4話 不自由の自由
結衣は見知らぬ土地、もっと言えば見知らぬ世界で唯一頼れるであろうアーサーのもと、キャメロット城へ入場したあの日から一週間、アーサーと会話どころか見かける事すらないのだ。
「……手持ち無沙汰ってこういう事なのかな」
「ユイ様紅茶は如何ですか?」
「ありがとうございます」
椅子に座り夕日に染る窓の外を眺めていた結衣の前にある丸いテーブルに、紅茶が入ったティーカップが置かれた。それを1口、口に含んで内心溜息を吐いた。
この生活に不満が無いわけではない。
衣食住全てにおいて、元いた世界よりもずっと豪華なものを与えられている。何なら教養だって身に付いた。朝からテーブルマナー、ダンスレッスン、この世界の歴史や常識。果ては口調まで直された。
これら全て決められた時間、決められた日取りで学習している訳だが、まぁそれは学生の身である結衣からしてみれば、授業内容が変わっただけでシステムとしては同じものだ、と直ぐに身体が順応した。
取り敢えず勉強になったのは、この世界の常識よね。
魔法というものが存在し、その魔法は誰にでも使えるものではない。国を守る騎士や王族が精霊と契約し魔力を得ている。
その精霊は5種類あり、「火」「水」「風」「樹」「地」。
それぞれの精霊と契約出来るのは一つまでだけど、王族のみ全ての精霊と契約する事が許されている。
まぁ、単純に国内で騎士が反逆しても全部の精霊と契約していれば、騎士がどの精霊と契約していようが対処出来るものね。
1000年前。この国で凶悪なドラゴンが出現した。その時、ドラゴンの放つ邪気が風に乗り、木々は枯れ穀物は実らず、湖は干からび大地は乾き、ドラゴンを退治しようとした者はそのドラゴンの息吹で焼け果てた。
暴れ回り人々を瀕死に追いやったドラゴンを倒したのは、一人の乙女だったという。人々が、どうやって倒したのか。と尋ねても乙女はいつもこう答えた。
“ただ神に祈っただけです”
と。人々はドラゴンを倒した乙女を祭りたてて、遂に彼女はこの国最初の国王となった。乙女の名前は聖女ブリティニア。それがこの国、ブリテン帝国の由来である。
そして、百年に一度目覚めるドラゴンを封印しているのは、歴代の異界の乙女……かぁ。
「ユイ様?」
「あの、マリアテルさん。一つお聞きしてもいいですか?」
思案顔だった結衣を気にかけたのは、侍女もとい傍付きのメイド、マリアテル。結衣より幾らか歳が上だが、その仕事ぶりは既に大人顔負けで、この世界の事を知らない結衣の世話を任されても可笑しくはない実力の持ち主だ。
「私に敬語や敬称は不要にございます」
「ですがマリアテルさんは歳上ですし、私のお世話をしてくれているのですから」
当たり前だが、結が暮らしていた日本は歳上には敬語を使う。しかしこの国は歳よりも身分が優先される。貴族の間であれば敬語を使うが、対使用人であれば例え使用人が自分よりも一回り以上歳上であっても敬語等使わない。
結衣はへらりと苦笑いを見せると、マリアテルは無言で首を振った。
要するに敬語を使うのであれば、返事はしないと言っているのだ。
「ユイ様」
「……狡いですよ」
結衣はマリアテルに聞きたい事があると言って話しかけた。しかしそのマリアテルは敬語を使うのであれば返事をしないと意思表示した。この世界に来たばかりの結衣はマリアテル以外にこの城内に頼れる者など、一人しかおらず、その男もここの所姿を見せていない。
マリアテルはそれをわかっての行動だったのだ。
「何とでも。さぁ、私の名前をどうぞ」
「……ま、マリアテルさっ」
「もう一度」
「ま、まっ……マリアテル!」
「はい。何でしょう?」
本人から呼び捨てにしろと言われても、今まで敬語を使うことに慣れていた結衣は、呼び捨てでマリアテルの名前を口にする事は抵抗があった。
しかし、一度名前を呼べたのであれば、二度目はもっと簡単にマリアテルの事を呼べる。
「マリアテル。夜ここから見える中庭を散策したいのですが……」
「口調も直しましょう」
「うぅ……散策したいのだけれど、誰かに許可は必要なのかしら?」
登城した初日こそ緊張と疲れで、慣れない部屋でもぐっすり眠れた、が順応してしまえば慣れない部屋で眠る事は難しくなる。
昼間は近衛兵やメイドが城内を行き来し、結衣も結衣でレッスンがあり自由な時間はない。そのレッスンだって結衣に与えられた部屋の近くで行われるから、行動範囲はとても狭い。
