5話 未熟者の愚かさ
中庭の東屋は花で飾られてはいるものの、大きな公園にあるような東屋と変わりはなく、結衣はほぅ。と息を吐いた。
「落ち着いたかい?」
「はい……あの、申し訳ありません」
「何を謝る事があるんだ? 君が何を思うのは自由だろう……今はね」
「今は……ですか」
含みのあるアーサーの笑みと言い方に、結衣は内心首を傾げたがその疑問は口にする事はしなかった。
アーサーのエスコートされた結衣は東屋に設置されている椅子に腰をかけ、丸いテーブルを見ると、誰かが用意したのかテーブルの中央には既にケーキスタンドが置かれている。
「君は戴冠式の事を聞いたかい?」
「はい。近頃行われるというのは伝令役の方からお聞きしましたが、何かありましたか?」
「是非君にも出席してもらいたいと思ってるんだ」
「…………はい?」
たっぷりと間を置いた結衣の口から出た言葉は、アーサーの言葉をもう1度聞き返すものだった。ティーカップを持っていた手が止まり、ついでと言わんばかりに思考も停止しかけている。
「君にも戴冠式に出席してもらう。と言ったんだよ、僕は」
「何故……?」
「理由は幾つかある。1つ目は君が僕の庇護下にあると知らしめる為」
綺麗な笑みを浮かべているアーサーは結衣に向かって人差し指をたて、話に合わせて中指も立てる。
「2つ目は君に僕の世界を知ってもらう為」
「それは、私が貴方の事を……陛下の事を知りたいと言ったから、でしょうか?」
「正解」
キャメロットに来る時の馬車での会話を思い出し、確かめるように口にするとアーサーは目を細めて口角を上げて笑った。その笑みは悪戯っ子のようで、こんな顔もするのかと結衣は感心しつつ、想像も出来ない戴冠式に思いを馳せた。
「君は何もせずただいるだけでいい」
「はぁ…………」
「簡単な事だろう」
「まぁ、確かに簡単そうではありますが」
本当に“それだけ”なのなら。の話だがそれを素直に口にした所で、綺麗に微笑む彼ははぐらかし真意は教えてくれないのだろう。と結衣はその理由を聞く事を早々に諦め、アーサーに戴冠式はいつなのか。と口にすると、アーサーは少し困ったように眉を下げ笑う。
戴冠式の日程そんなに急なのかしら。
1週間後とか?
「3ヶ月後なんだ」
「はぁ……。意外と遠いいですね」
「君がそう感じるなら、そうなのかもね」
「……はぁ?」
相も変わらず意味深な台詞が多い。と結衣は半目でアーサーを見るも、呆れた視線を向けられた本人はどこ吹く風で、さして気にした様子もなかった。
月が照らす束の間の茶会は、比較的短時間で幕を閉じた。月夜の逢瀬と言うには2人の距離は他人に近く、ただの茶会と言うには夜が更けすぎたものだった。
「そうだ。君はダンス踊れるのかい?」
「全く出来ませんが」
「そう、この3ヶ月君にとっては遠いいものではないかもしれないね」
1、2歩前を歩くアーサーの金色の短い髪が、月明かりに照らされ淡い金色の髪に青白さ混ざあっている。その様が“綺麗”の一言に尽きるのだろう。とぼんやりと考えている時の事だった。
不意に振り返ったアーサーは、目を細め薄く笑う。
その笑顔がまるで私を試しているようだった。
と、思い返す事もままならない程、結衣は忙しい日々を送る事になった。座学ではブリティニアの歴史と王国に貢献した貴族、それと現在王国に貢献している貴族の名前を頭に叩き込み、それと同時に所作やテーブルマナーも勉強し午後からダンスレッスン。
もしかして、この世界……いや、国の人達は名字を持っていないのかもって思っていたが、本当に名字を持っていないようだ。
「次はダンスレッスンです」
「はい」
間髪入れずに行われるダンスレッスン。結衣の脳と身体は限界を迎えそうになっていた。
アーサーと夜会ってから1ヶ月は休みなくこの生活を送っている。
神楽を踊れるのだから、ダンスだって簡単に覚えるだろう。と高を括っていた結衣はこの1ヶ月とうに打ちのめされた。
「あっ!すみません!また踏みました!」
「……いえ」
「すみません!」
最初の頃は1人で足の動きを練習していたのだが、足の動きを大体覚えた結衣に、教育係であるヘレスがより本番に近い練習を出来るように、と連れて来たのが、ガウェインの従者であるガヘリスだ。
1人で練習していた時とは比べ物にならない難しさに、結衣の身体は鈍り、よくガヘリスの足先を踏んでしまいその度に頭を下げるのだが、ガヘリスは無表情のまま表情を変えない。
その表情というか顔の作りは何処かで見た気がするのだが、思い出せない。
ガヘリスはよく言えば寡黙。悪く言えば無愛想。そんな男だったのだ。
「痛いですよね……すみません」
「そう思うのであれば、1日でも早く上達を」
「はい……」
