第六十八話「潜入」(2)
「ふう。ようやく、落ち着けますわね」
急遽ではあったが、女官に用意させた部屋に入ると、ナチアが大きなソファに腰を下ろした。
「希望通りだね。庭にも出られそうだ」
女官を送りだし、ロビンも部屋の中央に入ってくる。
「それにしても、ずいぶん変わりましたわね。驚きですわ」
「知り合いは来ていない筈だけど、いつもの僕を知っている人が、いるかもしれないしね」
顔は笑っているが、目は笑っていない。
そんな男の姿が、ナチアには滑稽であった。
「女ったらしとは聞いていましたが、まさか、これほどとは…」
「ははっ。催眠術みたいな物だよ。色仕掛けと催眠術は、似ているだろう」
みたい、でも、似ている、でもなかった。
シンが女官に施したのは、催眠術である。色仕掛けと併用はしている。
「便利ですわね。吐き気がしますわ」
「気分を悪くさせた様だね。申し訳ない」
三人だけになったとはいえ、完全に敵陣の中である。どこで聞かれているか分からない以上、すべての会話は、演技の中に混ぜる必要があった。
「…アリス、そろそろ入ってきたらどうですの?」
まだドアの付近で立つユーキに、ナチアが声をかけた。
「済まなかった、アリス。そろそろ機嫌を直してくれないかい?」
シンも声をかけるが、ユーキは動かない。
「…酷いじゃない」
ようやくにして、声を搾り出す。
「ええ、本当に、酷いですわ」
「イライザは黙って」
ぴしゃりと言われ、ナチアは軽く両手を広げる。
「何よ、さっきのキスは?」
「この部屋を手に入れる為の演技さ。分かっているだろう?」
ユーキの反応は、ある程度予想できた。だからこそ、演技の練習に付き合わせたのである。シンだけなら、練習の必要もなかった。
「演技? あれが、演技だっていうの?」
「そうさ。演技さ」
「昔のあなたは…、いつも、あんなことしてたの?」
「否定はしないよ」
「あとであの人が…、他の人たちが…、思い出して、我に返って…、その時、どう思うか。どう感じるか。あなたは想像したことがあるのっ?」
「我に返る事なんて、ないよ」
「どうして分かるのっ?」
「…どう説明したらいいかな。催眠術とは言っても、強制力がある、いわゆる洗脳レベルのマインド・コントロールではないんだよ。僕は彼女を、誘導しただけ。彼女は自分の意思で、応えただけ。それ以上でもそれ以下でもない。平たく言えば、ただのよくある恋愛感情なんだ。分かってもらえるかな?」
なるほど。よく、わかった。
「おかしいと思ってたのよ…」
ユーキの頭の片隅にあり続けた、疑念が晴れた。
「女の人に暴力ふるったとか言いながら、罪には問われていない。そんなこと、あるわけないじゃない…」朱眼が無法地帯であったとしても、シンが子供だったとしても、許されるのは個人の責任のみである。国家設立の中心人物が性的な暴力をふるったのであれば、それは大きな失点とならざるをえない。「サイバー・ビーングが溢れるこの世界で、まったく証拠がないなんてこともありえない…。イライザの実家も含めて、大勢の人たちが検証して、それでも、あなたに罪はないということになった…!」だからこそ、白龍の建国は認められた。だからこそ、非合法の賞金首になった。表立って罪を問うことができないから、だから、裏から狙われるようになったのだ。「法律に触れないギリギリの範囲で悪いことをして、女の人を誘導して、手をだして…、そして、そして…」
「アリス。その辺りでおやめなさい」
ナチアがとめた。
「昔話をするために、ここに来た訳ではありませんわよ」
「イライザ、あなた、知っていたわね?」
「当然ですわ」
「どうして言ってくれなかったの?」
大きく、息を吐く。面倒な女だと思った。ナチアは首を振った。
「こんな男はやめておけと、最初から言ってますわ」
「ええ、そうだったわね…」
ユーキは一度うつむき、歩きながら答える。クローゼットから三人のコートを取り出す。
「ロビンが昔、暴力を…、少なくとも、性的な暴力をふるうような人じゃないのはわかった…。そう思っていいのよねっ!」
黒いコートを、力いっぱいシンに投げつける。
「ああ」片手で受け取り、短い言葉を返す。
「わたしが今、どれほど安心して…。どれほど悲しんでいるか…っ。この件は帰ったら…、きっちりと話をさせてもらうからっ!」
「了解した」
どこに帰るのか。それは今、口にしない。
「あなたもよっ」
ブラウンのコートを、ナチアに投げつける。
「わたくしも?」
「大事なこと…、他にもいろいろ隠してるんでしょうっ?」
「ほほ。当然ですわね」
腹が立つ。なんだ、この二人。
まるで、責めてる自分がおかしいみたいだ。
「…外の空気が吸いたくなったわ。少し早いけど…、付き合ってもらうわよ」
息苦しく感じたのは事実。大きな窓を開け、庭園へと踏みだす。
目的の皇帝病院は、多少遠いながらも、この庭園から歩いていける場所にある。
「ロビン…。わたしとのキス、覚えているわよね?」
背中越しに、ユーキは尋ねた。
「ああ」
二ヶ月以上も前。その時二人は仲間とともに、生命維持システムが停止した宇宙船の中にいた。
「わたしにとって、あれは、大切な思い出…。演技なんかじゃない…、大切な…」
続きを言おうとして、言えず。ユーキはそのまま歩きだした。
残る二人も、庭園へと出ていく。
投げつけられたコートに袖を通しながら、ナチアがシンに視線を向けた。
「もてる男はつらいですわね」
シンはただ、肩をすくめるのみであった。
<次回予告>
一同が皇帝病院のドアをくぐったのは、マーベリック出発から、約四十八時間後のことであった。
次回マーベリック
第十一章 第六十九話「病院」
「分かりました。それでは少しだけ、見せて差し上げましょう」