顔のない少年
メリッサが滅びた後、魔女の呪いを受け意識を失ったアーサーは、ヘンリーの手によって寝室に運び込まれ一昼夜たった現在でも意識が戻らない状態が続いていた。
ベッドに横たわるアーサーを見守り続けるヘンリーに、ノーラが話しかける。
「とりあえず魔女の呪いはすべて取り除いたわ。
あんたもちょっとは休みなさい。
酷い顔してるわよ」
「ひとまず……命の危険はないってことでいいのか?」
「ええ、それは大丈夫よ」
「じゃあ、何でまだ意識が戻らないんだ?」
「それだけあの呪いによる精神的・肉体的なダメージが大きかったのよ。想像を絶する恐怖に襲われたために、あの子の潜在意識が外部からの一切の刺激をシャットアウトしてしまっているわ」
ヘンリーは指を伸ばして、眠り続けるアーサーの青白い頬に、そっと触れた。
「……そりゃそうだよな。
まだこんな、ほんの子供なのに。
家族と離され、見知らぬ国であんな
とんでもない化け物と戦わされて……」
じっと見つめている間に、ベッドで眠るアーサーの姿に孤児院のベッドで自分を待ち続けて亡くなってしまった弟分の姿が重なって見えてきて、ヘンリーは、繰り返し自分を責め続けていた。
『十年前の時の様な、あんな悲しい出来事がもう二度と起こらないようにしてきたつもりだったのに。
また同じ過ちを、俺は……!
また、大切なものを守れないのか……!』
なんとか絞り出すような声で、ノーラに懇願した。
「頼むよ、この子を助けてやってくれ」
ノーラは、何を当たり前のことをと言わんばかりの顔で応えた。
「やるべきことはやったわ。
このまま恐怖に縛られ、うずくまったままなのか。
勇気を持って立ち上がるのか。
後はこの子の精神力次第よ」
ヘンリーはベッドのそばに跪くと、両手を顔の前で組み、普段なら鼻で笑いとばす相手ー神様ーに、アーサーの無事を祈った。
「……ヘンリー。いつまでもここにいたって
しょうがないわ。レスターの様子を見に行くわよ」
「あ、ああ。そうだな。おとなしく寝ていてくれればいいんだけど」
深手を負ったもののノーラの治癒魔法により何とか歩けるまでに回復したレスターは、駈けつけた使用人達の手助けを断り、自分もアーサーを見守ると言って聞かなかったのだが、ノーラに叱責され、自室で安静にさせられていたのだ。
レスターの様子を伺いにアーサーの寝室から出てきたノーラとヘンリーは自分の目を疑った。
「ちょっと!あんた達、これは何の騒ぎ?」
そこには、目を真っ赤に泣きはらしたフローレンスを始め、たくさんのメイドや下僕、庭師や料理番、馬の世話係など、数え切れないほどの城中の使用人たちが深刻な顔で集まっていたのだ。
「ノーラ様!アーサー様の具合はどうなんですか?」
「本当に、本当に大丈夫なんですか⁉︎」
「ああ…可哀想なアーサー様、
代われるものなら代わってあげたい!」
「ノーラ様、私たちに何かお手伝い
できることはないのでしょうか⁉︎」
口々に泣き、叫び、懇願する姿を見てノーラは少し感動を覚えていた。
『長いウォルズリー家の歴史の中でも、これだけ他人に愛され、慕われた者はいなかった。
アーサーのあの分け隔てのない優しい性格が、みんなの心を動かしたんだわ。
……ハワード、悔しいけどあんたの考え通りかもね。
あの子なら、今までとは違う新しい歴史を作れるかもしれない』
ヘンリーは寝室を振り返り、眠り続けるアーサーへ想いを送った。
『アーサー君、聞こえてるかい?みんな君を待っているんだよ!』
その頃、深い眠りの底でアーサーはいつ終わるともしれぬ悪夢にうなされ続けていた。
暗闇の中、いくら逃げても怪物が執拗に追いかけてくるのだ。
息が切れ、肺と、脇腹が激しく痛む。足ももう限界に近くパンパンになって、立ち止まって座り込みたくなるのだが、振り返ると、もうすぐ後ろにまで迫っていて、今にも襲いかかろうとしているのがわかる。
『いやだ、いやだ!もう、いやだ!』
アーサーは泣きながら、走り続けていた。
一体どれくらい走り続けたのだろう。
必死に走り続けるうちに、いつしかアーサーは見覚えのない森の奥深くに迷い込んでいる事に気づいた。
高く、深く樹々は茂り、森の内部は昼か夜かの区別もつかないほど薄暗く不気味な空気に包まれていた。
追いかけてくる怪物の気配は去ったが、一体どこをどう進めばこの森から抜け出せるのか、見当もつかない。
『もういい。ここから出られなくてもいい。
外に出たら、きっとまた襲われる。
怖いのは、もういやなんだ……』
アーサーはすっかり心の迷図に迷い込んでしまっていた。
あてもなく歩いていると小さな湖が見え、自分が疲れ果て、ひどく喉が渇いていることに改めて気づき、座り込むと、ガブガブと湖の水を飲んだ。
気分が少し落ち着き、辺りを見渡すと少し離れた場所に、自分と同じように一人の少年がうずくまっている事に気がついた。
年齢は自分と同じくらいに見える。気になって声をかけようと近づくと、姿が見えなくなった。
どこに行ったのか探していると、また離れた場所にうずくまっている。
再び声をかけようと近づくと、またいなくなる。
何度も繰り返すうちに、アーサーは途方に暮れて座り込んだ。
あの子は誰?ここはいったいどこなんだろう?
