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文芸部の部室は学校の三階の一番奥にある。
ガラガラと立て付けの悪い木戸を開けると、ふわりと本の匂いが鼻をくすぐった。
部室を囲うように本棚が取り付けられていて、真ん中に長方形の長テーブルが配置されている。
その名がテーブルの端っこの方で世界の超ぜつ美少女こと美咲さんが文庫本か何かを読んでいた。
タイトルからして多分難しい本だ。僕には絶対読めないやつだ。
「美咲だけ? 部長は?」
「まだ来てないです」
文芸部の部員は、全部で四人いる。
僕と、美咲と、部長で一つ上の霧島先輩(女性)と、あと一人は名前忘れた。
基本的に真面目に活動をしているのは最初の三人で名前忘れた最後の一人は幽霊部員だ。
幽霊部員がいるのは、こういうゆるーい文化部においては珍しくない。
「ってことは密室に二人っきりか」
「密室じゃないですし、寒気を感じるのでそういう言い回しはやめてください」
「襲われるとでも?」
「可能性は高いですよね。私、欲情されやすい体質みたいなので」
「心配しなくていいよ、巨乳には興味がないから」
「まじでキモいので死んでください」
ガチトーンで言われたので、流石にこれ以上は警察に通報される可能性も鑑みてやめる。
慎吾は美咲が僕に気があるんじゃないかとか意味不明なことを言っていたが、一度でもあいつにこの冷え切った目を見せてやりたい。
少なくともこの目は、好きな相手に向ける類のものではない。興奮はするけど。
それにしても。
「暑くない?」
窓はすでに全開だった。
風が止まっている。
ジリジリと蝉の声だけがやたら耳につく。
「暑いですね」
よくみると美咲も首筋に汗をかいている。
こんな暑い中よく一人で本を読んでいたものだ。
もう七月。
夏である。
海である。
リア充爆発しろ。
「そうだ、僕に用事があるんじゃなかった?」
昼休み、わざわざ美咲が会いに来てくれたことを思い出した。
申し訳ないことに、その時は相手してやれなかった。
主に慎吾のせいで。
「ああ、これです」
美咲は机の上の一枚のチラシを差し出す。
『第三十一回 文芸甲子園』と、でかい活字でタイトルがついていた。
「顧問からです」
「ふむ」
高校生を対象として、文芸作品を集めるらしい。
もっと身近に小説を感じてもらおうというコンセプトみたいだ。
こういう企画自体は珍しくない。
「結構大きな賞みたいだね」
応募総数が千を超えている。
「高校生以下の賞としては国内最大だそうです」
へえ、とプリントを机の上に戻し、美咲の肩をポンと叩く。
「まあ、頑張れ」
「何言ってるんですか、全員参加ですよ」
当たり前です、と言わんばかりに美咲がため息をつく。
いつもみたいに美咲に丸投げすれば良いだろうと思っていたのだが。
そう言うわけにもいかないらしい。
「......ふむ」
「......」
「残念だけど、僕はエロ小説しか書けない。高校生の文学賞に、そういう不健全な部門はなさそうだし、今回は無理だな」
「普通の小説書けよ」
「いや無理だろ」
なに言ってるんだこの子。
僕が今エロ小説以外の小説を書くのは不可能に近い。
どのくらい不可能かというとコンビニのプリンのカラメルソースを本体を傷つけずにほじり出して全部食べるくらい不可能だ。
「他の人に頼んでくれ。俺には無理だ」
「でも、それじゃあ部が潰れてしまいます」
「......え、なんて?」
「背部ですよ、言いませんでしたっけ?」
全くの初耳ですが。
「なんで?」
「顧問が言うには、あまりにも部活として活動していなさすぎて部費とか出せないんだそうです」
「あ、そうなの」
「部室が余っているうちはよかったんですけど、最近同好会とかも結構できてきてて、それで部室を明け渡せと白羽の矢が立ったのが文芸部だったそうです」
全然知らなかった。
「でも、美咲は結構真面目にやってるじゃないか」
「私は、ね」
ジトーっとした目で美咲がこちらを見てくる。
何かいいたそうだ。
