第九話「自棄」
ボーイは、酒を呷っていた。
自棄酒であった。
ボーイとシンの部屋の中。まわりには、いつもの三人がいた。初めての実機演習で模擬戦を行った夜のことである。
「なあ、そうだろ、ひでえよなあ」
ボーイの言葉に、シンが適当に頷いて応える。
「ああ、そうかもしれんな」
同じようなやり取りが、延々と繰り返されていた。
「落ち込まないで、ボーイ」
「ふふん。自業自得ですわ」
ユーキとナチアが、思い思いの言葉をかける。
二人は寝衣を兼用した部屋着姿で、二段ベッドの下段に腰掛けていた。ユーキは赤と白の太いストライプの、いわゆるパジャマ。ナチアは、オレンジのドレス・タイプである。対するシンとボーイは、軍服の上着を脱ぎ、シャツのボタンを外した格好で、部屋の中央に座り込んでいた。
四人はそれぞれグラスを持ち、各々好みの飲み物を飲んでいた。
「ユーキ、おまえは優しいなあ」
ボーイは嬉し涙を拭うかのような仕種をする。
「あーら、教官がだめなら、次はユーキですの?」
ナチアが馬鹿にした声をだす。
それまでふらふらしていたボーイの上半身が固まり、怒りに震えはじめる。
「もう、ナチアったら…」
ユーキがたしなめるが、ナチアには効果がない。さも愉快だ、といったふうに笑いだす。
「だめになんか、なっていない…っ」
ボーイが自分のグラスを空け、勢いよく床に置く。
シンが無言で、そのグラスにアルコールを注ぎ込む。
「…ただ」
ボーイが、ぽつりと呟く。
「ただ、なんですの?」
ナチアは、次の言葉が楽しみでならない。
「ただ、次に…」
「声が小さいですわよ?」
「次に、続かなかっただけだっ!」
大声で言いきって、ボーイが肩で息をする。
「それを、だめになったと、言いますのよっ」
「ナチアったら…」
「ほーっほっほっほっ…」
ナチアの笑い声が部屋に響き、ボーイは悔しそうに肩を震わせる。
この日の夕方、模擬戦を終え、ヘブンのミーティング・ルームに戻ってから、ボーイはヘレンと、約束のデートをすることになった。
もともと、ボーイとヘレンの二人で交わした約束である。ボーイが直接ヘレンを撃墜したわけでもなかったので、ヘレンにも断る権利はあったかもしれないが、そうはならなかった。次の休日がいつになるか不明のため、このまま今夜三時間だけ、という流れになった。
この日は、実機演習が最後の訓練だったこともあり、他のメンバーはボーイ達二人を残して、早々にミーティング・ルームをあとにした。
三人は各自の部屋に戻ったが、その後の状況を知りたかったユーキ達が、約束の三時間をずいぶんと過ぎた頃、隣の部屋を訪れた。するとそこでは、すでにボーイの自棄酒が始まっていたのである。
飲みながら話すボーイの話をまとめると、デートをしたものの、特に何かが発展することもなく、次の約束もしっかりと断わられ、きっかり三時間で終了したらしい。
ボーイとしては、千載一遇のチャンスを活かすべく、あらゆる努力をした結果なのであるが、ヘレンの心は揺るがなかったらしい。
「キスまではしたんだがなあ…」
…っ!
ボーイの言葉に、ユーキはむせた。
「したの? キス? ほんとに?」
続けざまの問いかけにも、ボーイは興味なさそうに肩をすくめるだけである。
「まあ、お情けみたいなもんだ。それでも五分か…、十分くらいか。けっこう努力もしたんだが、なあ…」
口惜しそうなボーイの言葉に、ユーキは呆然となる。付き合ってもいないのに、デートして、キスして、元の二人に戻る。理解ができなかった。士官学校時代、友人達から様々な体験談を聞きはしたが、基本的にユーキは、実体験が不足していた。
色々と考えると、顔が赤くなるのが自分でも分かった。アルコールのせいに見えるかな、とも思ったが、仲間には気付かれていたかもしれない。そもそもユーキは、ノン・アルコールのカクテルしか飲んでいない。
隣では、眉をひそめていたナチアが、再びボーイを苛めて楽しんでいた。
…ナチアはキス、したことあるのかな?
考えてから、気付く。自分とは異なる。ナチアはそういう文化で育ってきた。経験があるに決まっている。出会った頃のナチアは、確かに異性に対する免疫が薄かったが、それを差し引いても、ないわけがない。
…でも、好きな人とは、あるの?
