第一話「天国」
シン・スウ・リンは、宇宙船の中に乗り込んでいった。
ゲートをくぐり、客室に入る。民間の宇宙船としては、かなりの大型船である。眼前に長い通路が伸び、その両側に二席ずつ、四十列ほどの座席が並ぶ。見渡すと、すでに八割方が埋まっていた。
視線のやや下、空中に小さなランプが浮かび上がる。その淡い光に導かれて足を進めると、中ほどで自分のシート・ナンバーを見つける。進行方向に向かって左側の席である。二つの空席のうち、シンの席は窓側であった。
近づくと自動で認証が行われ、座席まわりのシステムが起動する。
一人、腰を掛け、視線を動かす。
白銀色の輝きが、窓型の船外モニターを埋め尽くしている。シンの歩いてきた可動式接舷通路の一部と、その向こうに浮かぶ、数々のスペース・クラフト群。宇宙港の光景としては、ありふれたものといえる。
それでもしばらく、船の外を眺めていると。
「おう。ここだ、ここだ」
頭上で声が響いた。見上げると、大きな男が、シート・ナンバーを確認して嬉しそうに頷いている。「案内、ご苦労」誘導してきたランプに対して手を振る。
男はシンと目が合うと、人懐っこい笑顔を見せ、
「となり、いいかい?」
と声をかけてくる。低く、太く、そして明るい声である。
「ああ、どうぞ」
シンは答えるが、本来、男が尋ねる必要のないことではあった。座席はすべて搭乗前に指定されている。あくまでもマナーと呼ばれるものの範疇であり、シンも、男のマナーに応じたにすぎなかった。
シンの答えに満足そうな笑みを返し、男は隣の席に腰を下ろす。恒星間の往来が日常化したとはいえ、一般的な宇宙船の、一般的なシートである。男は窮屈そうに、その巨体を収めた。
「乗り遅れるかと思ったぜ」
頭を掻きながら、照れ笑いを浮かべる。やや赤みを帯びた金髪が乱れるが、男は気にしたふうもない。ブラウンの瞳が優しい光を放っていた。
「こんな所に置き去りにされたら、たまらんからなぁ」
肩をすくめて、やれやれ、といった表情をつくる。
こんな所、とは、セリオス太陽系最外周に浮かぶ、交易用宇宙ステーションのことである。シン達の乗った宇宙船は、この交易ステーションを出発し、同太陽系第三惑星であり有人惑星でもある、グリューンへと向かう。正確には、グリューン衛星軌道上にある宇宙ステーション・ヘブンが目的地となる。
交易ステーションからヘブンに向かう船は、一日に数便存在するが、そのほとんどが軍用である。民間の船は、ある程度の制約を受けざるをえない。高速の客船に限っていえば、民間人が一本逃したら、少なくとも二日は待たないと次の便がない。
…民間人とは、思えんが。
シンは、改めて男の姿を見る。隆々たる筋肉の鎧を纏った体に、多少アンバランスな人懐っこい顔が乗っている。怖さはないが、強さは感じる。そんな男であった。
先程の少女といい…、少なくとも、片方は必然か。
心の中でそう判断した時、男が声をかけてきた。
「短い船旅だが、まぁ、よろしくな」
明るく笑って、右手を差し出してくる。
普段ならば、もう少し警戒するシンであったが、この時は、男の笑顔に流された。
「シン・スウ・リンだ」
握手をして、小さな笑みを返す。
「ボーイ・ブロスってんだ。言っとくが、あだ名じゃなくて、本名だ」
手に力を込め、男はシンに名乗った。
同時に、出発のアナウンスが始まる。
「おっと。ちょうどいいタイミングだったな」
シンの手を放し、ボーイは満足そうな視線を前方に向ける。
実際には、最後の乗客であるボーイの搭乗を船は待っていたのであるが。ボーイ本人の知るところではなかった。
やがてアナウンスも終わり、船体に緩やかな重力が加わりはじめる。
漆黒の宇宙に浮かぶ、白色の太陽に向けて。船は速度を増していった。
航行中、ボーイは何かとシンに話しかけてきた。基本的に話をするのが好きな男であった。その会話の中でシンはボーイのことを、ある程度理解した。
名前はボーイ・ブロス。年齢は三十代前半。ソル太陽系マーズ出身。趣味は酒。嫌いな物は特に無し。独身。好きな女のタイプはブルネットの白人。年下よりも年上が好み。幼い頃に両親をなくし、天涯孤独の身。そして、軍人。
