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第五話「休日」

 翌日。

 街は、人で溢れ返っていた。

「うわぁ…」

「すげぇな、こりゃ…」

 ユーキが声をあげ、ボーイも息を飲んだ。

 その隣には、当然のように、シンとナチアがいる。四人はこの時、Bブロックの大通りに来ていた。

 Bブロック。

 それがいわゆる、街、である。

 惑星グリューンの衛星軌道上に浮かぶ宇宙ステーション・ヘブンは、大きく分けて、五つのブロックから構成されている。

 順番に、宇宙港のあるAブロック、商業区域であり民間人の居住区域でもあるBブロック、連邦軍の専用区域であるCブロック、ヘブン運用上の中枢部であり、シン達の生活するDブロック、そして、それら四つのブロックに囲まれた動力中心部であるEブロックの、計五つである。民間用と軍用の両方のブロックを備えているために、一般的な宇宙ステーションと比べた場合、かなり大きな部類に入る。

 そして、他の多くの宇宙ステーションがそうであるように、商業用の区域はヘブンにおいても、最も華やかな存在であった。多数の民間企業が出張所を設け、大型の商業施設やブティックが軒を並べる。ホテルやバーがあるのもこの区域であるし、遊戯施設も種々揃っていた。

「申し訳ありませんが、用事が入りました。今日これからと、明日、訓練は無しとします。ちょうど良い機会です。体を休めておきなさい」

 インター・ホン越しに行われたヘレンからの説明は、じつに簡潔なものであった。

 かくして一同は、いつもより早くミーティング・ルームをあとにし、いつもより早く夕食をとり就寝し、そしていつもより早く目を覚ましてしまったのである。シンの言葉どおり、体力を回復させた四人が、それぞれの部屋の中で、いつまでも大人しくしている理由はなかった。

 エア・カーでBブロックに移動し、駐車場からのエレベーターを降りたところで、四人は人の群れにぶつかった。

 この二週間雑踏と離れ、特殊な生活を送っていた四人にとっては、人ごみは、ただそれだけで、感嘆の対象であった。

「………」

「………」

「………」

「………」

 しばらくの間、黙って人の流れを眺めていた四人であったが、いつまでもそうしてはいられなかった。

「さて、これからどうする?」

 先頭のシンが、一同を振り返る。

 シンのほぼ真横にいたユーキも、後ろに顔を向ける。

 特にやりたいことがあったわけではない。ユーキに関しては、四人で外出すること自体を、目的と考えていた。ナチアを付き合わせて、男達の部屋の前で待っていたのも、ユーキである。出かけるためのエア・カーが一台しかないから、という言い訳は、しょせん言い訳でしかなかった。

 そうして振り返った視線の先には、ボーイとナチアがいる。目だけを動かして、互いを見ている。

 ナチアには、ショッピングを楽しみたい、という気持ちはあるものの、なんとしても、とまでは考えていない。一方のボーイも、この状況でガール・ハントに移行するのは気が引けた。

「まあ、まずは、ぶらついてみようぜ」

 ボーイの提案は、一同に受け入れられた。


 一度動き出したら最後、四人は、ひたすらに遊び続けた。

 昔ながらのビリヤードに始まり、ゲーム・センター、ラケット・ボールと、遊戯施設を渡り歩いた。途中には、久しぶりの外食を楽しみ、一名を除き、その味に舌鼓を打った。

 ビリヤードでは、シンとボーイが、熱い戦いを繰り広げた。

 ゲーム・センターでは、四人で通信型の戦闘機シミュレータに挑み、ハイ・スコアを叩き出した。

 ラケット・ボールでは、華麗なスピード・プレイを、ユーキとナチアで演じた。

 四人は、これまでの訓練で溜まったうっぷんを晴らすかのように、休日を楽しんだ。いずれの場所でも、思う存分楽しんだ四人は。必然的に、いずれの場所でも人々に注目されることとなった。

 この日ユーキは、つばの広い帽子に淡いベージュのワン・ピースを、ナチアは出会った時とは異なるサン・グラスと、純白のカジュアル・ドレスを身に纏っている。並んで立つと、ナチアの方が若干背が高い。シンは白のシャツをラフに着こなし、ボーイはダーク・ブルーのスーツ姿である。