想像できなかった。まず前提として、ナチアが誰かを好きになる姿が、想像できなかった。
今度、聞いてみよう。そう考えて、グラスの中のカクテルを口に含む。カクテルは、シンが作ってくれたものである。
ひとつ疑問が浮かんだ。
「…シン」
「なんだ?」
「このお酒、どこから持ってきたの?」
ヘブン内においては、アルコールの販売所が限定されている。少なくとも、自分達のいるDブロック内で販売されているのを、ユーキは見たことがない。他のブロックから取り寄せようにも、Dブロックには、関係者以外は入れない規制がある。ユーキ達四人は通信手段も制限されている。初めて出会った時のシンやボーイの荷物の大きさを覚えてはいるが、とても今、部屋にあるだけの酒瓶が入っていたとは思えない。
「ボーイがBブロックから持ってきた」
「Bブロックから?」
隣のナチアと顔を見合わす。ナチアも不思議そうな顔をしている。
「こないだの、休日の時に、ですの?」
シンに尋ねる。一部分眠っていたとはいえ、ナチアの覚えている限り、そんな様子はなかった。
「いや、昨日と一昨日だ」
シンは平然と答える。
「ちょ、ちょっと待って」
「昨日も一昨日も、休みではありませんでしたわよ」
「そうだな」
僅かに慌てるユーキとナチアに対して、シンは冷静を保っている。
「…訓練が終わってから、出かけましたの?」
「ボーイだけな」
「なんだぁ、ナチア、文句あんのかぁ」
ボーイが絡んでくるが、ナチアは応じなかった。
最近、訓練に多少は慣れてきたものの、その内容が厳しいことにかわりはなかった。ユーキとナチアは通常、部屋に戻ってシャワーを浴びたら、すぐに寝てしまうような生活を続けている。今夜のように、四人が部屋で集まることの方がめずらしいのである。
「すごい、体力、ですね…」
「はっはっはっは。ほめてくれ、ユーキ」
途端に、ボーイは陽気に笑いだす。
「あ、でも、車のマスター設定は…?」
「支給のエア・カーは足がつきやすいからな。ちゃーんと別に、手配をしたさぁ」
セキュリティ上の規制から、一般の車両では不便がある。かといってユーキに支給された車では、行動が筒抜けになる。何より、軍用車の無断私的利用が公になれば、上官であるヘレンに迷惑がかかる。
「たくましいですねぇ…」
「はっはっはっ。なんと言っても、クレイジー・ボーイズだからなぁ」
ボーイが胸を張って笑う。その言葉を、ナチアが聞きとがめた。
「なんですの、その、クレイジー・ボーイズ、というのは?」
クレイジー・ボーイ、ならナチアにも理解できた。確かにボーイはいかれてる。ナチアもそう思っていた。解らないのは、ボーイズと、複数形で呼ばれることである。
「Bブロックでは、そう呼ばれているそうだ」
シンが、ユーキとナチアに状況を説明した。
それによると、前回の休日、バー黒猫亭での騒動が原因ということであった。ボーイに倒された第十三小隊の一人が、ボーイ達の所属部隊を尋ねたのである。さすがにマーベリックの名前を出すのをためらったボーイが、自らの名前を言ったのが、変形して伝わったらしかった。
「やつら、よっぽど嫌われてたみたいでな」
ボーイは上機嫌である。
「それはよろしかったですわ」
「トスポリの第十三小隊を倒した四人組みっていったら、もう、街の有名人よっ」
ボーイの言葉に、ユーキとナチアは眉をひそめた。
トスポリの第十三小隊を倒したのは、シンとボーイの二人組みである。
「…え?」
「…今、何をおっしゃいました?」
「なんだぁ、聞いていなかったのか。クレイジー・ボーイズは街の有名人だって…」
「その前ですわ」
「まえぇ?」
ボーイは首を傾ける。酔いがまわっている、というより、酔ったせいにして砕けていた。
「喧嘩したのも、バーで暴れたのも、少尉とボーイだけですわ。どうして、四人組みですのっ」
ナチアの剣幕に、ボーイが肩をすくめる。
「さあ、なあ。おれが噂を広めたわけじゃねぇからなぁ」
多少怪しかったが、もっともな言い分であった。
<次回予告>
ナチアは、自分達の部屋に戻ってからも文句を言い続けた。
隣の部屋では、再びボーイの自棄酒が始まっており、疲れのみえたユーキとナチアを、シンが送り出したのである。
次回マーベリック
第二章 第十話「ユーキとナチア」
「そうね。あの二人は、ずるいわ」