第六十七話「作戦2」
一時間後。
「まったく、これほど待たされるとは思いませんでしたわ」
別荘の玄関に入ると、落ち着いた光が灯されていた。
「すまんな。警備システムを確認している間に、面白いものを見つけてな」
話しながら、シンは二人を別荘の中へと導いた。
「おもしろいもの?」
ユーキが質問するが、シンは直接的には答えない。
「この別荘を選んで正解だった、という事だ」
別荘は見かけどおり広く、二人は、シンの後ろについて足を進めていた。
ある部屋の前でシンはとまり、ドアを開けて少女達を中へと導く。
「窓とカーテンを開けなければ、騒いでもいい」
部屋には、落ち着いた印象のソファとテーブルがあるが、あるのはそのくらいである。
シンに言われるまでもなく、騒ぐ気分にはなれなかった。惑星に到着して、若干浮かれていたことを、別荘に入る前に二人で反省していたりもした。シンのように常に平静でいることが、必ずしも良いとは限らないが、程度というものがある。このあと、ボーイの救出作戦が控えているし、そもそも、ここは他人の家である。
「俺は隣の部屋にいるから、きっかり一時間後に顔を出せ。いいか、それだけは忘れるな」
何故、一時間後なのか。何故、念を押すのか。ここで何をすればいいのか。二人には分からなかった。
「バスとシャワーは、あのドアの向こうにある」
え?
二人の表情が、一瞬固まった。
バストシャワー?
バスと、シャワー?
言葉を理解し、それが喜びに変わる前に、追い討ちをかけられた。
「クローゼットは、ここだ」
シンの声と同時に、奥の壁が開かれた。
壁。二人の少女がそう思っていたそれは、巨大な衣装室への入り口であった。
「………!」
「………!」
ユーキとナチアが、息を飲んだ。
色とりどりの衣装が、来訪者を待ち構えていた。
「ここの持ち主は、かなりスタイルがいいらしい。きっと似合うぞ」
誰と誰に似合うのかは、言う必要のないことであった。
「帝都のパーティーに出掛ける。準備ができたら、隣に来い」
一時間後に、時間厳守だ。
シンの言葉を聞いてか聞かずか。
二人の少女は向き合って、これ以上ない笑顔を浮かべていた。
シンの部屋を少女達が訪れたのは、指定の一時間から遅れること、約十分後であった。
ドアから入ってきたのは、ユーキとナチアではなかった。
ほう…。
シンをして、思わず息が漏れそうになる。
黒髪の少女は、マリン・ブルーのドレスを着込んでいた。足元から腰まであるスリットと、襟元から伸びる切れ込みが、滑らかな肌のラインを覗かせていた。
金髪の少女は、ワイン・レッドのドレスを纏っていた。上半身に密着したドレスは豊かな胸を強調し、スカート部分は、ゆるやかな曲線を描いていた。
二人とも薄く化粧を施し、髪を整えていた。
化粧をしたという事実が、おしゃれをしたという気分が、ユーキとナチアに、女としての自分達を再認識させていた。
「二人とも、綺麗だ…」
男が言葉を発するまでに、若干の間があった。
「あなたも、素敵よ」
シンは、黒のタキシードを着ていた。無難な選択だが、シンの体格に合う衣装が、限られていたという理由もある。
「まぁ、わたくし達二人をエスコートするのですから、その程度にはなっていただきませんと…」
ユーキと並んで、ナチアも微笑んでいた。
常に一緒にいたため、少し、忘れていたのかもしれない。
ユーキの漲る生命力。
ナチアの完璧な造詣。
この二人は、黙っていても目立ちすぎる。着飾らせるのは、最低限にすべきだったかもしれない。
「さあ、作戦に移りましょう」
「見とれるのも、ほどほどでお願いしますわよ」
微笑む二人に気圧されつつも、シンはこれからの行動を提示した。
「まず、車庫にあるエア・カーで帝都まで向かう。作戦は、その時に話そう」
「わかったわ」
「では、まいりましょう」
こうして三人は、季節外れの保養地をあとにした。
作戦は、至ってシンプルなものであった。
帝都の宮殿で開かれるパーティーに潜り込み、同じ敷地内に存在する皇帝病院に移動。そこに入院中の「マーベリック関係者」を救いだす。
それが、帝都に向かうハイ・ウェイ上、真っ赤なオープン・カーの中で、シンが少女達に話した作戦の概要であった。
必要な情報は、忍び込んだ別荘のコンピュータを利用して、帝国のサイバー・スペース上から得たものであった。
「病院、かぁ…」
助手席のユーキが呟いた。手動運転も可能なスポーツ・カーであり、二列のシートは現在、両方とも前方を向いている。隣の運転席にはシンが、やや小さめの後部座席にはナチアが座っている。短い黒髪と長い金髪が、風になびいていた。
はたして病院にいる「マーベリック関係者」が、ボーイなのかヘレンなのか、それとも別の関係者なのか。そこまでは分からなかった。だがしかし、他に頼れる情報はない。
「墓地ではなくて、よかったですわ」
ナチアが、ユーキの神経を逆撫でするようなことを言う。
「ちょっとっ」
怒ってはみるものの、その程度で反省するようなナチアではなかった。
「もう少し上位ランクの情報もあったが、そこまでは潜れなくてな…」
シンがハンドルを握ったまま、二人に話しかける。今後の行動の結果によっては、自動運転が使えないケースもありうる。久しぶりの運転に、慣れておく必要があった。
