忘れる事などできない part2
ノーラとヘンリーはそっと部屋を出て、応接室に移った。
ヘンリーはソファーに深々と座り込むと、頭の後ろで両手を組んで黙り込んだ。
しばらくの沈黙の後、ぽつりとつぶやいた。
「やっと眠ったな」
ノーラは対面の椅子の上で毛づくろいをしながらことも無げに応える。
「まあ、最初の頃は魔法を使いすぎると身体はヘトヘトに疲れていても、精神的には興奮状態になってなかなか寝付けないのものなのよ。」
「それだけじゃないだろう」
「え?」
「精神的なショックじゃないのか」
「ああ、そうね。あの子には今日の出来事はちょっと刺激が強すぎたかもね。
で?あんたの話ってなあに?」
少しの間をおいてヘンリーが重い口を開く。
「なあ……あんた、わかってたんだろ」
「わかってたって?」
ノーラは素知らぬ顔で毛づくろいを続けている。
「とぼけるなよ。あんた、あの森へ行けばあんなことになるってわかっていながら、あの子を連れて行ったんじゃないのか?」
「へえ、あたしが?なんでそう思うの?」
「考えたらおかしなことだらけなんだよ。あんたはあの森で起きた事の詳細を誰よりも知っていたはずだ。
それに、ドイツの戦車隊が出てきた時だってそうだ。親父に聞いた話じゃあ、あんたの力ならあんなもの苦もなくひねり潰せたんじゃないのか?」
「まあ、ね。その気になれば。
ふふ、レスターもおしゃべりねえ」
「なのにあんたは、あの子が魔法を使わざるを得ない状況に持って行った」
「……ふうん、何のために?」
「刺激を与えて、あんたの言うところの、魔力の覚醒とやらのためじゃないのか。
そのために、あんな凄惨な事件をわざとあの子に体験させたんじゃないのか?」
「ハッ!凄惨?あんなものが?」
ノーラが小馬鹿にしたように鼻で笑う。
「あんなの昔の魔女狩りでは、当たり前の様に起きていたひとつに過ぎないわよ。あんたが本当の地獄ってものを知らないだけよ」
「…あんたにとっちゃありふれた事件に過ぎないにしても、子供に経験させていい話じゃないだろう!」
ヘンリーの顔が紅潮し、声に怒りが込められている。
「あら、あんたがそんなに子供好きの聖人だとは思わなかったわ。意外ねえ。
ナニー*にでも転職した方がいいんじゃない?」
「ふざけんなよ!!」
普段、軽口ばかり叩くヘンリーとは思えない、怒りに満ちた声だ。
「ガキをひでぇ目に遭わせるのはなあ、俺の流儀じゃねえんだよ!」
「育ちの悪さが出てるわよ、ぼ・う・や。
自分の境遇と重ねて感情移入するのは勝手だけど、あんた諜報員スパイなんでしょ?
感情のコントロール位、ちゃんとしなさいな」
ヘンリーがソファーから立ち上がった。
「あんたに言われる筋合いじゃねえ!」
ガチャリ。ドアが開いた。
「二人とも、お茶をどうぞ」
落ち着かせるように、レスターが紅茶を運んできた。
「リラックス効果のあるアールグレイでございます」
バラの花が描かれたエインズレイのティーカップをセッティングする。
「あら、レスター。てっきりあんたはウェッジウッド派だとばかり思ってたわ」
「人生には、花が必要な時もございます」
レスターはすまし顔で、ティーカップに紅茶を注ぐ。
殺気立った室内に優しい香りが立ち上る。
「それでは私は先に休ませていただきます」
「父さん!」
一礼して部屋を出て行くレスターにヘンリーが呼びかける。
「あの……冷えると傷に障るから。気をつけてくれよ」
レスターは静かに微笑むとドアを閉めた。
「シラケちまったなあ」
ヘンリーは小さくぼやいてソファーに座り直した。
「そうね、あんたには話しておいた方がいいかも知れないわね」
「何をだよ」
「カリカリしないの。ちょっとした昔話よ」
ノーラはゆっくりと語り出した。
「あの黒い森の魔女より遥かに昔、もう七百年以上も前のお話」
「ヨーロッパに“はじまりの魔女”と呼ばれる女王が率いる、魔法使いたちが暮らす小国がありました。
小さいながらも肥沃な土地に恵まれ、周囲の国々とも友好的な関係を保ち、心優しい女王の元で人々は幸せに暮らしていました。
ところがある日、その国の鉱山から、とても高価で貴重な鉱石が発見されました。
するとどうでしょう、周囲の国々は手のひらを返し、その国を我が物にしようと企んだのです!
