第七十三話「自由」
クリスの操縦するマーベリックは、三人の男女を詰め込んだ脱出ポッドを打ち出したあと、決して正規ではない航路を、惑星ロマリアに向けて進んでいた。
操縦、とは言っても特にすることは何もない。
加速や減速、方向転換をすれば、マーベリックの巨大なエネルギー・グラフは感知されてしまう。ハイジャックした輸送艦ノートラムのワープから始まって、すべての航路設定は、ノートラムの推進機関を利用する形で行われていた。より帝都に近づき、マーベリックの存在が露見するまでは、このまま慣性に任せて直進するのみである。機体の修復も、復活したキキが行っており、そちらに関してもクリスは用無しであった。何かが起こるとすれば、もう少し先の予定である。
やることがないクリスは、他に誰もいない艦内で、以前からやろうと思っていたことを実行すると決めていた。
さあ!
マスターベーションするぞ!
実に呑気な、マーベリック乗組員であった。
次の朝は、だいぶ寝坊してしまった。
金髪のチーム・メイトの代わりとなる目覚ましを、キキに頼むのを忘れていたからである。しかしそれも、大きな問題ではない。
この日、クリスは、暇つぶしのためのゲームをする予定であった。
前日、寝る前にキキに作成を頼んだ娯楽用プログラムを、三号機の副操縦席上で展開した。
題して、
ロード・オブ・マーベリック。
銀河帝国を縦断することになった男女四人の内、一人を主人公として選び、帝都防衛艦隊を打ち破るまでを描いた、半フィクションのシミュレーション・ゲーム。
艦内に保管された各種データを活用しており、非戦闘パートは、登場人物同士で、かなりリアルなコミュニケーションが可能。一方の戦闘パートでは、同様に実際の戦闘データを利用して、擬似的なファイトを行う。当然、選択した主人公によって、担当する役割が変わる。シンならパイロット兼シューター。ユーキなら対ミサイルのディフェンダー。ナチアなら航空管制と機体制御。クリスなら船のキーパーとコン・シールド・マスター。
クリスが選んだ主人公は、シン・スウ・リン。
お目当ては、ユーキである。
ゲームをスタートすると、懐かしいストーリーが展開する。ゲームの中のクリスが、今後の進路を熱弁している。シンの視点で見ていると、当時の自分が幼く感じられるから不思議である。
そして最初の重要な選択肢が現われる。視界の上方に「重要」と書かれた標識が現われたから、間違いない。今後の展開を左右する分岐点なのだろう。すでに一同は銀河帝国縦断を決意して、睡眠時間に関する取り決めを行った後のタイミングである。ユーキと二人、ベッドで横になった時。
上段にユーキ。下段にシン。
このまま寝るか、
上段に行くか。
悩んだ。悩みまくった。さすがに、行ったらまずいだろう。エンディングまで、まだ長い。こんなところで、つまづいていいのか。
結果、上段に行って、ユーキに嫌われるクリスであった。
次の悩める選択肢。
排泄物処理ラインが詰まった時、誰が修理を行うか。
俺がやろう、と提案するか、
他の三人のいずれかに頼むか。
自分でやろうと提案するのは簡単である。その結末も知っている。他の誰かに頼むと、どうなるのか。
ユーキに頼めば、やってくれるだろう。しかし、これ以上好感度を下げたくない。物語として面白くもない。やはり、ナチアか。しかし、断られるのは明白。残るのは、自分。クリス。
自分が頼まれていたら、どうするか。どうしたか。
何よりも、このゲームを作成したキキが、どのように推測したのか。
興味本位でクリスに頼むと、案の定、クリスは不平不満を言い始めた。それでもクリスに押し付けようとすると、ユーキが代わりを申し出た。ナチアは冷ややかな目で見ている。結局、シン自らがやることになった。全員の好感度が下がったのは明白である。
しくじった。
少しだけ後悔した。やはり、シン本人の選択に間違いはないということか。いや、改めて考えるまでもない。悩むべき選択肢ではなかった筈。結末を知るが故に、犯したミスである。
一回リセットしてやり直したい気持ちもあったが、気にせず続けることにした。
ユーキとナチアのスクランブル・シャワーを覗き、クリスが倒れ、一回目の敵襲来。たった三人での宇宙戦闘が始まる。
ゲーム・オーバー。
クリア手順を知っていても、難しい。
ユーキやナチアの好感度を下げたことも、影響しているらしい。
悔しいながらもコンティニューを繰り返し、さらに戦闘パートに関する難易度を下げて、ようやくミッション・クリアする。
…手加減なしだね、キキ。
ちらりと、画面横の黒猫を見た。
その後、真夜中の三号機通路において、黒猫・キキと初めての遭遇。ナチアとの関係をユーキに誤解され、そこで現われる、選択肢。
ユーキに対する釈明をナチアに任せるか、
シン自らが、誤解を解くか。
本人がどちらを選んだかは、知らない。クリスが後者を選ぶと、さらに選択肢。
事実をそのまま説明するか、
実はユーキが好きだったと告白するか。
するよ。当然。
クリスは即決した。
ユーキの好感度が大幅にアップし、ナチアのやる気が大幅にダウンした。
…これで、次の戦闘を乗り越えられるのだろうか?
