第八十六話「上陸」
ワープ・アウトより、艦内の経過時間で、十一時間後。
マーベリックは、惑星シューベルの大気圏に突入した。
突入といっても、重力制御しながらの、安定した大気圏入圏である。ワープ・アウトから一貫して、帝国軍の攻撃も通信もなく、マーベリックは比較的穏便に、シューベル侵入を果たした。
大気圏に入ると同時に、空気の取り込みが開始された。すでに宇宙空間で毒ガスの放出は終えている。新鮮な空気が艦内に満ちた。
ナチアの治療を終えていたクリスは、そのままサイバー・スペースの中で眠りに落ちた。ボーイ達三人の覚醒用ガスは、エレンが操作した。シンも含め、四人が起きたことを確認してから、エレンもメンテナンス・ルームで眠った。覚醒した四人も、そのまま休息を取り、一同が再び顔を交えたのは、シューベル侵入から、十時間近くが経過してからのことであった。
「それでは、改めまして…。ようこそ、マーベリックへ!」
三号機のリビング・スペースに、クリスの声が響いた。
ユーキとナチアはベッドに座り、エレンもユーキの勧めで隣に腰掛けた。シンはいつもどおり床に、ボーイも通路の奥に腰を下ろす。
「ボーイさん、おかえりなさい。エレンさんも、ようこそ」
明るい声に、二人が答える。
「おう。ただいま」
「ご迷惑をお掛けしました。皆さんには本当に…感謝しています」
それぞれの挨拶を確認してから、クリスが話を本題に移した。
「ええっと。それでは、現状の説明と、これからの予定について、お話します」
ひとつ、小さな咳払いで間を空ける。
「まず、現状ですが、ガスはすべて除去。シューベルの大気と入れ替えました。各種成分の確認も終え、空気に関しては解決済みです。また、パンドラ・ボックスも、初期化と同時に消滅しました。連邦に持ち帰れないのは残念ですが、少なくとも、現時点での影響はありません。二号機については、まだ細かい設定が残っています。本来の能力を出せるよう、これから作業が必要となります」
ここまでは、六人全員が分かっている話。その再確認である。
「帝国軍の動きも、表面上は、ほとんどありません。予想どおり、アミューゼルには大規模の艦隊が存在せず、即時交戦の意思はないものと推測されます。また、シューベルのサイバー・スペースにも接触してみましたが、ぼく達に関する情報は、ほとんど存在しません。シュミット君に関するものすらなかったので、ロマリアからの情報規制は、相当強いようです。渡航制限も続いています。現状、軍や政府の一部だけが知っていて、今回の本艦ワープ・アウトと亜光速航行に関する火消しを行っている、という状況です」
マーベリックにとっては、ありがたい話である。
「三機が揃い、超長距離ワープ航法が復活した以上、連邦に帰るのに大きな障害はない、とか、言いたいところですが…。当面の問題として、食料が不足しています。一部はガスに汚染され、残り一週間分程度しかありません。二号機も調べましたが、余分な食料は存在しませんでした。アミューゼルから一回、プラス連邦で、あと二回はワープの予定ですが、最低でも数週間かかります。節約すれば、何とかなるかもしれませんが…」
あまりにも厳しい。しかも、数週間は最短の場合。
「それにしても、二回のワープで数週間なの? 短くない?」
尋ねたのは、ユーキ。
「はい。やはり、二号機の存在が大きいです。機動力と、何より、航空管制能力が大幅に向上します。ワープにおける、一番のボトル・ネックでしたから」
「どちらにしても、このシューベルで食料を調達するのが、現実的か」
「そう思います」
シンの言葉に、クリスは同意する。
「必要な上陸プランは立てていますので、準備ができ次第、向かいたいと思いますが…」
「その前に、エレン。それに、ボーイ」
シンが二人の方を向き、他のメンバーも、エレンとボーイを見る。
「帝国に残るなら、これが最後のチャンスだ。どうする?」
ボーイはともかく、エレンは、連邦に帰った場合、つらい日々が待っている。それは間違いない。
「お気遣い、有難うございます」
エレンが答えた。
「ですが、既に言った通りです。後で、如何なる処分も受けます。最後まで協力させて下さい」
少女に迷いはなかった。
帝国に残っても未来はない。どちらも暗い道ならば、微かでも光のある方を選ぶのは、当然である。
「おれについては、言うまでもないよな。みんなで連邦に帰ろうぜ」
ボーイは笑って、肩をすくめた。
「了解した」
シンが頷き、ユーキも笑顔で応えた。ナチアは小さく息を吐いた。
「それでは、上陸プランについて、説明しますね」
クリスの声は明るかった。
「ああ、その前に。あとでぼくのこと、忘れず、ちゃーんと、引き揚げてくださいね」
唯一、この場にいないメンバーの声が、艦内スピーカーから響いた。
「…これが、あなたのプランですの?」
「ほんとに、ここに上陸するの?」
ナチアとユーキの疑問に、現実世界に戻ってきたクリスは大きく頷いた。
「シューベル最大の常夏リゾート、シザー・コーストです。ホテルは最高級の一室をおさえました。人生最高の一泊二日を約束してくれるそうです」
シンも含めた四人の目には、深夜だというのに煌々と灯りを連ねる、ビーチ・サイドの中低層ホテル群が映っていた。
マーベリックは船体のほとんどを海に沈め、浜辺から距離を置いて浮かんでいる。クリスは苦労しながら、船の上でバランスを取っているが、他の三人は、何事もないかのように立っている。四人とも宇宙服を脱いで、帝国製のボディ・スーツ姿である。シンが小さなバック・パックを背負っており、中には、帝都から持ってきた三人の服が入っている。