「ここは、黒い森だよ」
驚いて横を見ると,さっきの少年が同じように膝を抱えて座り込んでいる。
「黒い森?」
「うん。ここは魔法使いの森だから、普通の人間は入れないんだよ。
きみ、すごいね」
「ええ、そうなの?全然わからなかった。
そうだ、ぼく、アーサー。きみは?」
「ぼく?わかんない…」
「え…名前,忘れちゃったの?」
そこまで話したところでアーサーは少年の顔がない事に気づいた。
「き、きみ!顔がないの?」
「かお?かおってなに?」
しかし顔はないのだが、普通に話はできるし、なぜだか違和感はない。
「迷子なの?お家はどこ?」
「おうち?おうちは…」
急に少年の口調が変わった。
まるで歌うかのように同じことを繰り返し、繰り返し訴える。
「ぼく、おうちにかえりたいんだ。
この森のどこかなんだけど
おうちがわかんないんだ。
おうちにかえりたい、
ねえさまにあいたい。
でも、でも、ぼくがわるいんだ。
ぼくのせいなんだ。
ぼくのせいで
みんなしんじゃった。
ごめんなさい、ごめんなさい、
ごめんなさい、ごめんなさい。
ごめんなさい、ごめんなさい。
ごめんなさい、ごめんなさい。
ごめんなさい、ごめんなさい。
だからねえさま、ずっとおこってる。
だからねえさま、ずっとないている。
だからねえさま、ごめんなさいって
いってもきこえないんだ。
ねえさま、ごめんなさい。
もう、おこらないで。
もう、なかないで。
むかしのように、わらって。
ねえさまにあいたい。
おうちにかえりたい。
でも、かえれない。
だからずっと、ひとりきり、
ずうっとひとりきりなんだ」
そこまで話すと、顔のない少年は声を上げて泣き出した。
アーサーは思わず、少年を強く抱きしめた。
「ねえ、泣かないで。大丈夫だよ。
ひとりじゃないよ、ぼくがいるよ。
きみのお家も、お姉さんもぼくが探してあげるよ」
「ほんとう?ぼく、おうちにかえれる?」
「もちろんだよ!きみ、この森の中でずっとひとりなの?」
「…むかしはもっと、いっぱい人がいてみんないっしょだった気がするけど、もうずうっとひとりなんだ」
「じゃあ、これからはひとりじゃないよ。ぼくが友達だよ」
「ぼくのともだちになってくれるの、アーサー?」
「もちろんだよ!」
どちらからともなく、手を差し出し握手をしたところで
アーサーは、長い眠りから目を覚ました。
「アーサー様?お目覚めになられたのですか⁉︎」
交代で側に付いていたフローレンスが気づき、アーサーに飛びつき、大きな声を上げて泣き出した。
「アーサー様!よかった…本当に!」
その声でノーラやヘンリー、その他、城中の人間が部屋になだれ込み、アーサーを代わる代わる抱きしめた。
「あの、みんな、おはようございます」
何とも間の抜けたアーサーの第一声にヘンリーが頭を乱暴に撫ぜながら笑い、みんな泣くのをやめて声を上げて笑った。
こんなにも大勢の人が心配してくれていた事を知り、アーサーはひとりぼっちだと思い込んでいた自分を恥ずかしく思った。
「ひとりぼっちといえば…
あの子、顔のないあの子!」
アーサーは自分の手に、あの少年との握手の感触がハッキリと残っている事に気がついた。
そうだ。あれは、ただの夢じゃない、
あの子はいるんだ。
ひとりぼっちで、
黒い森の中をずっとさまよっているんだ。
あの子を助けてあげなきゃ!
「どうしたの、アーサー?」
「ノーラ!黒い森って確か!」




