第八十七話「懸念」
ボーイの横にエレンが座ってから、数分が経過した。
太陽はまだ高く、海も穏やかなままである。
「…そろそろ、戻りますね」
エレンの方から、口にした。
「もう少し、ゆっくりしてもいーんじゃないか?」
ボーイが軽く、ひきとめる。
「二号機の調整と、システムの最適化。次回、次々回のワープの準備…。やる事があります」
「やっぱり、おれも手伝うか?」
「有難うございます。ですが、これは自分にやらせて下さい。シミュレーション訓練が出来るようになったら呼びますから、それまでは休んでいて下さい」
「オーライ。無理すんなよ」
ボーイには、エレンの気持ちが分かる気がした。
つい数日前まで敵だった自分達に、シン達四人は船を預けた。その信頼に、エレンは応えたいと思っている。ボーイがシンから、ヘルメットを預かった時のように。
「…ところで、ボーイ」
立ち上がったエレンが、振り返る。
言うか言わないか迷ったが、言うことにした。
「なんだ?」
「あなた、ロード・オブ・マーベリックはプレイしましたか?」
「ロード…なんだって?」
「ロード・オブ・マーベリック。ローゼス伍長が作ったゲームです」
「ああ、あれか。なんだ、おまえ、あんなもんやってたのか?」
「流石に、他の作業をしながらですが…。四人がどの様にして帝都まで来たのか、参考になりました」
「笑えたよな。まさかシンが、夜這いをかけるとは」
「最初から脱線してますね。…どこまで進行させたのです?」
「一回目の戦闘で諦めた。鬼だな、あれは。ゲームのバランスおかしーだろ?」
「結果を知り、トライアル・アンド・エラーが許容出来れば、クリアは十分可能と思いますが…」
「そんなこと言えるのは、おまえだけだって」
「彼らの苦労が偲ばれます。特務艦隊や防衛艦隊戦は、一回目の戦闘の比ではありません」
「あいつらはすげえよ」
「そうですね…。本当に、そう思います」
「ところで、クリスが熱をだしてたが、あれはどーなった? 無事に治りました、ってことでいいんだよな?」
「言ってしまえば、ホルモン・バランスの崩れですから」
「なんだ、女みたいだな」
「そうですね。女ですし」
「………」
「………」
しばしの沈黙。見上げるボーイの視線と、見下ろすエレンの視線が、交差する。
「気が付かなかったのですか?」
半ば、呆れるエレンに、ボーイは肩をすくめる。
「いや、だってよ…」
「食事の際に、挨拶したでしょう? 再会を喜び抱き合ってましたよね? 出発の際には、ボディ・スーツ姿も見た筈です」
多少とはいえ、胸は膨らみかけていた。
「無茶いうな。隣にナチアやユーキがいただろ」
「…クラーギナ軍曹やミナヅキ軍曹がいたから、何だと言うのです?」
「いい体してるよな、あいつら」
真顔のボーイに、エレンも真顔で答える。
「同意を求めないで下さい」
「この数年で…、いや、艦内では三、四ヶ月のはずだが。さらに成長したんじゃないか? なんてゆーか、色気が出てきたな」
「チーム・メイトの、性的論評は控えさせて頂きます」
「ああ、そうだな。わるかった」
あっさりと引き下がるボーイに、エレンは小さく溜め息をつく。
「話を戻していいですか?」
「いいぜ。ゲームの話か?」
「少なくとも、スタートはさせた訳です。プロローグは確認しましたね? リン少尉の正体も?」
「ああ」
「どう思います?」
「どう、って言われてもよ…」
軽く、空を仰ぐ。「うそって感じでもなさそーだし。事実なんだろ? まあ、ちょいと、違和感はあるけどよ」
「違和感、ですか。そうですね…」
「なんか引っかかってるのか?」
「何か、と言うより…。全てが引っかかっています」
エレンは小さく首を振る。「彼は何を知り、何の目的で軍に入り、チームに参加し、そして今、何を目指しているか、です」
「心配症だな」
「普通だと思います。白龍の真王を、多少でも知る者であれば」
「おれからすれば、どーしてそんな危険人物をレベル・セブンに呼んじまったのか、その方が不思議だ」
「当然ですが、相応の確認は行っています」
「連邦よりも白龍が上でした、てか?」
「残念ですが、そういう事になります。あそこには、悪魔がいますから」
「三つ目の開発チーム、か…」
「白龍が恐れられている、理由の一つです。もっとも、それだけでプロフィール・データが偽造できる訳ではないのですが…」
魔都、と呼ばれる都市が、惑星カナンには二つある。
一つは朱眼。もう一つはドレスという。
これらの都市には、それぞれ複数の統治機構が存在し、内部で反目しあっている。それはつまり、域内のサイバー・ビーングが分割され別系統のマスターに従っているということであり、本来ならば整備されるはずの、セーフティ・ネットに大きな隙間があるということを意味する。
故に自由があり。故に犯罪の温床となる。
朱眼においては、黒豹率いる、のちの十王が台頭し、多くの犠牲者を出しながらも国家が成立した。しかしながら、サイバー・ビーングの統合を緩やかなものに留めたために、魔都の特徴である自由と犯罪の色が濃く残る結果となった。
それと時期を合わせるようにして、一方のドレスも激動の時代を迎えていた。
朱眼とは異なり、一応の政府が存在していたのだが、これが腐敗しており、抵抗するパルチザンに対して周辺国家は支援を行っていた。
そのパルチザンにおいて、活躍した人物の名前が「シン・スウ・リン」である。
硬直した戦線を動かし、パルチザンを一定戦力に引き上げ、ドレスにおける新たな秩序を構築した立役者。年齢的な問題もあり、表舞台に名前が出ることはなかったが、その実績が高く評価され、連邦軍への登用に繋がる。