 四人の歩く前には、自然と道が開き、その後ろからは、常に無数の視線が追いかけてきた。

「まわりの視線が、痛いこと、痛いこと」

 おどけて肩をすくめるボーイに対し、ナチアが、馬鹿にしたような笑みをみせる。

「あなたには、無縁のことだったようですわね」

 わたくしは慣れていますわよ、と言わんばかりである。

「残念ながら、お嬢様とは違うんでね」

 言ってから、ボーイは気になっていたことを尋ねた。

「おい、ナチア。おまえ、こんな所で顔出していいのか? いくらサン・グラスかけたって、見つかったらまずいんじゃないのか?」

 ボーイの心配も当然であった。

 クラーギナ財団の一人娘が来ていると知れれば、騒ぎになってもおかしくない。財団の関わる企業や団体も、数多くこのヘブンに参入している。

「大丈夫ですわよ」

 対するナチアは、しかし平然と答えた。

「わたくしの顔を知っている方が、ここにいるとは思えませんわ」

 薄く笑うナチアを見て、ボーイも納得せざるをえなかった。

 言われてみれば、確かにボーイも「財団の一人娘」の顔を知らなかったのである。巨大財団の一人娘が、これだけの器量なのである。映像データくらいは見たことがあってよさそうなものであった。そうでなかったのは、厳重な規制がなされていたからであろう。逆に考えると、何故にナチアが、正体を隠さずにチームに参加したかの方が、よほど疑問であった。

「ふーん。なるほど、ねぇ…」

 だが、その理由を深く突っ込むような人間はおらず、一同は休日の充実に、全力を傾けていった。


 Bブロックの照明が絞られ、夕刻を示す頃。ラケット・ボールのコートを離れた一同は、ボーイの要望により一軒のバーに入っていった。バーの名は「黒猫亭」といった。

「こういうところに入るの、わたし初めてです」

 ユーキが首をめぐらせる。大人びた店に、気分は高まった。

「わたくしもですわ」

 ナチアも視線を動かす。小汚い店に、興味が湧いた。

 コートを出る際にシャワーを浴びたせいか、少女達が首を傾けると、微かな香りが漂って、男達の鼻腔をくすぐる。

「そうか、そうか」

 ボーイが満足そうに頷く。

 バーに入る前から、すでにボーイは上機嫌である。アルコールを飲めることが嬉しくてならないのである。

 四人は、奥から二番目の席に陣取った。席はU字型をしており、奥にユーキとナチアが、通路手前にシンとボーイが離れて腰をかけた。通路側から見ると、左から、ボーイ、ナチア、ユーキ、シンの順である。ゆったりとした造りになっており、ボーイの巨体も楽に入ることができた。

 やがて四人の前にグラスが並び、ボーイのかけ声で乾杯が行われる。

 惑星グリューン本土では、基本的に十八歳にならないと飲酒の許可は下りない。これは衛星軌道上のヘブンでも同じである。ナチアについては、出身国家に年齢制限がないため、ここでも規制外であるが、ユーキは対象となる。

 しかしながら、店側がたいした注意をすることもなく、結果として「軍に入ったら酒は解禁される」などという無責任な流言が、まかり通っているのが現状である。

 こうして四人は、当然のごとくアルコールでの乾杯を行うことになった。ユーキとナチアはシャンパンで、シンとボーイはそれぞれの嗜好に合わせたアルコールでの乾杯である。

 ボーイが大声で話すことも加わって、ここでも四人は、周囲の視線を集めることになった。


 店に入ってから時間が経ち、四人の会話も盛り上がっていった。

 ユーキからは、士官学校時代の苦労話が聞けた。基本的に男社会の、しかも年上ばかりの環境の中で、次第に仲間を増やし、数々の苦難に打ち克つ少女の物語は、なかなかの迫力で、三人を大いに楽しませた。

 ボーイからは、前線での戦いぶりが飛び出した。上官命令を無視しては降格し、敵を倒しては昇格し、その繰り返しであったという。あまりの無法者ぶりと、作戦遂行率の高さに「ブラッディ・ボーイ」などという渾名を付けられたという。

 ナチアは、本郷流柔術を始めたいきさつを披露した。ボディ・ガードの女が本郷流の師範であったことが、直接的な原因であった。この女が大嫌いで、勝つために修練に身を入れたあたりは、じつにナチアらしい話であった。

