9話 成る可くしてなった王
鮮やかな赤いドレスを身に纏い、生まれ持った黒髪を隠すように白のベールを被る結衣は、ガヘリスのエスコートによって王の玉座の間に参列する国内有力貴族たちに紛れ、アーサーが大祭司の手から冠を頂戴するその瞬間を見守っている。
出席者は全員男性且つ、有力貴族となれば結衣のように年端もいかない女子が紛れていれば誰だって視線を向ける。
最初こそガヘリスにエスコートされている女は誰だ。と注目を浴びたが、白の毛皮で縁取られた深紅のマントを見に纏ったアーサーが現れると、貴族たちは一斉に右胸に掌をあて頭を下げた。結衣もヘレスから言われていたように最上級の礼をアーサーにし、アーサー以外の人間が頭を下げたのを見届けたアーサーはゆっくりと真っ赤な絨毯の上を歩き出した。
静か過ぎる空間だ。まだ太陽が真上に昇って間もない時間帯だというのに、人が寝静まった深夜のような静けさが玉座の間に広がり、唯一耳に聞こえるのはアーサーが歩く時に聞こえる僅かな衣擦れの音だけだ。
「頭を上げよ」
その言葉に玉座の間にいる人間は顔を上げた。すると今度はアーサーが玉座に向かって跪く。そこに大祭司が司祭2人を連れてやって来る。司祭たちの両手の上には赤い四角いクッションのようなものがあり、1人づつ王冠と、剣が乗せられている。
「天に住まわれる我々の偉大なる神よ。ここにブリテン帝国十三代国王が誕生する事を報告し、汝の祝福が我々の繁栄を齎す事を切に願い、神の音韻が広く語られますように」
そう言った大祭司はアーサーの小麦畑のような金色の頭に国王の冠を被せた。そのままもう1人の司祭から剣を受け取り、そのまま跪く。逆にアーサーは立ち上がり跪いて剣を差し出す大祭司からそれを受け取り、静かに見守っている貴族たちの方を振り返り口を開いた。
「この国の繁栄と安寧をこの聖剣に誓おう」
王の玉座の間の壁は一面の窓があり、自然光が部屋を照らさんとばかりに差し込む。その所為もあってなのか、結衣の目には普段見るアーサーよりもずっと輝いているように見えた。
何処か神聖さすら感じる一瞬。結衣は今目の前で行われている儀式に感情を揺さぶられた。
この人が王なのだ。と。
「美しい……」
ぽつりと、一滴の朝露が葉から落ちたような、そんな声が結衣に聞こえた。それは紛れもなく隣に立つガヘリスの声で、無意識に出てしまったものなのだろう。結衣は驚きはしたものの隣に立つ男を見る気にはなれなかった。
それ程までにアーサーから目が離せなかったのだ。
それからと言うもの、目まぐるしくも時間が過ぎていった。新たなブリティニア国王となったアーサーから爵位を頂戴する為の、爵位頂戴式が行われた。その場で答えを得られる訳ではないようでこの式では御挨拶だけで返事自体は後日。と言う事らしい。
「……こう言ってしまっては何ですが、私此処にいる意味ありますか?」
「ある。ユイ殿が此処にいる意味も、私の隣に立っている意味も」
「え?」
ぽつりとガヘリスに零した疑問の答えに結衣は首を傾げた。朝からずっと……戴冠式も爵位頂戴式も玉座の間の隅にいただけだ。それの何の意味があるのだろうか。
貴族たちだって、遠巻きに私を見るが話し掛けに来たりはしない。
……まぁ、夜会ではないからかもしれないが。
きっと聞けばガヘリスは教えてくれるだろう。しかし結衣はガヘリスに答えを聞くことを躊躇い、自分で考える事にした。
与えられてばかりじゃ何も出来ない……。
考えろ。何故アーサー様は私にこの鮮やかな赤のドレスを着せたのか。贈られた装飾品の理由や、私がガヘリスにエスコートしてもらっている理由を。
……あれ? そう言えば、戴冠式の時にアーサー様も赤のマントを羽織っていたけど、色に意味とかあるのかな?
例えば神社の緋袴は邪気を祓う色として使われているってお母さんに聞いたけど、もしかしたら……。
「あの、1ついいですか?」
「なんだ」
「あのマントの色に意味ってあったりしますか?」
「あぁ。赤は王の証だ。王の外套含め城内で赤を着ている者は間違いなく王の直属の者だ。制服や夜会等で陛下の認証なしに着る事は許されん」
「………………は?」
間をあけた後、結衣の口から出たのは素っ頓狂な疑問符だけだった。
いや、え? この人今なんて言ったの??
