第八十四話「回想(前編)」(3)
「まず、そもそもの前提から。ぼく達が帝国領にワープした際の話だけど、システムはダメージを受け、メモリーの大半は消失しました。これらを復旧する過程で、自動修復システムの再構築を行ったのですが、これが現在、三号機メインのサイバー・ビーングとなっています。名前は、キキ。一部は実体化が可能で、ユーキさんと戦った際に、通路に飛び出した姿を確認したと思います」
「あの、黒猫ですか…」
一瞬ではあったが、視認した。あの猫さえいなければ、ナチアに続き、ユーキも倒せていた。
「そのキキとぼくとで今回、パラレル・アタックを敢行して、失敗。ぼくの命綱は切られたけど、キキの分が残っていた。それを活用して、意識の拡散と消失は防ぎました。パンドラ・ボックスからのウイルスは、外部からの接触を遮断して、現状を維持してます」
「矛盾していますね」
「回線は切断。内部で孤立。でも、通話回線だけは、確保できた」
「通話用の回線ですか? 確かにあれは最優先系統ですが…。あまりにも細い…。そんな事が可能なのですか?」
「ぼくにだって、できるかどーか。ナチアさんが圧縮してくれてる。きっと今も」
「謙遜は不要ですわ」
クリスの感謝の念を、ナチアは切り捨てる。自分が負けた事実に変わりはない。
「パンドラ・ボックスを察知したのもナチアさんだし…。どうやって気付いたの?」
「三号機に侵入者が現われて、迎撃に出た時ですわ」
「負けて目が覚めた?」
クリスに悪気はないが、今のナチアは、注意する気にもなれない。
「言い訳をするつもりはありませんけれど、操縦席を出た時には、負けるつもりなどありませんでしたわ。勝てるはずのない相手が、どうして三号機に来るのか、その理由を考えた時、確実に勝てる方法を思いつきましたわ」
「なるほど…」
「二号機だけでも十分ですけど、できれば三号機や、一号機も巻き込みたい。そのために、回線の切断ができる人間を操縦席から引き離したかった…。クリスは二号機の中ですし、さらには毒ガス散布の準備にもなる。実に見事な作戦ですわ…」
結果から見れば、最初からサイバー・ファイトを放棄し、クリスを除く三人でボーイ相手に白兵戦に臨むべきだったのかもしれない。しかしその場合、二号機内部の艦内隔壁を開くことができたかは微妙で、物理的に攻め込むことが不可能となれば、パンドラ・ボックスによる全艦汚染、という選択肢を排除するのみとなる。戦術として多少マシ、という程度の違いしかない。狭い通路の中、万全のボーイを相手に、三対一の形を取るのが困難なのは、最初から分かっていたことでもある。
「全艦のウィルス汚染を回避した、あなたの洞察は見事です」
少女の言葉も、慰めにはならない。自らは敗北し、全艦のガス汚染は防げなかった。黙ってしまったナチアに代わり、クリスが続きを話す。
「あとは、マインド・コントロール解除の経緯だけど…。キキを再構築した際、人体の治療も可能にしたから、これで物理的手段はオッケー。残る専門的知識は、シンさんと、やっぱりナチアさんから提供してもらいました」
「専門的知識と言っても…」
簡単に解除できるものなら、帝国も二人を送り出すことはない。
「シンさんは洗脳、ナチアさんはクローンについて。たぶん、この二人より詳しい人間なんて…」
少しだけ考えてから、クリスは断言した。「宇宙にいないと思います」
「それ程の知識が…?」
一同を招集したヘレン・スタイナーですら、知らなかった事実である。
「まあ、人にはそれぞれ、秘密があるってことだよな」
ボーイの言葉に、クリスも明るく答える。
「そーだね」
「裏表がないのは、それこそ、ユーキくらいか?」
「そんなことないと…」
笑顔のボーイ。困った顔のユーキ。小さく口を尖らせるのは、クリス。
「失礼だな。ユーキさんにだって、秘密くらいあるよ」
「たとえば?」
「お母様が冒険者!」
「知ってるよ。ヨーコの大冒険だろ?」
軽く答えるボーイに、クリスはサイバー・スペース上で胸を張る。
「そのヨーコが、ユーキさんに遺した、人類の英知!」
「クリスぅうううっ!」
叫んだのは、当然ユーキ。「今、それ、関係ないわよね! ぜんっぜん、必要のない会話よねっ!」
「はい、すみません…」
「ははっ。なんだ、クリス、だらしねぇなあ」
「面目ないです…」
脱線しかけた会話を、クローンの少女が引き戻す。
「もう一つ、聞いていいですか?」
「うん。なに?」
「システムを再起動した、という話でしたが…」
「帝国領に来た時だね」
「どうやったのです? マーベリック内部のサイバー・スペースは、構造的に不可分な領域の連続。当然、核心部分は黒塗りです。次世代ワープ機関の仕組みを知らなければ、仮に起動出来ても、再構築は不可能です」
「その言葉のとおり。次世代ワープ機関を知っていたから」
あっさりとした返答。
「レベル・セブンの機密事項ですよ? その中核を、どうして知ったのです? いえ、そもそも、漏洩はしていなかった筈です」
漏洩したのではない。クリスは、最初から知っていた。
「ぼく、発明者」
しばしの沈黙。そして。
「…は?」
「ぼくが発明して、マーベリック博士が開発したの。だから、基礎的仕組みは、全部承知してる」
「………」
シンとユーキ、ナチアも、初めて聞いた時は、疑った。クローンの少女が信じられないのは、無理もない。
「おれは、おどろかねーからな。クリスなら、そのくらいありうる」
「だよね! ありがとうボーイさん!」
ボーイの言葉に、クリスは嬉しそうに応える。
「それで、打開策は思いつきましたの?」
ナチアが面白くなさそうな声で聞く。艦内に毒ガスが充満する中、呆然とする時間も、はしゃいでる時間もない。
「…自分は元々、マーベリックのパイロット達のリーダー、という立場にいました…」
ゆっくりと、少女が話す。
「うん、知ってる」
クリスが頷く。
「万が一の事態に備え、機体のパラメーターを覚えました」
「うん」
立場的にも、当然である。帝国への亡命を画策していたとなれば、なおさら。
「全部、覚えました」
「うん」
答えに、少し遅れて。「…えええええええええっ!」
この状況で、ヘレン・スタイナーなら、冗談など言わない。
「ここにも一人、馬鹿がいましたわ」
「全部って、全部? パラメーターって、パラメーターのことだよねっ?」
クリスとヘレンの、決定的違いのひとつ。少年は、細かいことを気にしない。教官は、細かいことにこだわる。
「部分的に隠された記憶もあるようですが…。マーベリックの操縦にも関することですから、完全に消去された可能性は低いでしょう。マインド・コントロールの影響を、完全に排することができれば…」
思い出すことができる。
少女はシンを見る。
可能。その確信を得る。
「クリスが…根幹、自分が枝葉…」
「二号機の復旧と同時に、即座に動くことができる…」
「ベースはわたくしが」
「おれがメカニックだってこと、おまえ達、覚えてるよな?」
「シンが治療で、わたしがバック・アップね」
「活路が、見えてきたようだな」
光が射した道を、進む。そのスタート・ラインに、六人は立つことができたのである。
「すげえな、人類の英知って」
「クーリースぅう…」
「え? ぼくが怒られるの?」
「あたりまえよっ」
<次回予告>
その後、主にクローンの少女とクリスの間で、詳細の対策が練られた。
次回マーベリック
第十三章 第八十五話「回想(後編)」
「エレンさん、って名前はどうかな」