「ううん、十分よ。短時間で、よく調べてくれた」
「病院とはいえ、場所は宮殿内だ。衛兵は十中八九、白兵戦闘のエリートだろう。気を抜くなよ」
「そうね。わかったわ」
「問題は、このスーツですわね…」
ナチアが軽く、手のひらを広げる。白い手袋が、細い指先を包んでいる。
「やっぱり、脱がなきゃだめかな?」
「当然ですわね。ボディ・チェックが、スペース・ポート以下など、ありえませんわ」
「帝都に着いたら、やる事もある。せっかく着替えてもらったが、どこかで一度、戦闘用のスーツは脱ぐしかないな」
ノーマルのスーツにも耐熱・耐電・耐衝撃用の加工が施されているのが通常であるが、戦闘用スーツと比べては、差があるのは当然である。武装した白兵戦闘部隊を相手に、ノーマル・スーツで戦うなど、本来は自殺行為に近い。
「けっこう、じょうずに、隠したつもりなんだけどな…」
ユーキが体をくねらせて呟く。
その言葉を受けて、シンは気になっていたことを尋ねた。
「二人とも、今は、戦闘用スーツを着ているんだな?」
「ええ」
「あたりまえですわ」
少女達は笑うが、シンには判別しづらい。肌の露出面積が、明らかにシンよりも広い。
特に、ユーキの胸と足。それぞれに深いスリットが入っている。今はコートを羽織っているが、見せつけるかのようにして前をはだけている。隣に座られ、シンとしても、目のやり場に困る。
「…了解した」
そもそも、ここは敵地である。理由もなくボディ・スーツを脱ぐなどありえない。重力に慣れるための調整機能も働いている。
「ふふっ。これは、わたし達の肌の色に合わせて調整した、視覚用のボディ・スーツ。軍のスーツは、その下に着てるわ」
シンに気にしてもらえたことが、ユーキには嬉しかった。親友にからかわれながらも、きわどい衣装を選んだ、その甲斐があった。
「ところで…」
ナチアが話を変えた。「宮殿のパーティーなど、簡単に入れますの?」
質問を受け、シンは懐から一枚のカードを出して見せる。
「招待状?」
ユーキの言うとおりのものであった。
「そうだ。あの別荘は、帝国軍中将の所有。これは、その息子宛てに届いたもの。必要なデータは、すでに書き換えてある」
「書き換えた? プロフィール・データをですの?」
ナチアが眉をひそめる。
「大元は無理だが、表面的にな。数日間は騙せる」
「クリスといい…、まったく、あなた方は…」
「データを変えても、本人やご家族が来ちゃったら?」
「中将は現在、不可空域に駐留。細君や親族は地方に住んでいる。当の息子は、星の裏側で遊びほうけているらしい」
「ばらばらな家庭ね…」
「まぁ、エリートの家は、そういうものですわ」
そういうナチアも、エリートの出身である。通常のエリートとは、格が大きく異なってはいたが。
「帝国のエリート…っていうと、貴族なの?」
「一応、爵位持ちだ」
「ほんとにいるんだ、そういう人たち…」
「身分の差は大きくないと聞く。それ程、気にする事ではないだろう」
「軍に労働を提供する代わりに、名誉が与えられるのですから…、特権階級という名の、徴兵制度ですわね」
「どの国も世知辛いわね」
連邦においては、軍への勤務は、他の職業と同じく任意である。戦争さえなければ、そもそも働かなくても生きていける世界なのだから。
帝国においては、連邦よりも人口が少なかったために、ある程度は強制的に、兵の数を揃える必要があった。貴族制度とは、そのための代替措置の側面が強い。
「しかし呆れますわね。宮殿のパーティーならば、さぞや重要なイベントでしょうに…」
「放蕩息子のお陰で、俺達が楽できるがな」
「そうね…。息子さんは、なんていう名前?」
「わたくし達のデータも、ありますわよね?」
そんな二人に、シンは向き直って苦笑する。
「息子の名は、ロビン」
ユーキとナチアは、目を合わせた。
「それじゃあ、わたしはアリス?」
「わたくしは、イライザ?」
脱出ポッドの中で聞いた音声小説には、あと一人の主人公がいた。
「救い出すのは、アレク、だな」
シンが頷いた。
「じゃあ、イライザ、がんばらなきゃね」
「なぜ、わたくしが?」
「ふふっ。今度こそ、よりを戻せるかも」
「戻すような、よりなどありませんわよ」
「さあ、どうかしら。ねえ、ロビン」
「そうだな」
「二人して馬鹿なことを…。ふう…。ロビン、アリスを見すぎですわよ」
「ああ、すまん」
「まったく。…なんですの?」
「なんでもないわよ」
「どうして、あなたが怒りますの?」
「知らないわよ、もう」
作戦の孕む危険性からは、ほど遠い雰囲気で。真っ赤なオープン・カーは、朝霧の中を疾走していった。
マーベリック出発より、約四十一時間。タイム・リミットまで、残り約三十二時間。
三人は知らなかった。
ハイ・ウェイの向こうで、長く、危険な時が待ち構えていることを。
その長さを。
その危険を。
三人は、まだ知らなかった。
第十章 終
<次回予告>
真っ赤なオープン・カーが宮殿の門をくぐったのは、ちょうど正午の鐘が帝都に鳴り響く最中であった。
次回マーベリック
第十一章 第六十八話「潜入」
「ようこそ宮殿にいらっしゃいました。皆様を御案内させて頂きます」