「てっきり、人目のない僻地なのかなって…」
「何をしに行くのか、分かっていますわよね?」
「食料は発注済みだよ。運搬用のエア・カーも含めて、今日の昼過ぎにはホテルに届く予定」
「それじゃあ、どうして、一泊する必要があるの?」
「息抜きは、とても重要な任務です」
クリスは言い切った。
「…宿泊費とか、食料のお金は?」
「ホテルのデータをいじってもよかったんだけど…、お金持ちの人達から、がっぽり頂きました」
「どうやって?」
「ロマリアで何があったのか、情報の提供料」
「高く売れそうね…」
「あなたがどうやって、一人暮らしをしていたのか、目に見えるようですわ」
クリスが何か答えようとすると、通信が入ってきた。
「おーい。そろそろ、船を沈めるぞ」
ボーイの声である。
クリスはにっこり笑って、ユーキとナチアを見た。
「さあ、どうするの? 行く? 行かない?」
答えは決まっている。
「行きますわよ、当然」
「シンも、いいのね?」
「息抜きになるのなら、な」
シンは答えてから、金髪の少女を見る。
「ナチア、泳げるか?」
「競泳さえしなければ」
ナチアは軽く両手を広げる。
「では、出発だ。ボーイ、エレン、船を頼む」
「おう。楽しんでこい」
「四人とも、気を付けて下さい」
マーベリックは海中に沈み、コン・シールドの影響も消える。四人は海水と、重力に身を委ねた。
「うわーっ! 気持ち、いいーっ!」
クリスの叫びが、夜空に響いた。
ホテルにチェック・インして、四人は仮眠をとった。
クリスの言葉どおり、最高級の一室で、大きなリビングにキッチンが付き、寝室も二つ存在した。
仮眠から起きた頃に、配達のエア・カーがホテルに到着したとの連絡がフロントから入った。寝る前に手配した、四人の新しい服も届いた。着替えたシンとクリスが地下駐車場に赴き、大型のエア・カーと、それに詰め込まれた食料の確認を行った。部屋に帰ってくると、ナチアが二人を待ち構えていた。
「さあ、ショッピングですわ」
大きなソファに深く腰掛け、朗らかに宣言する。
「カードでは、わたくしが勝ちましたけれど…、好きなものを買ってあげますわよ」
「ナチアさんのお金じゃないけどね」
少女の正面に座りながら、クリスも笑顔である。
シンとナチアは、涼しげなシャツに短めのパンツ。シンは暗い色調。ナチアは明るい色調で統一している。
そしてクリスは、モノトーンの、メイド服。
「あなた全然、めげませんわね」
「そう? どう? 似合う?」
「よくそれで出歩けますわ。メイド服がどうこうではなく、女装がそもそも似合ってませんわ」
「まあ、ぼく、男だしね」
あはは、と笑い飛ばす。
「ユーキさんは、すっごい似合ってる」
一同の視線を浴びて、黒髪の少女が身を縮める。
「…ほんとに、これで、わたし外出するの?」
クリスと同様、黒と白を基調としたメイド服で、大量のレースに包まれたユーキであった。
「当然ですわ」
「ユーキさん、最高。キュートでビューティでマーベラス。ぼく、天国にいるみたい」
笑顔の二人を、恨めしそうに見る。
「あなた達とは、もう絶対、賭け事しないから…」
「ああ、そうだ。みんなに言っておくね」
ユーキの声を聞き流し、クリスが説明する。
「まず、ホテルや周辺の監視システムには手を加えちゃったから、安心してください。多少目立っても、サイバー・スペースには漏れません。当然ですけど、ぼく達の周りだけ保安システムとか動いてませんので、何かあっても、警官とか警備員とか来ません。ええっと…。気を付けてください、一応…」
シンと、ユーキと、ナチアを見る。
このメンバーで、何をどう気を付けるのか、言ってるクリスにも分からなかった。
「軍の動きは、船からも監視してますし、いざとなれば数分で呼ぶこともできます。けど、これ以上はあまり痕跡を残したくないので、明日、帰るまでの間は、極力サイバー・スペースへの接触は避けたいと思います」
「よろしいですわ」
「ええ」
「それと、人前で使うための、偽名を用意しました。ファミリー・ネームはベック、ぼく達、四人兄弟です」
「兄弟?」
「どんな家庭ですの…」
ユーキとナチアが呆れるが、クリスは気にしない。
「シンさんがエース、ぼくがジャック、ユーキさんがジェルで、ナチアさんがリンスです」
「シンとクリスは分かるけど…、わたしとナチアは、なに?」
「エンジェルと、プリンセスです」
「ああ、そう…」
「あなたのネーミング・センスは、相変わらず最低ですわね。プリンス、にも通じるのは嫌味ですの?」
「考えすぎだよ。さあ、行こう」
そう言ってクリスは立ち上がり、シンとナチアはサン・グラスをかける。
「わたしも…」
「え? ジェルさんも付けるの?」
「その格好でサン・グラスをかけたら、完全に仮装ですわね」
「いいわよ、もう、どうだって…」
「ほらほら、ぼくとジェルさん、お揃いだよ!」
「ええ…、そうね…」
「ショッピングのあとは、ビーチで泳ぎますわよ。ジェルのために、素晴らしい水着を選んでさしあげますわ」
「うっわー、楽しみ。ぼく、リンスさん大好きかも」
「わたしの意見も、少しは聞いてね…」
二人は意気揚々と、一人は落ち込んで、一人は冷静に。チーム・マーベリックの夏休みが始まった。
<次回予告>
ボーイの横にエレンが座ってから、数分が経過した。
次回マーベリック
第十三章 第八十七話「懸念」
「人間はサイバー・ビーングじゃねーからな。人殺しは悪いことです。だからしません、とはならねーよ」