結衣にとって部屋の窓から見える中庭だって、外の世界なのだ。
「でしたら護衛の近衛を呼びましょう」
「え?! そんな大事になるの?!」
「えぇ。ユイ様の御身に何かあればいけませんので」
そう……。と結衣は僅かに項垂れた。
まさか自分が中庭に出たいと言っただけで、近衛兵まで出てくるようになるとは、思ってもみなかったのだ。
レッスンや勉強をする為の部屋と、自室を往復するだけの日々に少々嫌気が差し、自由を与えられる時間の夜に、中庭を散策したい。そんな願望も、結衣の身体が1つでは気ままにする事も叶わない。
……まるで、軟禁されているようだ。
マリアテルが見ているのは承知の上で結衣は溜息を吐いた。
衣食住ともに無条件で与えられ、この上何かを求める方が、我儘なのだ。と結衣は自身が身に纏っている華美なドレスを見て、また溜息を吐いた。
「ユイ様は驚く程に無欲なのですね」
「普通だと思うけれど……欲のない人間なんていないで……もの」
つい敬語を使いかけた結衣は、咄嗟に口をつぐみ慣れない口調で話した。それを見聞きしていたマリアテルは、よく出来ました。と言わんばかりの優しい笑みを浮かべ、結衣に語りかけた。
「いいえユイ様は無欲です。普通の貴族では近衛は付きませんが、それでも近衛を用意すると言ったところで、中庭に行く事を諦めたりはしませんよ」
「私は平民です」
「ですが既に貴方は“平民”で片付く御身ではありませんよ。それこそユイ様はこの世で1つの身分です」
ドラゴンを再び封印する為に召喚された“乙女”。確かにこの世でそんな使命を与えられたのは私だけだろう。と、結衣は考え中庭に視線を逸らした。
目下には1面の緑と、深い緑の垣根を彩る赤いバラ。中庭の奥の方には藤棚があり、色取りの花があるように見える。
この世界に電気はなく、基本的に灯りは蝋燭だ。それは貴族平民関係ない。結衣が寝泊まりしているキャメロットだって、夜になると薄暗くなり、蝋燭の灯りより月明かりの方が明るく感じるものだ。
「またの機会にするわ」
「……よろしいのですか?」
「えぇ」
中庭に向けていた視線をマリアテルに移した結衣はへらりと笑った。その笑みは誰がどう見ても諦めを含んでおり、マリアテルはどう言葉をかけようか悩んでいると、扉が軽いノック音をたてた。
「失礼します。ユイ様へ言伝を預かって参りました」
基本的に家主が入る事を許可しない限り侍女はその扉を開いたりはしない。マリアテルは結衣に視線を向けると、結衣は頷き、伝令役を部屋に入れる事を許した。
黒のメイド服を着ているマリアテルは扉の前に立ち、どうぞ。と扉の向こうに向かって声をかけると、その扉は開いた。すると扉の向こうから伝令役と思われる男が部屋の中に入って来た。
男の身なりは王宮の制服を着ており、制服の大半の色はワインレッドで、王直属の管轄である事を表していた。
「陛下の言伝を預かっております」
そう言って男はおもむろに手に持っていた、筒状に丸められた用紙を開いた。
「“君に話したい事がある”との事です」
「ありがとうございます」
わざわざそんな一言を伝令役に頼む程、アーサー様は忙しいのだろうか。と結衣は内心首を傾げながらも、立ち上がり頭を下げてお礼の言葉を口にした。
「陛下はとても忙しいのですね。体調は崩されてないですか?」
「はっ。戴冠式が近い故慌ただしい城内ですが、式が終われば少しは落ち着くかと」
「そうですか」
そんなに忙しいのなら会う時間があるとは思えないのだけれど、とか、城内が慌ただしいとは気が付かない自分が情けない。とか、様々なものが頭の中を飛び交ったが、それよりも大事なのが、何時になるかわからないが、アーサー様と会えるという事だ。と結衣は迷惑では? という思考からアーサーに会えるという喜びにシフトチェンジさせた。
「では、陛下に“夜、中庭でお待ちしております”と、お伝え下さい」
「っ! ちょっとマリアテル?!」
「かしこまりました。失礼します」
伝令役は姿勢を正し、部屋から出て行った。葉の模様が彫られた木製の扉は、殆ど無音で閉じた。その瞬間結衣は立ち上がり、マリアテルに詰め寄った。
「なんで……っ!」
「ユイ様、近衛は呼べませんが、代わりに陛下が側にいてくれるのです。これで中庭に出ても安心ですね」
そう言ってマリアテルは片目を瞑って笑う。茶目っ気のあるその仕草に結衣は一瞬戸惑い、困ったように笑った。それは侍女であるマリアテルにしてやられたからではなく、彼女と1週間過ごしたというのに、その性格の1部すら見えてなかった現状に対してだ。