軍での階級は、二曹。正式な士官学校を出ていないことを考慮すれば、やや早めの昇進といえた。今回のヘブン行きの目的は不明であったが、シンも、あえて聞きはしなかった。シン自身、同じことを聞かれて素直に答えられる立場になかったのである。
そうして出発から数時間が経った時。
事件が起きた。
「なんだぁ?」
ボーイが船内を見まわす。シンも前方に視線を向けた。他の乗客達も騒ぎはじめている。それも当然であった。高速で航行する船体に、決して小さくない不自然な振動が発生したのだから。早めに休んでいた者達も、カプセル状のカバーを開いて、辺りを見回している。
「乗客の皆様に、お伝え致します」
しばらくすると、アナウンスが入った。誰もが耳を澄ます中、落ち着いた女の声が船内に響いた。
「本船は只今、所属不明の宇宙船により、ミサイルによる攻撃を受けました」
一瞬、船内の空気が固まる。
「本船操縦士は、これを宇宙海賊と認識、セリオス太陽系駐屯、連邦軍の出動を要請致しました…」
「おいおい、ほんとかよ…」
ボーイが呆れたような声をだす。船内では、どよめきが生まれている。定期航路上で海賊の出現など、そう頻繁にあるものではない。ましてや太陽系の内部となれば、極めて稀なケースである。
「なお、宇宙海賊は、二十メートル級の小型戦闘機、七機のみの編成であり、本船はこれより速度を上げ、引き離しに移る予定でおります」
その言葉と重なるようにして、船体は加速を開始する。
「本船は亜光速航行が可能ですが、海賊の戦闘機では、亜光速での戦闘は困難であると推測されます。皆様の安全は、確実に、確保できるものと考えてはおりますが、途中、ある程度の揺れが発生することが予想されます。皆様おくつろぎのところ、誠に申し訳ございませんが、ご使用中のテーブル、お座席の背もたれを元の位置にお戻しになられ、カプセルを閉じるか、シート・ベルトの装着を下さいますよう…」
事務的になりはじめたアナウンスを、乗客の悲鳴がかき消した。
船首側に三人。船尾側に三人の男達。
通路に飛び出し、陣を構えて。乗務員に脅しをかける。
「船の速度を落とせっ! さもなくば乗客を殺すぞっ!」
「早くしないかっ! パイロットに伝えろっ!」
おそらくは宇宙海賊の、白兵戦部隊の登場である。
「加速がゼロになるまで、一分に一人ずつ、乗客を射殺していくっ!」
全員の手には、小型レーザー・ガンが握られていた。
船内に、また、いくつかの悲鳴が生まれるが。
「静かにしないかっ! 騒いだ奴から射殺するっ!」
一瞬にして沈黙に支配される。男達の手並みと迫力は、相当なものといえた。乗務員が命令されて、パイロットへの通信が開始され、船内の静寂は、緊張の度合いを増していった。
しかしながら、この船の中には、平静を保ち続ける人間も存在したのである。
「なるほどねぇ。外側から攻撃を加え、内側から揺さぶりをかける…か。理想的な侵攻パターンだな」
「そのようだ」
ボーイ・ブロスと、シン・スウ・リンである。
「まったくよ。ほんとうに来るとはな」
「…ボーイは知っていたのか?」
驚きはない。少なくとも、表にはださない。
「まーな。やっかいごと増やしやがって。…で、どうする?」
「どうする、とは、どういう意味だ?」
「様子を見てもいいんだが…。どーやら、ザコばかりだ。さっさとやっちまおうぜ」
あくまで冷静なシンに対し、ボーイは気軽に提案してくる。
「とめはしないが、何故、俺達が?」
「処理をしろとは聞いてねーんだがな。まあ、軍人の使命、ってとこか」
「俺には関係ないようだが」
「おいおい。つれねーこと言うなよ。船が遅れるのは困るし、人助けだって悪くない。だろう?」
「否定はしないが…」
「腕が立つのは、わかってる。隣に座った縁だ。おれに見せてくれ」
「ことわったら、どうする?」
ボーイは首を傾げて、断言した。
「ことわらねーよ」
満面の笑顔で、自らのシート・ベルトを外しはじめる。どうやら、他の選択肢はないらしい。
シンは息を一つ、吐き出す。
「いいだろう。協力しよう」
「そうこなくっちゃあ」
嬉しそうな答えが返った。
「なんだ、貴様らはっ?」「席に戻れっ」
通路に歩み出た二人に、前後から声が放たれる。
「こういう場合は、よ、シン」
「なんだ?」
「相手の言うことは、聞き流すにかぎるな」
