8話 来訪者
その日は遂にやって来た。アーサーが住まうキャメロット城は数日前から慌ただしくなり、城の中で働く者は皆走り回っていた。
「さぁ、ユイ様。出来ましたよ」
「お綺麗ですわ」
「ユイ様の艶のある黒い御髪がよく映えてますね! 流石陛下の見立てです」
「…………ありがとう」
頬を赤らめ、興奮したように結衣を賞賛するマリアテルをはじめとした侍女とは対照的に、結衣の表情は疲れ切ったようにげっそりとしている。
何となくではあったが、結衣はこの世界に来てから周りの女性の服装を見、お腹周りの細さにコルセットを使っているのだろうと、あたりはつけていたが、まさかコルセットが侍女3人掛りかつあんなにも締め付けられるものだとは思わなかったのだ。
十二分に締め付けられた腹回りを結衣は労る様な手付きで撫でると、それに気が付いた侍女のマリアテルが首を傾げた。
「何処か体調が悪いのですか?」
「あ……いえ、体調は大丈夫。元気なくらいだわ」
嘘ではないが本当でもない言葉。結衣はへらりと笑ってマリアテルの視線をやり過ごし、姿見で着飾った自分を見た。
鮮やかな赤を基調としたドレスには金色の刺繍が施されたチュールがよく目立つ。髪は纏められパールがあしらわれている。
お伽噺に出てくるような、お嬢様のような格好に結衣は感嘆の息を漏らした。
……にしても、私は今総額幾らなんだろう?
豪華絢爛とは甚だ遠い生活を送っていた結衣にとって、華やかに着飾っている自分を鏡越しに見つめるも、一体どれくらいのお金がかかっているのか。と疑問を覚えてしまう。
「ユイ、僕だ。アーサーだ。少しいいだろうか」
「っ?! はい!」
ノック音の後に聞こえてきたアーサーの声に結衣は驚き狼狽えた。侍女たちからアーサーがこの部屋にやってくるとは聞いてはいなかったし、思いもしなかったからだ。
どうしたものか。と落ち着かない結衣に対し、唐突の陛下の訪問だと言うのに侍女たちは落ち着きを払い、アーサーに見られて困るような物を素早く片付けている。
流石の一言に尽きる。
瞬く間に散らかっていた室内が片付き、たった今着替えが済んだとは思えない程だ。
タイミングよく木製の扉がゆっくりと開き、右手に平べったい箱を持ったアーサーが眉を下げながら笑い室内に入り、謝罪をした。
「ごめんね」
「えっと……」
「お前たちも悪かった。下がっていろ」
アーサーはマリアテルたちに謝罪をいれ、部屋から出るように言うと、マリアテルたちは短く返事をして部屋から出て行く。
パタンと扉が閉まり、アーサーと結衣の2人きりになった。今まで何度かお茶を楽しんでいる中ではあるが、2人きりになったことはなく、側仕えとしてガウェインやマリアテルがいた。
「あ、の……?」
「そう警戒されると悲しいなあ。別に取って喰ったりはしないさ」
そりゃそうだろう。と呆れ顔の結衣は、どうしてアーサーがここに来たのか訪ねると、アーサーは右手に持っている平べったい箱を結衣に向かって見せた。
「これを渡したくて」
開けてみて。と言うアーサーの言葉に促されるまま結衣は箱に手を伸ばしそれを開けた。すると中には金色に輝く装飾品があった。
「これは……」
「プレゼントだ」
そう言ったアーサーは箱を近くのドレッサーに置くと、その手で金で輝くネックレスを手に取り結衣の背中に回り、軽く結衣の腰に手を添え姿見の前まで誘導する。
明らかに高価だろう装飾品を前に結衣は謎の震えが止まらない。神職の家に生まれ、神力を使える血を持っていても、結衣の金銭感覚はただの一般庶民なのだ。心做しか血の気も引いている感覚にも陥っている。
「君のような少女があまり着飾るのもどうかとは思うが、幼くとも女性は女性だろう」
「……幼い、ですか」
確かにアーサーに比べれば結衣は幼いだろう。しかし、結衣は高校生で幼いと表現されるような歳でもない。