つまり。朱眼の黒豹が、時間と手間をかけて作り上げたアンダー・カバー。それが、シンの正体、ということになる。
「さらには、高度なマインド・コントロールで自分自身も欺き、マーベリックに参加したのでしょう」
「そんなにすごいのか? シンのマインド・コントロールは?」
「自分は、ここに至る過程で、リン少尉に記憶を復旧してもらいました…」
その時を思い出しながら、独り言のようにエレンは語る。
「感覚的な表現になりますが…、ランダムに拡散していた思考が、方向性を持ち、整理されていく…。その様な感じです。敵意や殺意に近いマイナスのイメージで周りを囲まれた気もしますが、時間は短く、決して精神そのものに攻撃はしません。ただ目の前に意識が集約され、そこに彼がいる…。およそあらゆる願望を叶える事が出来る、絶対的な強者が」
エレンの場合は、記憶を甦らせるだけで終わった。しかし、朱眼の住人達は心を奪われた。仲間や家族を失っても、従前のしがらみを断ち切っても、この男についていこうと思わせたのである。
「実に見事です。種を明かせば、方法は単純ですが」
「不安定な状態に落としてから、救いの手をのばす…か。昔っから使われてる手だ」
「度を過ぎた方法で不安定にしたのならば、脅迫です。のばされた手が偽物ならば、詐欺でしょう。しかし、彼の場合は、過不足無く自分の力を示したのみ。合法的なコントロールです。これが違法となれば、各国のリーダーが震え上がるでしょう」
「世紀のカリスマ、ここに極まれり、か?」
「そのカリスマ性を、正しい方向に使ってくれたなら、問題はありません。立派な指導者となったでしょう。ですが残念ながら、白龍に正義はありません。彼は…、あまりにも多くの人間を殺めてきました」
ボーイは首を傾げて、さらりと言う。
「おれは、国のために敵は殺せ、と教わったぜ」
「自分も似たようなものです。民間人の為ならば、軍人は死ぬべきだと思います」
似ているが、違うのは、仕方のないことではあった。
「人間はサイバー・ビーングじゃねーからな。人殺しは悪いことです。だからしません、とはならねーよ」
「未熟である事は認めます。しかしそれでも、譲れない一線はあります」
肩をすくめるボーイに、エレンは言葉を重ねる。
「ボーイは、リン少尉を庇うのですか。何故です?」
他の三人も、同様である。
何故、あれほどの悪者を相手に、その過去を許そうとしているのか。それとも、これこそがカリスマなのか。
「庇うつもりはねーが。おれも、ずいぶんと悪いことをしてきたからな。連邦の命令で」
ボーイから見れば、連邦も白龍も、五十歩百歩であった。
しかも白龍は、独立が承認されている。法に照らして、良いか悪いかを決めるのであれば、シンよりもよほど自分が悪いと、そう思う。
「あなたについては、素性が分かっています」
「だから、安心か?」
ボーイには、その理屈が分からない。
素性が分かればよいのであれば、シンの素性も、判明したはず。
「少なくともリン少尉は、かつての自分を偽っていました。その上で、次世代ワープ機関を含めたレベル・セブンのマスター権を握り、ミズ・クラーギナを含めた強力なコネクションを築き、そして今…、彼は、何を目指しているのでしょう?」
かつて、ヘレン・スタイナーは、帝国に亡命するために、メンバーを招集した。
しかし、シン・スウ・リンは、ヘレンの思惑もマーベリックの計画も、恐らくは知らなかった。では、何が目的だったのか。
「だから、困難が好きなんだろう? あいつは?」
「あなたは…、単純でいいですね」
小さく肩を落として、くすりと笑った。
「自分は怖いのです、ボーイ」
今度はエレンが、空を仰ぐ。「かつての仲間と共に、連邦へ帰ると決意した…。しかし、その結果が、白龍に利用されるかもしれない…。それは決して、許したくない。自分が言うべき立場にないと、判ってはいるのですが…」
仕方ねぇなあ…。
ボーイは思った。名前を変えても、肉体を替えても、ヘレン・スタイナーという中核は変わっていない。それを再認識した。
「大丈夫だと、思うぜ」
だから、笑って話しかける。
「過去はともかく、今のあいつは信じられる」
「あなたの勘ですか?」
エレンが下を向き、再び視線が交差する。
「おれの勘はよく当たる…けど、そうだな…」
少しだけ、考えてから口を開く。
「心配なら、ひとつ、約束をしよう」
「何ですか?」
「もしも、この先、万が一、シンがエレンと対立するなら、おれはおまえに味方する」
「………」
何だろう?
エレンの中に、不思議な感情が生まれる。今までの記憶の中、存在しなかった感情。自分がヘレン・スタイナーだった時には。
「ありがとう、ございます…」
何故か、涙がこぼれそうになる。
この体になってから、色々とおかしい。記憶の移植に問題があったのか。いや、そもそも帝国は、マインド・コントロールを前提としている以上、まったく同じ人間を作ろうとした訳ではなかったのかもしれない。
言葉を失った少女に、ボーイは優しく声をかける。
「とにかく、我が家に帰ろう。連邦に。食って、寝て、起きて。ベッドの上であくびをしたら、その時また、考えればいいさ」
そう…ですね…。
言葉にならない言葉で、エレンは応える。不安が消えた訳ではない。けれど、自分を支える存在が、ここにいる。単純に、それがとても嬉しかった。
日はまだ頭上に高く。二人の頬を撫でるように、ゆるやかな風が吹き抜けていった。
<次回予告>
ショッピングの前に、四人は朝食兼昼食をとることにした。
次回マーベリック
第十三章 第八十八話「浜辺」
「それ以上見たら、もう絶交するからねっ」