第七十一話「対宮殿近衛兵戦」(3)
二人の少女が床に伏した時、立っていられる近衛兵は、八人にまで減らされていた。その何倍もの仲間が床に倒れている。
「この…っ、化け物がぁっ!」
一人の近衛兵が、ナチアの脇腹を蹴り上げた。
もはや声も上げられない。
もうろうとした意識の中で、シンとユーキの姿を探す。
「おらっ、お前もだっ!」
視界の中で、同様に蹴りつけられるユーキがいた。
「もう止めろ、他の部隊も来たぞ」
「ちっ…」
「おい、そっち、手錠あるか?」
「ああ、待て。ほらっ」
「くそっ、一体、何人やられた…」
「戦闘用のスーツでは…ないのか? そんな馬鹿な…」
男の声がして、男の声がして、男の声がして、男の声がして、男の声がした。
大勢の気配が近づいてきた。
嫌ですわね、こんな結末…。
ナチアは、仲間の二人を見ていた。
シン、ユーキ。
…さよならかも、しれませんわね…。
ユーキも、ナチアを見ていた。
微かな意識で、シンの姿を求める。
両手が持ち上げられたが、感覚はなかった。ただ、視界が動かされたことだけが、ユーキに認識された。
持ち上げられ、そして、止まった。
いきなり手を放され、ユーキの視界は、再び床の高さまで下がった。
多くの足音が聞こえていた。それは、多くの敵が近づいた証。
しかし、それらの音は急速に収まり、世界は静寂の中に沈んだ。何故かは分からない。
シン?
心の中で、呼んだ。
だが、それは、シンではなかった。少なくとも、ユーキの知っているシンではなかった。
床ぎりぎりの視界の中。身を起こす、黒色の影。
それは、シンではなかった。
シンが、そんな殺気を出すわけがなかった。
すべてを呑み込む。人知を超える。他者の存在など、一片も許さない。
意識を失いかけているユーキの身体が震えていた。
黒き獣は、立ち上がっていった。
「…!」
二十人以上に増強された近衛兵は、だが、立ち上がった男の迫力に圧倒された。
顔面を朱に染めて、手負いの獣が、そこにいた。
「…!」
最初からいた八人が、後ずさる。後から来た十数人が、立ちすくむ。それぞれ武器を手にするが、まともに構えることもできない。
「………か?」
シンの口が、僅かに開かれた。
シンの、そして、かつて黒豹と呼ばれた男の口が。
近衛兵達は、男が何と言ったのか分からなかった。小さすぎて聞き取れなかった。
黒豹は、ゆっくりとあたりを見回し、ナチアと、ユーキの姿を確認する。
ひっ!
近衛兵達の身体が固まった。
少女達の姿を確認し、男の気勢が、さらに膨張したのである。
どす黒い殺気と、紅蓮の怒気が、決してせまくない廊下に充満した。
黒豹の口が再び開かれる。
先ほどとは異なる、大音量の叫び声を上げる。
「きさまらかぁあああああっ!」
空気が震え、聞く者全員の身体が縮まった。比喩ではなく、物理的に小さくなった。
もはや、逃げることもできない。
黒豹の体が、一歩を踏みだす。
「俺の女を傷つけたのはぁああっ…!」
さらに一歩を刻む。
「きさまらかぁあああああああああああっ!」
吠え、そして姿を消した。
一瞬。
僅かに一瞬。瞬く暇すら、あったかどうか。
手前にいた、八人の腕が吹き飛んだ。
「…!」
鮮血とともに、八本の腕が、武器と共に宙を舞う。
「死ねぇえええええっ!」
八人の男が、意識を失う寸前に。
再び、黒豹の剣が閃いた。
「…!」
動きのとれない仲間達の前で、八つの首が跳ね飛ばされた。
血の雨が降っていた。
首のない胴体から、逆しまに吹き出す。
胴体は、ゆっくりと、廊下の中央を避ける形で、床に倒れていった。
どのようにやられたのか、視認することもできないほどの、技量。戦闘用のスーツに包まれた首を、腕を、いったいどうすれば切断できるのか。
黒き獣は、しかし、何らの解答も示さず。
残る近衛兵へと視線を移す。
そして、さらに一歩を踏んだ時。
「ぐっ…」
黒豹の体が傾く。
額から溢れる血は、完全には止まっていない。
黒い服のために分かりづらいが、脇腹も血で滲んでいる。
「外へ…」
壁際からの、ナチアの声が聞こえたかどうか。
黒豹は僅かに顔を曇らせたのみで、体の向きを半回転させた。
まるで、攻撃がこないことを知っているかのように、黒豹は少女達に近づいていった。
最初にナチアを左肩に担いだ。次にユーキを右脇に。
振り向いて、近衛兵達の方へ歩きはじめる。
「…!」
近衛兵達の硬直が、僅かに解けて。
黒豹の眼前に、道が開けた。
その歩みがとまることはなく。近衛兵達にとって、長い長い時間が経過した。
白濁する意識の中、いつしか三人の敵はいなくなり。やがて自分達が、糞尿を垂れ流したまま立ち尽くしていたと知る。
ともかくも、こうして皇帝病院での惨劇は終結したのである。
<次回予告>
ナチアは、オープン・カーの中で首をすくめた。
宮殿は、爆炎に包まれていた。
次回マーベリック
第十一章 第七十二話「逃亡」
「ナチアスチア…。今はお前を信じよう。だが、忘れるな…」