眉間にしわを寄せる結衣を他所に、アーサーはネックレスを結衣の首に施す。
「ネックレスとブレスレットを贈るよ。君は耳に穴を開けてはいないようだから」
「校則でピアスはダメなんです」
結衣の通っている……否、通っていた高校は比較的校則の緩い学校ではあったが、ピアスや髪の染色は認められていない学校で、真面目に取り組む結衣は1度も髪を染めた事もなければ、耳に穴を開けた事もない。
そんな結衣の発言にアーサーがたじろいだ。心做しか目を見開いているし、何より焦っているような気配すら結衣には感じる。
「アーサー様?」
「……君は今学生なのかい?」
「はい。高校生です」
「コウコウセイというものが分からないが……この国の貴族は16になったら学院に入るのだが、そのコウコウセイというのも似たようなものなのかい?」
結衣は現在高校2年生である。だからこの国の学院が16歳から入るものだとすれば、結衣は入学出来るだろう。勿論貴族ではない結衣は通う事などないのだが。
無言のままコクリと結衣が頷くと、アーサーは肩を跳ね上がらせた。
「君、今、何歳、なんだ」
「17……ですけど」
「……っ?!」
鏡越しにアーサーの表情が固まったのが分かった結衣は、そっと自分の頬を撫でた。恐らくアーサーは結衣を随分年下の女の子として見ていたのだろう。だから“少女”と表現したのだろう……と結衣は大方の予想をつける。
「てっきり君はまだ……」
「……これは私の世界で聞いた話ですが、私たち日本人って欧州の人たちと比べて童顔だから実年齢より幼く見えるそうなんです。だからアーサー様も、その、誤解するのも当然のもの、と」
「例えそうだとしても、幼く見られるのは嫌だろう。君の歳では早く大人になりたいだろう」
早く大人になりたいとは思った事がないが、この世界の女の子たちはそうなのかもしれないと、結衣は口を噤んだ。首を横に振ったところで話が拗れるだけだと思ったからだ。
「そうか……君はもう子供ではないのか」
結衣の首元にネックレスを施したアーサーは困ったように笑い、懐から白に金の刺繍を施したベールを取り出し、それを結衣に被せた。
「あの、これは?」
「この世界黒い髪はいないんだ。よからぬ者によからぬ事をさせないように保険を、と思ってね」
結衣は凶悪なドラゴンを封印する為に呼ばれた自分に何かするような人がいるのか、と疑問を覚えた。だって、凶悪と表現されるドラゴンは恐らく人に害があるから、凶悪と呼ばれ封印をする為に異界から態々人を呼ぶのだろう。そんな結衣に何かをするなんてデメリットしかない。
そう考える結衣は首を傾げる。アーサーの言いたい事を理解出来ていないその結衣の様子にアーサーは苦笑いを浮かべた。
分からないが、分からないままでも結衣はアーサーの思うがままにベールを受け入れ、飾り立てた自分を隠した。
「ごめんね。折角着飾っているのに……髪だって綺麗なのに」
「陛下の意向であればマリアテルたちも納得してくれます」
こうして欲しい、ああして欲しいと要望付けて着飾った訳ではない。化粧だってこだわりもなくされるがままの結衣にとって大事なのは、大して容姿も優れていない結衣を飾り立ててくれた侍女たちの努力の方だ。
強いて言うのであれば、装飾品も加わった自分は今総額いくらなのか。と途方もない考えで現実逃避しているだけだ。
そんな結衣の気持ちを知ってか知らずか、アーサーは結衣に尋ねる。
「君は?」
「え? あぁ……その、私は特にこだわりもなく、ただ、その……」
「何か言い難い事でも?」
「下世話な話、私は本当にしがない神社の子供ですから、ここまで着飾った事がなく、うわぁー綺麗と感嘆するよりは1点1点が高そうだとか、そういう事を考えていただけです」