 シンは、入軍の経緯を要求され、それに応えた。シンは生後まもなく、孤児院の前に捨てられていた。そして半ば必然的にその孤児院で育てられたが、これが荒んだ孤児院で、シン自身も荒れた生活を送るようになった。そんな中、身近な人物の死をきっかけに、それまでの生活から抜け出す決心をし、連邦軍へと入軍した。僅かに酔いのまわったユーキなどは、孤児院に捨てられていた、と聞いた時点で目を潤ませていた。


 各々の昔話が終わり、ユーキとナチアが化粧室に立つと、二人の男が残された。

「ありがとよ」

 ボーイがシンに声をかける。

「何がだ?」

「身の上話をしてくれて、さ」

 シンは手元のグラスを空け、新しい飲み物を頼んだ。

「たいした話ではない」

 シンの言葉に、ボーイは首を振る。

「過去を聞くってのは、本来ルール違反だ。話の流れはともかくな。嬢ちゃん達だってわかってる。だからそれだけ…、喜んでたぜ」

 ボーイは、ユーキとナチアの消えた方向を眺める。

 視線のすぐ先には別のテーブルがあり、直接は化粧室が見えるわけではない。手前のテーブルでは、一目で軍人と分かる体格の男達が、賑やかに酒を酌み交わしていた。

「いい女だよな、二人とも」

「ああ」

 手元に新しいグラスが置かれ、シンはそれに口をつける。ボーイは独り言のように続ける。

「だけど、よ…。昨日の話じゃないが、おれ達の目的って、本当になんなんだ?」

 シンは静かに、グラスを傾ける。軍は根源的に秘密主義であり、必要な情報を必要な人間にしか知らせない。ボーイの好奇心が悪いとは思わないが、上官によっては嫌われもするだろう。

「初めは、よ」

「ああ」

「諜報員の育成だと思ってたんだよな、おれは」

「今は違うのか?」

「能力的には、確かに、それでも通用するんだけどよ…。ほら、外見がいいってのも、スパイの必須条件だしな」

 ここで、にっ、と笑顔を見せるのは、ボーイらしい仕種といえる。

「だけど、だめだな。ユーキとナチア、あの二人は向いてねぇよ。改めて思ったぜ。あいつら目立ちすぎだ。多少隠してもあれなら、外したらどーなる…」

 言いながら、ぐいっと、グラスの半分ほどを空ける。

「おまえなんかはよ、それでも、けっこう器用に変身しそうだけどよ。あの二人には、できそうもねぇもんなぁ…」

 シンは何も答えず、次の言葉を待つ。

「…シン」

「なんだ?」

「おまえ、ほんっとに、知らんのか?」

「ああ。知らん」

 二人はしばし、目を見合わせた。

「…ま、それなら、しょうがないよな」

「すまんな」

 シンは肩をすくめ、ボーイもそれに応えた。

「そういやよ、ナチアには一度、謝っておかなきゃな」

 ボーイはあっさり、話題を変えた。

「何をだ?」

 シンもあっさり、それについてくる。

「初めて会った時によ、ずいぶんな馬鹿娘だと、罵ったからな」

「なるほど、その話か…」

 二人は、金髪の少女との出会いを思い出す。ナチア自身が反論しなかったせいもあるが、ボーイなどは、色々と悪口を言ってしまった。

「あれだけの器量で、男に免疫がないなんて、普通思わんからなぁ」

 ボーイが楽しそうに笑う。

 ナチアは単純に、異性に対する慣れが不足していたのである。そのことに二人が思い至ったのは、ナチアが、ユーキやヘレンと普通に接しているのを見るようになってからである。

「こないだもよ、間違えておれ達の更衣室に入ってきやがって…」

「そんな事もあったな」

「大騒ぎだったからなぁ、あん時は…」

 どうやらこの二週間で、だいぶ慣れた様子ではあったが、まだまだナチアは、シンやボーイに接することを意識していた。士官学校で長年過ごしたユーキとはまったく違う。

「まぁ、でも、一番いいのは、ヘレン教官様だけどな」

 さらりと言うボーイの方へ、シンは顔を向ける。薄々感じてはいたが、話を聞くのは、これが初めてである。

「やはり、お前、教官狙いか?」

 ボーイが返答する前に、二人の少女が戻ってきた。

 いったんシンとボーイが立ち、ユーキとナチアが奥に入る。

「誰が、教官狙いなんですの?」

 席に着くなりナチアが尋ねてきた。ユーキも興味深々、といった顔をしている。この二人、決して酒に弱い方ではなかったが、飲むと、多少たちが悪くなるようであった。ナチアは特に、大量に飲んでいる。体質的に酔いはしないが、陽気にはなる。

