第十話「ユーキとナチア」
「まったく、冗談ではありませんわ」
ナチアは、自分達の部屋に戻ってからも文句を言い続けた。
隣の部屋では、再びボーイの自棄酒が始まっており、疲れのみえたユーキとナチアを、シンが送り出したのである。
「だいたい、わたくし達のどこがボーイズですの? 呼ぶのなら、クレイジー・ガールズと呼ぶべきですわ」
ぶつぶつ言いながら、別の寝衣に着替え、二段ベッドの上段にもぐり込む。
「ふふっ、そんなふうに呼ばれたいの?」
下段のベッドから、ユーキの笑い声が聞こえた。
「もちろん、呼ばれたくはないですわ。ですけど…」
なおも続けようとするナチアを、ユーキの声が遮る。
「ね、ナチア」
「なんですの?」
「そっちに行っても、いい?」
僅かな沈黙。そして。
「嫌ですわ」
ナチアの返答が、ユーキには悲しい。
「どうして?」
「他人の匂いを、シーツにつけられたくありませんの」
「………そう…」
他人。ナチアはそう言った。ユーキの悲しみが、急速に重みを増した。
二人は無言になり、静寂が部屋を包み込む。隣では、まだボーイが騒いでいる筈であったが、防音されており何も聞こえてはこない。
ユーキは何か言おうと言葉を探したが、本来明晰な筈の頭脳は、この時、適切な答えを出してくれなかった。
沈黙が続いた。
世界は暗闇の中にあり、非常灯の微かな灯りだけが、部屋のシルエットを映し出していた。
そのシルエットに、やがて変化が生まれる。
ベッド上段の気配が動くと、黒い影が床の上に降り立った。
「…ナチア?」
影は、枕を抱えている。
「シーツに香りをつけられてもよろしければ、御一緒してさしあげますわ」
申し出を断る理由は、ユーキにはなかった。
ナチアがユーキのベッドに入ってきても。二人は何も話さなかった。
沈黙が続いた。しかし、先ほどまでのそれとは質が違っていた。
ユーキは、ナチアの言葉を待った。そしてそれは、数分後にやってきた。
「…ずるいですわ」
「そうね」
再び、沈黙が生まれる。しかし長い間ではない。
「…あの二人、ずるいですわ」
「そうね」
「このわたくしが、初めての実機演習とはいえ…。それなのに…。それにしても…」
「そうね。あの二人は、ずるいわ」
心からの同意。ユーキも、そう思う。
「………」
無言で奥歯を噛む気配がする。強い少女であった。決して涙を見せようとしない。
そのまま、時が流れる。
「…あの二人は、狂ってますわ」
もう、いつものナチアであった。
「あまつさえ、訓練が終わってから遊びまわるなど…」
「許せないね」
ユーキとナチアが、顔を見合わす。
表情は見えない。真っ黒なシルエットがあるだけである。だが、見えなくても構わない。気持ちは伝わる。
「ええ」
「負けたくないね」
「当然ですわ」
「ナチア…」
「…ふん」
二人は寄り添ったまま、眠りに落ちた。
夜は二人を、静かに包み込んでいった。
初めての実機演習から四日後。二人は、一軒のバーの前に立っていた。
ヘブンにおける、二回目の休日。知らされたのは昨日の夕方である。
ナチアの隣には、ユーキがいる。ユーキの隣には、ナチアがいる。互いの姿を確認する。
二人で決めたことであった。次に休日がきたらこうしようと、二人だけで決めた。
この日はスカートをはかなかった。ナチアは黒い上下のスーツ。ユーキは紺のパンツに、グレーのシャツ。動きやすい服を選んだつもりであった。
道行く人々が振り返る。今日は帽子もサン・グラスもない。目立つことは避けられないし、避ける理由もない。機能性が最優先である。
ユーキが頷くのを確認して、ナチアが一歩を踏み出した。
「さあ、いきますわよ」
二人は、黒猫亭の扉を押し開いた。
シンとボーイが目を覚ましたのは、昼近くであった。
同じ頃、彼らのよく知る二人の少女がバーの扉を通り抜けていたが、今の彼らはそれを知らない。
「よお、起きれっかぁ?」
「ああ。なんとかな」
二段ベッドの上下で声をかけ合うが、二人とも実際に起き上がろうとはしなかった。
