3話 知らぬが花
馬車に揺られ城を目指す最中、ちょっとした遊びだと言わんばかりにアーサーはゲームを提案した。
単純にコインの裏表を当てるものだが、先程結衣はそれを外してしまったので、アーサーからの質問には全て答えなければならない。
どんな質問がやってくるのか。
そう身構えると神楽鈴を握る手に自然と力が入る。結衣は顎に指をあて、ふむ。と考えるアーサーから視線を逸らさず、緊張した心持ちでじっと見ていると、不意にアーサーの口元が緩く上がった。
「では、君の事を教えて欲しい」
「私の事ですか……」
そうは言ってもなんの取り柄もない、ただの女子高生で普通の人と違うのは神力が使える可能性があるってだけで、産まれて此方使えた試し等1度もない。学業も中の上くらいで、平凡的だ。
今度は結衣がふむ、と考え出し、必ず回答しなければならないというルールの元、ゆっくりと口を開いた。
「私は学生で、代々神社で龍神様にお仕えしております。アーサーさんは歴代の乙女たちは魔法が使えた、と言っていましたが、私は神力を受け継いでいて、身体の中に一応術陣はあるのですが、1度も使えた事はありません」
「教えてくれてありがとう」
「……え?」
「次は君の番だ」
アーサーの感謝の言葉に驚いた結衣の手を取ったアーサーは、コインを結衣の掌の上に置いた。
見様見真似でコインを指で弾き、手の甲に着地させすかさずもう片方の手で隠した。
「どちらだと思いますか?」
「裏だね」
コインを隠していた手を退けると、確かにそこには女性の横顔があった。
つまり、このコインは裏だったわけでまたアーサーが質問する権利を獲得したという事だ。
またか。と息を吐く結衣を前にしたアーサーは今度は何を聞くか。と再び顎に指をあて自分の目の前に座る結衣を見た。その事に気が付いた結衣は首を傾げ、どうかしたのか。と口を動かすよりも先にアーサーの口が開いた。
「君のその服装は……何だかとても、変わってるけど、君のいた世界では普通なのかい?」
「いえ、私は神社で巫女をしてますので、これはその中でも特別な時に着用する本装束で、神楽鈴も特別な時用ですね」
結衣は握っていた神楽鈴をシャンと鳴らして見せると、アーサーは感心したように肩をすくめてみせた。
「神社や巫女に神力。君の口からは僕が知らない言葉ばかりが出てくるね」
「っ! ごめんなさい、分かり難かったですよね」
住んでいた世界が違うのだから、自分が普通に使っている単語1つ取っても意味が通じないのは当然の事で、その事をアーサーの口から言われるまで気が付かなかった結衣は、申し訳なさそうに謝罪し俯いた。
「えっと……先ず神社ですが」
「おや?まだコインで勝敗を決めてないがいいのかい?」
「ちゃんと説明出来ていないのなら、補足しないといけないと思います」
「成程ね」
がっくりと両肩を落として俯いていた結衣は、確りとアーサーの目を見ている。
琥珀色の瞳はアーサーの碧眼を射抜き、その力強さに、無意識にアーサーの口の端が上がった。
「神社とは神様が暮らす施設です。私たち乙宮家は代々龍神様にお仕えしお世話させて頂いています」
「成程。ユイはメイドなんだね」
メイド、とは少し違うような気もするが、それはニュアンスの違いだろうと、勝手に納得して結衣はまた説明を始めた。
「巫女とは、神様と人を繋ぐ存在です。神楽を舞い穢れを払い、神託を得て伝えたり……過去には神の依代となった巫女もいます」
「巫女は神力を使える者なのかい?」
「……神力とは神の力です。神の力が何故人が使えるようになったか諸説はありますし、神社によって理由も違うと聞いた事がありますが、大抵の巫女は使用することが出来ます」
巫女は神託を受け、式神を操り人々の為に神と人の縁をつなぐ者であるべき。
そう教えられてきた結衣だったが、それらの務めを果たせた事等1度もなく、言わばアーサーの言う神託こそ初めて結衣が神と関わる出来事になるのだ。
なんと言うか……召喚しようとしたら召喚されるなんて、何度考えても間抜けよね。
結衣は自嘲し、溜息を吐いた。
「……質問、どうぞ」
「君はその神力を使いたいのかい?」
「え?」
「確かにユイには魔力を感じない。でも魔力とは違う力なら感じるんだ。恐らくそれが神力と呼ぶモノなのだろう」
ユイは神力を使って何がしたいの?