わかるよ、働けって言うんだろ。
そうなのだ。
最近の僕はは部室に来てもグーたらしている。
美咲が描いた作品をたまに読んで先輩風吹かせながらアドバイスしたりもすることもあるけど、実質ただ遊びに来ている。
だってこの部室居心地がとてもいいのだ。
霧島先輩とポテチ食べながらゲームやっていても、美咲くらいしか小言を言う人がいない。
その美咲だって俺と霧島先輩のことは半分諦めかけているのかしつこくは言ってこない。
戯れてるみたいな感じだ。
まるで天国みたいな部室。
それを失うわけにはいかない。
「うむ」
「お願いしますよーーー」
「え、それなんのポーズ?」
「知らないんですか? 最近流行りのプリプリプリンマンの最終奥義ですよ?」
美咲が頭の上に手を立ててお尻を左右にフリフリしている。
びっくりするくらい似合っていない。
「変なもんが流行ってるんだな」
「変じゃないですよー」
いや、変だろ。
俺の純真無垢で大和撫子な後輩になにを真似させとんじゃプリプリプリンマン。
「.......なあ、つかぬことを聞くんだが、そのプリプリプリンマンていうのはプリン本体を傷つけずにカラメルソースをほじくって食べたりできないだろうな?」
「え、なんで知ってるんですか? プリプリプリンマンの激烈必殺技四十八手その十六を」
「なんでもない」
いや、ほんとにできるんかい。
ていうかなんだその激烈必殺技四十八手って。
プリンにまつわる食べ方が四十八通りもあるんだろうか。ものすごい気になる。
まじでそれ考えた作者病気だろ、頭の。
「それでやってくれるんですか?」
美咲がグッと顔を近づけて聞いてくる。
そのたわわな胸が僕の眼科でこれでもかと言うほど強調される。
でも残念ながら僕は貧乳好きなので興奮はしない。
惜しかったな、美咲よ。
「うむ、仕方ないな」
部活存続のためとなれば仕方がない。
こう見えて、昔はエロ漫画ではない普通の小説を書いていた時期があった。
普通の小説。
若干厨二病がかっていたが......。
タイトルが特にマジでやばい。
思い出すだけで頭を机に強打したくなる。
いいじゃないか!! 誰でも厨二病の時期、あるじゃないか......!!
書いて満足していればいいものを、その小説で僕は意気揚々と新人賞なぞに応募してしまった。
今でも頭痛の種になるとも知らず。
今生最大の愚行である。
そして、その小説がどうなったのかというと、なんかの拍子に大賞をとってしまった。
あんなに厨二病丸出しの小説がなんで大賞なのか。
審査員さんがきっとふざけていたんだろうね。
ちなみに、その小説、売れた。
めちゃくちゃ売れた。
直木賞とかなんとか賞とかすごい有名な賞をたくさん取ってしまった。
そしてその頃には僕の厨二病はすっかり治っていた。
僕は頭を抱えた。
.......え、なにこの恥辱プレイ?
黒歴史って普通、昔の同中のやつと家族くらいしか知らないものだ。
でも僕の場合は違う。
全国規模で僕の黒歴史が広まってしまったのだ。
老若男女あらゆる世代に、僕の、黒い、ヒストリーが、ぶち撒かれてしまったのだ!!
それを悟った時、僕は絶望した。
これは、逃げられへんやつや、と。
僕は生涯、自分の厨二病時代から逃げ出せずに生きていかないけへんのや、と。
人は、絶望した時、奇行に走る。
幸にして、その時僕は思春期だった。
思春期といえば、教室でなにが楽しいのかま●こま●こ言って走り回る時期である。
そうだ、エロに逃げればいいじゃないか!
そう思った僕は厨二病からエロの道に逃げることにしたのだ。
「ということがあったのだよ」
「知ってます」
そう、美咲は知ってる。
なぜなら僕が初めて黒歴史の小説を読んでもらったのが美咲だったから。
「期待してますね」
美咲が笑う。
僕が変に色々な賞を取ってしまったから美咲は僕に文才があるのではないかと勘違いしているようなのだ。
「ああ、任せておけ」
ちょっとカッコつけてみる。
美咲がぎゅっと僕の手を握ってくる。
うぶな男子はキュンキュンしてしまうだろう。
うぶな男子である僕はキュンキュンした。