昨日実施した、白兵戦闘訓練の後遺症である。二人の隣で、ユーキとナチアが白熱した戦いを繰り広げていたため、つい、シンとボーイも本気になってやり合ったのである。有重力での模擬戦であり、さらにはビーム・ソードとサンダー・ナックルの使用まで許可されていたため、体に蓄積されたダメージは、かなりのものであった。
「嬢ちゃん達は、どうしてんだろうなぁ」
「…どうやら、部屋にはいないようだ」
「わかんのか?」
「なんとなくな」
こういうところが、シンのまだ分からないところだ。ボーイとて、気配を読むことができる。できるどころか、得意ですらある。しかしそれでも、完全防音・完全断熱の隣室の様子までは感知できない。
「まったく、嬢ちゃん達もつめてぇなぁ。おれ達は置き去りかよ」
「これだけ寝ていたら、仕方がないだろう」
昨日の訓練において全力で戦ったのは、ユーキとナチアも同じである。けれど、シン達の戦いに比べれば、疲労は少ないかもしれない。とにかくボーイの攻撃は重たいのである。
「どーするよ、おれ達?」
「追いかけるべきだろうな」
互いのベッドから出ることなく会話を続ける。
「どーして?」
「あの二人は目立つ」
「ああ、そーいや、そーだった」
「街に出たら、第十三小隊に見つからないとも限らん」
「おいおい。いくらなんでも、そんなヘマやらんと思うぜぇ」
シーツにくるまったまま、ボーイが笑い飛ばす。
あくまでものんびりと、二人は休日を過ごしていた。
ユーキとナチアは、そんなヘマをやっていた。
少なくとも当人達は、ヘマをしたつもりはなかった。自分達が望み、自分達で招き寄せたのである。
「早かったですね」
「待っていましたわよ」
店内の一角で、ユーキは仁王立ち。その後ろのシートで、ナチアが長い足を組む。
目の前には、堂々たる体躯を備えた男達が立ちはだかっている。この前のメンバーとは異なるものの、悪名高きトスポリ第十三小隊の一員であることは疑いがない。
店内は、大勢の客が静かにひしめいていた。最初から、そのすべてが居たわけではない。「クレイジー・ボーイズ」の美女二人が現われたと聞いて、一目見ようと詰めかけてきたのである。
店の主人も、固唾を飲んで成り行きを見守っていた。ユーキとナチアが入ってきた時には、早く逃げるようにと勧めたが、二人の少女は応じようとしなかった。逆に、何が起きてもステーション・ポリスに通報しないよう求めてきたのである。
「いい度胸だが、男どもはどうした?」
ユーキの眼前の男が、まわりを見渡す。この男を中心として、五人が孤を描くように少女達を取り囲んでいた。男達が聞いていた話では、恐ろしく腕の立つ仲間が二人いる筈であった。
「そちらこそ、数が足りないのではありませんこと?」
澄んだ美声が店内に響く。
中央の男がナチアを見下ろして、笑いを浮かべる。これほどの美人を、男は見た記憶がない。それが、一度に二人も現われた。
「安心しな。残りの連中も、おっつけやってくるからよ」
これからのことを想像してか、男の薄い唇から、くぐもった笑い声が漏れる。
「それを聞いて、安心しました」
ユーキの言葉が終わると同時に、中央の男が崩れ落ちた。
「なっ!」
残りの男達が目を剥く。いったん、床に倒れた男を見やり、気を失っていることを確認すると、すぐに視線を戻す。
いつのまに抜刀したのか、黒髪の少女の右手には、ビーム・ソードが青白い光を放っていた。
その横では、金髪の少女が立ち上がり、サンダー・ナックルを装着するところであった。
「エネルギー・レベルは下げています。心置きなく、気絶してください」
剣を手にしたユーキの声に、揺るぎなき自信がこもる。
「さあ、あなた方も武器をおとりなさい」
両の拳を金色に光らせ、ナチアが天使の微笑みを浮かべる。
ユーキとナチアの対第十三機甲小隊戦が、始まった。
<次回予告>
その日、Bブロックは喧騒に包まれていた。
騒ぎの中心部には、二人の少女が立っていた。
次回マーベリック
第二章 第十一話「対機甲小隊戦」
「わたくし、馬鹿と不細工は、大っ嫌いですのよっ!」