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第六十五話「密閉」(2)

 出発から、三時間が経過した。

 脱出ポッドの少女達は、延々と娯楽用プログラムを稼動させていた。

 最初の失敗を除けば、ポッドに組み込まれたプログラムは、最高に二人を楽しませてくれた。音声による指示も可能にして、モニターも複数立ち上げた。動きがとれないという制約に変わりはないが、それでも娯楽用プログラムは二人を飽きさせなかった。

 この時点で少女達が手をつけていたのは、チェスであった。

 ナチアが燃えていた。

 もともと勝負事の好きな性分である。駒を動かすための声にも、自然に力が入る。

 これなら、いつでもできたわね。

 ユーキの発言どおりであった。

 チェスのプログラムくらい、ほんの僅かの時間でできる。例えプログラムがなくとも、駒の位置を記憶すればよい。一同にとっては、苦もないことである。これまでそうしなかったのは、単純に、頭がこういった「遊び」に思い至らなかったからにすぎない。もしも脱出ポッドのサイバー・スペースにダイブできれば、さらに遊びの幅も広がったのであるが、そのためには最低でも宇宙服が必要となる。多少残念ではあるが、今はできない。

「どうですの?」

 ナチアが顔の向きを変え、斜め後ろのモニターを見た。今は、ユーキとの対戦中である。立体表示された流麗な駒は、時折見るだけでも気分がいい。

「ふふっ。残念だけど、勝たせてあげないわよ」

 ユーキも首を半回転させて、モニターを覗く。

「あーら、わたくしに勝とうなど、百年早いですわよ」

「あーら、さっき負けたのは、誰だったかしら?」

「ほーっほっほっほ。トータルで、勝ち越しですわ。ユーキに倒せるわたくしではありませんもの」

「ふふっ。強がっちゃって」

 笑顔でゲームに興じる少女達を前に、一人辛い船旅をしているのは、シンであった。

 下半身が僅かでも反応するたびに、ナチアの踵が爪先を踏み潰す。ボディ・スーツのお陰で痛みはないが、心は休まらない。

 誰に対しても、文句を言える筋ではない。

 体力は、消耗する一方であった。


 出発から、七時間が経過した。

 娯楽用プログラムは、継続して作動している。

 途中から、シンの状態も落ち着き、ナチアの攻撃も薄らいでいた。

 チェスの次は、オセロ。オセロの次は、カードで遊んだ。

 カードの楽しみ方は様々であるが、一同のお気に入りは、ブラック・ジャックであった。配られた手札を、比較的見やすい位置に表示させ、三人は勝負を続けた。連邦に帰ったら清算する約束をして、金銭を賭けての勝負となった。

 ゲームは一時間を越え、そしてナチアが大勝負に敗れ、破産したところで終結した。ユーキが若干のマイナスで、シンの一人勝ちとなった。

 長い戦いを終えて、ユーキは小さく息をついた。ナチアは、シンをイカサマ扱いしたが、その証拠はなかった。

「これでグリューンの別荘を失いましたわ…」

 ナチアの言葉を聞き、シンとユーキが笑った。冗談と思ったのである。

 だが、続く言葉を聞いて、少女の発言に疑問を持つことになる。

「まさか二百万も負けるとは…、賭け事は恐ろしいですわね」

 確かに、二百万は大金である。けれど、ユーキであっても、無理をすれば払えない額ではない。内惑星連邦に君臨する巨大財団の一人娘が、顔をしかめるような額ではない筈であった。

「どうしたのよ、急に。ナチアにとっては、お小遣い程度じゃないの?」

 ユーキは最初、賭け事に反対であった。ナチアがどうしてもと言うから、仕方なくのったのである。各自二百万という持ち金も、ナチアが提案した。

「あら、でも、二百万ですわよ」

「ええ、二百万よね」

 二人は、不思議そうに見つめ合った。

「お待ちなさい。そういえばユーキも、二十万近くは負けてましたわよね?」

「ええ。ちょっと痛い出費ね」

「…失礼ですけど、払えるのですか?」

「少し…、苦しいけど、たぶん…」

 二人の間には何か誤解があるように、シンには思えた。

「二十万ですわよ?」

「二十万よね?」

 見つめ合う二人に、シンが声をかけた。

「…ナチア、お前、どの星の通貨で考えているんだ?」

「メルトスですわ」

 ナチアの返答に、ユーキは思考が停止した。

 てっきり、グリューンの通貨と考えていた。

「…もしかして、違いましたの?」

 ナチアが不思議そうに、二人の顔を見た。

 グリューンとメルトスでは、単位貨幣の価値が大きく異なる。しかしながら、通常はそれを気にする機会は少ない。日常生活で発生する支払いは、サイバー・スペース内で決済されるため、どの貨幣を保有していても問題は発生しないのである。軍からの給与も、各自が指定する貨幣で、個別に行われるくらいである。

「…シン、お願い、許してね」

 いくら何でも、ユーキに支払えるような金額ではなかった。連邦に戻っても、そんな額の貯えはないし、この先数年、軍で働いても、手に入れられるとは思えなかった。

「ああ。お前の好きな二十万で、構わん」

 互いに金銭のやり取りを行うのであれば、一同が出会ったヘブンが基本だと、シンも思っていた。今から掛け金の話をなしにしても、構わないくらいであった。

「………」

 ナチアは、小声を交わす二人に、少しだけ腹が立った。

「わたくしは、払いますわよ」

 人がどうしようと、正しくないことの嫌いなナチアであった。今さら自分が、値切るなど論外である。

「ナチアも気にするな。単位は決めていなかったんだ。好きな額で払え」

「わかりましたわ。こちらの好きな金額で、きっちり、払わせていただきますわ」

 …もう二度と、ナチアと賭け事はしないようにしよう。

 ユーキは固く決心した。


 出発から、八時間が経過した。

 再びチェスを始めたナチアとシンの横で、ユーキが体を捻じりはじめた。

 ふむ…。

 シンは、すぐにその原因に気が付いた。

 気が付いた以上は、気が付かない振りをして、ユーキを助けることにした。

「ナチア、少しいいか?」

「…なんですの?」

 この時ナチアは、次の手を真剣に考えていた。

「トイレを使いたくなった」

 シンは、自らが率先することにした。


 出発から、十時間が経過した。

 三人は無言であった。

 シンも、ユーキも、ナチアも。排泄行為を済ませていた。

 その過程は、特に二人の人生において、思い出したくないナンバー・ワンの出来事となった。

「何か、他のプログラムを起動させてみるか?」

 シンは優しい声で提案した。


 選んだのは、音声小説であった。

 幸いなことに、この選択は正解であった。始まって十五分もする頃には、少女達も小説の世界に浸り込み、あっという間に、一時間が過ぎ去った。

 笑いあり、涙ありの、コメディー・ロマンス。

 三人の間の空気は、だいぶ穏やかになった。

続く

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