「このおれだ」

 まいったか、と言わんばかりにボーイが胸を張る。

「へえ、ボーイはオバサン趣味でしたの」

 ナチアが笑い声をあげる。

「おいおい。せめて年上好み、くらい言ってくれよ」

「オバサンですわよぉ。ユーキに年、聞いちゃいましたもの」

「どの口が言ってんだか。おまえはおれに、マナーがどうとか言う権利があったのか?」

「上司の悪口が言えない社会ほど、つまらないものはありませんわね」

「ああ、まあ、そのとーりだけどよ。ユーキ、教官てな、いくつなんだ?」

「ええっと。言ってもいいの…かな?」

「かまわんだろ、酒の席だ」

「あの、じゃあ………」

 申し分けなさそうに、ユーキが教官の年齢を口にした。

 その数値には、ボーイもシンも驚いた。いくら医療や美容技術が発達したといっても、あまりに予想と違う。

 通常のケアをしていれば長い間、若さを保つことはできるが、それにしても限度がある。極端な話、百歳を越えて出産する例もないわけではないが、大多数でもない。

「おれが、生まれる前から、戦場にいたってのか…?」

 声を枯らすボーイに、ユーキがすまなそうに頷く。

「およそ一世紀の戦歴、て冗談を言われたわ」

「笑えない冗談でしたわね」

「信じられねぇな…。百年戦争の生き字引か…。てことは、家庭持ちか?」

「ううん。未婚だそうよ。お子さんもいらっしゃらないって。ええっと。ボーイとシンも、かな?」

「まぁな。身を固める年でもねーしよ」

「そうかな…」

「しっかしまさか、そこまで年上とは…」

 会話を続ける二人を横に見ながら、ナチアは再びグラスを傾けていた。

「ただ、ね。実際の年齢は、もっと下なの」

「? どういうことだ?」

 首を捻りながら乗り出してくるボーイに、ユーキは、以前ヘレンに聞いた話を伝えた。もともとこの話は、重力制御室での戦闘訓練のあとに、女性更衣室で聞いた内容であった。

 その話によると、ヘレンは過去に二回ほど、亜光速戦闘の経験があるということであった。

 物質は光速に近づくほどに、時間の進みが遅くなる。この時代の軍人にとっては、周知の事実である。それを避けるために、スピードの出せる船であっても、通常は一定速度以上加速しないようリミッターが付いているのである。だがそれも、戦闘という極限状態においてしばしば解除され、ある時は敵軍から逃げるため、ある時は特攻のために、いわゆる亜光速空間へと加速するのである。

 ユーキの話を聞いて、ようやくボーイは得心した。どの程度の亜光速戦闘かは不明であったが、教官の実年齢が暦上より若いことだけは確かであった。また、それだけの戦闘を行った人間ならば、少佐という高い階級にも納得がいく。

 シンとボーイが一応の納得をし、頷いたあとに、トラブルがやってきた。

「いよぉ、美人を相手に、楽しんでんじゃねぇか」

 太い声が上から降りかかる。

 見ると、手前のテーブルから来たと思われる軍人風の男が四人、シン達のすぐ横に来ていた。

「お姉ちゃん達、こんなヤツら放っておいて、オレ達の相手しちゃくれねぇか?」

 中でも体の大きい一人が、テーブルに手をつき、ユーキとナチアに話しかける。

 男達の後ろでは、仲間達がニヤニヤと見ている。

「なあ、いいだろう?」

 明らかに、シンとボーイを無視していた。侮ったつもりではないだろうが、いざとなれば後ろの仲間と黙らせることができる、と、そう考えているのが明白であった。

 ボーイが立ち上がろうとした。

 が、その肩をナチアがとめる。

 不思議そうに振り返るボーイとは対照的に、男達は嬉しそうな声をあげた。

「そう、そう。そうこなくっちゃ」

 奇声をあげる男達に、ナチアがにっこりと微笑む。

 ナチアの行動をユーキが察し、とめようとしたが、遅かった。

「わたくし、馬鹿と不細工は、大っ嫌いですのよ」

 男達の声が消えた。成り行きを見守っていた他の客の声も消える。決して大きくない筈の、店の音楽だけが響いていた。

 この沈黙を破ったのは、ボーイの笑い声であった。

「はっはっはっ。よく言った。えらいぞ、ナチア」

「ほっほっほっ。事実を言ったまでですわ」

 二人の笑い声が、男達に火をつけた。

「黙れっ!」

 最初に声をかけてきた大男が、怒声とともにテーブルを叩く。テーブルの中央にあったアイス・ボックスが倒されて、中の水と氷がユーキの方へと溢れた。

 シンの手が瞬間的にアイス・ボックスを戻したが、こぼれた分はどうしようもない。アイス・ボックスに押される形となったグラスの中身と一緒に、ベージュのワン・ピースを汚した。

