんなもの、書いた覚えはございませんよ?」
「噓をつくな! 君の字は子どもの頃から何度も見てきた。その僕が言うのだから間違いはない! この字は明らかに君の字だ! しかも落書きはこれだけじゃない、ここも、ここも、ここもッ!」
次々に殿下が指差した箇所を見ると、『キャシーはちょっと可愛いからって調子に乗っている』とか、『キャシーみたいな乳のデカい女は淫乱に決まってる』だとか、『今度うちの使用人にキャシーを襲わせて、嫁に行けない身体にしてやろうかしら』といった文言が並んでいた。
「これらは筆跡的に、明らかに同一人物が書いたもの! そしてその犯人は――他ならぬ君だ、ジュリア! 大方最近キャシーが僕と仲良くしていることに嫉妬して、鬱憤を晴らすためにこうして落書きをしたのだろうが、それがどれだけキャシーを傷付けたと思っているんだ!?」
「ダ、ダリル様、私……」
キャシー嬢は目元に浮かんだ涙を、ハンカチでそっと拭いた。
そんなキャシー嬢のことを、殿下は「どうか泣かないでおくれ!」と、熱く抱きしめた。
周りの野次馬たちから、私に向かって氷のような冷ややかな視線が送られる。
中には「早く謝れよ」と、謝罪を促してくる声まである。
「これは明らかな名誉毀損! むしろ犯罪予告と言っても過言ではない! そんな犯罪者予備軍な君を、未来の国王である僕の婚約者になど、しておけるはずがないだろう!? 僕はこの件を、法廷にまで持っていくつもりだ。そこで洗いざらい自分の罪を認め、然るべき処罰を受けるがいい!」
殿下はこれでもかというドヤ顔で、私の顔に人差し指を向ける。
自分の中の正義を、微塵も疑ってはいない顔だ。
ふむ、そろそろいいかしらね。
「セバス」
「はい、お呼びでしょうか、お嬢様」
「「「――!」」」
私が名を呼ぶと、私の専属執事であるセバスが、どこからともなく風のように現れた。
女性かと見紛うほどの相変わらずのセバスの美貌に、女子生徒たちから甘い吐息が漏れる。
「ダリル殿下は、これらの落書きの犯人は私だと仰っているのだけれど、あなたはどう思うかしら?」
「はい、僭越ながら、これを書いたのは、お嬢様ではございません」
「「「――!?」」」
キッパリと断言したセバスに、場は騒然となった。
「なっ!? く、苦し紛れな言い訳などするなッ! ジュリアの執事であるお前の証言など、信憑性の欠片もないぞ!」
「そ、そうですそうですッ! 誰がどう見たって、ジュリア様の字じゃないですか、これ!」
今の今までは悲劇のヒロイン然としていたキャシー嬢が、一転獣のように牙を剥き出した。
ふふ、早くも本性を現してきたわね。
「いいえ、私は筆跡鑑定士の資格を持っております。確かにお嬢様の字に似てはおりますが、ところどころの『とめ』と『はね』に丸みがあり、よく見ればお嬢様の字とは異なることがおわかりいただけるでしょう。噓だとお思いなら、殿下の信頼の置ける筆跡鑑定士に調べていただければよろしいかと」
「そ……そんな……」
俄然風向きが変わったことで、野次馬たちの視線は私から殿下に移った。
ふふ、これが所謂「流れ変わったな」ってやつね。
「じゃ、じゃあ、この落書きの犯人は誰だと言うんだ!」
「はい、それはそちらで青い顔をされている――キャシー嬢、あなた様です」
「「「――!!!」」」
ふふふ、ここで真犯人の暴露とは。
セバスもなかなか、エンタメがわかってるわね。
「ハアァッ!? 馬鹿も休み休み言え! キャシーは被害者の側だぞ! そのキャシーが、犯人であるはずがないだろうッ!」
「ですからこれは、キャシー嬢の自作自演だったのです。こうして被害者のフリをし、その罪をお嬢様に擦りつけることによって、殿下とお嬢様の婚約を破棄させ、殿下からの寵愛を一身に受けようという画策だったのでしょう。先日校内に張り出されていた、コンクールで佳作を受賞した、キャシー嬢の作文の筆跡を元に私が鑑定した結果、キャシー嬢が書いたものであると判明いたしました。こちらも噓だと仰るなら、どうぞ他の鑑定士に確認なさってください」