意気消沈した結衣は、殆ど消え入りそうな声で返事をした。最早両手の指では足りない程ガヘリスの足を踏んでいるのだ。怒るのも当然だと結衣が溜息を吐くと、頭上から同じく溜息を吐いた声が聞こえ、結衣が顔を上げると、そこには眉を眉間に寄せるガヘリスがいた。
「すみません。八つ当たりしました」
「はい?」
「ヘレス女史がユイ殿は動きは覚えた。と言っていたのにも関わらず、足を踏んでしまうのは私のリードの仕方が悪いという事。上手くリード出来ない事を貴方に当たってしまいました」
申し訳ない。と重ねて謝るガヘリスの足はいつの間には止まっている。ガヘリスの動きが止まれば当たり前のように結衣の動きだって止まる。ダンスとは2人で行うものだからだ。
傍から見ればガヘリスが結衣の腰を引き寄せ、手を重ね見つめ合っているように見えるだろうが、その実お互い上手くいかず意気消沈しているだけだ。
「ガヘリス様が悪いわけではないと思いますが」
「いえ。私の問題です」
「いえ、そのような事は……! 私が合わせられないのです」
「ユイ殿は問題ありません」
自分が悪いのだ、と譲らない2人。どちらも譲らないのであれば、どちらかが折れるしか話は終わらないのだ。ガヘリスは結衣と似たような歳で既に城使えしている身だが、対人スキルだけ見れば、結衣の方が幾らか上だ。
「では、両方悪かった。という事にしませんか? そうすればお互いまた頑張る事が出来ますよ」
「……えぇ。素晴らしい提案です」
2人はまたゆったりと動き出した。
先程までガヘリスの顔を見ず足元ばかりに気を取られていた結衣も、心なしかガヘリスの表情を見る余裕に似た何かを持つ事が出来た。相変わらずガヘリスの表情は無表情のままで、ガヘリスの緑がかった蒼い目は真っ直ぐに結衣を見ていた。
ただ見られているだけでも恥ずかしい気持ちは生まれるもので、頬を赤く染めた結衣は顔ごとガヘリスから視線を逸らすと、ガヘリスは少し強引に結衣の腰に回している手に力を込め引き寄せる。元々密着している2人が更に密着し、結衣の顔は真っ赤に染まる。
「ユイ殿私を見てください。そのように顔を逸らしては相手に失礼です」
「は、はい」
わかってはいるのだ。頭ではわかっているのだが、そこまでじっと見つめられると恥ずかしくて今にも両手で顔を隠したい衝動に駆られるのだ。
そんな事を言ったところでガヘリスは結衣の気持ちに同調どころか、気持ちを察する事も出来ない。抱き寄せた体勢そのままにダンスを続けるガヘリスの顔を結衣は見上げた。やはり彼の表情は無表情のままで結衣を見ている。
ピアノのメロディーに乗せて踊るワルツは未だにぎこちなく、何度か結衣はガヘリスの足を踏んでしまっている。それでも2人は止まる事なく踊り続けた。
へレスの指導の元踊り続けた結衣は、体力の限界を迎え肩をがっくりと落とし椅子に腰を掛けているが、ガヘリスは疲れた様子を見せず、内ポケットから取り出した懐中時計で時間を確認している。その立ち姿はまさに紳士と呼ばれるに相応しいもので、結衣は物珍しさ故にガヘリスの行動を目で追った。然しそれに気が付かない程ガヘリスは鈍感な男ではないが、だからと言って結衣に話かける程気の使える男でもない。結衣も対人スキルがあるとはいえ、それは折り合いをつける為のものであって、この状況で発揮できるスキルがあるかと言われれば、結衣にはそのスキルも経験もなく、ただガヘリスを見つめて口を一の字に結んでいる。
初対面ではないが、ちゃんと話したのはさっきが初めてなのだから仕方がないと言えば仕方がないのだろうが、傍から見ていたへレスはこの何とも言えない雰囲気に思わず息を吐いた。
「ガヘリス卿。本日もありがとうございました。また明日お付き合いの程よろしく致します」
「あぁ」
「ガヘリス様。ご指導ご鞭撻のほどありがとうございます……足の怪我は大丈夫でしょうか?」
「何ともない。ユイ殿も気にされるな。ところで私を此処に推薦したのはへレス女史ですか?」
その質問にへレスは首を横に振った。
それは明らかにガヘリスを此処に呼んだ意思がへレスにはない事を示していて、では、一体誰が此処にガヘリスを連れて来たのか、という疑問が浮かび上がる。然しその答えを知っているのはへレスしかこの場にしかいない。
「ガウェイン卿にございます」
「に、ガウェイン様でしたか」
ガウェインとは誰だっけ……? と結衣が記憶を辿っていると数か月前に共に馬車に乗ったあの男の事を思い出した。あれから1度も見かけないが、この広い場内の何処かで働いているのだろう。とガウェインの事を考えるのを止めた結衣は、目の前でへレスと話しているガヘリスに視線を向けた。
あの時何処かで見た気がしたのはガヘリス様がガウェイン様に似ているからだ。と結衣は1人で納得し頷く仕草で頭を上下に動かした。
戴冠式まであと2ヵ月。