アーサーの家出
「アーサー様!坊っちゃま!どこにいらっしゃるのですか⁈」
ノーラがゆっくりと朝食をとっているところへ、フローレンスが慌ただしく飛び込んできた。
「ノーラ様、大変です!ノーラ様!」
「朝っぱらからどうしたの、フローレンス。今朝のケジャリーはちょっとターメリックが強すぎるわよ」
「アーサー様が、アーサー様がこの城を出て行かれてしまいました!」
「知ってるわ」
ノーラは口元をナプキンで軽くふき取ると、搾りたてのオレンジジュースで喉を潤した。
「明け方くらいに何だかゴソゴソしながら出て行ったわ。まあ、そのうちお腹を空かせて帰ってくるわよ」
「そんな……!トランクに身の回りの荷物もすべて持って行かれてます!それに、この置き手紙!」
フローレンスは涙目で一枚のメモを差し出した。
そこには一生懸命練習したのがうかがえる、ぎこちないながらも整った筆記体の文章が書かれていた。
「ノーラ、ごめんなさい。
ぼくはもう、誰とも戦いたくないです。
レスターさん、迷惑ばかりかけてごめんなさい。
ヘンリーさん、トライアンフに乗れなかったのは残念だけど、車かっこよかったです。
フローレンスさん、いつもお世話してくれてありがとう。クッキー美味しかったです。残っていた分、もらっていきます。
それから、それから。
いつも優しくしてくれたお城のみんな、
ありがとうございます。
みなさんの事はぜったいに忘れません。
日本に帰ったら、また手紙書きます。
さようなら。
吉岡・アーサー=太郎」
「可哀想なアーサー様!ひとりで悩んで……
今から追いかけたら、まだ間に合うんじゃないでしょうか?」
「間に合うって?」
「もちろん、アーサー様の後をですよ、ノーラ様!このままお一人で帰国なんて、そんな可哀想な!」
「あのねえ、フローレンス」
ノーラが満面に底意地の悪い笑みを浮かべた。
「あんた、まだあの子のことがわかってないわね。
あたしのカンだと、あの子まだこの城の敷地内すら脱出できていないわよ」
「……へ?だ、だってもうお姿が見えなくなってから2〜3時間はたっているんですよ?」
「何時間でも一緒よ。多分、今頃はお腹を空かせてクッキーにかじりついている頃ね」
大正解だった。
明け方、まだ暗いうちに城を抜け出したアーサーは、専用の馬車がまだ動いていないため歩いて駅まで向かったのだが、生来の方向音痴が災いして、広大な敷地内ですっかり迷子になってしまっていた。
「おかしいなあ、確か丘を降りてこっちに行けば駅へ続く道があったはずなのに」
城からは離れたものの、似たような風景が続く林の中をぐるぐるとさまよい、
トランクの重さがだんだんと応え出しているところに、グウウウウ〜っと腹の虫が盛大に鳴った。
「はあ……お腹もすいたし、ちょっと休もう」
切り株に腰掛けると、トランクを開けて紙袋から大好物のチョコチップ入りのクッキーを取り出し頬張った。
「ブフッ、お、お茶」
慌てて食べたものだからむせてしまい、紅茶の入った水筒を取り出すと一気に飲んだのだが…
「に、苦い!砂糖入れ忘れちゃったよう」
はあああーっと長いため息をつくと、すっかり凹んでしまった。
「これからどうしようかなあ」
『もうあの城に戻る気は無いけど、どうやって日本まで帰ったらいいんだろう。
とりあえず、何とか列車に乗ってポーツマスの港まで行かないと。そしたら日本行きの船を探して、ママに持たせてもらったお金があるから、それで交渉して乗せてもらって……』
ノーラやヘンリー、レスター、みんなの顔が浮かぶ。
『みんな心配してるかなあ。
でも、もう誰かと戦うのは嫌なんだ。
だって、誰かに勝っても終わらないもの。
何で、みんな争うんだろう。
何で、誰かを憎むんだろう。
何で、戦わなきゃいけないんだろう。
もう、お家に帰りたいんだ』
アーサーはおだやかな海が広がる故郷の風景と、両親や妹の顔を思い浮かべるが、母親のアンの泣いている顔が思い出されてしまう。
『おじいちゃんやこの家のことを放って帰ったら、ママ悲しむかなあ。やるって言っちゃったもんなあ』
はああああ〜っと再び長いため息をついたところで、誰かが側に立っていることにアーサーは気づいた。
顔を上げると、そこにいたのはキャソックと呼ばれる、カトリックの聖職者の平服である立襟の祭服を着込んだ浅黒い男で、微笑みを浮かべて話しかけてきた。
「はじめまして、ウォルズリー家の次期当主候補、アーサー様」