その問いに即答出来る程結衣は何か考えを持っているわけじゃなかった。周りが使えるから、代々受け継ぐものだから……。そんな理由なら幾らでも思いつくが、それが本心なのか?と聞かれると、それこそ本心ではないと即答出来るだろう。
「分かりません……使えるようになる事に必死で、どうして使いたいのかは考えた事もありませんでした」
何故神力を使いたいのか。
それさえも分からないで、どうしていつか頑張っていれば神力を……召喚術を使えると思っていたのだろう。
「如何して神力を使いたいのか、今度答えを聞かせて」
「はい……必ず伝えます」
「それじゃあ次は僕の番だ」
結衣の手の甲に置かれたコインを取ったアーサーはそれを指で弾いて手の甲に乗せ、素早くもう片方の手でコインの表面を隠した。
もう、どちらかなんて質問されなくともルールは分かっている。
結衣は表、と答えるとアーサーはコインを隠していた手を退けた。そこには女性の横顔は描かれておらず、変わりに円を描く様に何かの花が描かれていた。
「ユイの当たりだ」
「そ、うですね……」
今回もどうせ外れるだろうと内心思っていた結衣は、アーサーに対する質問を全く考えておらず、何を質問すればいいのか、どんな情報が知りたいのかまだ、頭の中で整理しきれてなかったのだった。
この世界の“魔法”について聞きたいし、今私がいるこの国の事も聞きたい。それに、神力と魔法の違いについて聞きたいし……。
両手で頭を抱え本格的に悩む結衣を正面から見ているアーサーの口元は笑っているが、俯き質問を考えあぐねている結衣はその事に気が付いていない。唯一この馬車内で気が付いているのは、結衣の隣に腰を掛けているガウェインだけだ。
「残念、時間切れだ」
「え? なんで……」
アーサーが指先で窓の外を指さした。森の中を走っていた筈だったが、結衣の知らない間に森を抜けたようで、見慣れぬ大きな建物がそこにあった。その建物は白く馬車の中からじゃ屋根まで見る事が出来ない大きさで、結衣は両目を大きく開いた。
「お、お城……?!」
「あぁ、この城が僕たちがこれから暮らす城。キャメロットだ」
この城に着いたからアーサーはこのゲームを打ち切ったのだと、すぐに気が付いた結衣は焦ったように口を開いた。
「待ってください!私まだ何も……っ」
「うん、でももう着いてしまったよ」
「でしたら、一つだけ!」
「うん?」
なおも食い下がる結衣の必死さに疑問を隠せないアーサーは首を傾げた。
「アーサー様の事を教えて下さい!」
それはアーサーがこのゲームを始めて結衣に最初にした質問だった。この国や世界の事を知るのは勿論だが、先ず目の前に座る男が信頼出来る人物なのかも見極めなければならない。
一度出た言葉は二度と帰って来ない。
アーサー様の事を教えて下さい、と結衣が口に出してからアーサーは、何か考えるように顎に指を当ててから動いていない。
もしや何かまずい事を言ってしまったのかと、結衣が不安にかられあたふたしていると、漸くアーサーの口が開いた。
「時間切れは時間切れだ。その質問は自分で見つけるといい。君が――ユイの目に僕がどんな人間に見えるのか、それが答えだ」
「私の目で見たものでいいのですか?」
馬車は城門を抜け橋を渡り、正門の前に着いた。正門の前に止まってしまえば後は降りるだけなので、当然のように結衣たちの乗っている馬車の扉は開き、ガウェインを先頭にアーサーも降りていく。
変なタイミングで話しかけてしまった結衣は、中途半端にアーサーへと伸ばした手を引っ込め、馬車から降りた。
地面に足を着け、視線を上げるとゲームや映像の中でしか見た事がなかった西洋の城がそびえ立っており、新たな主人を迎え入れようとする執事やメイドがずらりと大きな玄関まで並び、地面には真っ赤な絨毯が真っ直ぐ広間まで敷かれている。
「凄い……」
普段結衣が見慣れているのは日本家屋だが、大きさと言えば一般家庭と遜色はない。ただ違うのは神社故に本殿があり、社務所もある。敷地面積は広いが、見渡せない事はない。
しかし、ここキャメロットは最早見渡せない。城本体の建物は空高くそびえ立ち、左右を見てもずっと遠くに塀が見える。
「ユイ」
「は、はい」
「手を貸して」
隣に立つアーサーに向かって掌を見せると、クスリと笑い、掌を返し結衣の手を持ち上げるように軽く握った。
「僕に続いて歩いて」
結衣が頷くとアーサーはゆったりとした足取りで、真っ赤な絨毯の上を歩いて行く。
「さっきの答えだけど」
「はい」
「民の目に映らぬ王など価値なき王だ」
柔らかな絨毯の上を歩きながら、結衣の手を握りエスコートするアーサーの言葉に、結衣は初めて自分の手を握る男は国を背負う男なのだと認識したのだった。