家庭教師 part2
家庭教師たちによるアーサーへの特別授業は、なかなかハードなものだった。
一人目は、オックスフォード大学の教授だという年配の男性で、英国史の授業だった。
彼は英国の歴史をウォルズリー家との関係を中心にとうとうと語り出した。アングロ=サクソン七王国の一つに過ぎなかったウェセックス王国の王に力を貸し、統一イングランド王国を作り上げた影の立役者であるとか、十三世紀にスコットランドを併合したのもウォルズリー家の力なくては成し得なかったとかを大げさなジェスチャーを加えて話し、最後には興奮のあまり目眩を起こして運ばれて行ってしまった。
二人目は、政府にも協力している経済の専門家とのことで、過去のヨーロッパ内外でのフランスとの植民地をめぐる争いに始まり、強力な軍事力を背景に世界中に植民地を獲得したことや、産業革命が大英帝国の経済的な繁栄につながっていったこと、そして、ウォルズリー家の莫大な資産と献身が、現在もイギリスを支えていることを熱弁した。
三人目は、マナー講師だった。マナーといっても、一般の社会における挨拶や気遣いといったものとは違い、王侯貴族の複雑な階級社会の中でのみ通用するような社交儀礼だった。相手の身分とこちらの身分によって、振る舞いや言動一つで戦争になることもあるらしいことをアーサーは厳しく教えられた。そしてこの講師も、ウォルズリー家の人々がいかに素晴らしいマナーを身につけているかを絶賛した。
三人目が終わって部屋を出た瞬間、アーサーは机に突っ伏して叫んでしまった。
「あああああああああもういやあ!覚えることが多すぎるよ!頭から煙が出るうううううううううう!」
心からの叫びだった。
しかしヘロヘロになりながらも、アーサーはある思いを抱いていた。
『みんな、なんでそんなにこの家を持ち上げるんだ?
そりゃあ歴史や財産は確かにすごいんだろうけど、人間的にはどうなんだ?みたいな人もいっぱいいるのに。
なんというか、心から尊敬しているというよりは恐れているように感じられる。
恐れる?誰を?おじいちゃんを?』
机に顔をべったりとつけたまま、そんなことを考えていると、
コンコン。
誰かが開いている扉を軽くノックした。慌てて顔を上げると、そこには長めの金髪をなびかせ、フチなしの上品なメガネをかけた青年がにこやかに微笑みながら立っていた。
「疲れたかい。大丈夫?」
「あ、すいません、大丈夫です!あの、どちら様で…」
「初めまして。君の語学を担当するヘンリー・マクレガーだよ、アーサー君」
ヘンリーはアーサーと簡単な自己紹介や世間話をした後、切り出した。
「まず最初に。アーサー君、君のお父さんは日本人だと聞いたけど、アメリカ英語を習得していたんだろうね。
そのために君の英語は、お母さんの話すキングスイングリッシュとごちゃ混ぜになってしまっている。まずそこが一つと、それに加えて問題なのが、イギリスの英語には三種類あるんだよ」
「へ?さ、三種類?」
「そう。一つ目は今僕が喋っているRP(Received Pronunciation)と呼ばれる、いわゆる上流階級の英語だ。それからホワイトカラーー中流階級ーの使うエスチュアリーとも呼ばれる河口域英語。
そしていわゆる労働者階級が使うコックニー訛りの英語だ。
君がこれから出会う人たちはほとんどが貴族や上流階級だから、君は一つ目の英語を話せるようにならなくてはいけない。
そこを踏まえて、一つずつ直していこうか」
「アーサー君、今の挨拶、最後の母音をもうほんの少し伸ばそうか」
「アーサー君、その単語のoはaの発音じゃダメです。きちんとoで」
「アーサー君、rはそんなに舌を巻かなくて良いんだよ」
「アーサー君、口は横に開くのではなく、縦に開く事をイメージして」
逐一発音をチェックしながらの授業が続き、脳の限界を軽く超えてしまい、アーサーは先ほどよりダイナミックに机に突っ伏してしまった。
「……ヘンリーセンセイ、モウナニモ、ハイリマセン」
ヘンリーが苦笑いしながら言った。
「疲れたかい?じゃあちょっとお茶でも飲んで休憩しようか」
フローレンスが持ってきてくれたのは砂糖の入っていない、ストレートティだった。
当然のように、甘いビスケットもない。
アーサー的にはホットチョコレートの方がいいが、この味にも慣れないといけないらしい。
紅茶をすすりながらアーサーは、半泣き状態になっていた。
『つらいよおおお。こんなところ、来るんじゃなかった。お家に帰りたいよおお』
凹んでいるアーサーを見ながらヘンリーが話しかけた。
「アーサー君はさあ、どうしてこの家の後継者選びに名乗りを上げたの?」
「え、そんなことまで知っているんですか!?」
「……そりゃあまあ、僕も他の人々も、他の事をおいても駆けつけるに値する結構な高給で集められたから、それくらいはね」
「あー、い、いやどうしてというか…お祖父ちゃんに一度も会ったこともないし、ママの実家も見てみたかったと言うか」
うまく言葉が出てこないアーサーを見て、ヘンリーはまるで心の中を読み取るかのように話しかけてくる。
「ふーん……でも、この家に関わるのは何かと大変だよ?確かに財力はケタ違いに凄いし、英国王室ともゆかりがあって名声も高いけど、その分、何かとプレッシャーもあるだろうしねえ。日本で自由気ままにのんびり暮らしてる方がいいと思うけど」
「そ、そうなんですか、ははは」
「いくらお金があっても、本当に欲しいものが手に入る訳じゃないしね」
笑ってゴマカシながら、アーサーは気づいた。
『なんでかな、この人だけは他の家庭教師とは違う。ウォルズリー家に媚びることも、恐れることもなく普通に接してくれる』
アーサーがヘンリーに興味を持ち出し始めた時、小走りに廊下を走るたくさんの足音や、誰かの叫ぶ声が響き、急に部屋の外が騒がしくなってきた。
「なに?何の騒ぎなんだろう?」
アーサーが廊下に出ようとしたその瞬間、フローレンスがドアを開けて入ってきた。
「アーサー様!」
いつも笑顔を絶やさないフローレンスが、真顔になって慌てているのがわかる。
「どうしたんですか?フローレンスさん、外でなにがー」
フローレンスはアーサーの言葉を遮ると言った。
「アーサー様、よろしいですか?決してドアを開けずにここにいてください」
「え、でもどうして?」
「お願いいたします。先生も、ご一緒に部屋にいてください」
「それは構わないけど。どうしたんですか?」
ヘンリーが尋ねるとレフローレンスはわずかに躊躇したが、思い切って話し出した。
「ご当主様の弟、アーサー様の大叔父にあたるルーパス様がいらっしゃいました」