赤を着ているのは王直属の者? じゃあこの赤のドレスを……然もアーサー王自ら贈られた、この赤のドレスを着ている私は一体何だと言うのだ。
「待って、落ち着いて」
「私は落ち着いていますが……」
「いや、そうなんですけどっ!」
何でそんなにも落ち着いていられるの?!
平然とした表情で会場を見るガヘリスに向かって結衣は膨れっ面を晒したが、そんなものは気にもとめていないガヘリスは、真剣な眼差しで王座に座り貴族や国賓に向かって挨拶しているアーサーを見ている。
そんな人間に何を言ってもこっちを見てはくれないだろう。と膨らました頬の空気を抜き顎に指を当てた。
えっと……赤は王直属の証で、私はそれをアーサー様から頂いていて、エスコート役はガヘリス様なのは単純にダンスのレッスンに付き合ってくれたから、他人よりは……って感じなのかな?
……あれ? でもガヘリス様ってガウェイン様の弟さんなんだよね?
そのガウェイン様はアーサー様の横にぴったりとくっついて補佐的な役割を果たしているみたいだけど、そういった事は特別な人だけ出来るものなのかな?
仮に、仮にガウェイン様がアーサー様の側近だとか秘書だとか特別な役割を与えられた人間だとした場合、ガヘリス様だって注目を浴びるはず。だってお2人は兄弟である事を隠してはいなかった。
だとしたら、ガヘリス様のエスコートにだって意味があるはずで……。
ぐるぐると多様な可能性が浮き出ては、それらしい理由として頭の片隅にこびり付く。
チラリと思考の中を過ぎった可能性に結衣は首を横に振った。それは余りにも自分を過大評価しすぎているものだからだ。
然し、その考えこそが正しいのではないか? と自分ではない誰かが囁くのだ。
「もしかしたら、なんですが。違っていたら笑ってくださっていいのですが……」
「笑わん」
「っ、あの、私、もしかして、アーサー様に大事にされてます?」
普段喋るスピードよりもゆっくりと、言葉を選びながらがへリスに問うと、男は僅かに口角を上げた。然しそれは僅かな変化であり付き合いの浅い結衣には分からず、ただ無表情で見られているのとなんら変わりはしなかった。
やはりさっきの答えは間違いなのだ。と自分を過大評価しすぎた事に、恥と後悔が時間を追うごとに蓄積されていく。無表情のまま自分を見つめるガヘリスの視線に結衣はとうとう両手で自分の顔を隠した。
「ごめんなさい! そんなわけないですよね!」
自意識過剰でした! と結衣が謝るもガヘリスは何の返事も変化もない。
「当たらずとも遠からず、だな」
「それって、どういう……」
「陛下の正確な御心までは知りえないが、ユイ殿を陛下の下に置きたいのだろう」
ぽかんと小さく口を開ける結衣の表情はまさに、意味がわからない。と言葉にしていなくとも分かるものだった。
こんな、ただの学生1人にどうして。
そんな疑問等知ったことではないとガヘリスの口は止まらない。
「いいか、赤を纏っている以上ユイ殿の評価は全て陛下の評価になる」
「そんな事アーサー様から聞いてない、です」
「言わなかったのか、言えなかったのかは知らぬが、公の場に立った以上ユイ殿は嫌でも注目を浴びる……私だっていつも傍にいれるとは限らんのだ」
ヘレスには口酸っぱくマナーについてアレコレ言われたが、彼女だってそこまでの事を思って言っていたわけではないだろう。
彼女には前日に会った時に、粗相のないように。と念を押されたくらいで、あのセリフは決してガヘリス様が言ったような意味合いが入っていたとは思えない。
「もし、私が粗相を犯せば……」
「陛下はこう言われるだろうな。“ 小娘1人満足に教育する事が出来ないようだ”、と」
「そんなっ!」
「隙を見せれば直ぐに喰らい付かれる。特にあの方は“ 神”という後ろ盾はあっても、“ 権力”の後ろ盾はない」
煌びやかなドレスを着て高笑いする貴族のイメージが結衣の頭の中で音を立てて崩れた。
「あの、因みにこの催しって何時まで続くのでしょうか?」
「3日3晩行われる。最終日には夜会もある」
「3日、3晩……」
それは結衣の想像を遥かに超えた言葉だった。こんな緊張状態が3日も続くなんて思いもしなかった。
陛下の威光を称えるには足りないくらいだ。と言ったガヘリス様の顔を見る事は出来なかった。否、しなかったのだ。
……聞いてないんですけど。
結衣の心境はその一言に尽きる。
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