「バ……バカな……。嘘だよな!? こんなのデタラメに決まっているよな、キャシー!?」
「え、ええ……! そうですとも。わ、私がそんなこと、するはずがないじゃありませんか」
「……!」
そう言うキャシー嬢の顔には、尋常ではないレベルの冷や汗が浮かんでいた。
これは実質、罪の告白に等しいものだろう。
殿下も野次馬たちもそれに気付いたのか、絶句している。
あらあら、こんな大それたことをする割には、存外肝は小さいのね。
「更にキャシー嬢が書かれた落書きは、他にもございます」
「「「――!?」」」
「ほ、他にも!?」
畳み掛けるわねぇ、セバス。
「はい、こちらとこちら、あとこちらもそうですね。いずれも巧妙に筆跡を変えてはいますが、『とめ』と『はね』の独特の丸みは消せておりません」
セバスが指差した箇所には、『伯爵令嬢のガブリエラは胸をパッドで補強してる』とか、『侯爵令息のライオネルは早漏』とか、『男爵令嬢のマルグリットは買春をしている』といった、目も当てられない文言が並んでいた。
「ハアアアァァ!? いい度胸じゃない、あなたッ!?」
「オ、オイ、どういうことだ、キャシーッ!?」
「キャシー、裏切ったわねッ!!」
「ち、違う……! わ、私じゃ、ない……!」
悪口を書かれた人たちから、矢のような非難を浴びるキャシー嬢。
うん、これぞ因果応報よね。
「あとはそうですね、こちらもキャシー嬢が書かれたものですね」
「な……なにィィッ!!?」
そこには『ダリル殿下は早漏』と書かれていたのだった。
ふふふ。
「キャシー、ききききき、君というやつはッ!!!」
「ち、違います違いますッ!? これは、私じゃありませんッ!! …………あ」
「「「――!!」」」
ふふ、つまり他の落書きは、自分が書いたということよね?
「こ、この痴れ者めッ!! ただで済むと思うなよッ!!」
「い、いえ、私は本当に違うんですッ! し、信じてくださーいッ!!」
「あっ!? 待て、貴様ッ!」
キャシー嬢は脱兎の如く逃げ出した。
その後を、ダリル殿下と野次馬たちがゾロゾロと追い掛けて行く。
この場には、私とセバスだけが残された。
「ご苦労様、セバス。相変わらず、見事な手腕だったわ」
「勿体なきお言葉。私の苦労など、この一ヶ月のお嬢様の積まれた研鑽に比べれば、児戯にも等しいものでございます」
「ふふ」
セバスは折り目正しく、私に頭を下げた。
そう、最後の『ダリル殿下は早漏』という落書きだけは、私が書いたものなのだ。
この一ヶ月、キャシー嬢の筆跡を必死に模倣し、何度もセバスに添削してもらいながら、本物のキャシー嬢の筆跡とまったく同じものに仕上げた。
セバスから、どんな筆跡鑑定士であろうと見抜けないとお墨付きをもらっている。
「恐ろしい方です。相手が落書きを使って陥れようとするなら、それを逆に利用して、身の程をわからせるとは」
「あら、まだあなたは女というものをわかっていないわね、セバス。私は別に特別じゃないわ。女だったら、誰でもこのくらいのことは普通にするわよ」
「なるほど。女性というのは、つくづく奥深い存在なのですね」
セバスは感嘆するように、その端正な顔を緩めた。
「でも、そんな私に懸想しているあなたも、大概だと思うわよ、セバス?」
「ええ、そうかもしれませんね」
セバスが蕩けるような甘い笑みを浮かべた途端、そよ風が私たちの間をすり抜けていった。
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2024.3.2追記
「みこと」様からジュリアのAIイラストをいただきました!
誠にありがとうございます!!!
みこと様の
「侯爵令嬢として婚約破棄を言い渡されたけど、実は私、他国の第2皇女ですよ!」
https://ncode.syosetu.com/n7319in/
も、是非ご高覧ください!