「なにをなさるのっ」

 ユーキの惨状を見て、ナチアが立ち上がった。

「なんだとっ」

 反射的に男が怒声を返し、二人の間で視線がぶつかった。

「!」

 両者の視線を遮るように、ボーイが立ち上がる。

 その迫力に、男が後ずさる。体の大きさでは負けていなかったが、喧嘩の実力が劣っているのは明らか。

「おどきなさい、ボーイ。今から、このわたくしが…」

 後ろで騒ぐナチアを振り返り、肩に手を置き、ゆっくりと座らせる。そしてボーイは、笑みをみせる。ナチアが今まで見たことのない、優しくて、力強い笑みを。

「任せておけ」

 穏やかに言うボーイに、ナチアは目を瞬いた。

 再び男達へと向きを変えるボーイ。その横で、もう一人の男が立ち上がろうとしていた。

 ユーキへの被害が服の染みだけであることを確認し、シンがその腰を上げた。

「…!」

 並び立つ二人の姿に、四人の男達は怯んだ。

 一撃。

 男達は、わけの分からないうちに、二人を失った。

 ボーイの右腕が、二人まとめて横に吹き飛ばしたのである。

「なっ…!」

 残る二人が、床に飛ばされた仲間に視線を向けた。

 二撃。

 シンの掌底が二人の体を跳ね飛ばす。横ではなく、後方に。残された仲間達の方へと。

「シン、ボーイ…」

 とめようとする、ユーキの声がかすれる。

 二人が振り向かないのは、怒った顔を見せたくないためだと、ユーキは思った。

 そんな二人の前方で、飛ばされた男達の仲間が立ち上がりはじめる。

「やってくれたな…」

 スキン・ヘッドの、ひときわ大きな男が、低い声を発する。

 強い。

 声を聞いて、ユーキは察した。

 新たに出現した敵は、十人近い人数がいた。

 倒された者達は、おそらくは最も下っ端だったのであろう。今、男達の纏う雰囲気は、先ほどの四人の比ではなかった。軍人。それも、白兵戦闘のエキスパート。かなりの戦場をくぐり抜けた、特殊部隊兵。

 勝てるのか?

 鼓動が高鳴っているのが分かる。

 運動神経の中枢は、すでにアルコールに侵されている。服を汚されたのが、その証拠。常のユーキなら、どうとでも対処できた。流れる液体の、流れを変えてしまっては、隣のシンかナチアへと被害が及ぶ。そう考えてしまい、動かなかった。シンやナチアが、対処できない筈がないのにである。

 飲料用のアルコールは、人体に長期的な悪影響がないよう調整されているが、短期的な酩酊感は残されている。

 判断の遅れは、それが僅かであっても、時に致命的なものとなる。立ち上がった仲間にしても、それは同様の筈。この二人は、自分よりも飲んでいた。

「問題ない。下がっていろ」

 まるでユーキの心を見透かしたかのように、シンが、前を向いたまま声を発する。

「はい」

 そう答える声が、自分のものでないような錯覚に捕われる。

 今までユーキは、大丈夫だと、問題などないと、誰かに言ってばかりだった。誰かに言われることが、純粋に新鮮で心地よかった。

 シン達の勝利は揺るがない。

 そう信じることができた。あとは、無事を祈るのみである。

 シンとボーイが一歩を踏み出し、男達も距離を詰めてきた。

「遊んでやるから、かかってこいっ!」

 ボーイの声があたりに響き、そして戦いが始まった。



  第一章 終

<次回予告>


 百年戦争。

 後年、そう呼ばれる戦争が始まったのは、九十七年前の出来事であった。


次回マーベリック

第二章 番外話「百年戦争概略」


 人類は、いまだ混沌の中にいた。

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