第二十四章
経験を含むあらゆる出来事は今の時代必要である。
愛と死と復活が経験される事象を利用して父権制というものは形付けられる。死というものは経験の一つとして重宝されその意味は復活を持って評価される。
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王にまつわる艱難辛苦をどう表現したものかと攻めあぐねていたところどうやらわかった。形而上学的事柄について本当の意味で王のように考えが及ぶ時、それは耐性として強さとなるというものだ。これを説明したい。耐性という字を見る時、而に寸の性と書く。啓示や形而上学的観想を寸で止めたときそれは耐性として強さとなる。艱難辛苦はこのとき耐性を形作るための環境設定として大いに活躍する。耐性というものはまるで毒のような環境にいることを想定している。だから艱難辛苦が過酷なのも頷ける。
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クダクラゲのような生き物は紐のような姿をしている。こういった紐のような生き物は大体透明な姿をしている。深海に適応するためこうなったのだろう。人間でも同じことが言える。女性を手に入れるのが難しい人にとってその人は陽であるという見方ができる。自らの発する光に適応できずにまた自らの熱で滅んでしまうために女性にアタックできない。こういった時、霊というものは当人を徹底に陰にする。ただ陰にしたところで出来ないものは出来ない。となるとその当人を飽くなき殺法によって透明にしてしまうのである。そうなるとその人は霊に頼る紐のような生活を送ることになるがもう若い頃のようにエネルギッシュではないだろうし当然口数も穏やかとなる。
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王の死によって社会は再構築される。
生贄として死ぬこと命として死ぬこと。どちらも肝要で絶大な影響力を持つ。
生贄として死ぬことを(命としては生きているという意味)柱状節理という言葉を持って表現することが出来る。この言葉は地質学上の言葉であるがこんなところに生贄を表す状態を指す言葉が配置されているのがわかるだろう。鉱物というのは元々宗教的な力によって形成される。科学がなんと言おうがだ。これらは観測によって確定しているだけで王権と鉱物の関係というのは王の公布の度合いに左右されるような特殊な状況があるにはある。mineralというのは「Mine+ral」=「私の所有物の+〜的」、という意味合いを持つからしてこの世界が王の所有物というのはよくある文芸刊行物でも度々言われていることである。
柱状節理とは規則正しい王権の力のことであり`柱`として生贄に捧げられた王自身に起こる不遇の摂理が命としての意味において実際に人間世界の究極の形としての王権を形象する言葉である。
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力の正体は水流である。
とりわけ王にとっては滝である。
これは王が社会を作り上げるという話を前提として進める話だがその場合、地理的物質的現象すら彼が創り上げている。古代においては王が極めてこのタイプによって支配していた。学というのは誇りを高める一種の手段である。自信というのが地震と全く持ってこの時代同じことだった。(それは今も同じ事である)学を高めることが王の関心事である場合同時に誇りも高められる。花にとって萼という装置が花を咲かせることがわかるよう学も確変を呼び込む。その確変が現実を形象づくっている。塵から水が生まれることというのは埃から水が生まれることである。誇り(ほこり)から水が生まれたことで王の学を支えるものは天からの最短距離の水流でこれが滝となる。萼も誇も亏がその漢字に入っている。これらは関連性を示している。




