第八十九話「夕食」
太陽は、すでに水平線に消えた。
船を海中に潜らせ、一通りのシミュレーションを終えた二人が、それぞれの操縦席を通信で繋いでいた。
「しっかし、すげえな、この船は…」
「オニキスが三つも揃えば、当然とも言えますが…」
およそ、逃げることを目的とするならば、三機揃ったマーベリックは無敵であった。
「シミュレーション訓練の必要、ないんじゃないのか?」
「全員が揃ったら、やはり必要とは思いますが…」
さすがのエレンも、歯切れが悪かった。
「負ける…てか、逃げられない可能性って、どんなパターンだ? そんな戦略、帝国にあるのか?」
「すでにローゼス伍長達が試していますが、大規模艦隊に囲まれて、皇帝専用機が相手、という…」
「どんだけ大規模なんだ、そりゃ? 皇帝専用機っても、オニキスはひとつだろ?」
「不可空域の防衛ラインに、大きな穴が開きますね。皇帝専用機については、存在すら不明ですから、何とも言えませんが…」
「現実問題として、できねーような気がするが…」
「どうでしょうか…。いずれにせよ、今度こそ、皇帝が動くと思いますが」
「そう…だな。あれが動くと、どうなるか…」
二人の間で、短い沈黙が生まれる。
この百年間で、天才の代名詞として有名なのは、銀河帝国の初代皇帝と、現在の第二代皇帝である。そこに異論の挟まる余地はない。
総人口で劣る帝国が、それでも連邦と互角の戦いをしてきたのは、この二人の力量による所が大きい。戦術と戦略。そして何より、大国を纏め上げる統率力。初代皇帝はすでに退いたが、第二代皇帝は、今も最前線で指揮を取っている筈である。
「信じられない話ですが、現皇帝は戦略を誤った事がない…。勝率で言えば、欠ける事なく百パーセントです。だからこそ、自分も接触しないよう、手を尽くしてきたのですが…」
「そのお陰で、今があるからな。まあ、皇帝については、悩んでも仕方ねーだろ」
「そうですね」
エレンは小さく頷いた。
「明日はワープの準備と、より難度の高いシミュレーションを行いましょう」
「オーライ。今日のところは、これであがりでいいんだな?」
「そうしましょう」
「明日はもう少し、手伝わせろよ」
「分かりました。すみません」
二人はシミュレーション・プログラムを閉じながら、会話を続けた。
「役割分担についてですが…。今回のシミュレーション通りで、問題は無いでしょうか?」
「どっか、変えたいのか?」
「リン少尉がパイロット兼シューター、ミナヅキ軍曹がディフェンダー、これは変える余地がありません」
「ナチアがキーパーで、クリスがコン・シールド・マスター、おれ達二人でバック・ヤード。余地なんてあるのか?」
「ドライバーはブロス軍曹で決まりですが、ウォッチャーについては、どうでしょうか」
「航空管制は、二号機の役割だろう? おまえ以外の誰がやるんだ?」
「自分がキーパーになれば、クラーギナ軍曹に航空管制が当てられます」
ボーイは肩をすくめた。
ああ、そういうことか。
自然と、口元が緩む。
「ずいぶんと、優しいんだな」
「負い目があるのは確かです。骨折の件も含めて」
エレンの表情は崩れない。ボーイは軽く首を振って答えた。
「以前の…ヘレンなら、迷う余地なしだ」
「それは、そうかもしれませんが…」
「システム的にベストなら、それ以外の選択肢なんかないだろ。ナチアのことも、信じていいと思うぜ」
「信じる、ですか?」
「あいつの取り得は、オール・マイティってとこだ。その点に関しては、シンよりも上。同じ三号機で、クリスのキーパーも見てるしな」
「………」
コンソール上で動いていた、エレンの手がとまった。ボーイも、それに付き合う。
「どうしても気になるなら、一回謝ったらどうだ? ごめんなさい、あなたに白兵戦で勝ってしまって。その上、仕事も取り上げて、って」
その情景を想像して、ボーイが可笑しそうに笑う。
「そうですね…。勝った負けたはともかく、一度謝るのは良い事かもしれません…」
エレンの中でも、とりあえずの区切りがついた。
ボーイの言うとおり、ベスト以外の選択肢などありえない。それこそ、ナチアが許さないだろう。
「自分がウォッチャー。クラーギナ軍曹がキーパー。予定通り、これでいきましょう」
「いいんじゃねーか」
二人は頷き、作業を再開する。
「これを終えたら、夕食にしましょうか」
「オーライ。二人で食べれば、流動食もちったあ、美味く感じるだろ」
「明日の夜…いえ、明後日の朝食までの辛抱ですね。上陸組みに期待しましょう」
「だな。腹減らして待ってるか」
こうして二人は、実に質素な夕食をとることになった。
四人の夕食は、実に豪勢であった。
無人島からホテルに帰ってきた一同は、正装に着替え、予約したレストランの個室でフル・コースの食事を平らげた。
「今まで生きてきて、二番目に美味しい」
マナーよりも食べるスピードを優先させながら、クリスが言った。
「わたし、断然、今回の料理が一番よ」
「ジャックの一番は何ですの?」
ユーキもナチアも、笑顔である。
「今日の昼食。あれが一番」
「なるほど…」
「ここのシェフが聞いたら、泣きますわね」
タキシードが二名。パーティ・ドレスが二名。
四人は満足して、店をあとにした。
夕食の次は、ホテルに隣接するカジノへと移動した。
カジノと言えば、バニーだろう、とクリスは期待した。そのとおり、カジノにバニー・ガールはいたが、ユーキが着替えることはなかった。
「よかった…。わたし、もう少しで、リンスのこと嫌いになるところだった…」
「ぼく、ちょっと残念…」
「ジャックも十分、満足しましたでしょ。昼間のメイドは、カードに勝たせてくれた、お礼ですわ」
「ありがと、リンスさん」
「…じゃあ、あの水着はなんなのよ?」
「文句があるなら、今からでもバニーになってもらいますわよ?」
「はいはい。わるかったわよ」
こうして、カジノの夜が始まった。
ユーキは一切ゲームに参加せず、シンの横についていた。ナチアとクリスは、様々なゲームに手を出しては、競うようにチップを増やしていった。
結局、クリスが眠くなって引き揚げるまでに、負けたのはシンだけであった。金額的には大負けである。
「めずらしいわね、エースが負けるなんて」
自らが勝利の女神になれず、残念そうなユーキであった。
「あまり目立っても仕方ないからな」
平然とシンは答える。
「負け惜しみですわね」
「三人合計すると、ちょっと勝っただけかな。ファースト・フードのアルバイトと、時給が変わらなかったりして」
元々、勝ったところで、使う時間も目的もない。
「ここで余ったお金、どうするの?」
「慈善団体にでも寄付しようと思うけど、いいかな?」
三人に異論はなかった。自分達の部屋に向かう、足取りも軽い。
その夜は、重力と、柔らかなベッドに包まれて、四人は眠りに就いた。
続く