「ありがとうマリアテル。私嬉しいわ」
「夜までの楽しみが出来ましたね」
「えぇ。貴方のお陰だわ」
「ありがとうございます」
その日の夜。結衣はマリアテルを連れ中庭に出た。現代の日本とは違い、この世界は灯りが乏しく、幾ら一国の城のはいえ現代社会に慣れた結衣から見れば、最早それは灯りがない。と同義であった。
そうなれば、一番明るいのは月明かりになる。暗闇の中の月明かりは、結衣の想像よりも遥かに明るく、与えられた部屋の中から見ていた中庭を満遍なく照らしている。
垣根に咲いた大きな花もちゃんと見えるのだ。
「凄いわ!」
「ユイ様あまり遠くに行かれませんように」
「マリアテル! ここは夜も素晴らしいのね!」
月明かりは存外明るく、結衣はキャメロットに来て初めて、感嘆の声を上げ、年相応に喜びを表現している。結衣の耳にはマリアテルの注意など右から左なのだ。
「ユイ様。そろそろ陛下がいらっしゃいます。東屋の方へ移動しましょう」
「そうね……もう少し見ていたいのだけれど……。あ、ねぇこの花は何て名前なのかしら?」
結衣は垣根に生えている大輪の花に目を向け、指先で花びらに触れた。
元の色は真っ白なのだろうが、今は月明かりに照らされ青白い色になっている。
「それはブリティニアだよ」
「っ?!」
背後から聞こえた声はアーサーのもので、結衣は驚きながらも直ぐに平静を取り戻て、振り返り昼間のレッスンで習ったように、結衣はスカートの端を軽く摘んで左足を半歩後ろに引き、膝を曲げ軽く頭を下げ挨拶をした。
「ご機嫌麗しゅう陛下」
「おや?随分と変わったものだね」
「……ありがとう、ございます?」
「そういう所は変わらないか。そうだね……今の所は皮肉を効かせてもいいんだよ」
最初に皮肉を言ったのは僕だから。とアーサーが言うと結衣は姿勢を正し、訳が分からない、と言った表情を隠すことなく浮かべた。
一体どの言葉に彼からの皮肉があったというのだ?と言わんばかりの表情に、アーサーは碧眼の目を丸めた。
「驚いたな」
「えっと? 私は此処に来てから随分教えられましたので、変わったのは事実でしょう……違いますか?」
「君のそういう素直な所は変わらないでいてくれ、と願うのは勝手なのかな」
独り言のように呟かれたアーサーの願いに結衣は何も答えなかった。否、答えられなかったのだ。アーサーの願いを「はい分かりました」と答えるには、結衣はこの世界の事を何も知らなすぎる。
言葉に詰まった結衣の手をアーサーは掬い取りゆっくりとした足取りで東屋に向かって歩き出した。
その動作はまるで物語に出てくる王子様のようで、結衣は緊張よりも驚きが勝り、つい隣を歩くアーサーに視線を向けた。
「僕の顔に何か?」
「いえ……まるで王子様みたいだな、と」
「ははっ! 今の僕は国王だよ」
「そうでした」
確かにこの男は国王陛下なのだ。しかし、何故か全くと言っていい程結衣にはその感覚がない。不意に夜空を見上げると満点の星空が目に飛び込んできた。
結衣の知っている夜空は、狭く暗いもので地上の方が煌々と光っていて、とてもじゃないが星なんて1つも見えやしないし、月すら霞む。
しかしこの世界はどうだろう。灯りは蝋燭くらいしかないお陰で、広く真っ暗な空に幾万という星が輝いている。
「アーサー様! 凄いですよ! 星が綺麗です!」
「おかしい事はないだろう」
「いいえ! 素晴らしい景色です!!」
エスコートの為に繋がれた手を解き、結衣は軽い足取りでアーサーの数歩前を歩く。その様子を見ていたマリアテルは顔を青くし、アーサーの近衛であるガウェインは溜息を吐いたのだが、結衣はそれに気が付いていない。
「毎日こんなものだろう。何をそこまで興奮する」
「アーサー様は贅沢ですね! こんなに綺麗な星空を毎日だなんて!」
大粒の星がまるで降ってくるようで、結衣は星空に両の手を伸ばす。届かないと頭ではわかっていても、気持ちは届きそうで背伸びをしてまで手を伸ばすが、やはりと言うべきか届きはしない。
この手にこんなにも綺麗なものを収められたらどれ程のものなのだろうか。そんな漠然とした気持ちで伸ばした結衣の手をアーサーの手が包む。
「ありふれた自然な景色を見て、贅沢だと王に言うのは君くらいなものだよ」
すぐ近くで聞こえるアーサーの声は心做しか軽く、結衣の手を握る一回り以上大きな手は暖かかった。