「かもしれん」
海賊達の声を無視して、二人は背中越しに言葉を交わす。ボーイの巨体には及ばないものの、シンもかなりの長身である。
「席に戻れというのが聞こえんのか…」
船首側の一人が、ゆっくりと銃口をシンの眉間に向ける。船はまだ減速しておらず、そして、約束の一分はすでに経過していた。
「んじゃあ、まあ、いきますか…」
ボーイが、のんびりと声にした。
「ツー、ワンっ」
その瞬間、二人の姿が消えた。
「がっ!」
「ぐっ!」
「ごっ!」
呻き声をあげながら、船首側の三人が通路に崩れ落ちた。
「………」
立ち上がるシンの目には、何ら感慨の色はない。
十メートル弱の距離を低姿勢で駆け抜け、銃を使う間を与えず、一人目の男を手刀で倒す。そのままの勢いで、後方の二人には、あびせ蹴りに近い廻し蹴りを叩き込んだ。神業に近い一連の動きも、本人にとっては、ただそれだけのことである。
「後始末は、頼めるか?」
腰を抜かして見上げる乗務員に、落ち着いた声をかける。
呆然と頷く乗務員を確認してから、船尾方向を振り返る。
ざっと、こんなもんさ。
とでも言いたげなボーイの姿が、目の中に入る。両手を広げて、満面の笑顔。足元には当然の如く、三人の男が伏せている。
「やるねえ、見込んだとおり。見事なもんだ」
「お互いにな」
約十五メートルの距離をはさみ、声をかけ合う。そこに、邪魔が入る。
「よーし、そこまでだっ」
シンの前方に、二人の男が飛び出してきた。
「悪いが両手を上げて、背中を向けてもらおうかっ」
どのようにして船内に持ち込んだのか。小型とはいえ、二人ともマシンガンを構えていた。
「おいおいおいおい。この船のセキュリティはどーなってんだ?」
両手を上げず肩をすくめ、ボーイが応じた。
「黙れっ。聞こえないのかっ。両手を上げて…」
男は、そこまでしか言えなかった。
「ぐぇっ」
情けない声をあげながら真横に吹き飛び、二人揃って、元の、自分達のシートへと落下する。
ほう…。
シンの目が細まる。
こうなることは半ば予想できた。しかし、これほどとは思っていなかった。
「たわいのない海賊ですわね…」
気を失った男達の反対側、向かって右の座席。サン・グラスを外しながら、少女は姿を現わした。
「助けられたな。礼を言おう」
絶世の美少女、とは、この少女をこそ指すのであろう。
顔の造詣や体のラインは言うに及ばない。肌は白く、陶器のような輝きを発している。瞳の色は透き通るようなライト・グリーン。緩くウェーブのかかった豊かな金髪は、腰のあたりまで達している。何より感嘆すべきは、少女の気品である。一部の人間にしか纏うことのできない、優雅な気品。凛とした佇まい。
「…どうやら、余計なお世話だったようですわね」
シンの姿を一秒ほど眺めてから、つまらなさそうに少女は息をついた。外見が美しい分、余計にその冷淡さが強調されてしまう。
「よおよお、すごかったじゃねぇか、今の」
シンが何かを答えるよりも早く、冷淡とは程遠い声が、少女の背後より発せられた。
「なんなんだ? 合気道かい?」
ボーイが、少女とシンの方に歩いてくる。
「ふん…」
少女は気にもかけず、サン・グラスをかけなおして、自らの座席に戻ろうとする。並んだ二つの席に、少女以外の姿はない。
「なんだあ。挨拶もなしかよ…」
「よしておけ、ボーイ」
「けどよぉ…」
通路上の二人に対し。
「静かにしていただけませんこと」
座りなおした少女は、顔も向けずに声を放つ。
「なんだとぉ…」
「よせ。助けられたのは事実だ。俺達も席に戻ろう」
「まあ…、シンが、そう言うならよ…」
不満ぎみのボーイを促すような形で、シンは歩を進めようとしたが。
「!」
「!」
「!」
これまでで最大の振動が、船体を襲った。
「皆様、落ち着かれて下さいっ」
叫ぶアナウンスの声が、すでに落ち着いていなかった。
だが振動も、数秒で収まり、アナウンスの狼狽も収まった。
「大変、失礼致しました。只今、重質量ミサイルが、至近距離を通過した模様です。直撃はしておりません。繰り返します。直撃はしておりません。お怪我をなされましたお客様がいらっしゃいましたら、お近くの乗務員まで…」
アナウンスの声に、少女の声が重なった。
「ちょっとっ!」