鏡越しに見るアーサーの表情はキョトンとしていて、結衣は自分の発言がいかに貧乏臭いかが分かった。今は国王と言えど、アーサーは辺境と言えども貴族の人間なのだ。自分の発言が卑しい人間の発言として取られてしまう前に結衣は矢継ぎ早に口を開いた。
「決して欲しいとか、そういう気持ちはありませんから! このネックレスやブレスレットとかちゃんとお返し致しますから!」
「……っぷは」
「はい?」
「ははっ! 誰もそんな事疑ってないよ、君は何処まで真面目なんだい?」
肩を揺らして笑うアーサーに対し、結衣は頬を染め上げた。それは己の身から出た恥ずかしさなのか、鏡越しに見える美しい笑みの所為なのかは分からなかったが、結衣の顔をすっぽりと隠しているベールのお陰で、赤くなっている頬はアーサーに見られていないだろう、と息を吐いた。
「はぁ……、笑ってごめんね」
「……はい」
「今日僕は君をエスコート出来ないけれど、代わりに信頼している部下にエスコートしてもらってくれ」
結衣の背後から数歩後ろに下がったアーサーの方へ振り向いた結衣は目を見開いた。白を基調としたスーツは豪華絢爛に飾り立てられている。その姿はまさに物語に出てくる王子様のようだ。
「ユイ? 僕に何か付いてる?」
「あまりの格好よさに驚いてしまって」
「王子様のよう?」
いつか夜の茶会で結衣が言った事をアーサーは口にした。図星を言われた結衣は黙る事しか出来ず、アーサーにとってそれが答えだった。
クスクスとアーサーが笑うと結衣は頬を赤らめたままドレスの端を指で摘み、片足を半歩後ろに下げ腰を下ろしながら頭を下げた。
「どうしたの?」
「挨拶が遅れ申し訳ありません。……えっと、この度はご即位おめでとうございます。陛下がこの国を治めれば、益々豊かになり、国民はその手腕に……」
「ヘレス女史にそう挨拶しろと言われたのかい?」
「すみません。文言を覚えたと思っていたのですが……」
付け焼き刃の挨拶は失敗に終わった結衣は、ですが。と言葉を続ける。
「正直アーサー様の事はまだ分かりません。国王だって事は頭では分かっていますが、まだ実感が持てなくて……」
たどたどしくも自分の心境を口にする結衣の言葉をアーサーは遮る事なく、ただ、うん。うん。と首を僅かに動かしているだけだ。然し結衣を見る眼差しは酷く優しいもので、言葉にしなくとも、思っている事を言ってごらん。と語っている。
「友人ともまた違うと思います。異界の乙女ってだけでここまで手厚くお世話されるとも思ってません。きっとアーサー様のお陰なんだと思います。私自身今何の役にも立ってませんし、こんな小娘が何を言うって感じではあると思いますが、それでも言わせて下さい」
結衣は息を吸い込み、アーサーの目をベール越しに見つめる。
「貴方はあの時、民の目に映らぬ王は価値がないと言いました。私は、貴方が価値がないようには思えない。だから、きっと、きっといい王様になれると思います!」
そう言い切ったその言葉にアーサーは目を丸くし、驚きの表情を浮かべたが、困ったように眉を下げて笑った。
「それは君が言っていた神託?」
「私は神力を使えませんから……」
「だったら君の判断って事だけど、見た感じ見る目なさそうだけど? 僕がいい王様になるとは限らないけど。例えば悪政ばかり行うとか」
「その時は、私の見る目がなかったのだと反省しながらアーサー様を止めます!」
両手を強く握りそう宣言する結衣を目の当たりにしたアーサーは、おかしそうに肩を上下に揺らす。それは決して馬鹿にしたような笑い方ではなく、何処か安堵を含む笑い方だ。
「君が僕を止めてくれるなら、この国は安泰だね」
「……揶揄ってます?」
「まさか。心の底からのセリフだよ」
木製の扉がコンコンと軽い音を立てた。この部屋への来訪者を告げる音は、2人の時間に終止符を打つ。
今日この日、アーサーは王の冠を頂戴する。