もともと平和を愛するその国には軍隊と呼べるものなどありませんでしたが、
“はじまりの魔女”はその魔法で、押し寄せる他国の軍隊を果敢にも追い払いました。
しかし彼らは決してあきらめず、悪辣な魔女を討ち払う『魔女狩り』という名目で西の大国の力を借り、再び攻め込んできたのです。
結果、長年にわたる戦争の末に魔女の国は敗れ、大人から子供まで皆殺しにされ滅びてしまいました。
臣下の命がけの働きで、ただひとり瀕死の状態で逃げ延びた魔女は息絶える寸前に、
伝説の魔法使いである初代ウォルズリー家の当主と出会いました。
彼に助けてほしいかと聞かれた魔女は、もちろんと答えました。
人々の恨み、悲しみ、そして復讐。
流された血以上の地獄をこの世に造るために永遠の命を求めたのです。
彼は自分に仕える事を条件に、魔女の命を助けました。
ただし、一匹の白猫として。
魔女は猛烈に怒り、彼に抗議しましたが受け入れられず、絶望し自ら命を絶ちました。
でも、また白猫として生まれてきたのです。
何度死んでも、また白い猫として甦り、魔女は彼を心の底から憎みました。
でも、その後、彼と共に各地を放浪し、白猫はたくさんのものを見ました。
戦や飢え、病気。簡単に消える儚い命を。
笑い、泣き、愛し合う小さな喜びの尊さを。
ただ、そこにあるがままで、完璧なこの世界の美しさを。
白猫はだんだんと生きる意味を考える様になっていきました。
そしてある日、復讐だけに囚われ生きていくことの虚しさに気づいたのです。
それから白猫は、初代当主に受けた恩を返すために、ウォルズリー家の守護になる事を決めました。
お・し・ま・い」
「それが、あんたってことか」
ノーラはゆっくりと紅茶を味わうと、再び口を開いた。
「ハワードの力が衰えつつある今、一族の中であの魔女を倒せる可能性があるのはあの子だけ。
でも、今闘えばあの子は確実に殺されてしまう。あの子自身の、あの子の意思での魔力の覚醒が必要だったの。
そして……できることなら、あの魔女を救ってやってほしいのよ」
ヘンリーが驚いて声を上げた。
「何だって?魔女を救うだって?」
「ハワードとあたしが力を合わせれば、あの魔女を倒すことは可能でしょう。
でも、それじゃあダメなの。
虐げられし者の怒りや憎しみは、力でかき消すことはできない。
力による支配と服従こそが、あの魔女が望む、この世界を破滅へ導く呪いなのよ」
「ちょっと待ってくれ、どういうことだ」
「ドイツとイタリア、そしてこのイギリスを手中に収めたら、魔女は世界を再び争いの渦に巻き込もうと考えている。
今回は先の欧州大戦なんかとはレベルが違う、世界中を巻き込んだ戦争をね」
「その先に待つものは、世界の終わりってことか!」
「ハワードはウォルズリー家に伝わるビジョンで、その未来を見てしまった。
だからこそ、あたしがそうだったように、復讐のみを目的としている彼女を単に倒すだけでなく、その魂を解放して、世界を救うことを考えているのよ。
そしてそれができるのは、魔女が背負った悲しみや苦しみを本当に理解できる者。
怒りや力ではなく、愛と優しさで戦うことができる者だけなのよ」
「そのために、アーサーにあの村で起きた事を経験させたって言う訳か?
それにしても、あの子はまだ十歳の子供だ。世界を救うなんて、いくら何でも荷が重すぎる」
ノーラはその美しいオッドアイでヘンリーを真正面から見つめる。
「だから、協力してほしいのよ、ヘンリー。もう時間がないわ。
彼らは今度の親族会議で総攻撃をかけてくるでしょうから」
窓の外にゆっくりと朝日が昇ってきた。
「もう朝かよ」
ヘンリーが窓の外を眺め呟いた。
*ナニー……イギリスの伝統文化で、保護者に代わって子どもを預かり、面倒を見る。 ベビーシッターとの大きな違いは、単なる身の回りの世話だけでなく、しつけや勉強、情操教育などを乳幼児の専門家として提供する点。