顔に劣らぬ、美しい声で。
「触らないでいただけませんっ!」
憎悪のこもった、言葉を吐き出す。
「ああ、すまない…」
シンは答えて、少女の上にかぶさってしまった体を戻そうとする。しかし、重力場の向きが狂っているらしく、上手くいかない。そもそも、シン自身、別の人物に体の自由を奪われていた。
「…ちょっと待て」
声を出したのは、曲がった重力に素直に従い、シンと少女を圧し潰していたボーイである。
「今のは、不可抗力だろうが。なんだあ、その態度は?」
その背中には、先ほど少女に吹き飛ばされた二人の男達の姿がある。
「さっさと、おどきなさいと言っているのです、気持ちの悪いっ」
シンの体を押しながら、少女が激しく言葉を返す。船内の重力場も回復し、ボーイは自らの両足で通路に立つ。
立って、少女と睨み合う。
「気持ち…悪いだとぉ? 言うにこと欠いて、それか?」
両肩から、気絶したままの男達を振るい落とす。
「だったら、どうだというのです?」
「はんっ。今どき、差別なんざあ、はやんねーぞ?」
「あなたには、関係のないことですわね」
二人は白色系。そしてシンは、黄色系の人種であった。
「ボーイ、構わないから…」
シン本人がとめようとしたが、すでにボーイに、とまる気はないらしかった。
「いーや、こういう馬鹿なお嬢ちゃんには、誰かがきっちり言ってやらなきゃ…」
「馬鹿に馬鹿と言われる筋合いはありませんわよ」
少女も即座に言い返す。
「んだとぉ…」
巨体が、一歩を踏み出す。「まわりの男が、すべて甘やかしてくれるなんて…」
「やると言うのならば、相手になりますわよ」
ボーイの言葉を遮って、少女はすっくと立ち上がる。
「おもしれぇ…」
ボーイの顔に、薄い笑みが浮かぶ。
半ば呆れるシンの眼前で、二人の男女は、その距離を近づけようとする。
アナウンスが流れる。
「乗客の皆様に、お伝え致します。先程の攻撃を最後にしまして、本船は、戦闘機群との距離を開いております。現在、すでに有効射程距離圏外へと離脱し、宇宙海賊の、引き離しに成功致しました」
船内に拍手と歓声があがる。
「本船はこれより、航路修正を行った後、予定通り、ヘブンへの航行を続けさせて頂きます。乗客の皆様におかれましては…」
盛り上がる船の中で、ボーイは、少女から視線を外した。
「やめた、やめた。阿呆らしい」
「ふんっ」
少女も、自らの席に腰を下ろす。
やれやれ。
そう思ったのは、シンと、周囲で成り行きを見守っていた乗客達である。
張り詰めていた空気は消え、シン達も自分達の席に戻った。
腰かけるとすぐに、ボーイが声をかけてきた。
「すまなかったな」
照れくさそうな顔で謝罪する。
「何がだ?」
「いや、まあ、その…」ボーイは軽く頭を掻く。「いるんだよな、時々、ああいうのが…」
ため息、というには大きすぎる量の息を吐き出す。
「自分の世界から出ようとしないくせに、出たとたん、色んな人間がいるって気付くんだ。んなこと最初っからわかってるだろうによ…」
「仕方あるまい」
人種的に文化的に、多様な地域もあれば、閉鎖的な地域もある。住んでいる人間も様々である。誰もが、国や星を越えて移動をするわけでもない。
「とにかくよ。なんてーか、ホワイトを代表して謝っておくぜ。すまなかったな」
シンは軽く首を振る。
ボーイは完全な白色人種ではないし、シンもまた、純粋な黄色人種ではない。ましてや謝罪の必要など、何もない。
「イエローを代表するつもりはないが…。こちらこそ、礼を言わせてくれ。俺のために怒ってくれた事、感謝する」
そんなシンの言葉を受け、ボーイが破顔する。
シンの応対がよほど嬉しかったのか、その後二人の会話は弾み、乗務員や周囲の乗客からも感謝されて。残り一日半の航行は、両名にとって和やかなものとなる。
再び宇宙海賊が現われることもなく、宇宙船は、ヘブンに向けて順調に闇を切り裂いていった。
時に、宇宙暦七百九十八年、四月二日の出来事であった。
<次回予告>
ボーイが笑顔で、右手を差し出す。
シンが答えて、握手を交わす。
惑星グリューンの衛星軌道上、人工衛星・ヘブンの宇宙港ゲートを出た所である。
次回マーベリック
第一章 第二話「招集」
「あなた達には、期待しています」