予想どおり、対特務艦隊戦は、難易度を下げてなお、大苦戦。バック・ヤードを務めるナチアが万全でなければ、到底、勝ちはない。勝ちはないどころか、キキとの最終決戦にも辿りつけない。さらに難易度を下げて、どうにかクリア。クリア後に、ユーキの精神混乱が少なめだったことが、唯一の救いか。
最終ボス。帝都防衛艦隊。
戦いの直前に行われた、第一回・恒例マーベリック艦内白兵戦大会。
どうにかして、レベル・アップした二人の少女を倒し、そのあとに現われる、驚愕の選択肢。
就寝した二人を余所に、クリスとの会話を続けるか、
クリスとの会話を打ち切って、少女達のベッドに夜這いをかけるか。
…恐るべし、キキ。
まさか最後に、こんな選択肢を用意するとは。すべての選択肢は、このための伏線だったのか。
まずいのは分かっている。そんなことをして、少女達の好感度が上がるわけがない。クリスの好感度も下がる。戦闘にも勝てないだろう。というか、このゲーム、ユーキとのハッピー・エンドはあるのだろうか? しかし、見たい。これはゲームだ。ハッピー・エンドよりも、拝みたいシーンがある。
結果、夜這いをかけ、少女達の反撃をくらい、幸い誰にも怪我はなかったものの、寝ていたクリスにも情報は伝わり。全員の好感度とやる気が激減し、対帝都防衛艦隊戦の序盤で敗北した。
難易度を下げて、コンティニューする気にもならない。
クリスはキキに、直接尋ねることにした。
「ねえ、キキ。これって、ユーキさんと結ばれるエンディングって、あるの?」
キキの回答。
選択肢によっては、十分、可能。
「………」
何だかとても、納得のいかないクリスであった。
残る主人公の内、ユーキを選んだ場合、どうなるのか。
実際にプレイをせずに、クリスはキキに結果を聞いてしまった。
主人公がユーキの場合、シンとのハッピー・エンドは皆無。どのような選択肢を選んでも、現状維持が精一杯。クリスはユーキに、とても同情した。
それとは別に、主人公ユーキがクリスの好感度を上げていった場合、戦闘はともかくとして、恋愛面でのハッピー・エンドは容易い、とのことであった。
何だか、複雑な心境になった。
さらに、ナチアが主人公ならばどうなるのか。シンやクリスとの、恋愛上の展開はあるのか。
シンとの色恋は、やはり皆無。というより、ある程度以上、親しくなるための選択肢すら用意されていない、とのことであった。妙な所でリアリティを追求するキキである。
クリスと結ばれるエンディングは、一応ある。その場合、両者共に後悔するらしく、どちらかというとバッド・エンドのストーリーになるらしかった。
結果を聞いて、急にやる気をなくすクリスであった。
自分を主人公に選んだ場合、どうなるのか。
黒髪の少女とのハッピー・エンドはあるのか。
クリスはそれを、キキに聞かなかった。実際にプレイもしなかった。結果を知れば、キキを嫌いになりそうで、それも少し、怖かった。
今、自分は、現実世界の中で、リセット不可・コンティニュー不能・難易度変更機能なしの、命がけのゲームをプレイしている。このゲームだけは、自分以外の主人公を選べない。
クリスティン・ローゼスが主役の物語は、こっちのゲームだけで十分、かな。
そう思いながら、ロード・オブ・マーベリックを終了させるクリスであった。
続く